スッシーニョ城
Suscinio



ブルターニュ南部に位置するモルビアン県に、城を取り囲む海と沼地の要害を利用したスッシーニョ城はあります。

スッシーニョ城が最初に記録に登場するのは1218年。城が築かれた13世紀当初は、ブルターニュ公爵が狩りを楽しむ際に滞在する城として築かれたそうです。その後14世紀から15世紀にかけてには、イングランドとフランスの間で繰り広げられた百年戦争や、ブルターニュの公爵位を巡って貴族たちが争ったブルターニュ継承戦争を経て、スッシーニョ城は塔や矢狭間や跳ね橋などが備えつけた城塞へと次第に姿を変えていきました。

跳ね橋を備えた城門を持つ建物は、長さが40メートル奥行き12メートルで4階建てという広々とした建物です。内部には、礼拝堂、大広間、公爵や公爵夫人の私室などがあり、現在では考古学博物館になっています。展示されているモザイクタイルの床は、その色鮮やかな模様に驚かされます。こんなに素晴らしいタイルを床一面に敷き詰めていたのだから、当時のブルターニュ公国はとても豊かだったんでしょうね。このタイルは、お城の隣にあった教会の床に敷き詰められたいたタイルだそうですが、教会が1370年に火事で焼失し、1975年の発掘作業で発見されるまで地中深くで眠っていたそうです。14世紀の人々がこの上を歩いていたんだなぁ〜と、しばらくぼんやりと眺めてしまいました。

さてさて、スッシーニョ城に見るヘンリー7世の軌跡ですが、ヘンリー7世ことヘンリー・テューダーは、1471年ヨーク家の手を逃れてフランスに亡命するつもりでウェールズから海に出たものの、風に流されてはからずもブルターニュ公国の海岸へと流れ着いてしまいます。ブルターニュ公爵から保護を受けた彼が一番最初に落ち着いたお城が、このスッシーニョ城なのでした。しかし、スッシーニョ城近くの海岸にたびたびイングランドの船が現れるようになってきます。「まさか誘拐?それとも暗殺?」とヘンリー・テューダーの身を案じた公爵により、ヘンリーは1474年にLargoet城へと身柄を移されたのでした。そんな当時の公爵の心配なんていざ知らず、お城の内部を巡りながら「この部屋に滞在していたのかなぁ?この部屋かなぁ?」なんて、無邪気に想像しながらお城見学を楽しんだ私でした…。でも、お城の説明の中では、彼の滞在に触れたものは一つもありませんでした…。

スッシーニョ城は1520年にフランス国王の所有となりますが、次第に荒廃を始め、フランス革命時代には建設資材としてお城の多くの石が持ち去られてしまったのだそうです。1965年に城を買い取ったモルビアン県により大々的な修復事業が開始され、現在見られるような姿に完成されたのは2001年のことだそうですよ。お城の内部では、修復の過程や修復に携わった人々の仕事ぶりを映像でみることができます。大工、ガラス職人、石工などなど、多くの職人さんたちの手によってスッシーニョ城はよみがえったのですね〜。



フランスに戻る
ブルターニュに戻る