序 2004年春の映画『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』は、第1作目から数えて通算25作目の長編ドラえもんであった。この作品を境として、声優陣一新をはじめアニメ『ドラえもん』に様々な改革が行われようとしているらしい。一つの時代が終わったと、感じずにはいられない。 これまで何度か『ドラえもん』についての考察を書きかけてはいたのだが、形にならぬままにパソコンの片隅で埋もれていた。今回、この声優一新事件をきっかけとして、考察を再開してみたい。 これをお読みの皆様に対して、今改めて『ドラえもん』のキャラクターやストーリーに関する説明をすることは不要と思う。したがって、基本的な事項については特に解説をしない。もちろん立ち入った(=マニアックな)内容については補足をするつもりであるが、分かりづらい点等あったならご指摘いただければ幸いである。 私にとってドラえもんは、友であり、初恋の人であり、物語への導き手であり、人生の師であった。物心付いたときから、毎日テレビで『ドラえもん』を見ていたものだ。その頃は日曜日に30分枠で2編、それ以外の平日は10分枠で1編が放映されていた。 確か小学一年生の頃だろうか、漫画『ドラえもん』を全巻まとめて(当時で22巻くらいまであった)プレゼントされ、それ以降は言うのもアレなほど『ドラえもん』漬けの毎日を過ごした。今でも実家に帰ると、幼い自分がハートやら何やら書き込んだ単行本があり、しかもそれが妹の部屋に並んでいたりする。恐る恐る読み返すと、笑いと羞恥に床を転げまわりそうになる。わざとそういう巻を選んで読み、狂おしさを楽しむという自虐的な遊びも悪くない。この落書きについて何もコメントしない妹には、感謝するべきだろう。 そんなドラオタクが語る『ドラえもん』論。このコーナーに限り、笑いは一切狙わないと宣言しよう。とことん真面目に、あくまで真摯に、時には崇拝と呼べるほどに、『ドラえもん』を考察する。 これがウザくないはずがない。よって、いくつかのセクションに分けて少しずつ語ってみることにした。「今日は少し時間があるから、オタクの語りでも読むかー」という気分の時に、煎餅でも片手にお読みいただきたい。 |
1. 映画版ドラえもんの名シーン〜「泣かせ」のパターンに関する考察
2. SF漫画としての『ドラえもん』
3. いぶし銀の秘密道具たち
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