君のために 出来ること 〜明日の話をしましょうか C
 



   
第一章  ナイト・メア 〜nightmare




       
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 ピテカントロプスやシナントロプスといった「原人」とネアンデルタール以降の「旧人類・新人類」との境目は、非常に大雑把な言い方をするとその脳に新しい部位であるところの大脳新皮質が出来た時だとされている。この灰色の脳細胞は、論理や記憶の蓄積(記録)を司る部位で、特に前頭葉は"知性"や"理性"を受け持つところ。ただ直立歩行をし、火を用い、道具をいくらか使いこなすのみならず、体験記憶の延長に有るものを想像したり、仲間からの情報を得て知識を統合し、まだ未知なものを想定したりという、知的活動が芽生え出したことをもって、現在の我々に続く"人類"の始まりとした訳だ。この判断は、発見された化石などから頭蓋骨の容積を測って単純にそうと断じただけでなく、これとほぼ同時期に"埋葬"という行為をし、しかも死者に花を手向ける習慣が生じていたらしいことを傍証としてもいるのだそうな。単なる埋葬行為だけなら、ある意味"処理"のようなものであるのかも知れないが、仲間の死を悼んだからこその献花というこの行動は"心"があってこそのもの。それをもって"人類"とするのなら、彼らの化石は"遺骨"と呼ぶべきじゃないのか…じゃなくって。(出典は泡坂妻夫さんの『亜愛一郎の狼狽』所蔵「ホロボの神」だ。
こらこら)人とお猿の違いは"哀しい"という感情を持つか否かということになるのねと、これを聞いたばかりの頃の亨は思ったもんですが…学者さんたちの言うことには、悼むというよりは厄除けとか呪術とかいう方向のものなのだとか。そうか、哀しみよりも死への恐怖という"怖い"が先か。判らんでもないが…チッ☆ なんか拍子抜けだよな。おいおい(ちなみに、ネアンデルタール人の次に現れるクロマニヨン人は、洞窟に絵を描いたりするほど知的活動が活発化しているが、こちらもやはり芸術という意味ではなく、狩猟の成功や野獣に襲われたり呪われたりしないことを祈ってのものだそうな。)


 このお話にもしょっちゅう出て来る『クローン』という科学技術は、机の上や本の中という空想科学の域を脱し、今や倫理面での問題が本格的大真面目に論じられるほど間近い代物にまで進んで来た訳ですが、人工生命体というと…半世紀ほどちょっと前までは『ロボット』が持て囃されていた。ロボットというのはそもそも"人間の代替物"として考え出されたもの。不平を言わず、反抗せず、スイッチのON・OFFだけで間違いのない仕事をほぼ同じ効率で半永久的に続ける、支配者の意のままな傀儡。だが、実際に人間の作業代替をこなすとなると、人に似た姿であるのはいたく効率が悪い。(本編『第四話』上巻88頁〜参照)人でなければ手掛けられなかったような緻密な仕事までこなせる作業機械は、人の姿とは掛け離れた代物として発展したにもかかわらず、人型であればこその呼称だった"ロボット"の名を授かることとなる。

 人は時として物にも名前をつける。人型をした人形や動物のぬいぐるみのみならず、木や草花、家具やアクセサリー、人によっては道具や電化製品にまで、用途別や種類分けとしての呼称ではなく、まるで我が子やペットへの命名と同じように名前をつける。こういう無機物への命名にはどういう意味があるのだろう。大切な物、愛着のある物。深い深い思い入れから、無機物であるにもかかわらず"相手?"を擬人化し、慈しみを更に深めるためだ。(こういう行為を科学的には何の意味もないとか幼稚なことだとか決め付けて馬鹿にしてはいけない。情緒育成という効果の他にも、脳の中での内的刺激となって、脳内神経シナプスを発達させる助けになってくれるのだとか。…こういう言い方をしなければ価値を認められないような味気ない人たちが、このお話にお付き合い下さっているとも思えないんですけれどもね。
こらこら


 人型ロボットは、もっぱら人間の動作や機能の連動などを調べ、それを検証するための再現モデル体として発展を進めて来た。二足歩行における全身の重心バランス。視覚による情報の収集とその再現。その結果、人間が中に入っているのではないかと思わせるほど滑らかに動き、段差も階段も物ともせず二本足で歩き続け、片足でもバランスを保って立てたり、学習の方面においても…プログラムのデータをキーボードでインプットするのではなく、ダンスや仕草などを見てその"人まね"を再現することで行動パターンを蓄積させるという、人間と同じ手法による"学習"をこなす代物も現れている。このような発展の結果をもって、今や"擬人化"どころか"人そのもの"により近づけようという方向でも、人型ロボットたちの進化への研究がなされている。


 とはいえ、ロボットをわざわざ"人型"にする意味はあるのだろうか。先にも述べたように、1つの作業に限るなら"人型"にするのはとことん効率が悪い。例えば床に紙くずが落ちていたとする。これを収拾処理する機械を作るとしたら、異物感知センサーを反応させて勝手にそこまですっ飛んでゆき、自動的に紙くずを吸い込んで去るという"ラジコンカー型コードレス全自動クリーナー掃除機"を誰しも考えるのではなかろうか。これに人が対処する場合、見つけて、傍まで歩み寄り、立ち止まり、屈み込んで、腕を伸ばし、紙くずを摘まんで、再び立ち上がり、ゴミ箱を探して、そこまで近寄り、紙くずを捨てる…というのが一連の動作となるため、人型ロボットを作るということは、基本としてこれだけの動作を再現させなくてはならない。(生身の人間の場合、他人の目がなかったなら蹴ったり投げたりとバリエーションはもっとあるのだから、そりゃあもう大変。
こらこら
 だのに、どうしてわざわざ"人型ロボット"にこだわるのか…と言えば、その究極のものとして"多機能であること"が目標だからなのだそうだ。ある一つの、もしくは一連の"単純作業"には、それに見合った動きをセットされたロボットアーム単独の方が効率の点では断然上だが、様々なシチュエーションへの対応をこなすとなるとそれぞれに合った反応や力加減の出来る"手"、すなわち"人間のような"腕や手が必要になってくる。握手が出来て、紐を結べて、人をそっと抱えたり頭を撫でたりすることが出来て、重いものを持ち上げられて、花が摘めて、卵を割れて、障害物を一刀両断にぶち壊せて…おいおい、最後のは何なんだい と、1つの個体に色んなことをやらせたいとなると、千手観音のように用途別の腕を沢山取り付けるよりも、人間の動作再現という方向へ持っていくのが一番効率的なのだとか。まあ…当然の理屈っちゃ理屈だわな。確かに、脱衣カゴから物干し経由タンスまで一括担当してくれる全自動の衣類洗濯乾燥機とか、分別ゴミ収拾日対応型、月に一度は床と壁を一気に張り替え装置付き全自動掃除機とか、オプションでスーパーマーケット直通ライン付きの冷蔵庫&マルチオーブン合体型、離乳食から看護メニューまでお任せ全自動料理マシーン etc.をごちゃごちゃ抱えて、それぞれ専用のリモコンを機械の数だけ山ほど持つことになるより、メイドさん代わりの人型ロボットが一体いて全てを任せる方が、指示も一本化出来るし臨機応変も利かせやすいだろし、人間にとっては相当に楽ではある。また、人に近い体型や反応を持たせることで、スムーズに人間生活の中にも溶け込めるのだそうで……………どうかなぁ、それは。
 まあともかく…そういう訳で、今のところはエンターテイメント性を重視されているイベント・コンパニオンどまりだが、やがては介護・看護の補佐なども出来るようになれば…と、将来的には人間の良きパートナーとなる事が大いに期待されているそうな。


 ………けれど。人に近づけようと性能が上がれば上がるほど、機械ならではな"不器用さ"がクローズアップされているように思えてならない亨だったりするんですな、これがまた。


 例えば、機械には融通は利かない。本編『第四話』完結篇56頁あたりで"コンピューター制御"についてちょろっと書いておりますように、ファジーだニューロだという最適化研究もなされてはいるが、より密に細かく制御出来るようにと発展させた方式がいわゆる"デジタル"な訳で、そのデジタルにわざわざ曖昧な"アナログ"を再現させようとは、贅沢を通り越してとんだ本末転倒ではなかろうか。そもそも正確な動作や作業を間違いなく再現させるために作られた人工物に"自然"を求めてどうすんだという気がする。
 デジタル処理されたデータは半永久的に保持出来るが、それを収納している素材(たとえばプラスティックや樹脂など)は日々を経ることで劣化する。これは、
〈事象は全て理論上のみの存在で、例えば実際に正確な正三角形を描くことは出来ない〉
とするプラトンの観念哲学を、精密になればなるほど誤差や歪みを拾えてしまう先進の技術がわざわざ証明しているのにも似ていて、何だかちょっと笑える。
おいおい たとえ同じ会社の同じ製品でもちょっとした使い勝手が微妙に違うことはよくある。プロ野球選手がわざわざ誂えて使うバットは、機械で削られたものな場合、手に馴染むのは10本中3、4本あれば良い方なんだとか。使う者と一緒に歩むことで摩滅し風化し、癖がつくのは、言い換えれば使う側の熟練の度合いという進化に道具がついて来るということで、そうなると扱いにくさもまた使い勝手となって手離し難い愛着品と化す。
 アナログには、完全再生がほぼ不可能なほど同じものが二つとあり得ないものであればあるほど、極められた美や贅が住まう。日本の伝統文化である、能、雅楽、日舞、華道、書道、焼きもの、俳諧に於ける"間合い"という絶妙な空間バランスには、見えないこま濃やかさが密やかに息づき、見えないからこそ味わいの奥深さとなって人を魅了する。それらはたとえ作品という"形"となってもいつかは風化することをあえて享受する。その潔さと"唯一無二"という贅沢さが、人の生きざまに真剣さを加味したり、一期一会の精神を磨いたりし、遺せないからこそ"伝説"へと昇華する…のかも知れない。…う〜ん、どっちにしたってこれは融通とは次元が違うかな。
こらこら


 融通は時に"ウソ"や"不正"との一線を逸脱する場合がある。融通が要ることとは イコール"マニュアルにないこと"であり、規則に添わないことだからで、よほどの予想外の事態が生じた場合は、その時なりのマニュアルが敷かれる(のが理想ではある)。だが、人間はそもそもアナログな"生まもの"…もとえ、 生き物なのだから、その要求や欲求に相対するに当たっては、四角四面な対応で必ずしも事態が丸く収まるとは限らない。また、"嘘も方便"という言葉があるくらいで、嘘も時には必要なものではある。素のままの事実や現実があまりに残酷なものである場合、明らかな事実を切り口上で伝えることは容易たやすいが、それが果たして正しいことだろうかと心ある人は考える。そして、相手を思いやる心は曖昧で遠回しな言い方を選び、場合によってはやさしい嘘を紡ぐだろう。事実や真実を知っていて、だのに敢えてつく嘘。非効率なこと、不正確なもの。精密な機械にこれをわざわざ選べというのは、もしくは真実の看過をせよというのは、たいそう酷ではなかろうか。ただ…既存のプログラムを越えた判断さえこなせる自律制御とやらが発展すれば、そして…人は心の痛みというものを感じる生き物なのだからというコンセプトの下に、ロボットのソフトにその痛みを理解させるべく"心"に似た制御論理が封入されたなら、そういう選択が可能になるのかも知れない。それはロボットが自ら選択する"嘘"であり、そして、そんな矛盾を抱えることを、ロボットは、だが、それが主人のためにプラスであるのなら優先事項として敢えて享受するのだろう。ただただ主人を守るために、だ。しかも…ずっとずっと忘れない。機体が滅んでもデータは半永久的に残せるのだから、体を再生され続けることで罪を永遠に抱えたままでいることとなる。


 亨は、ロボットは人と同じ姿を持つ必要はないと常々考えている。そうまで進めば尚更に。機能上の効率という点は勿論のこと、それ以上に、使う側を結局は傷つけるのではなかろうかと思うからだ。機械だから…という扱い上の差別化は当然あるのだろうから、なまじ人の姿をしていることから、人をまで人と思わぬような差別意識を人間の側に増長させかねない。また、逆に人扱いをしてしまい、だが決定的な相違という事実に直面した時に傷つく人が出るかも知れない。心を持たせたことで人により近くなったのに、やはり"人"ではない、越えられない一線。嘘までつけるその"意志"は、自我から生まれたものだろうか。人への使役のために生み出され、人間のための生を営むロボットの"意志"は、仕える人が居なければまるきり意味がない熱源となる。誰かのためにある判断でありそれを支える"意志"だからだ。しかも、この相棒(パートナー)はメンテナンスさえ続ければ永遠不変に生き続ける。沢山のことを覚えているまま、沢山の人に置き去りにされて、それでも生き続ける。注ぐ対象のない熱源を持て余しながら。

 宮崎駿さんの『天空の城ラピュタ』に出て来た王の庭の衛兵ロボットが、かつての主人であるラピュタの住人たちの墓標に花を手向けていたのは、果たして人が教えたことなのだろうか…。






          ◇



 ICPO付属 TSUKUBA-CITY総合工学研究所の朝は、夜なべで研究に勤しんでいる"時空越え組"の博士や研究員たちは例外とするとして
おいおい、おおむね栽培エリアの収穫班の作業で始まる。敷地の奥向きには、北海道は美瑛のお花畑もかくやといわんばかりの広大な畑や温室が広がっていて、そこでは様々な作物が栽培されている。どれもこれも研究素材ではあるものの、バイオの研究というよりは合理的な栽培や収穫の手法を極めんという研究用の代物が多く、よって品質にも極秘の改良品種だの遺伝子操作だのという怪しい影はない。全然まるっきり"ない"訳ではないが、そういう実験をなした分は農水省だの厚生省だのの許可が出たもの以外は外へは出さない。それはそれは丁寧に作られている作物なので、味もよく、何より営利目的の栽培ではないので値段もお安く、近隣の主婦層からの受けは抜群に良い。そのうち青果販促部として独立店舗が経営出来るんじゃないかと噂されてもいるくらいだそうで…いいのか? ICPO。こらこら そんな栽培エリアの朝ぼらけ。タケノコもそろそろとう薹が立って来たから終わりかなぁとか、キヌサヤがやたら大きく育っていて大味になってないかが心配だとか、ナスやカボチャの花の剪定せんていはまだ手をつけなくて良いのかとか、温室スイカの収穫が一段落したらビワとサクランボと桃の専属班を編成しないとなとかうーん、季節の話題を交わし合いながらその日の朝市に出す作物を収穫し、洗浄・梱包用の倉庫へ集める作業が始まっている。ここだけを見ているとどの辺が工学研究所なのやら、めっきり…大きめの農家か農協の朝という感があるのだが。
「…あれ?」
 作業には学者としての専門知識より体力や手際を必要とされるせいか、アルバイトの学生も多数混じっている。そんな中の一人だろう、若い青年がふと…何かに気づいたような声を出した。
「どうした?」
「いえ…搬出トラックが多くありませんか?」
 彼らや地域住民の方々が"朝市"と呼んでいる出店は中規模のコンビニくらいの店舗で、研究所のすぐ前にあるのだが…どういう研究所なんだ、まったく。そこへ持ち出すまでがかなりの距離。広大な敷地の外へ運び出すためには大きめのトラックを使っている。季節や時期にもよりはするが、大体の量はおおよそ決まっているのに…今朝はそのトラックが2台も多いのだ。
「あれ? っかしいな。」
「ヤマさん、何か聞いてるかい?」
「いいや。」
 倉庫の広々と開放された搬入口に並んだ車輛は、どれも同じ車種の小型コンテナトラック。そろそろ搬出とあって、様々な大きさのダンボール箱に詰められた野菜や果物がぼちぼちと周囲に集められてもいる。
「おーい、田沢くん。今日の運転手は何人来てるんだ?」
「えっと…吾妻くんと笹山くんと…。」
 確認を取っている主任の傍ら、怪訝そうにトラックへ近づいてみた青年が、無人の運転席を覗き込もうとしたその時だ。
「………っ!」
 突然"ヴォバ…ッ"と大きな閃光がはちきれて、
「うわっっ!」
 次の瞬間、その閃光に弾かれたように、周囲にいた者たちが軽々と吹き飛ばされたのだ。
「な、何だっ!」
「どうしたっっ!」
「爆発かっ!」
 近場に集められつつあったトマトやキュウリが派手に散乱し、数人の作業員たちが段ボール箱の上に叩きつけられている。この瞬発的な事態に気づいて場内のあちこちから駆けつけた者たちは、てっきり何かが爆発でもしたのかと思ったのだが、それにしては…周辺には野菜の破砕屑しか見当たらない。爆発した"そのもの"の残骸はない。他に違和感のあるものというと…。
「…何だ、こりゃ。」
 搬出用のトラックのうちの2台がそのコンテナ部分の壁を三方へと倒し、しゅうしゅう…と白い湯気のようなものを吐き出しているのだ。どうやらそれが勢いよく弾けるように開いた反動で、大の大人たちが吹き飛ばされたらしい。よくよく見ると…荷台の中央の霧が最も濃い中に何かの影が見えている。霧は冷たく、丁度ドライアイスの冷気を圧縮してあったような感じであったが、いくら生鮮物を運ぶとはいえ目的地はほんのすぐ先。こうまで冷やすほどの冷蔵装置は必要ない。周囲に駆け寄った人々の感触が"訝しい"から"怪しい"に塗り変わろうとするその刹那を縫うように、霧の中から放たれたものがあった。
「うわっ!」
「ぐわっっ!」
 何の射出音もなく飛び出して来たスチールパイプのような長い金属棒が、無防備に立っていた数人の肩先や胴を突いたから、
「き、危険だっ! 皆、引けっ!」
「警備部に連絡しろっ!」
 やっとのことで非常事態だと悟ったらしく、いち早く避難する者、倒れた者を抱え起こす者、愛しい収穫物を庇って身構える者…と
おいおい、皆が皆して右往左往するほど、辺り一帯が一気にパニックに揺れた。
「こちら青果収穫倉庫っ! 武装した不法侵入者ありっ! 急いで出動願いますっっ!」





          ◇



 広大な耕作地そのものが主要施設に辿り着くには時間を食う防壁代わりの条件を満たしていて、それがために警備が手薄な場所だったことは否めない。
「侵入者の解析はまだかっ!」
「今のところ火器反応は有りませんが凶器所持を確認っ!」
「単独ではないと思われます。武装状況は…。」
「冷却移送されていたということは、IC装備のウエポンを持ち込んだのかも知れんぞっ!」
「避難誘導班はIシフトで医療棟へ被害者を搬送っ!」
「LJCパターンの包囲網を組むぞっ! プロテクター等の装備を確認しろっ!」
 関係者滞在用施設のすぐ裏手だったこともあり、警備部の出動騒ぎを聞いてRチームの面子も当然のこととして飛び出す筈だったのだが…ソファーに座って膝頭を掴んでいた若島津が堪たまらず大声を出した。
「ジノはっ!」
 そう、肝心のリーダー様が姿を見せないのだ。いくら早朝の突発事態とはいえ、警報まで鳴り響いているこの騒ぎに顔さえ出さないというのは訝おかしすぎる。ちなみに、今月の警報曲はディズニーの"エレクトリカル・パレードのテーマ"だったりするので………今にもフロートに乗ったミッキーやミニーがパレードして来そうであはは緊張感がないことおびただしい。
〈"あれ"、変更出来ませんかねぇ。〉
 そもそもは、見学に来館した一般市民の方々に余計な不安を与えぬようにという配慮からのもの。だが、
〈見学棟に聞こえない範囲のものなら大丈夫でしょうに。〉
 今回のように見学者のいない時間帯のものもまた、普通の非常警戒ベルで良いのではないかと、幾度か意見・陳情が上げられはしたのだが、
〈全館パニックになっては却って困るだろうが。寝ぼけ眼まなこの化学班スタッフたちが、跳ね起きた弾みで劇薬や危険物への大間違いを犯しでもして、その結果、周囲の一般家庭までお付き合いさせかねんことに発展したら洒落にならんぞ?〉
 おいおい。まったくもって困った施設だこと…という今更な事情はともかく。既に着替えてテラスルームに顔を揃えていた若島津にピエール、岬がじりじりと待つこと数分。初動処置という時点で完全に出遅れたことになるなと苛々しながら待ったのがそれから更に数分。カップめん2個分が我慢の限度というのは…結構気の短い人たちなのね。という亨の無責任発言も蹴散らして、
「へや自室には居なかったぞっ。どこ行ったんだ!」
 待ち切れずに覗いたのだろう若島津の台詞へは、ピエールが応じた。
「ジノは昨夜は俺の部屋で寝てた筈だ。例の音波ってのを実際に聞いておきたいって言ってたんでな。」
 彼にしても怪訝ではあるのだろうが、もしかすると何かしらの手配をまたぞろ単独で取っているジノである可能性もなくはない。それを思ってやや余裕で待っているらしい様子。何たって"元・狙撃手"ですからねぇ。一瞬のチャンスを待って、集中力を維持しつつ"じっと我慢の子"で居るのは基本中の基本。その辺りの精神鍛練が今一つ足りず"まったく・もぉっ"と席を立った若島津が出て行って数刻。周囲の喧噪に身をすくめ、室内を不安げに見回していた岬が飛び上がってピエールの腕にしがみついたのは、とんでもない大声が上がったからだ。

  
「誰だーっ! ジノに一服盛った奴はっっ!」

 おおおっと! とんでもない雄叫びが聞こえて、これにはさすがにピエールもギョッとした。そのままテラスルームから飛び出して、長い廊下の数十m先、駆けつけたその部屋で彼と岬の二人が見たものは、
「…あ。」
「おやおや。」
 ベッドの中、若島津にかなりの勢いで揺すぶられても一向に目を覚まさずにいるリーダー様だったりする。
「こらこら、手加減しないとジノが首の筋を痛めるぞ。」
「してるよっ!」
 そうと答えながらも"ぼふっ"と敷布の上にナビ氏の身体を埋めたのは、どう見ても八つ当たりっぽかったが。
「ど、どうしちゃったの?」
 若島津の"一服盛った"という物騒な発言といい、この非常事態にも関わらず目を覚まさないジノといい、確かに尋常では無さ過ぎる。おろおろしだす岬の背後から、そんな私室へひょいと顔を覗かせて、
「一服盛ったとは人聞きの悪い。昨夜ちょっと寝る前に飲んでただけだよ。」
 そんな一言を投げたのは、
「み〜す〜ぎ〜っ(怒)」
 グッと握った拳にも"怒マーク"を浮かび上がらせて、若島津が唸り声を上げたが、いつものユニフォームである白衣姿の三杉はさして動じず"ちっちっちっ"と指を振って見せ、
「第一、薬物には敏感だから、たとえ僕が相手でもそうそう引っ掛かる筈がない。」
 暢気な見解を返すから…おいおい。
「試しにやってみたことがありそうに聞こえるんだがな。」
 まったくだ。
「まさか翌日にこんな騒ぎが起こるなんて判らなかったからねぇ。」
 そんな暢気な言いようをする彼に相対し、若島津の方はしっかりと目が座っている様子。
「判っててやったんなら、後で畑の真ん中に肥料の代わりに埋めてやるわいっA」
 そんな彼らの過激なやりとりの傍らで、ピエールはといえば…ジノがパジャマに着替える前に着ていたらしい普段着一式を黙々とキャリーバッグにしまっている。
「??? ねえ、これってどういうこと?」
 皆には納得済みらしいこの一連の展開だが、岬には依然として何が何だか訳が判らないらしい。君だけじゃないからご安心を。亨や読者様にも一向に判ってないぞ。そんな彼へ、
「ああ、お前はまだ知らなかったんだな。」
 割と平然とした顔でいるピエールであり、
「久し振りのことだしな。」
 こちらも…事態自体にはさほど泡を食ってはいないらしい若島津だったりするのだから、
「?????」
 ますます訳が判らない。困惑の表情を見せる岬の様子に、まだ事情が通じている分マシだと気づき、三杉へ咬みついても始まらないという現状へ何とか立ち戻ったらしい。長い髪をからげるように背後へと追いやりながら若島津が説明してくれた。
「ジノの酒癖ってやつなんだよ。どういうタイミングなんだか、アルコールが入ったまま眠るとずっとずっと爆睡しちまう事がたまにあるんだ。」
「だって…あんなに強いのに?」
 だよねぇ。ピエールさんと並ぶ超弩級の"うわばみ"だってことは、既刊『Rの事情2』でご披露済み。しかもあの翌朝も、ハジメちゃんが叩き起こ…いや、呼びかけたのへちゃんと応じて起こされてましたし。
「量は関係ないのさ。」
 事態の原因に関わったと自首して出た割に、彼もまたまた"あっけらかん"としている三杉が微笑って応じ、
「何年かに一度…くらいかな?  緊張感を解きまくって眠り込んじまう。それなりのタイミングみたいなものがあるんだろけど、本人にも周期は判らないらしくてね。学生時代にも何度か…定期試験が済んだ途端なんかに眠り込んでしまって、周囲がバタバタ慌てたのを覚えているよ。」
 あんたは慌てなかったみたいな言い方ですのな。
「最長記録は…五日と七時間だっけ?」
「その時はさすがに、目が覚めてからの身体の調整に丸々三日ほどかかったらしいけどな。」
 熊の冬眠ですかい。
「沢山飲んでりゃあ生理現象に負けて、割と早く目を覚ますんだが…。」
「そりゃ残念。彼が飲んだのは汾酒を小振りのお猪口に一杯だけだ。何か調べたいとか言ってたからね。」
「………っ!」
 汾酒というのは中国のお酒。あの有名な唐代の詩人・李白も好んで飲んでいたと言われている山西省産のアルコール度数が60%という焼酎で、中国のウォッカと呼ばれてもいる。こんな騒動の最中でも、やるぞっ、いつもの余談のコーナーっ! 中国酒といえば紹興酒や茅台酒などなどと、結構有名になっておりますが、日本のお酒のように清酒や焼酎、果実酒と色々あって、

 @清酒にあたる"老酒"(黄酒ともいう。)
 A高梁などの穀物を原料とする蒸留酒(焼酎)にあたる"白酒"
 B麦酒(ビール)
 C果実酒

というところかな? 紹興酒は@の黄酒、茅台酒や汾酒はAの白酒で、他にも陜西省の「西鳳酒」や四川省の「五糧液」などが有名。
「昔の豪傑ぶりはともかく、今は一滴も呑めねぇ身で、いい加減にしろよなっ(怒)」
 はっはっはっ…。 十代二十代で一生分呑んじゃったんでしょうかねぇ。余談はここらで切り上げるとして、
「管理棟の方へ避難させよう。あっちなら現場からの距離もある。」
 とりあえず…眠り姫と化したリーダー殿は、毛布でくるんだ上で若島津がしっかと抱え上げ、そのまま退避させる事と相なった。
「ま、彼が眸を覚まさないってことは、大した事態ではないってことかも知れないし。」
人をナマズのように言う…。






          ◇



 まるで『エグゼクティブ・デシジョン』のように
こらこらのっけから"リーダー不在"というとんだハンデキャップがついたものの、じゃあそういうことで…と見学者側に回る訳にもいかないし、そんなつもりもない。駆けつけた収穫倉庫ではかなりの激闘が進んでいるらしく、軽量断熱特殊鋼材製の…スチールに似てはいるがもっと丈夫な壁や支柱があちこち破壊され、既に半壊状態になっている。今日のところは"朝市"お休みですねぇ。おいおい
「ピエールは此処に残っててくれ。」
 お馴染みの得物であるスチールスティックを1mほどの長さにビシッと搓より伸ばし、そんな声を掛けてくる若島津へ、
「何を言うんだよ。」
 当然、不審げに聞き返す美貌の狙撃手殿だが、
「見なよ。」
 若島津が顎をしゃくるようにして示した数十mほど先。そこには警備部の一団がしいた防衛ライン…包囲陣形を圧倒している敵が見えるのだが、彼らが相対しているのは…どうやら"人間"ではない様子。大きさは家庭用掃除機くらいだろうか。お椀を伏せたような、タイヤを半分に切ったような、生き物で例えるとダンゴ虫のような形をした機体の、しかも相当量の群れが相手であるらしく、警備陣からの銃撃をものともせず、当たるを幸いに薙ぎ倒すというノリでガンガンと直線的な突進をただひたすら続けている。
「…ロボットか?」
 防壁のように据えられた盾に勢いよくぶち当たったり、大口径の砲撃を受けたりすればさすがに吹っ飛んだりもしているのだが、よっぽど頑丈なのかすぐさま立ち直って進軍を続けるから始末に負えない。床を埋める量も凄まじいものがあって、
「なんか…映画の『風の谷のナウシカ』の王蟲の暴走みたい。」
 それは怖い。(相変わらず譬えが古い。)
「装甲がかなり分厚そうだから、恐らくはカービンもライフルもレーザー銃も効かんだろうし、そうなると生身では危ないばかりだろからな。」
 やはり生身の警備部の方々の立場はどうなるだという問題発言をきっぱり言い放つ若島津の傍で、岬までもがこくこくと頷いて見せる。
「ピエールはここで待っててよ。僕の電撃や健の"怪腕引き千切り攻撃"でないと歯が立たないもんね。」
「…そうらしいな。」
「ちょっと待て。その"怪腕"何とやらってのは何なんだっ!」
 むっかりした若島津を置き去りにして、
「怪我だけはしないようにな。」
「大丈夫だよ。ピエールが悲しむようなことだけはしないから。」
 おいおい、お二人さん。この緊急時に何を自分たちのムード世界にひたってますか@
"ジノが居ても同じことをやったのかねぇ、こいつら。"
 突然発生した薔薇色の"異次元"に目を座らせて呆れていたのも数刻。こっちはジノが眠りこけていて言葉すら交わせていないのに。大体、こういう雰囲気にひたりたい一番の相手である日向さんともヒューヒュー、せっかく日本州のすぐご近所に来てるってのにまだ逢っていないんだ。そういえば前回の『第六話』で、ジノとおまじないの○スしてたってのを知ってた彼だったが、一体どういう弾みで岬は日向さんにそんな事を話したんだろう。おおかた自分たちが恋人同士みたいに睦まじいことをからかわれた腹いせとか、そんな小さなことへ持ち出したに違いないんだ。勝手なことすんなよな、あのせいであの時ちょっと気まずくなっちまったんだからな…とか何とかいう想いがグルグルし出したものの、ズガーン、バキィ、バチバチバチ…っという一際凄まじい大音響がしたことで我に返って、
「行くぞ、岬っ!」
 叱咤だか気合いだか良く判らん声を掛け、岬に出撃を促した。非常事態だというのに何をやっとるのだか、あんたたちってば。




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