きぃ。A 〜蜜月まで何マイル?


          



 ぽあぽあで暖ったかいチョッパーの毛皮とは違って。その撓やかさがちょっとひやりとするくらいの、まるでシルクのようなつやのある柔らかな毛並みの手触りがよほど気に入ったのか。それとも愛くるしい仕草が堪らないのか、ただ単に"初物喰い"根性が騒いでやまないからか。
(笑) ルフィは“きぃ”を一日中傍らに置き、ほぼ抱えたままという状態で過ごしていた。
「チョッパーを抱っこするの、やっとやめたと思ったら。」
 キッチンキャビンの前のデッキ、上甲板がそのまま真っ直ぐに見通せる位置に立ち、サンジはいつもの羊に登ろうとしている船長さんの赤いシャツを苦笑混じりに眺めやる。
「あの子…“きぃ”の方でも随分と懐いているものね。」
 抱えていた手を離してもルフィの傍らから数メートルと離れない。早回しのVTRのような素早さでくるくると元気よく駆け回り、船縁や手摺りに駆け登っては身軽に撥ねて見せて愛嬌を振り撒くと、とととっと戻って来てルフィの腕まで勢いよく駆け登り、そのまま肩の上へ座り込む懐きようで。
「ホントに野生の動物なのかしら。」
 あまりの可愛いコンビネーションへちょこっとばかり苦笑しつつ、サンジとそんな言葉を交わしていたナミが、丁度通りかかった小さな船医殿へ訊くと、
「野生だと思うよ。いくら知らない動物でも、ここなりの訛りがあるんだっても、人の身近にいたなら尚のこと、俺にも言葉が判る筈だもん。」
 くりくりっとした眸をぱちぱちと瞬かせつつ、そうと筋道立てて説明されて、
「あ、そっか。」
「そうだったな、うん。」
 二人は顔を見合わせる。このチョッパーも昨日までは皆と共に町中に出ていて、大柄なお兄さんという"人型"に変化して、薬や包帯などの買い物をこなしていた。この地の公用語はさほど奇抜な言語でもなく、買い物をしていた彼へも通じていたのだから、そんな人々の傍らで過ごした覚えがある生き物なら、自分の種族の言葉以外に、人とのコミュニケーションで覚えたり使った鳴き声や仕草という"色々"も繰り出すものではなかろうか。警戒しているならともかくも、ああまで懐っこく、気安く自分に触らせてまでいるのだからそうして良い筈である。別に迂闊なことを聞かれたとは思わなかったらしい、相変わらずに無垢でピュアな船医殿は、
「でも、ルフィって凄いよな。」
 デッキの手摺りの隙間から、やはり上甲板を眺めやりつつ…何だか感慨のこもった言いようをする。
「? 何が?」
「だってさ、こっちから判らないってことは、向こうからだってこっちの言葉とか判んないってことだ。何か考えがあって話せないって言うんならともかくさ。他の種族とはコミュニケーションなんか要らないまま生きて来たっていう孤高な種類の生き物なのかもしれない。」
 そりゃまた…理屈はそうでもあろうが、いきなり"何か企むことも出来そうな高尚な知的生物かも知れない"という前提で考える辺りは、彼が"人"も"動物"も同格に捉えているからだろうと偲ばれる。実際がどうなのかは、片やの私たちにしても自分たちの意志や感情しか判らない以上、何とも断言は出来ませんものね。まま、それは論が異なるので今は置いといて。
「だのに、警戒させることもなく、あんなに懐かれてる。」
 そうと告げたチョッパーは、だが、珍しくも笑顔ではない。そんな彼であることへこそ、何か意外な感触を覚えて、
「…何か気になるの?」
「あ、ううん。きっと考え過ぎだと思うんだ。」
「何が。」
「だから、さ。」
 気づかれて"しまった"と感じたか、戸惑いを誤魔化すように、山高帽子の縁を小さな蹄の先でちょいちょいと擦って見せて、
「………。」
 言ったものかどうしたものか、しばし逡巡していたようだったが、ナミもサンジもじっと根気よく待っていると、
「何かはっきりした確証があるって言うんじゃないんだけれど。」
 船医殿はようよう口を開いた。
「こっちこそ警戒した方が良いぞって気がするんだ。あの子には。」
「警戒?」
 そういえば、ゾロも何か言ってなかったか? 得体が知れないとか何とか。このチョッパーにだってすんなりと馴染んだくらいに日頃頓着のないものが、あんな風にわざわざ口にしたなんて、怖いものなしで剛毅な彼には珍しいこと。さては嫉妬か?とその場ではからかっただけだったサンジやナミだったのだが、このチョッパーまでもが何か感じるというのだろうか。
「うん。あんなに小さくてあんなに可愛いのにね。何がどうってキチンと説明出来ないんだけれど、何だかオレ、傍に寄れないもの。」
 そうと言ってひょこんと小首を傾げて見せる。得体が知れないから…にしても、あんなにも愛らしい小さな生き物へそうと感じる自分へこそ合点がいかないチョッパーでもあるのだろう。とはいうものの、
「これ、ルフィには内緒にしててね。あんな仲が良いんだし、もしかしてこれは…言葉が通じないからってことで俺だけが感じてる"取り越し苦労"ってやつなのかも知れないからさ。」
 真摯なお顔が見上げて来るのへ、ナミもサンジも思わず目許を細めると、
「ええ、判ったわ。内緒、ね?」
「言わねぇよ、心配すんなって。」
 しっかり"約束"を交わしたのであった。


            ◇


 さて、問題の上甲板では、
「ルーフィー、そいつ抱えてんなら尚のこと、そこには登るな。」
 ただでさえ不安定な羊の舳先。今は停留中のゴーイングメリー号だから、大きな横波が突然襲い来るとかいう危険はないが、それでも危ないには違いなく、しかも肩にはちょろちょろと落ち着きない“きぃ”を載せてもいる。二人?まとめて落ちたらどうすんだと、保護者で監視役の剣豪殿が声をかけると、
「あ、そっか。そうだな、お前まで落っこちちゃうもんな。」
 いつもならひとしきり"ああだ、こうだ"とゴネるものが、今日はやけにあっさりと言うことを聞く。ぴょいっと飛び降りて来た、上甲板の板敷きの上。こちらは座り込んだその位置で手枕の上へ頭を載せかけていて、既に"昼寝"ならぬ"朝寝"の態勢にあるゾロへ、
「なあ、何かして遊ぼうぜ。」
 いつもの声をかけるルフィだが、
「そいつがいるだろうが。明日には森へ返すんだから、思い残しのないように、たんと遊んでもらっておけよ。」
 面倒そうに言い返された。しっかり“きぃ”にお守りを任せようという魂胆のようであり、だとすれば…めっきりと単純そうな人のくせして、ややこしい"焼き餅"を焼く人であることよ。
"だから、誰が妬いてるって?"
 あんただ、あんたvv
「うう〜ん。」
 一方、そうと言われたルフィの方は方で、
「遊ぶったってなぁ。」
 ぺたんと座り込んだお膝の上、後足で立って同じように小首を傾げている“きぃ”と向かい合う。黒々としたつぶらな瞳が、無表情なのに…何事か訴えかけて来ているようにも見えるから不思議で、
「よぉっし、じゃあ見張り台に昇ってみっか。お前、普段は樹に昇ってる"どーぶつ"なんだろ? 怖くないよな?」
 胴回りに手を添えて抱え上げてやる。そんな会話にこっそりと薄目を開けてみたゾロだったが、
"ま、停泊中なんだし、大丈夫だろうさ。"
 メインマストに張られた帆や桁木や、索具やロープに縄ばしご。それらをよじ登ったりゴムゴムの何とかでぶら下がってみたり、ジャングルジム扱いにして遊ぶのはいつものこと。これが航海中だと、波を受けての揺れだのという思いもよらない衝撃に振られて、手を滑らせるというアクシデントが心配されもするところだが、さっきも挙げたように一応は静かな入り江での停留中の船だから、さしたる心配も要るまい。剣豪殿は小さな吐息をついて再び眸を閉じた。

   "…久々にゆっくり眠れそうだな。"




 …の割に、眸を閉じたせいで感度が良くなった聴覚が、ルフィの殊更ご機嫌そうなはしゃぎ声をわざわざ拾うものだから。なかなか眠れず、さりとてこっちから"お誘い"を撥ねのけた以上、やっぱり一緒に遊ぼうかと声をかけるのも何だか何だし…とかで。シェフ殿が昼食へのお招きの声を挙げるまでの結構長い間、変てこりんな我慢を強いられた剣豪殿でもあったらしい。…こんの負けず嫌いが。
(笑)







          



 一日中肌身離さずといったノリでさんざん一緒に遊んだ揚げ句、食事を取って、キッチンで皆と騒いで、そして………。
「………おい。」
「んん? なんだ? ゾロ。」
 明日にも森へ返すんだから、本人の自然の匂いを落としちゃう風呂には入れるな…とナミから言われ、自分の入浴中だけ渋々ながら彼女に預けた“きぃ”を引き取りに行って。それからそのまま、一緒にベッドに上がった彼だったものだから、これにはさすがにゾロも呆れた。
「夜中にごそごそしてたんなら"夜行性"じゃねぇのか? そいつ。」
「やこーせい?」
「昼間は寝てて、暗くなってから活発に行動する生き物のこったよ。」
 ちょっと乱暴な説明をしたものだから、
「じゃあ、ゾロって"やこーせい"なんだな。」
 うくくと笑って切り返されて、
「あのな…。」
 はぐらかすとは良い度胸じゃねぇかと、眉間のしわをひくりと震わせ、
「ま、好きにするさ。せいぜい、寝相のせいで潰さねぇようにな。」
 先に上がって座っていたものが、ベッドからすとんと降りて扉に向かう。
「え? なんでだ? なあ、ゾロってば。」
 こちらは慌てて“きぃ”を抱えたままで後を追うルフィだ。
「何でも何も、狭いだろうが。そいつが居るんなら怖いもんもなかろうし、俺は船首の格納庫にでも…。」
 潜り込むから…と続けかけたのを、
「やだっ。」
 あっさり遮られた。天晴なほどにきっぱりと、だ。
「ゾロ、狡いぞっ。俺が一人で寝られねぇって判っててさ。そういうの引っ張って来て言うこと聞かすんか?」
 薄気味の悪い晩に通りすがりの船を取り囲み、柄杓をおくれとまとわりつく"船幽霊"が大嫌いなルフィには、船の中の夜陰が一番の苦手。これが森の中だの洞窟探検だのの暗闇は平気だというから不思議なもんだが、まま、それはともかく。
「きぃの一人くらい枕元にいても関係ないじゃんかっ。」
 その“きぃ”を抱えたまま胸元近くに寄って来て、むむうと睨み上げてくるお顔の何とも幼く懸命なことか。
"…一人、ねぇ。"
 すっかり"お友達"扱いになっている毛玉であるらしいことへ苦笑しつつ、だが…自分の方でも年甲斐もなく"焼き餅"を焼いているのかもなと。そこはルフィよりちょっぴり大人だから、気づいた途端に切り替えてやることにする。
「判ったよ。但し、ごそごそ騒がれんのはかなわんからな。」
 言ってやると、たちまちピカーッといい笑顔。
「うんっ。絶対に大丈夫だっ!」
 出ました、お得意"絶対"攻撃!
(笑)
「昼に一杯遊んで、昼寝しないくらい遊んでたから、こいつもきっと、もう眠いって。」
 手を引くようにして寝台まで戻り、自分から先に乗り上がると、こちらを向いて"ぽんぽん"とマットを叩く。ゾロは此処に寝るんだよと催促するよな仕草がまた、たいそう子供じみていて、
"俺まで子供扱いかよ。"
 お仲間、同格、なればこその最も親しみある、そして甘えまくった仕草であるのだと分かっているから、くすぐったくて仕方がない。
「大体、なんでこいつを挟んで"川の字"になって寝なくちゃいかんのだ。」
 やはり続いて乗り上がり、諦め悪く"ぶつくさ"と不平を連ねるゾロで。
「だってさ。」
 またまた上目使いになるのを見越して、
「ああ、もう、判ったって。おやすみ。」
 面倒になってか、慌ててランプの明かりをさっさと消して。ゾロはそのまま向こうを向いて、上掛けをかぶりながら横になった。

   "………。"

 何でだろうか。向こうを向いてしまうと何だか素っ気ない背中に見える。不意に消された明かりだが、もう慣れたものだから部屋の具合は判るし、そうまで目映い灯火でもなかったのだから、すぐにも眸が慣れてくる。この辺りにこんな風に横になってるのだろうなと、大体のイメージが判っているものが段々と輪郭を浮かび上がらせて来て。その趣きが………何となく。
"………。"
 ルフィは“きぃ”を枕の上へそっと寝かせると、ごそごそと上掛けに潜り込んだ。さほど広くもないせいで、すぐさま辿り着いた大きな背中。昼に見る分には大きくて頼もしいんだけれど。勢いよく"がばっ"て飛びつきたくなる格好の"目印"なんだけれど。こんな間近で、くっついてまでいるのに。何だか物凄く距離を置かれたような気分になる。
「………ぞろぉ。」
 場の空気を読んででもいるのか、きぃも丸くうずくまったまま大人しい。だから、小さな声は届いた筈だのに。
"うう"…。"
 我儘言って振り回して。一番好きなのについ目新しいものへと手は伸びるから、二番目みたいな扱いをしちゃうこともあって。でも、ゾロの方だってせいぜい甘やかしてくれるのに。判ってるからって、余裕の苦笑でもって黙って見ててくれるのに。
「………。」
 こしこしと。額の隅っこを背中に擦りつけてみる。そんなに力は入れてないし、甘える時の仕草だとゾロの方でも判っててくれてる筈だけど。今はやっぱり"鬱陶しいな"と撥ねのけられるかな。
"…っ。"
 ゆさと。高い位置にあった肩が動いて、向こうへ避けるように引っ込められたから。やっぱり"煩いよ"って思われたのかなと、そう思って動きを止めると、
「………どした?」
 ぱたってその肩を降ろして来て、こっちを向いてくれる。真上を向いてから、すぐこっちへと。ちょっとベッドをギシギシ揺らしての寝返りを打って。暗い中でもルフィにはちゃんと判る、小さな笑みを口許に浮かべて。低められたことで甘く掠れた声で、ご機嫌を聞いてくれるから。
「ん〜ん♪」
 ぱふんて。こっちから胸元へと飛びついて、ぐりぐりオデコを擦りつけて。
「こら。くすぐったいだろが。」
 静かに響く声に動揺はまるでなくって。ホントは全然平気なくせにと思いつつ、やめてやんないもんと…おとがいの深いトコまで潜り込んでって。顎の下とかに小さくキスしてから、きゅうってしがみつく。
「もう良いから。おやすみ、な。」
「うん。」
 やさしい声が温ったかい。何が"もう良い"のかは"もう判ったから"なのかは二人の秘密で。小さな船長さんはやっと"くふん"と機嫌よく睫毛を伏せた。目に見えない齟齬も小さな棘も、こんな風にあっさりと氷解する辺り、相変わらずに何とも判りやすい恋人たちであるらしい。………ではではゆっくり、おやすみなさいvv


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  *ラブラブな二人を書いていると、こちらまでウキウキしてきますvv
   Morlin.がいかに人間が甘いかという証拠でしょうね。
(笑)
   さて、ここからどういう展開になりますやら…。