君のために 出来ること 〜明日の話をしましょうか J
 



   
第三章  ちまたに雪の降るごとく…



       
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「てぇ〜いっ! 手間かけさせんじゃねぇよっ!」
 怒号一発、ガッ…ツっとばかりに引き千切られたそのままに天空から降って来たのは、鉄製のしゃれたステップ 幅約3。、長さ約5。、踊り場1ケとスティール製の手摺り付き。音だけで飛び上がってしまいたくなるような“ガッコーンッ・グワングワングワン…”という威嚇的な大音響と多大な埃を捲き上げて“落ちて来た”大物だが、勿論?、工具や火器なぞは使わない素手でやらかした狼藉の結果であり、
「…健。余計な怪我人は出さんようにとあれほど…。」
「避けてるよ、ちゃんと。」
 右往左往する一味の真上には落としていないと、落下地点は計算したと言いたい若島津であるのだろう。それへと、
「それにしたって、いくら廃ビルでも損害は損害として計上さ・れ・る・ん・だ・よっと。」
 応じたジノの語尾が躍ったのは、スタッカートの数だけの相手を鮮やかなフェイントで振り切り、的確で素早い足払いでもって蹴倒したせい。会話しながら、まるで軽快な舞踏のように…という辺り、こちらさんも相変わらずに厭味な…もとえ、余裕の立ち回りである。静かで落ち着いた雰囲気のリビングルームの情景から唐突に場面が変わって、

 −これはもしかして“乱丁本”とかいう手合いだろうか?

などと心配なさった方がいらっしゃると剣呑なのでご説明させていただくと…単なる場面転換でございますので、どちら様もどうかご安心を。
(おいこら(怒)) 今日も今日とて元気溌剌な彼らがいるのは、これでもある意味で“屋内”だ。数年前の景気が良かった頃に総合開発計画のため区画ごと買い取られたものの、資金が尽きたかスポンサーが逃げたか、無人の廃墟と化していたちょこっと郊外の元・繁華街のその中央部。元はファッションプラザか何かの集合店舗にする予定だったらしいのだが、今は放り出されたままにがらんと寂さびれた穴蔵のようなビルの内部の中央部、数階分ほど天井が吹き抜けになった“広場”にての大乱闘の真最中。その只中へとんでもないものがズゴーンッと落ちて来て…腰を抜かさんばかりに驚いて座り込んだ面々は既とうに戦意を喪失した“降参”組だから問題はないのだが、尚の自暴自棄に陥った面子の恐慌を帯びた大抵抗を封じるのが結構大変。そらなぁ〜、怖いよなぁ〜。 目と鼻の先にグランドピアノ並みの鋼鉄の塊りが前触れなしに降って来ちゃあなぁ〜。 幸いにも降って来た側に居たんじゃあなくたって、こんな…長っとろい髪をした俳優かモデルかと間違えそうなすらりとした美青年が、いきなり屈み込んで何をするかと思いきや、足元の階段をめりめりとボール紙のように簡単に引き千切ったりするのを目撃した日には、SFX満載の映画じゃあるまいし…ってビックリもするわな。
「誰かが潜入して来たり襲撃をかけて来たりするかもっていう覚悟はあったんでしょうに。」
 それにしたって限度というものがあるでしょうが。 状況の背景をもう少し説明するならば、土地の暴走族だのチーマーだのが夜中にたむろする拠点になるくらいがセオリーだろうこの廃墟。不良少年たちにしては出入りする面子の年齢層が高すぎるという点で、ジノらが網を張っていたチェックに割りとあっさり引っ掛かった。さりげなく立った監視員たちが部外者の立ち入りを規制していて、だが…新しいオーナーが再建構想の下見に足を運んでいるにしては、昼間は静かで夜陰の立ち込める頃にこっそりと何やらごそごそ運び込んでるみたいだ…というのが、近辺に在住の方々から得られた証言。再建構想を打ち出すにしては土地や建物の登記は少しも動いておらず、本来の持ち主は別口の借金に追われて逐電中。これはいよいよ怪しすぎると潜入してみたところが、たいそう素早く察知され、それらによる抵抗を押し切るようにして強引に奥へ進むにつれて反撃が苛烈になり、とうとう日本州では滅多に浴びない機銃掃射という猛攻が降って来たから、
“追い詰められてる訳だから、判らんではないんですがね。”
 だから、そんな風に冷静な感慨を述べてる場合じゃなかろうが。 相変わらずな“そういうの”はともかく
おいおい、ジノの『特別司法長官』の名の下に、これらの過剰な抵抗をもって“潜入内偵捜査”から“抵抗者たちの即時身柄拘束と武器押収の敢行”へと任務が切り替わったのは言うまでもない。…もしかして故意に“察知された”んじゃないんですか? 向こうから武器を繰り出させて現行犯逮捕に持っていくために。
「幾ら雑魚でも数が居ると手古摺るねぇ。」
 余裕はもう良いって。まったくもうっ 舞台となっている“現場”は、先程も言ったように入ってすぐの1階部分の中央が5階分ほど吹き抜けになった広場になっていて、その広場を見下ろすようぐるりと巡らされた廻廊に面して、各階に隔壁で仕切られた店舗用テナント区画が幾つもずらりと並んでいるという仕様。部分的にガラス張りになった天井からの自然光が差し込みもするせいで多少は明るいが、奥まった辺りは薄暗く、よって頭上の各階の回廊から降りかかる攻撃には少々手を焼いた。もっと大雑把な策てとして、外から外壁に取り付いて壁を破壊し、いきなり最上階へ突入してもよかったが、相手の武装状況が判らなかった上…至近で相手をするには物騒すぎる“とある武器”を準備しているかも知れないという懸念があってそれは避けた彼らである。そして…もしも用意されているのならそこに据えられているのだろう、妙に静まり返っている最上階の様子は階下からではよく見えない。
「外からのセンサー探査で把握したのが五十人ちょっと。
 周囲の張り番が五人足らずで、さっき健が通り過ぎざまに軒並み蹴倒したのが十五人ちょっとってトコだろから、
 あと三十人ってとこだな。」
 そこでピエールがバズーカでもって催涙弾を最上階へと撃ち込んだところが、バ○サンを焚かれたゴキブリよろしく“これはたまらん”と燻いぶし出されて来た連中が、待ち構えていたこちらへ自棄的な…判りやすく言うと“やけくそ”の抵抗を仕掛けて来た。あちこちからバラバラバラッと飛び出して来た勢いのまま、正に“窮鼠猫を咬む”という諺を彷彿とさせるよな猛襲が掛かって来たのへ、
「だぁ〜っ、もうっっ! 鬱陶しいッ!」
 左へ右へ上へ下へ、掻き分け叩き伏せしながら上階へ進もうとしたその進行を、わさわさと数に任せてまといつかれて妨げられたことでぷっつん切れたのだろう。
「哈っ!」
 岬の周囲の空気が一瞬停まり、次の刹那にヒュンッと撓しなうような勢いで走る。一旦ためた分、伸びたゴムが遅れを取り戻そうと威勢よく引き縮むような、それはまるで鞭を振るうような感触。走った疾風にわずかに遅れて砂塵が蹴立てられ、渦をなして追従してゆく。所謂“かまいたち”が襲い掛かって来て、
「な、なんだこりゃあっ!」
 慌てふためく輩を蹴倒し、それでも怖じけず執拗に追いすがって来た手合いたちを手っ取り早く振り切るべく取った手荒な“対処”が、このブロックの冒頭でハジメちゃんが見せた“階段ぶっ千切り”の一幕である。ああ、やっと話の展開に解説が追いついたぞっと。ぜいぜい。
「岬、電源は?」
 ピエールのバズーカ砲撃を露払いに、先陣として上階へ突入していた彼らとは、3階部分の広めの踊り場で合流した。此処まで上がってくるステップと此処から先のステップとで支えられた、まるで中空に浮かんだちょっとしたステージのような広場になっていて、だが、若島津がステップの途中を千切ったのにびくともしないのは…当然のことながら3階の廻廊に接する方をしっかり固定されてあるからだろう。集まった彼らが縮めた特殊警棒のような太短い棒を各自で手燭トーチのように掲げて握っているのは、催涙弾がどこそこ構わず捲き散らかした薬品の中和剤を自分たちの周囲に保っているからで、他にも都市ガス用、一酸化炭素用と各種あるらしく、彼らが使ってみた“臨床実験”データを有力な後ろ盾に、近々商品化の申請を出すらしいとか。商品名は『薄めるくん』にするつもりだと笑ったのは三杉だ。…本気だろうか?
「それが…最上階へのは独立させて延ひいてあるみたいなんだ。」
 やはり中和剤の棒を掲げたその上、聖火ランナーよろしく、額にバンダナをきりりと巻いていた岬は、だが、その眉を少々顰めている。
「さっき主電源をショートさせたのに、ほら…。」
 小さめの白い手の先、人差し指が指さす辺りを振り仰げば、他の階層では…取り付けの中途で放り出されてあった照明やら配電線やらがパチパチパパパ…と火花を散らしているというのに、最上階だけはやはり静かなもの。いざという時の対処がきっちり取られていたということか。
「もしかしたら超小型の融合電池を持ち込んでいるのかも知れんな。」
 しかも他の配電線の漏電ショート現象も見られない。それが…彼らが持ち込んでいる機器への影響が出ないようにという配慮からなら、これはますます…火器やら電撃やらを構えての無闇な突撃は避けた方が良いのかも知れない。
「でも…そんなに危険な装置なの?」
 今一つ具体的なところが判っていないらしい岬が、強引なんだか慎重なんだか良く判らないこの突入の“舵取り役”にあらためてそう訊いた。地元の警察や地検には確証も令状もない家宅捜索は出来ないだろうから…という性急さで取り掛かった割に、それならそれで、偽の通知を作って強制執行だの何だのという運びに取り繕って有無をも言わせず大型ブルドーザーでの突撃をしかけるだとかいう方法で、大外回りから一網打尽に出来もしただろう。もっと手っ取り早くというのなら、強力自慢の若島津が大暴れすることでここを半壊状態にして“これはたまらんっっ。”と飛び出させるという事だって出来ように。
“おいおい、亨さん。”
あっはっはっはっ。
 だのに、地道な“突撃”という形での正攻法を取っている辺りが焦れったいらしく、
「健に抱えてもらって僕がすぐ傍まで飛び込んで、そのまま有無をも言わせず冷却波を浴びせるっていうやり方で一気に凍らせれば、あっさり稼働させられなくなるんじゃないの?」
 そういう方向からの一気呵成なやり方を取れば良いのにと、過激なことを思う彼なのだろう。
「装置の場所だったら判ってるんだろ?」
「まぁね。」
 確かに…最初に内部の人員を割り出したところのジノの小道具、何でも解析しちゃえる万能コンソール・ボックスによって、そのおおよその場所も探知済み。
「だが、考えてもご覧。一昨日の研究所への乱入があったろう?」
 あれが一昨日ということは…そんなに素早く下調べ済ませたんですか。 そして岬くんは、そんな短期間に強制執行云々の小細工が出来ると把握していたというのだから、やっぱりとんでもないチームであることよ。
「あの時に手古摺ったヒューマノイドを覚えているかい?」
「うん。」
 この段階でジノが言わんとしていることが全部判ったら世話はなく、ますます怪訝そうに“それで?”と小首を傾げる岬へ、
「あのヒューマノイドに岬の冷却波は効いたかな?」
「…あ・そうか。」
 同じ博士が一枚噛んでいるのなら、こっちの装置にだってそういう装甲が使われている可能性は大きい。まずは卓上での計算にしか使わないだろう電卓に“象が踏んでも壊れない”性能を付けてどうする…というような理屈にも似て、どこか理不尽なものもありはするが、あれほど自慢にしていたものだけに相手の手の内の一つとして想定しておくに越したことはなかろう。それでなくとも、科学者の発想は一般人の常識とは一線を画すことが少なくはない。その点に関しては…嬉しかないが身近に実際例が一杯いるお陰様で、想像するのも納得するのも容易い彼らであったりする。
「まあ…後はこの先の最上階に居残ってる何人かを搦め捕ればおしまいだ。」
 既に蹴倒して階下で伸びている雑魚共にはいちいちお縄をかけてはいない。用はないから逃げたきゃ逃げれば良いとばかりの豪気さかというとそうでもなく、あと十数分で地元警察に“不審火が出た”という通知が届くところの仕掛けをセット済み。この惨状と彼らの携帯している物騒な火器や武器を見れば、抗争だか何だかで共倒れとなった暴力団員としてまとめて引っ立ててくれる筈である。
「これだけの大騒ぎだ。向こうにだって察知されてる筈なんだがな。」
 催涙弾の吐き出したガスが効力を失ったという信号を確認し、中和剤の棒のスイッチを切ってスーツの懐ろを開くと、サスペンダーに取り付けたフックへと引っかける。それから、おもむろにあと2階分の階層を隔てた最上階を見上げつつ、ジノは…一見すると携帯電話にも似た形の愛用のコンソール・ボックスのアンテナを慣れた手際で引き上げた。他の昇降経路は、先陣部隊だったピエールの仕掛けた手榴弾や小型爆弾と岬の破砕振動波で突き崩して封じてある。最も捕まえたい対象は言ってみれば“雪隠詰め”状態にある訳で、たった四人でこの結構広い施設をあっさり封鎖し、目標のみを無駄なく追い詰めてしまえる手際の妙は“おさすが。”というところ。とはいえ、
「もともと騒ぎを起こして目立つことは極力避けてた節があるから、これ以上の武装はないとは思うんだが…大人しく投降すると思うかい?」
「さてね。」
 ピエールの声にジノがこう応じたのは慎重さからではなく、実はこちらにも時間的な制約というハンデキャップがあるからだ。先程チラリと挙げた段取りがそれで、あと十数分で地元警察に小火ぼやだか喧嘩だか何かしら物騒なことが起こっているらしいという密告通知が届くように手を打ってある。どうせ悪戯だろうと無視出来ぬよう、それは派手にどんがらがったと大暴れをしている彼らであり、加えて…先だって手掛けた“訊き込み”のおかげで周辺住民の皆さんも日頃は忘れ切っていたこの廃墟へ多少なりとも関心を向けている筈である。いやに流暢に日本語を操るところの、俳優ばりな容姿をした外人さんたちが妙に事細かにあれこれと訊きほじっていったのだからして、少なからぬ注意が向いていることだろうし、
“私たちが此処に入り込むところを、3丁目の渋川さんと門倉のご隠居さんが見てましたしねぇ。”
 これこれ、自分チの町内のご近所さんレベルで把握しててどうするね。 その通報を得た公的機関がやって来る前に問題の博士とやらの身柄を確保しないと、単なるドンパチではなくICPOが追っかけていたとんでもない人物とその企みなんていう“ホントの真相”までもが表沙汰になりかねない。…は? 彼らは何でもかんでも闇から闇へと封印して回ってるんじゃなく、刑事事件という、ある意味“表沙汰”にするために立ち回っているんじゃなかったっけかって? そこがまた微妙なんですがな。全部を晒して良いもんなら、作戦を立てた上でわざとらしい尻尾か何かを仕立てて関係筋へのお膳立てをした上で、実行の方はというと専門職に任せもする。(ちなみに、今回の場合だと…TOKIO-CITY中央警察署辺りが任されることになって、若林さん辺りがご指名を受けてたかも知れない。)また、完全に闇に封じた方が公益的には良かろうと判断された場合なら、それこそもっと密やかに…音もなく忍び寄って片っ端から麻酔弾で仕留めて早急に捕獲するというような手段を取ってもいるところ。
“そこまで物騒なことはしませんよ。”
 あら、そぉお? でもそれじゃあ…そうですね。随分以前に若林さんが言っていたように(第五話)、長官やジノさんの持つ人脈やら情報やらを手繰って別方向からの“関係筋”を探り出し、そちらに働きかけて手出しや援助を封じておいて孤立させた揚げ句に、そんな博士と一蓮托生したって何も美味しくはないぞと揺さぶってみるとか。それとも、もっと簡単に、いっそその“関係筋”に貸しを作るかたちで処分を任せるとか?
“それじゃああんまり無責任でしょうが。”
 あっはっはっ、確かになぁ。 それだけは やんないでしょね、どんな場合でも。それはともかく…今回の事件のように部分的にちょっと公表は不味いんでないかいと思われる箇所がある場合、その対処には少なからず“作為的な”もしくは“わざとらしい”部分が必要となってくるのだよ、お客さん。今回の例で言うなら博士の逐電に手を貸した連中。こういう便乗組の手合いのような、所謂“闇取引”で逃がす訳にはいかない輩にはちゃんとお縄についてもらわんと、後日に似たような事件が起こった際にもしゃしゃり出て来てキリがないからで、そういった手間暇をも無難にこなせるからこその特殊隠密でもある彼らなんですねぇ。その彼らを観念させるための工作に、彼らからすれば“主賓格”の博士までが引っ掛かってお縄を打たれては意味がない。そこいらの段取り上の微妙さが気になっているジノさんな訳である。
“まあ…一緒くたに取っ捕まったら取っ捕まったで、シニョール・若林辺りに話を通してもらって、博士だけ横流ししていただくという手もあるんですけどもね。”
 …ずっこい。
「あと十人と居ないな。それと、超軽合金レアメタルのやたらでっかい装置が据えられてる影がある。」
 コンパクトコンソールの中程に嵌まった液晶画面にぼやぼやとした映像が映っている。特殊電波によるソナー解析や電磁波による透視などから割り出した分析結果を簡単な映像に起こしたものなのだろう。それによれば…体温のない大きな塊りが最上階廻廊の縁近くにセットされてあり、
「それが例の解析用分解装置ってこと?」
 岬が訊くのへ視線は動かさぬままジノが頷いて見せる。それこそが彼らを中途半端に強硬突破させた一番の原因にして、相手の“切り札”でもある物騒な代物。その装置については、一昨日…若島津が日向へと説明していた下りを振り返れば、そのやりとりの中にこういう台詞があったことも思い出していただけよう。

〈物質転送を研究していたQ博士が作った…というか、偶然そんな作用が導けたらしい装置が問題でしてね。
 物質細分化装置といって、これが途轍もない破壊力を持っていて、兵器としても充分流用出来るもんだから、
 即刻“危険物”と指定した上で、施設ごと破壊したって訳なんですよ。〉

〈現物を瞬時にして細かく破砕してあらゆる情報を抽出し、
 転送先に準備された材料で情報通りのものを作り直すってのがコンセプトで、
 送信先に送られるのは信号化した情報データだけなんです。〉

 そんなとんでもない「物質転送機」の“現物を瞬時にして細かく破砕する”という部分。解析用の物質細分化装置が、丁度頭上の廻廊部分に据えられているというのだから、いくら彼らでもこれはなかなか迂闊には手が出せないというところ。
「稼働可能だったら当然厄介だが、未完成でも下手な大砲より始末が悪い。
 どんなバグからどこまでの規模の暴走や暴発をするやら。」
 何しろこちらには、理論的な部分こそ判ってはいるものの、具体的な仕様の資料は皆無も同然。先に某国で研究所を襲撃した折に設計図から何から関連資料が全て燃えてしまったからで、だが、それは彼らの落ち度ではなく、相手が危険を察知して一足早く処分したから。大体のところはシュナイダー所長や三杉やその手の機械に含蓄のあるロブスン博士覚えてる?などに概要的な予想図というものを描いてもらってはあるものの、予測はあくまで予測であり、ましてや相手は随分と独創的な科学者。他者には思いもつかないような“凶悪なシステムからくり”やら、操作上での安全性という方向へはどこかでぼこぉっと抜けた論理やらが組まれてあるという恐れだって充分に有り得る。よって、ここだけは慎重に構えざるを得ないのだ。
「この際だから機器ハードは無視して、人間ソフトの方に付け込もうよ。」
 傍らからの若島津の提案は少々乱暴なご意見だったが、
「そうだな。まだ試作品の段階だろうから、向こうもまさかいきなり使おうとはしなかろう。」
 単純に考えても相手の手の者は既にその大部分をほぼ蹴倒されている。此処への攻略に“突撃”という手筈を選んだそのまま、雪崩を打って襲い掛かって追い詰めるという方法が一番手っ取り早いことだろう。
「階段からは俺とピエールで踏み込むから、岬は衝撃波で援護を。
 こっちに注意が集中してる間に、健はタイミングを測って反対側…テラスの向こう側から躍り込む形で飛び込む。
 それで挟み撃ちにして一気に方をつけるぞ。」
「オーライ。」
 頷き合ってそれぞれの持ち場へ散る。一番遠く奥まった辺りへ駆けてゆく若島津と途中までを一緒に向かった岬が立ち止まってくるりと振り返ったのが、最上階へと続く残り2階分のステップを下から見上げる中間点。上から身を乗り出してくる者への電撃衝撃波をお見舞いしてやろうと身構える彼だったが、
“…え?”
 妙な音に気づいてふいっと見上げた目的の廻廊の手摺りの向こう。大人の腹から腰にかかるかどうかという高さのスティールの柵状の手摺りの上。さっきまでは何も見えなかったところに、何やら…旧式の戦車の砲身のような、細身の筒のようなものが顔を覗かせているのが見えた。いかにもお手製の機器という風情の不格好さながら、鈍い光を帯びた黒い金属製らしきその筒は、ちきちき…という引っ掛かりのある目盛りを刻むような音と共に砲口をこちらへと向けていて………。
“えっ、えっ。”
 冷ややかな感覚が背条を這い上ってくる。何がしかの危機だと肌の先で察知したものの、途轍もなく恐ろしいものに睨み据えられたようで、身体が固まって動けない。これでも相当危険な瞬間を幾つも幾つも乗り越えて来た筈だのに、そういう時の反射も随分鍛え上げられていた筈だのに。これこそが、知識としての把握を越えた“本物”の生々しさというやつだろうか。薄気味の悪い…形の無い不安に射竦められて、その瞬間、為す術なく立ち尽くしてしまった岬だった。

「………っ! 岬っ!」

 息を呑んで立ち尽くす彼に、他の面々も何が起こりつつあるのか瞬時にして気がついた。吹き抜けの上階から音もなく釜首をもたげていた悪魔の砲口。ピエールが素早くマシンガンの銃口を振り仰がせていて、少しでも照準が逸れろという攻撃にかかる。同じ方向へジノがコンソール・ボックスのアンテナの先を反射的に振り向けたのも、あの手の兵器の照準合わせに使われるセンサー機能を掻き乱すよう、妨害衝波を放つためだ。一方で、傍から駆け去りかけていた若島津が、進行方向へ踏み出した足を素早く踏み切ってもんどり打つように方向転換をし、大きな跳躍を見せて岬本人へ掴みかかろうとする。あまりに短い刹那の狭間あわい。岬の小さな存在を呑み込もうと閉ざされかけていた絶望の淵に、せめて爪の先でも良いから届けとばかり、皆が皆、決死の行動を取っていた。………だが、

  「………っ。」

 それら全てに先んじて、稲妻のような白い閃光が彼らの視野の只中を斜めに下げ降ろす一閃で目映く斬り裂いていた。何の音も立てず、極めて無機質に、呆気ないくらい簡単に弾けた凶光。細身の砲口から放たれた光条は砲身よりも太い束となり、そのまま一直線に床までの空間を筒状に覆って…覆われたもの全てをすっぽりと包み隠した途端に七色に弾けたのである。

   「……………っ!」

 光を浴びた途端、音もなく影も残さず消え失せたのは………誰?




         ◇◇◇



 色みの浅い青空の下、天然の太陽光が明るい平日の昼間になんでこんなに沢山の暇そうな人々が笑いさざめきながらあふれているんだろうかと、慣れぬ人間にはちょっと不審を覚えさせるほど、祭日並みに人が行き交う都心部の街角。広い道路をX状に襷がけして舗道同士を連絡している大きな交差点をこちらものんびりと歩いていたのが、
「力技を取るとなると、俺のこと連れてかないじゃないか。」
「…ったりまえだ。身軽でなけりゃあ意味がなかろうが。」
 実のところは途轍もない稼業の話だろうに、ちょっとした仕事の手筈か、もしくは…喧嘩か何かの段取りのような口ぶりであっけらかんとやり取りしている二人連れ。初夏の風にしてはアスファルトの熱を含んだ少々埃っぽい代物に長い髪の裾を遊ばせている青年が、
「そのJWS回路ってのはハバラじゃあ手に入らんのか?」
 話題を変えて訊くと、
「まぁね。でも無いなら無いで、
 その場でPTオペレーションの指向性プログラムを立ち上げれば良いだけのことだし、
 どうしても必要って訳じゃないんだよ。」
 超特殊な専門機器を、まるで料理の具材のように“いくらでも代替出来るぞ”と口にする相棒に、ついつい思わずの苦笑を見せる。そんな彼が…、
「…っっ。」
 不意に息を飲んで立ち止まった。スクランブル交差点の真ん中で、まるで稲妻にでも撃たれたかのように大仰な反応を見せたものだから、
「ゼロ?」
 連れの青年がついつい訝しげに自分まで立ち止まり、その顔を覗き込んだほどだった。



          ◇



 …それと時を同じくして。
【共犯の女がアパートに入ったぞ。】
「判った。」
 こちらはとある住宅街。煤けたようなアパートやら、今時には珍しいモルタル造りの小さな文化住宅やらが立て込んだ街角の一角である。文化住宅というのは、様式に捉われず使い勝手の良い仕様を取り入れ、畳を敷かない部屋、つまりは“洋間”なぞを設けた和洋折衷な作りの家屋のことで、文化包丁といい、一頃は洋風がイコール“文化”であったらしい。…サバの文化干しもそうなのかな?
おいおい 江戸時代に於いて不可思議な現象を全て“切支丹伴天連”の仕業だとしたのに似ていて、日本人って進歩がない。(何たら三兄弟ってフレーズがやたら流行った頃もあったしなぁ。)…それはともかく。もうそろそろ昼近いという時間帯で、いつもなら人通りは殆どない。時折、配達だろうか自転車に乗った若いのが通って、アパートの階段の下やら自転車置き場の植え込みの陰などに所在無げに立っている何人かの人影へ、小首を傾げて視線を投げてくる。よくよく見れば、所在無げなどではなく…随分と緊迫したままに何かに集中している彼らであることが見て取れた筈。というのが、彼らは全てTOKIO-CITY中央警察署の刑事であり、とある事件の容疑者の立ち回り先への張り込みもいよいよの佳境を迎えていた…という場面。ハンドトーキーへの応答を終えた若い刑事が…無意識の内に鼻の頭を親指の先でちょいっと擦った。非番明けにいきなり別の班の応援へと駆り出され、丸一日じっと我慢の子を強いられて物陰に潜んでいた彼の、これは“一丁やったるか”という時の癖である。それを見て、
「………。」
 傍らにコンビとして付いていた、やはり同年配の若い刑事が…少々複雑そうな顔になった。
「日向さん、またまた勢い余ってアパートぶっ壊したりしないで下さいよ?」
「判ってるよ。」
 何がどう判っているのやら。唯一はっきりしているのは、即答だったということは…こっちが言った言葉の意味をあんまり深く咀嚼しなかったらしいなということくらいであろうか。こないだ…と言ってもつい 彌やの一昨日、容疑者の下宿をたった二人で半壊状態にしたいつもの相棒は、少し離れた地点で別な刑事と組んでいる。ばらばらにしておけばせめて出力が押さえられるかも…という課長の窮余の処置らしいが、果たしてどうだろうかと今日の相棒は不安げだ。…そんな折も折、
「…っっ。」
 その問題の御仁が、足元の空き缶やら何やらを蹴散らかして突然ガバァッと立ち上がったものだから、
「わっ!」
「ひゅ、日向さんっっ。」
 二課挙げての二日がかりのこの張り込みが相手にバレては一大事ッと、他の刑事たちを少なからず慌てさせたが、
「………。」
 呆然と立ち上がった本人には何も聞こえてはいなかった。



          ◇



 揚げ雲雀のさえずりがどこか遠くに聞こえる穏やかな陽射しの下。梢を揺らして涼やかな風の吹きわたる、すっきりと整えられた四阿あずまやの周囲に集つどいしは、いずれが花か蝶々か、春霞の中から生じたような臈たけた美貌を競う若衆たち。それぞれに得意とする楽の音を奏でる技も極めて妙手の粒揃いで、楽の音色にか、それとも各々の精進への微笑ましさにか、匂欄の巡る濡れ縁の奥、四方の蔀しとみをからげ上げた四阿にて聞き入る主人の若やいだ表情も、うっとりほころびご満悦の呈というところ。久々のお館様への奏上とあって、呼吸を揃えた雅やかな演奏は清涼にして優雅であり、なめらかな水面みなもへすべるように泳ぎ出す水鳥の様を思わせる。お堅い席が少しばかり退屈な年少の童子たちは、大人たちの邪魔にはならぬよう、少し離れた水辺で脛はぎまで濡らして草の舟を競わせて遊んでいる。時折はしゃいで高まる彼らの声も気にならないほど和やかな空気の中、いつもの静かな時間が過ぎてゆこうという午前のひととき。おだやかそうな表情のまま床座にゆったり腰を下ろし、傍近くに座を囲む年長の従者たちやらへ何言か囁いて見せていた主人が、ふと…、
《………っ。》
 表情を硬くして手にしていた扇をぱたりと取り落とした。
《? 青龍様?》
 中空を見やったままな主人のただならぬ様子に、すぐ間近へ控えし侍従が不審をこめた声をかける。そんな様子に周囲の者たちもはっと波立ち、楽奏がぴたりと止まってしまった。


   “まさか…。”

   「…嘘だろ、おい。」

   《これは…どういう…。》




         ◇◇◇



 途中の階層の手摺りと床の建材と、一番下のフロアにあたる広場のセラミックコンクリートの土台を深々と抉って、そこにあった物は…最上階の手摺りの先から床の穴ぼこに至るまでのコース内にあった全てが一瞬にして消え失せた。強烈な熱波にあたって続けざまに溶かされた薄氷のように、同じ形の円形の穴が平行に並ぶ様はいっそ壮観でさえある。そして…途中の広めの踊り場にあたるフロアに居た筈の存在もまた“二人とも”消え失せているのだ。
「な…っ!」
 これら一連の現象へ、ピエールは全身から血の気が失せるという想いを久々に感じた。
“解析分解光線…?”
 先からそれをこそ恐れてはいたものの、実物の射出を目の当たりにしたのは初めてだった。どれほどの威力があるものなのかは漠然とした資料として知識の内に刷り込まれていただけで、ともすれば自分には縁のない遠いもののような把握が頭のどこかにあったのかも知れない。銃砲や刀剣の専門家である彼にさえ把握仕切れぬ代物だった。否、どちらかと言えば銃器アーマーというより兵器ウェポンに近い“装置”なせいで、第一印象の中に自分には専門外だという感触が刻まれでもしたのだろう。だが…実物との対面は、彼の甘かった把握をあっさりと塗り替えて余りある威力であった。その光の条を追って振り向けた視線の中に、確かに居たのだ…二人とも。呆然と立ち尽くしていた岬と、それへ掴み掛かろうとした若島津とが。
“………。”
 瞬きは一度もしなかった。銃の使い手として目には自信もある。判断力と反射にもだ。だが…この状況はどうしても理屈に合わない。実際に目の当たりにした光景が、自分にとっての“現実”や“事実”として把握出来ない。どうして“彼ら”の姿がないのだろうか? 今朝からずっと一緒に居て、ほんのついさっきまで体温が届くほど間際に居て、一瞬前まで視野の中に確かに居た彼らは、一体どこへ姿を消したのだろうか? 居心地の悪い、バランスの悪い欠落感。そんなものは最初から無かったよと言われても通りそうなほどの、唐突 且つ 余燼余さぬこの消失に、状況も何もかもを忘れて総身が凍りつく。
“そんな………。”
 突発的な混乱から虚空を見つめて呆然としていたピエールだったが、

「…っ! ジノっ!」

 唐突に自分の傍らから飛び出していた気配の素早さによって、まるで羽ばたきに叩かれるようにして我に返ることが出来た。呼びかけた声が果たして聞こえたのだろうか。その上がり端はなに立っていたステップをそのまま勢いよく駆け上がってゆく背中の速さがまず尋常ではない。あと少しと追い詰めた相手の、残り少ない部下たちが待ち受けるただ中へ飛び込んだ、それは正に“疾風”だった。
「こんのっ!」
 一番手が鉄棒を振り下ろして来たのを巧みにかいくぐり、空振りにたたらを踏む相手の背中を、振り向きもせぬまま…肘撃ち一発で自分が駆け上がって来た下りのステップ目がけて突き飛ばす。拳銃を構えた手合いへは躊躇ためらいもなく懐ろ深く飛び込んで、相手の顎が天まで真っ直ぐ伸びるくらい、勢いよく手のひらを真上へ突き上げている。瞬時のことであっと言う間に目を回して倒れ伏す輩を容赦なく土足で踏み越えた彼に、
「…っ。」
 すぐさま襲い掛かって来たのは切っ先鋭いナイフの一閃だったが、
「…ひえっ。」
 選りにも選ってそれを繰り出した相手の方が情けない声を上げたのは、横薙ぎに払われたその刃を顔の横に立てた左の腕でまともに受け止めたジノだったから。刃が喰い込む痛みもジャケットの肘まで染めて滲み出す鮮血も物ともせず、間合いが近くなった相手の喉元へ手を伸ばすと…いつの間にか右手に滑り出させていた、試薬でも入れていそうなプラスチックの小さなアンプルの首を親指一本で折り切って、中の溶液をザッと振りかけたから、
「ぎゃあっっ!」
 相手の男は得体の知れぬ何かの冷たさが次の瞬間“かぁぁっ”と熱くなったその反応に飛び上がって驚き、そのまま道を空けた。ここまでの一人一人にかかっている所要時間はそれぞれ1分もないという手際である。
「て、てめぇっ!」
 やはり銃を抱え込んだ手合いが立つのは、最後のフロアへつながる階きざはし。誘いざなわれたようにそこへと駆け寄って、上り下りの区別用にか中央に設置されてあったスチール・ポールの手摺りを両手で掴むと、勢いよく一段目を蹴り、細い手摺りの上で見事な倒立回転を披露して、
「ぎゃっ!」
 ものの一瞬で相手の頭上へ両足揃えた変形の“かかと落とし”を決めている。最初のままの位置関係だったらせいぜいが肩口への一撃に収まったものが、せっかちに駆け降りて来たことで脳天唐竹割りという格好になってしまったのが、相手にとっての不幸と言っちゃあ不幸でもあったろう。
「…。」
 スーツの裾を翻し、無言のままに対手をことごとく薙ぎ払うジノの戦闘態勢には、余計な手数けれんも微塵の隙あそびもない。どこかが機械仕掛けなのではないかと思えるほどの精密さによる、まるで前以ての段取りを通してあったかのような攻勢である。だが…そこには“精巧なプログラム”とは相反する気色もあった。逡巡がないからこそ思い切りよく乗り越えられているという、一種絶妙な、あるいは危うい部分も多々窺えたから。日頃の彼ならまずは避けること…万が一にでも届くなら手を伸ばそうという しゃにむな勢いがある。常の彼なら、1%の危険に眉を顰めて警戒し用心を重ねるというのに、今はほんの1%の可能性にがむしゃらに泳ぎついて、無手勝流に前へ前へ…成就ゴールへと突き進んでいるようにも見えるのだ。こんなにも瞬発的で無鉄砲な運び、本来なら途中で誤差が誤差を呼んで失速し、まるでたたらを踏むように運が尽きるものなのだが、日頃の行動の基盤になるよう身につけられた注意力や反射などが無意識のうちに働いて功を奏しているらしく、たたみ掛けるような一気呵成の攻撃となっているというところ。それほど的確な…そして張り詰めた状態を保っていられる彼の集中力が一体何を目指してのものなのかを思ったその時、
“まさか…。”
 彼をよく知るピエールとてゾッとした。こうまで怒り心頭に発したジノを見たことがない。正に…殺気の塊り。そこらから素手で引き千切ったコードを鞭の代わりに閃かせ、鮮やかに左右へ薙ぎ払った最後の一群を踏み越えると、
「…っ! ジノっ、やめろっ!」
 ピエールの制止も聞かずに、指先に挟んだドライバーの切っ先をザッと投げつけている彼である。
「ぐわあぁ…っ!」
 咄嗟に避けようとして顔の前に出したのだろう、一番奥に引っ込んでいた男のかざした手のひらを突き抜けた鋭い一閃。ピエールの傍らからいきなり駆け出して…彼を砲台の傍らにうずくまらせるまで、ものの3分とかかってはいなかった仕儀である。薙ぎ倒された者たちがそれぞれの怪我や痛みを訴える声で騒然とした中、いやに静かに響いた“カツン…”という靴音。これも自分の手を…痛むのだが突き刺さったままなドライバーをどう扱って良いやらと、ヒーヒーという引きつれた悲鳴を上げていた狂博士がハッとして顔を上げた。ほど近い天窓からの陽射しが入るため、此処は階下よりずんと明るくて、廻廊の手摺り際からゆっくりと歩みを運び来るジノの姿もそれはくっきりと浮かび上がってよく見える。彼が向かう先にいる側にすれば、丁度天窓から斜めに降り下りる光の天幕を背景にした…何かしらの“使者”めいて見えたことだろう。
「わ、私のやったことは殺人ではないぞ。瞬時の死だから、痛みも苦しみも恐怖も感じる暇さえなかったはずだ。
 それに…再生体は既に一度死んでいる身ではないか。」
 尻餅をついた恰好で背後に手をつき、ジタバタと不格好に後じさる狂学者は、にじり寄るジノへ…最後の虚勢かあくまでも高姿勢を保とうとしてか、そんな言いようをぶつけて来た。あの二人こそが“再生体”であるということまで知っていたらしいが、それらが耳に入っているのかどうか。ジノの表情は依然としてピクリとも動かない。
「お前たちこそ、倫理に反する化け物を生み出し、それを利用している身であろうが。
 こ、この私とどう違うというのだっ。」
 御託を並べる相手の胸倉へと伸ばされた腕。そのまま襟元を片手で掴むと一気に引っ張り上げ、
「ひいぃぃっっ。」
 その額の隅へとジノが押しつけたのは、ジャケットの裏、隠しポケットに忍ばせていたらしい小型の銃の銃口だ。

  「あの子たちや世間一般からの糾弾ならともかく、お前に言われる筋合いじゃない。」

 あくまでも冷たいジノの声には抑揚がなく、そのくせ…逃れようのない靭つよさが込められていた。そのまま撃鉄を起こすガチャリという音を耳元に聞いたマッド・サイエンティストは、
「…。」
 実にあっけなく意識を失ったらしく、吊り上げられたままで全身をぐったりと弛緩させた。
「…ジノ。」
 遅ればせながら、やっと間近にまで追いついたピエールは、興味を失ったものとして手を放した狂学者を足元にすっ転がしたジノの堅い横顔にあらためて息を飲む。これほどまでの見事な…そして容赦のない手際を見せたのは、例えようのないほどの怒りを発露したからに違いない。だが、そうでありながらも、その横顔はたいそう冷ややかで落ち着き払っている。蝋紙を張ったように透けるような白が肌の奥に沈んでいて、感情までもがそこに塗り込められているようにも見える。
「………。」
 そんな彼がふと見下ろしたのは、先程まで皆で立っていた下層のフロア。丸く穿たれた穴が黒々と見下ろせる其処は、ここから合わされた照準が…ここから放たれた光線が、彼らから奪い去ったものがさっきまで確かに居た場所でもある。
“…岬。”
 単なるレーザー砲か何かだと思って、覆いかぶさるように庇った若島津だったのだろうか。だが、その光線は物質を分子レベルで破砕する代物だったのだ。さっき狂学者が言い放ったように、恐怖も痛みもない消滅だったのなら、それがせめてもの救いかも知れないと…それでも胃の辺りがぎりぎりと締め付けられるような、胸の奥がきりきりと細かく裂かれるような痛みを覚えながら力なく肩を落としたピエールだったが、
「…健。」
 不意に…そんな声が放たれて、はっとして顔を上げる。ただの呟きにしてははっきりとした声音だった。顔を上げた先に居たのは、
“…ジノ?”
 一気に気が萎えてついこぼれたというのだろうか。常の鉄面皮もこの事態にはさすがに堪こたえたからこその、相手のない呼びかけなのだろうか。それだったなら、こんな風な不審は感じない。そう…何かしら違和感のようなものをまとった声だったから、ピエールは“おや?”と感じたのだ。それに続いたのは、
「出ておいで。」
 まるで呼びかけているような語調だった。
「居るんだろう? ちゃんと避けられたんだろう? 出ておいで。」
 何を馬鹿なと…そうまで混乱しているのかと息を飲んだ。信じがたいのは自分も同じ。自らよりも一等大事と、丹精込めて育んで来た対象だ。それをああまであっさりと摘み取られ、すがって泣き叫ぶ骸むくろもなく置き去られた身は同じ。激高が燃え尽きた途端、現実に蓋をして叶わぬ駄々をこねるとは、そうまで我を忘れているのかと、悲しい嘘寒さを覚えたほどである。………だが、

  「………怒ってないのか?」

 そんな声が返って来たから、
「…っ!」
 ピエールの混乱は先程の衝撃の比ではなかった。………これは、もしかすると もしかして。
「怒ってないよ。それより早く出て来てくれないか。
 珍しくカッと来たものだから、今頃になって、疲れが、どっと来て…。」
 言い切らぬうちから力尽きたように膝を折って座り込むジノのすぐ傍ら、天窓からの薄日を背に、至近へふわりと降って来た影があった。長い黒髪が枝垂しなだれる見慣れた背中。その胸元からぴょいと降りた岬がこちらを見やってパタパタと駆けてくる。目尻がかすかに光っていて、
「ピエール、怖かったよぉ。」
 しがみつくなりしゃくり上げ始める。自分たちがどんなに危険な狭間にいたのかを彼もまた重々判っているのだろう。そんな風にむしゃぶりついて来た温みが本物であると実感するまで、ピエールには少々間がかかったのも無理からぬ話。よしよしと宥めるどころではない、自分の肩をこそ“しっかりしろ”と揺さぶられたい心持ちだった。一方、
「ジノ、怪我を…。」
 向かい合うように屈み込んで肩を支えようとした腕の中、ぽそっと倒れ込んで来た相手の上体を受け止めた若島津は、こうまで苦しいのかと、まるで自分こそが痛手を受けたかのようにきつく眉を寄せた。丁度こちらの肩の上に伏せられたために顔は見えないが、この様子は…もう表情を取り繕うどころではないと、それどころではないということだろう。視野に収まったのは先程ナイフを受け止めた左腕。スーツの生地が重く濡れて黒々と染まっているのみならず、その袖口から手のひらへと流れ出た鮮血に、白い素肌がほとんど残らぬほど塗り潰されているのが何とも痛々しい。そこへハンカチを巻きつける若島津へ、
「大したことじゃない。」
 やっと何とか声を返したジノは、相手の肩口に伏せていた顔を上げ、ふと…気づいたように右手を伸ばす。その手が触れたのは、頬に当たる辺りが妙な段差になってそぎ落とされた長い髪。
「持ってかれたか。」
「うん。ちょっと口惜しい。」
 しょっぱそうに微笑った若島津の顔へ、こちらも微笑い返せたかどうか。ジノの意識はそこで断たれた。





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