趣味・娯楽:

 さあ、ここは語ることが多い。多すぎて困ったので最後に回したのである。
 何せこの分野こそがドラえもんの、子守ロボットとして、そして娯楽漫画としての本領が最大限に発揮される部分に間違いないのだ。実に半分以上のアイテムは趣味や娯楽の道具に分類されてしまうのではないかと思うほどだが、ここでは特に興味深いものをいくつか拾って行きたい。

 まずは模型である。ドラえもんに限らず藤子・F・不二雄氏の作品を読んでいると、氏はさぞかしディープな模型マニアなのだろうと思わずには居られない。
 そして模型マニアの夢を極限まで追求した結果出てくるのが、ゼンマイ1巻きで2km走るチョロQ(作中ではチョコQという名前)であり、超強化プラスチック製の潜水艦型ラジコンであり、実物大(?)の巨大ロボである。とにかくよりリアルに、より高性能に、と方向性のはっきりしたアイテムばかりだ。

 しかし、ここまで行くと趣味としてはどうかとも思う。より凄いものを、という気持ちはよく理解できるのだが、これでは自分で苦労して良い物を作るという肝心の部分が抜けてはいないだろうか。
 まあそれはそれとして、上記のようなアイテムはリアリティが非常にある。多分、きっと、ほぼ間違いなく、いつか誰かが作るだろうという代物だ。特に巨大ロボ辺りはもう作られ始めているかもしれない。

 作る、苦労する、待つ楽しみという観点から見ると、お座敷シリーズなどはいかにも趣味の道具と言えそうだ。『お座敷釣り堀』はタタミ1畳分くらいの紙で、これを広げると表面が(恐らく四次元を介して)好きな釣り場に繋がるのである。
 ポイントはあくまで「釣り堀」である点で、本格的な釣りのように地形選びだの竿の振り方だの、よくは知らないがそういう技術が入り込む余地はあまり無い。ただのんびり部屋で釣り糸を垂れ、魚の釣れるのを待つだけである。

 同シリーズで米作を行うセットもある。これはかなり本格的に趣向が凝らしてあり、田植えから始まって日照り、台風、イナゴの発生など様々なイベントが起こり、1日で収穫・脱穀・餅まで作れるという優れものである。ドラえもん曰く「適当に苦労するようにできてるんだ」そうで、趣味とはこうでなくてはいけない。
 これも缶詰のハーブなど、発想としては似たようなものが既に商品化されており、実現性の高い道具ではないだろうか。

 さて、趣味の話から少し視点を変えて、純粋に遊びを追求する娯楽面を見てみると、『ウマタケ』などは最先端技術とノスタルジィの融合といった感があって面白い。
 これは竹馬に上手く乗れないのび太のために、ドラえもんが連れて来た未来の生き物で、文字通り馬と竹のアイノコである。

 勿論馬と竹を交配できるはずはないので、遺伝子工学の産物と考えていいだろう。その姿も竹馬に準じたもので、竹のような節がある棒の片方に馬っぽい顔が、もう片方に馬っぽい蹄があり、胴の下の方には足を乗せる台もついている。ここに人間が乗ると、後はウマタケが勝手にぴょんぴょん動き回ってくれるという寸法だ。
 こんな合成生物を作る動機といったら、やはり竹馬と引っ掛けた以外にはちょっと想像できない。お遊びで作ってしまった商品の類ではないだろうか。普通に竹馬に乗るよりバランスをとるのが難しそうに見えるのだが。

 『おはなしバッヂ』という道具はちょっと面白い。このバッヂをつけると「桃太郎」「浦島太郎」などの昔話を疑似体験できるというものなのだが、この擬似具合が等身大で良い。
 「桃太郎」バッヂをつけたのび太は、たまたま家にあったキビ団子を持って出かけ、うっかり犬にそれを食われてしまい、ついでに猿顔のおばさんにもあげてしまう。ところがそのおばさんがジャイアンの苦手な親戚で、今までにジャイアンが子供たちから取り上げたメンコやら漫画やらを取り返してくれる、という具合だ。取ってつけたようにおばさんが着物の生地(キジ)を持っていた、というオチがある。

 原理はよく分からないが、未来の世界にはこういう周囲を巻き込んだ疑似体験を可能とする技術があるらしく、他にも皆がやたらに褒めてくれるようになるロボット、何でも感動する話に聞こえるマイク、どんな悪いことをしても許されるパスポート等、結構洒落にならないようなものまである。どうも一種の集団催眠ではないかと思われるので、未来の警察などはこの催眠を防止するアイテムを身につけていたりするのかもしれない。

 他にも異星風のステージで等身大のすごろくをする『宇宙探検すごろく』や、本当に乗って相手を撃ち落すシューティングゲーム、切り紙工作が動き出す『ロボットペーパー』など、見るからに面白そうな道具がいくらでもある。
 そうでなくとも、ドラえもんの道具を使えばいくらでも楽しいことが思いつけるというものだ。

 しかし読み返してみると、この項目に関してはあまりSF的考察になっていない気もする。娯楽というのは、個々のテクノロジーの集大成として存在するものなのである、ということにしておこう。


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