浴 衣 B
 

 
          



 駅前辺りやその周辺に広がっていた、路線の広がりに併せて開発されたのだろう新興住宅地を離れた、昔からある旧市街地、所謂"山の手"の住宅街を縫うように伸びる、幹線道路としての大通り。真っ直ぐ進めばいつぞやの、しだれ梅の綺麗だった妙寿院さんに向かうその途中、石橋を通って川をまたいで対岸へ。随分と暗くなって来た夜陰に浮かび上がる光の列、誘導灯を兼ねた提灯が連なった並木道のその両側に、色々な屋台が並び始めると、そこはもう参道であるらしい。小高い丘の上に珍座する神社を終着にゆるやかに上ってゆく坂になっていて。この辺りまで来ると、人の波もかなりの厚みを帯びて来る。
「はぐれないようにな。」
「はい。」
 夜店屋台の煌々とした明かりがあるので暗くはないが、手と手をつないでいるのは…その間に割って入り込まれたりした時に却って危ないかもと、知らず知らずのうちにも感じてか。周りに押されたせいもあって…気がつけば進さんの腕自体に、両手で軽くしがみついていたセナであり、
"えと…。/////"
 糊の利いた木綿の生地越しに触れ合っている肌と肌の感触が、何だか…物凄い接近をしているような、リアルで生々しい何かを想起させるような気分を招くから不思議。ほんのついさっきまで、もっと直接に。手と手をつないだり、足が浮くほど抱えてもらったりしたのに。それどころか、懐ろ深くへ引き込まれて………。
"えと。/////"
 だから、その、えと。…きす したことだって何度もあるのに。なのになのに、どうしてかな。浴衣同士が挟まって触れ合ってる感触が、何でだか…物凄く肉感的で、意識しちゃうとドキドキする。手のひらで直に頬を撫でてもらった時とか、いい匂いがするコートの懐ろに入れてもらった時とかとはちょっと違う"ドキドキ"。胸の深いところまで入り込んでって"ドキンっ"としたんじゃなく、あっと言う間に肌全体へ"ふわ…っ"て広がってくる、火照りを誘う微熱みたいなドキドキ。
"あ…。"
 何の加減でか進さんが力を込めたらしいその腕の、躍動的な筋肉の動きが…その腕を抱え込んでたセナの胸に直接伝わって来て。それで"ひくり"と震えちゃったのが、進さんにそのまま伝わったらしくって。
「??」
 漆黒の夜空の高みに据わった星のような、深色の瞳で"どうした?"という眸を向けられて。さっきの小道で転びかけた時のやりとりをまたまた蒸し返しちゃいけないと、あわわと慌てながら、
「あ…あの、あれって台座まで輪で囲まなきゃ取れないんですよね。」
 すぐ横手の夜店が丁度"輪投げ"だったのを指差して、その場しのぎの言いようをすると、
「? ほしいのか?」
「…え?」
 よくよく見ないで指を差した先、改めて見やると…派手なペイントがなされた ジッポもどきのオイルライターやら、ガラス細工の仔鹿や、金メッキの縁取りが派手な砂時計、透かし彫りの鈴なんぞが並ぶひな壇のその奥。この出店の特別賞なのか、アセチレンランプの目映い明かりを受けて、場違いなくらい綺羅々々しく輝いているのは、クリスタル製の小さなリンゴである。リンゴ自体はSサイズの鶏卵ほどという小さなものだが、それが載っかっている10センチほどの切り株みたいな台座もまたクリスタル製で、なかなかに芸術的な、丹精な細工がほどこされた逸品だ。

  「え?」

 そんなものがあろうとは思わずに指差していたセナは、進が手際よく小銭を財布から摘まみ出し、小父さんから幾つかの籐巻きの投げ輪を受け取ったのを見て、あやや…と慌てた。
「あ、いえ、その、そんな…。」
 選りにも選ってとんだものを"おねだり"したことになってしまった。しかも…ただ買ってくれとねだったのではなく、衆目の中で難しい事をやって見せてという、進を試すような、そんな種類のおねだりだけに、
"どうしよう…。"
 考えなしなことをしちゃったようと、冗談抜きに血の気が引いた。此処は進さんの住まう町なのに、彼をよく知る誰が見ているか分からないのに。もしも失敗して、後日にまで尾を引くような恥をかかせちゃったらどうしよう。一番奥に置かれたあんな小さな標的。たとえ届いたとしても、ひょろりと高さがあるクリスタルの台座に引っかけないで、そのまた下に敷かれた…投げ輪ぎりぎりサイズだろう敷台を、きっちり囲んでしまわないとクリアにはならないに決まってて。しかもしかも、ただでさえ腕へと袖がまとわりつくわ、その袖を延ばすことへも…格闘技用の道着と違って、身頃辺りの生地が突っ張って、肩や背中に制約がかかるわという、日常着としては馴染みの薄かろう浴衣姿の進さんで。
"無理だよう…。"
 だが、こうなっては止めるにももう遅くて。ドキドキしながらも、セナは成り行きを見守った。最初の一投はちょいと短くて、手前の桜の花札柄のライターの端っこに当たった。次の一投は遠くすぎて、出店の奥に壁の代わりに垂らされた、紅白の幕に当たって落ちた。その次のはお懐かしや、昨年の入部テスト&特別トレーニングにて特別展望室まで駆け上がった、あの東京タワー…の模型の電波塔に引っ掛かり、4つ目を構えたところで、飛ばすコースや投げる態勢で彼が何を狙っているのかが分かったか、
「おっ、お兄さん、リンゴ狙いかい?」
 隙間に落ちた投げ輪を拾う、鈎つきの細い竿を手に、店主の小父さんが余計な声を掛けてくる。ああ、もう。そんなことしたら気が散るじゃないかと、ハラハラするセナくんだが、向こうさんだって商売だもの。多少は揺さぶりも掛けて来ようというもの。
「落ち着いて狙いなよ? あれは本物、オーストリアの有名な工房の作品だ。買えば高いよ?」
 投げる瞬間に声を掛けるような、あまりに分かりやすい邪魔はしないようだけれど、それでも…黙っていればいたで、どこで声を掛けてくるのかとやはりドキドキしてしまう。
"なんか…。"
 心臓が痛いようとばかり、手にしていた団扇をぎゅうと抱きしめて、ついつい…眸を瞑ってしまったセナだったが、

  ――― おおっ。

 周囲から歓声が上がった。それと同時、何だかクスクスと笑うような声も聞こえて来た気がして、
"ああう、やっぱり外しちゃったのかな。"
 5つセットだったから、あと1つ。でもなんか、もう良いようって思ったくらいに胸が痛んだ。団扇の影で はふと息を継いで、それでも見届けなきゃと顔を上げかかったそのタイミングに、

  「ほら。」
  「……………え?」

 その団扇の骨の隙間から見えたのが、お顔の前に差し出された…きらきら光るクリスタルのリンゴ。何とも無造作に差し出す進さんへ、
「お兄さん、そのままじゃ割れちまう。」
 苦笑を浮かべた小父さんがそう言いながら手渡してくれたのが、メガネなんかを拭くビロードみたいな布と少し分厚いボール紙の小箱。これに入ってた置物であるらしく、箱の隅には"MADE IN 〜"と、明らかに"オーストリア"ではない国名が記された小さなシールが貼ってあったが、まま、それだからこそすんなり貰えたと思うべきか。箱を受け取り、ほんのかすかに会釈を見せて、さて。さすがに…何だか注目を浴びていると気づいたからか、此処から離れようなという目配せをされて。それで、はっと我に返ったセナくんは、
「あ、ありがとうございます。」
 どこか とんちんかんなお礼を言うと、促されるまま…大きな手に引かれるままにその場から離れることにした。




 人込みの中を泳いで泳いで。大きなコナラの樹があることから、屋台の列が途切れた参道の外れ。出店のテントごとに設置されたライトの眩しい光と交錯するのは、道沿いに連ねられた提灯の、和紙を透過して降る柔らかい光。真昼みたいに明るいような、けれど、少しでも光の列を外れると、そこには真夏の宵の夜陰が佇んでいる、そんな不思議な時間と空間と。
"何だか、夢の中にいるみたいだよな。"
 どこかに置かれたラジオから流れてくる、ヒットチャート曲と野球中継の実況とが、少し遠くで入り混じってて。雑踏のざわめき、下駄の音、雑多なそれらが奇妙なBGMとなって柔らかくまとわりつく。
「大丈夫か?」
 人いきれに酔いでもしたかと、心配そうな声をかけてくれる進さんへ、ふりふりと首を横に振る。
「何ともないです。」
 にこって笑って、それから。ここに辿り着くまで胸元へと大事に抱き締めてた、何かしらの賞を得たトロフィーみたいな、クリスタルのリンゴの置物を手の中にあらためて眺めやる。
「綺麗ですねぇ。」
 この大きさなのにこれだけ持ち重りがするのだから、どこの産かはともかくも"クリスタル"ではあるらしい。矯
ためつ眇めつと一通り眺めてから、傍らに立つ、これを射止めてくれた人を見上げれば、何とも優しい、微笑ましげなお顔で見下ろして来てくれていて。どこかで覚えがあるお顔だなと、思い出しかかった途端にあっさりと、記憶の中から現れたのが…。
「2つめですね。」
「??」
 自分のお部屋、ベッドの上に座っている、ベージュ色の大きなクマさん。時々、珍しくも土曜や日曜に在宅している時の母が、たまには天日干ししなきゃダメよとベランダの柵に引っ掛けてくれてたりする、ビーズ&ダウンの大きな縫いぐるみ。梅雨前の休日に、スポーツ店のイベントの腕相撲大会で進さんが頑張ってくれて。その賞品だったのを獲得してくれた、マシュマロみたいにふかふかの側
がわ生地の縫いぐるみ。
「…ああ、あれか。」
 進さんも思い出してくれたらしくって。時々、お勉強を見にとお伺いするセナくんのお家にて、カバーのかかったベッドの上に"で〜ん"と居座っているクマくんには、こちらさんにも見慣れた感があるのだろう。だが、
「あの子のこと、進さんて呼んでるんですよ?」
 ニコニコしつつのセナからのこんな報告には…さすがに、
「………☆」
 眸が点になりかかった進でもあったりしたのだが。
(笑) 本当にサプライズ…思わぬ形で進さんからもらった贈り物さんたちには、それへと連なる思い出さんたちも楽しいものばかりで。

   "…2つどころじゃないのかも。"

 セナからのどんな我儘だって聞いてくれるだろう優しい人。せっかくのお休みの日に"出掛けたいから"と連れ回しても怒らないし、あんまり関心がなかったかも知れない展覧会や映画とかにも付き合ってくれるし。何という目的のない"ウィンドウ・ショッピング"にさえ黙って…いやいや、時には"これなんか似合うのではないか?"などと話を振ってくれたりするほど、小さなセナのこと、大切にしてくれる人。ホントはただ一緒にいるだけでもワクワクしちゃって楽しいのだけれど。それでは退屈しはしないかと、いつも何かしらのイベントを探してしまう自分であって。
"却ってご迷惑かも知れないんだろうな、こんなの。"
 こんなに素敵でこんなに優しい人を、自分の我儘から引っ張り回して。時々はしっかりしなさいって叱ってもくれたけど、それにしたって励ますためのものばかりで。こんなに幸せで、こんなに恵まれていて、いいのかなぁと。いつか物凄い勢いで、今の幸せとの帳尻を合わせるための…何か辛いこととかがやって来るのかなぁと。そんな妙な心配までしちゃうほど、それはそれは幸せなセナくんで。
"…ふや。/////"
 一体何にだか、ほやんと幸せそうに瞳を潤ませているセナくんであることへ、
「…?」
 こればっかりは言ってくれなきゃ判らないことだけれど、愛らしいお顔がこうまで幸せそうに和んでいるのなら、

   "…まあ、いいか。"

 無理から言及することもなかろうと、こちらさんも胸の奥がほわほわと温かい、そんな進さんであったりした。お互いが幸せで良かったことです、はいvv



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 *恋人さんにいいトコ見せましょう、第2弾でございました。
  射的とどっちにしようかなと思ったのですが、
  機械音痴の進さんがいきなり空気銃を器用に扱えるというのは不自然なので、
  こっちにしましたの。(笑)