月夜の人魚 U *このお話は拙作『月夜の人魚』の続編です。



          



 何が何処に当たっているのか、それともどこかの棚でゆるやかな波の揺れに合わせて転がるものがあるのか。ことん…ごとん…という音が何処かからかすかに聞こえる。夕暮れ時を過ぎても続く長い凪に入ったため、船は帆をたたみ、大海の只中にて錨を降ろしての停留中。もう自分の呼吸や鼓動の音ほどに馴染んだ、ゆったり静かな潮騒の響きだけを枕に、皆して寝静まっている筈の静かな夜更けだから、誰かが起きていての物音ではない筈だ。静かな静かな夜更けの船内。


   ……………おや?


「…うっと。」
 男部屋のハンモックが1つだけ、空になって揺れている。そぉっとそぉっと扉を閉めて。静かに静かに足音を忍ばせ、こっそりと真っ暗な通廊を進んで。暗視でも判るほど馴れている場所、壁に沿わせてあるはしごに手をかけ、昇りながら頭上の蓋戸を押し上げる。隙間からすべり込んで来るのは、仄かに湿った潮の香り。かすかながら夜風が出て来ているらしかったが、それでも船の推力には今ひとつ足りない程度の微風だ。
「………。」
 別段、これから疚しいことをしようというのではないのだが、騒げば休んでいる皆から文句の一つも出るだろうなと、これは最近やっと覚えた"心遣い"から感じたことで。それで、出来るだけ物音は立てないようにとここまでやって来た彼だったのだが、

  「何処に行こうってんだ、おい。」
  「………っ☆」

 頭の真後ろ、しかも髪の中に吐息がくぐるほどという間近からの声には、さすがに背条が逆撫でされた。
「な…っ!」
 反射的に大声を出しかかったところ、大きな手のひらが回って来て、こちらの口許をがっちりと塞いでしまう。
「大声を出すなって。」
「(…うう"。)」
 誰のせいだよ…くらいのことを言い返したそうな、恨みがましげな眸を想像しつつ、その男臭い顔の口許に悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「ほら。とりあえず、甲板へ上がれ。」
 何だか"強盗が羽交い締めにした人質を盾に取りながらたった今銀行から出て来ました"の図のような案配のまま
こらこら、はしごを一緒に昇り切る。
「…っ、ビックリさせんなよな。」
 蓋戸を閉ざしてやっと大きな手による"さるぐつわ"を外されたルフィが、振り返りながら"キッ"と睨みつけたのは、
「だから。いつもいつも言ってんのに、またお前、一人でふらふら出歩こうとしてたからだろうが。」
 今回は珍しくも甲板に出る直前へ追いついたんですのねの、剣豪・ロロノア=ゾロ氏である。大きな眸の童顔で、体格もまだどこか成長過渡期のそれを思わせるひょろひょろとした船長殿とは対照的に、上背もあってがっちり雄々しい、もう充分に一端
いっぱしの男ぶりであるこの副長殿。いつもいつも甲板で昼寝ばかりしていると世間様が言うような、平生のもっさりした怠惰な印象とは裏腹に、武芸者としての鍛練を日々欠かさずに積み上げている地道な人でもあって。よって、こっそりと寝床を抜け出したルフィの気配に気づいて簡単に眠りを解けたのも、何の気配もなく船長殿の背後に近づいて、唐突にあんな声をかけることが出来るのも、一方ならない修養で得た鋭敏な集中力のお陰様なのだろう。………使い方、間違っとりゃせんか、あんた。(笑) まあ、そういう冗談はともかくも。もうもうクドイほど説明して来たことながら、肝心な船長さん本人が忘れ去ってらっしゃるようなのでもう一度繰り返させていただくならば、
「夜中の海に落ちたら、この暗さの中、そうそう簡単には探せないんだ。だから、陽が落ちてからは甲板に一人で出るなって、いつもいつも言ってるだろうが、ああ"?」
 そうと言いつつ"ぱっちん"と、丸ぁるいオデコを指先で弾いた剣豪殿であり、
「ひでで…☆」
 お仕置きの"でこぴん"が炸裂した額を押さえるこの船長。子供の頃に"悪魔の実"という不思
アイテムをうっかり口にしたせいで、全身が自在に伸び縮みする"ゴム人間"になってしまった人物で。その効用はというと、どんなに殴られようが、重いものに乗っかられようが、銃砲で撃たれようが、その衝撃はすべて吸収出来るからダメージは殆どない。また、腕や足、身体の各所を自在に延ばせるから、その張力をうまく使えば、遠い場所までひとっ飛びだとか、遠くの仲間を一瞬にしてすぐ傍へと呼び寄せられたりとか。周囲にはいささか傍迷惑な"反動"つきながらも(笑)、行動範囲が果てしなく広いというよな利点もある。………が。そうそう良いことばかりではないのが、何たって"悪魔の実"。海の呪いが生み出した代物なだけに、味はまずいしおいおい、大きなハンデが漏れ無くついてくる。これを食べた者は例外なく海に嫌われるという呪いで、海に落ちると全身から力が奪われて、そのまま海底まで沈むしかないのだそうな。…とゆことは、泳ぎが達者になる実というのはないんでしょうね、さすがに。(意味がないっての/笑)
「全くよぉ。このお耳は実は右から左へ素通しで、覗けば向こうが見えてんじゃねぇのか?」
 他でもない自分の、しかも命にかかわることだというのに。こうまで何度も何度も同じ説教を繰り返させられる身としては、もういい加減、飽きが来て冬に突入しちゃうぞというほどうんざりものな忠告の繰り返しなのだが、それでも諦めない剣豪の不屈の闘志?は、いっそ見上げたもんである。
"なんだ、その…冬に突入しちゃうぞってのは。"
 いや、だから。飽き(秋)が来たら次は冬が………。って、小さなお茶目に一々突っ込まないの。
(汗)筆者との番外MCはともかくも。
「…うう"。」
 言われたことは確かに間違ってはおらず、自分の身を案じてのお言葉なだけに、ルフィとしても、
「…ごめん。」
 謝るほかにはないらしい。そして、
「………。」
 項垂れてしまうとそのお顔が麦ワラ帽子の陰になってしまうから。聞こえないくらいの小さな溜息をついてから、
「まあいいさ。今夜は早く気がつけたんだしな。」
 お説教も半ばにして、頭をお上げなさいと肩に背中に手を回してやる辺り、相変わらずに甘いこと。思えば…幼い船長殿がこの"夜遊び?"を性懲りもなく繰り返すのは、大した罰則もなしの中途半端なお説教のせいなのかもしれないと感じる筆者であり、しっかりせんかい、保護者殿。
(笑)


  "………ああ"? なんか言ったか?"


 う………。そんな氷点下の眸で睨まんでも。
(泣)冗談ばかりやっていては話が進まないので、本題へ戻りましょう。
「………。」
 叱られたことで心持ち肩を落としていたルフィだったが、背中に回された武骨だがやさしい手の温みに促されるようにして、上甲板へ昇る途中の階段へと導かれる。ここなら腰高な船端に遮られることなく海が臨めるからで、夜空を見たかったにせよ、夜風に当たりたかったにせよ、申し分のない場所である。見えると言っても…今夜はまだ月が出ておらず、夜空一杯に散りばめられた星影が途切れる辺りが水平線ならしいなというくらいにしか"あたり"はつけられないくらいに真っ暗な海面であり、
「で? 今夜は何でまた夜歩きがしたくなったんだ?」
 途中にあったメインマストの根元の樽。そこには甲板で使う雑多なものが押し込まれてある。通りすがりつつ、一旦立ち止まって中から取り出したのは小さなランプ。それへと火を入れ、傍らの船端へと置きつつ、並んで腰を下ろせば…横合いからぽそんと胸元へ凭れて来る小さな身体。それを受け止める呼吸も慣れたものな剣豪殿が改めて訊くと、
「うん。昼間にロビンが言ってたろ? 人魚はホントに居るってさ。」
「…成程。」
 一を聞いて十を知る。まあ、この船長さんの短絡思考ならば、特にゾロほどの付き合いがなくても簡単に可能な先読みではあるのだが。いつぞや砂漠の王国の皇女様から聞いた人魚の悲恋の物語。何かの拍子に今日のお昼間の会話の中に出て来たのだが、そうしたところが、考古学者である新顔のクルー、ニコ=ロビン嬢が、

  『あら。人魚なら本当にいるわよ。魚人の遠い仲間内にあたるのだけれど。』

 そんな風に、それはあっけなく口にした。これが、悪気はないらしいが口から出まかせの多い狙撃手の言葉であったなら、話半分、眉唾ものだと聞き流すところだが、何しろ正真正銘の考古学者で、しかもこの船一番の年長さん。(笑) 信じられないくらい幼い頃に莫大な懸賞金が懸けられて以降を、海千山千、油断のならない様々な人々が犇めき合う裏社会で、強かに知恵をつけることで生き延びて来た人物である上に、
「ロビンはウソをついたことはないからな。」
 その代わり、逃れられない現実を見よとばかり、窮地の只中にあって冷静にダメ押しするのが得意技みたいですが。
(笑) 相変わらずの子供じみた評価ながらも、ルフィにとってはそれが一番の確かな手ごたえであるのだろう。なればこそ…ただ年嵩なだけではない、その知識の深さには信用を置いていいと、ついつい信じてしまうというもので。とはいえ、新顔で…しかも直前までは憎き"敵側の幹部"だった人間だ。そんな人物へこうも呆気なく信用を置かれると、むっとする立場の者だっている。例えば、
「前に俺も"居る"って言わなかったっけか?」
「そだっけか? 見たことはないって言ってただけじゃなかったか?」
 …えと『月夜の人魚』参考にして下さいまし。
(苦笑)悪気はないのだろうが、こういう答え方をされると、ますますもって…あの女の言葉の方が信ずるに足ると言われたような気さえして。懐ろから見上げてくる小さな温もりの、こんなに間近い存在を、何故だか遠く感じてムカッと来る剣豪殿であるらしい。
「………ゾロ?」
「それで? いるんなら今度こそ姿を拝んでやろうと思ったのか?」
 こちらからの怪訝そうな問いかけを、どこか力任せに遮るような間合いと勢いで聞いて来る。事態が逼迫している時だとか、他にも顔触れがある時はともかくも、二人きりの時は出来るだけ、幼くて拙いこちらのペースに合わせてくれるのに。
「…うん。」
 せっかくの楽しい企みだったのに。何がどうしてなんだか判らないまま、突っ慳貪な物言いへ…冷たくあしらわれたような感触を覚えて肩を落とすと、

   「………悪りぃ。」

 そっと。髪に、額に小さな口づけを落としてくれる。ただ声の調子がほんの少し落ちただけなのに、それだけのことで少年の気落ちを察してくれる。およそ"デリカシー"だの"センシティブ"だのという代物には縁もゆかりもないよな男が。それこそ、気の利いた細かい気遣いは出来ないからと、不器用そうにいたわってくれるのが…とても嬉しくて。
「ううん。」
 ぷるぷるとかぶりを振って、懐ろから思い切り仰向いて、相手の顔を真下からにこにこと覗き込めば、
「…ま。夜は長いんだ。もしかしたら人懐っこいのが、遊びにって近くまで来てくれるかも知れねぇよな。」
 随分と和んだやさしい眼差しが、眩しいものでも見るかのように細められて見つめ返してくれたのだった。


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