サン・マロ
St. Malo



ブルターニュ北部、エメラルド海岸と呼ばれる美しい海で有名なサン・マロの町です。中世時代から頑丈な城壁とお城が町を守っており、遠くから眺めるサン・マロの町は海の上に浮かぶ要塞のような佇まいを見せてくれます。サン・マロ城は、ディナンの町に近いだけあって、ディナン城に感じが似ている気がします。

現在のサン・マロ港は、外国からのフェリーが寄港する港というだけでなく、色とりどりのヨットやボートが浮かんでいます。町の中に入ってみるとたくさんの商店やレストラン、海岸には海水浴を楽しむ人たちが大勢いて、サン・マロの町がフランスの中でも屈指のリゾート地なんだとうなずけました。

そんなサン・マロの町は、6世紀にキリスト教の布教のためこの地にやってきたウェールズ人のマック・ロウ(Mac Low)にちなんだ名前です。早くから良港としてひらけたサン・マロの町は、初期にはサン・マロ司教によって治められ、その後フランス国王の治世を経てブルターニュ公領になりました。サン・マロ港は中世の時代には、商業港としてだけではなく私掠船(国王によって外国船を襲ったり略奪したりする許可を受けた民間船のこと)の拠点としても栄えたそうです。第二次大戦ではドイツ軍の攻撃により、町を取り囲む城壁が破壊されましたが、現在では見事に復活を遂げています。

サン・マロの町が面する海は、干満の差が激しいことでも有名です。なんと、満潮時と干潮時の差が最大18メートルにも達するそうで、この干満の差が良質のカキやシーフードを育てるそうです。私がサン・マロを訪れた時は干潮時だったらしく、海岸から少し離れた小島に立つお城に歩いて渡って行けそうなぐらいでした。17世紀後半に建てられたこのお城にはフランス人の著名な作家シャトーブリアンが眠っているそうです。お城にフランス国旗が翻っている時は、お城の内部見学が可能だそうですよ。

さてさて、サン・マロの町にまつわるヘンリー7世のお話です。ヘンリー・ティーダーはブルターニュに亡命していた1476年、もう少しでイングランドの手に引き渡されそうになったことがあります。ヘンリーの庇護者としてイングランドからの度重なる返還要請を突っぱね続けたブルターニュ公爵が、ついに要請に応じた結果でした。ところが、サン・マロ港から船でイングランドに渡るためサン・マロまで連れてこられたヘンリーが、この地で体調を崩してしまいます。(恐らく仮病)ヘンリーの病気のために出発が遅れている間に、ブルターニュ公爵は部下たちの説得によって自分の決断を覆し、使節団をサン・マロに送ります。イングランドとブルターニュの間で話し合いがもたれている隙を突いてヘンリーは逃亡し、中世当時では聖域としていかなる権力も手出し不能とされていた教会へと逃げこみます。こうしてヘンリーは、すんでのところでイングランドへ連れ戻されるという悪夢から解放されたのでした。写真は、多分ヘンリーが逃げこんだと思われる聖ヴィンセント大聖堂です。



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