the cathar castles




ベジエカルカッソンヌのところでもふれましたが、ミディ・ピレネー地方やお隣のアキテーヌ地方にもカタリ派に縁のあるお城がたくさんあります。一番多く見られるのは、ミディ・ピレネー地方南部、Ariege県のピレネー山脈地帯なのですが、旅行日数があまりない私にはそこまで行けるはずもなく、今回はミディ・ピレネー地方から少しだけ足を伸ばして、アキテーヌ地方にある三つのお城を訪れることにしました。どの城も堅固な要塞のような作りで、見ごたえ十分のお城です。

ここで、カタリ派の説明を少しだけ。カタリ派とは、善悪二元論と禁欲主義で偶像を否定したマニ教の影響を色濃く受けたキリスト教の一派です。11世紀〜13世紀にかけて、主に南フランス地方で広まり、地域によってはアルビジョワ派やワルド派、などと呼ばれたりもします。堕落したローマ教会には服さず、完全者と呼ばれる指導者と信徒という独自の信仰組織を築いたため、ローマ教会から危険視され、異端の宣告を受け排除の対象とされてしまいます。1209年〜29年に、ローマ教皇とフランス貴族主導で起こされたアルビジョワ十字軍によって迫害を受け、わずかに残った信徒たちはピレネー山地にあるモンセギュール城に篭城します。改宗か殉教かの選択を迫られた彼らが選んだ道は、カタリ派の信徒として城内で焼け死ぬという痛ましい最期でした。

カタリ派の信徒数が短期間で一気に増えた理由の一つは、ローマ・カトリック教会の腐敗のせいだといわれています。カタリ派の悲劇は、そういった社会的背景を一切省みずに、ただ自分たちの都合に悪いから、と排除の一手しか打たなかったローマ・カトリック教会側にこそ問題がるのでは?と思わずにいられませんよね〜。




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