ブルターニュ南部モルビアン県にあるLargoet城(すみません、読み方が分からないんです…)は、ヘンリー7世の足跡を辿るブルターニュの旅の中で、彼の滞在をお城の歴史の中で明記してくれていた唯一のお城です。彼は1474年にSuscinio城からLargoet城へと身柄を移され、1474-75年の18ヶ月間をこの地で過ごしました。
モルビアン県の大都市ヴァンヌから車でおよそ30分ほど、Largoet城があるElvenの村には、13世紀半ばからお城があったそうですが、現在残るこのお城は15世紀にRieux家によって建てられたものです。かつては跳ね橋が備え付けられていたことを示すゲートハウスの正面に刻まれているのは、Rieux家の紋章だそうです。
Largoet城へは、入場口から森の中へと延びる一本道を延々と歩いて行かなくてはなりません。1キロ足らずほど歩くと、森の中からゲートハウスが姿を表します。現在Largoet城で残っているのは、わずかな城壁とゲートハウス、キープ、塔が一本だけなのでかなり小規模なお城なのかと思ってしまいますが、かつては母屋、台所、厩、礼拝堂などを備え、7階建て57メートルもの高さのキープを持ち(フランスで一番の高さだとか)、20メートルもの幅を持つ堀によって守られたお城だったのだそうです。
ヘンリー7世ことヘンリー・テューダーが、表向きは監禁その実は客人としてある程度の自由を与えられて生活していた部屋は、キープの2階にあります。彼が居た頃は、お城はまだところどころ建設中だったといわれていますが、残念ながら現在のキープはすでにどの階も床が抜け落ちてしまっており、「危険なのでらせん階段は登らないほうが良い」という注意書きまであったため、2階に行くことはできませんでした。1階から彼が住んでいた部屋の窓を見上げ、この城で滞在していた間の彼の生活を色々と想像してしまいました。このお城にいた頃は、まさか10年後に自分はイングランド国王になっているとは思ってもいなかったでしょうね。当時の彼が持ちうる最良の希望は、安全を保障されてイングランドに帰国し、伯爵位と領地を返してもらい、ヨーク王朝のもとで貴族の一員として暮らせることぐらいだったのではないでしょうか。
ヘンリーが去った後のLargoet城ですが、1487年にブルターニュ公国とフランス王国の間で起こった戦いによって城は焼けてしまいます。お城はその後再建されたのですが、17世紀半ばにRieux家の手を離れ、何人もの所有者たちの手に渡っていく間に無人化し廃墟となっていってしまったのでした。お城は現在でも個人所有となっています。ちなみに、入場口からお城へと続く森も私有地なのだそうです。一体どんな人がこのお城を所有しているのでしょうね。うらやましい…。
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