君のために 出来ること 〜明日の話をしましょうか G
 



   
第三章  ちまたに雪の降るごとく…



    ――― 夜中に寂しい唄を聴くのは苦手だった。
           息がつまって胸が凍えて、
           怖い夢を見そうな気がして眠れなくて。
           でも…誰かと居られる夜だと平気になった。
           きれいな唄だと判るほど平気になった。
           人の心は1つでは不完全。
           2つ以上ないと もどかしい。
           1つだと半分。
           でも、2つ以上だと無限大。
           初めて…教わったのでなく自分で判ったことだった。










       
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  いまや“IT”と持て囃されている情報通信の世界は、かつて“メディア(mediumの複数形)”という新しい呼称がついた頃を契機にして、サイエンス・テクノロジーの発達と共にその「媒体」もまた飛躍的な広がりを見せた。パソコン通信に代表されるネットワーク化や、それに対応する電子図書などの情報サービス、音声感応センサーを採用した音声対応システム。また、その方向的発展として、衛星通信、テレビやラジオなどのアナログからデジタルへの仕様移行、そして、次世代の超高速通信を担う光通信などが挙げられる。これは純粋波長、干渉性に優れたレーザー光によるもので、光は電波より速く、中でもレイザー光は純粋な単色光であるため、反射・屈折の際に起こる干渉現象が起こりにくく、減衰も小さい。(減衰というのは、ちょっと電話が遠いんですけど…というアレ。)電気信号なので遠隔であればあるほど擦り減るのも理屈ではある。そのため、電線だと2mごとに中継塔が必要なところが、光ファイバー・ケーブル方式だと百m以上でも中継塔が不要で、コストの面から見ても文句なく効率的なのである。

    *衛星通信は速くてクリアじゃないかと思われるかも知れないが、こちらも電波なだけに実は微妙に遅い。全く同じ時間に同じ内容を放送する、地上波のNHK総合と衛星のBS2の定時のニュース(朝と正午)を、2台のテレビを並べて比べて観てみると、BS2の方が僅かながら遅くズレているのが判る。何たって遠く遥か彼方から降って来る電波ですからねぇ。近所のテレビ塔からのよりは若干遅れもしますわな。


 のっけから“お堅い話”を持ち出しておりますが、ついでです。もう少しお付き合い下さいませ。

 電話から聞こえてくる声は、厳密には「肉声」とは言えない。即時的(リアルタイム)な代物なので錯覚しやすいが、ファックスで送られた文書が「複写」であるように、受話器から聞こえて来る相手の声は受信機によって再生された代物で、相手の声そのものではない。

 相変わらず ちょいと「屁理屈」じみたことを言ってますが、もう少しだけ お付き合い下さい。

 実を言うと、亨はカーク船長やMr.スポックで有名な彼かの『スター・トレック(宇宙大作戦)』で良く使われていた“とあるフレーズ”がずっとずっと気になっていたんです。この作品は後年“映画”も作られるわレギュラーが総て入れ替わるわしても尚、広く人気の高いスタンダードな作品なのですが、亨は旧い方のTVシリーズが好きで、毎週のように様々な惑星や異星人たち、宇宙の怪現象などと接触する主人公たちの活躍に、眠い眸をこすりつつもワクワクしたものです。(深夜の再放映だった。さすがにリアルタイムで観てたほどトシは喰ってないぞ。) と・こ・ろ・で、彼らがエンタープライズ号からの出入りにあたって一風変わった方法をとってやいませんでしたか? とある装置によって瞬時に目的地に降り立つというアレ。わざわざ宇宙船を着陸させる手間を省くためでしょうが、彼らはそのシステムを「転送機」と呼んでいた。「転送」というのは送られたものをまた他へ送り出すことで、これでは意味がズレてしまいますよね。あの映像処理はどう見たって“電気的処理”…今で言うところの“電子的処理”を表現している。となると、電流、または電波によって信号を遠隔地へ送る、移動させたい対象を何らかの原理で信号化して目的地へ送るというシステムだったのではないか。エンタープライズ号から送り出さんとしているものは、人間、若しくは到着地で必要な物資や荷物。それを“電気信号に変える”という要素が必要不可欠だった。ということは、人や荷物という“現物”の構成…成り立ちの情報を分析し、電気信号に転じさせて送るという意味で「転送」と表現していたと解釈するのが正しいのではあるまいか。そして…そんな「転送」は、果たして本当に“人間そのものを移動させる理論”として完成させることが出来るのでしょうか。あ、いえいえ。技術がどうのこうのということではなく、理論上という次元でのお話です。

 さて、先程持ち出した“電話と肉声”をここでもう一度思い出して下さい。電話によって交わされる会話は、成程本人同士の意志の疎通でしょう。けれど、耳へ届いている“声”は、どんなに高性能な音声再生が果たせても、相手の喉から口から発した音とは別物、肉声ではありません。それがどうしたんだ、そういう代物だと何か困るのか、相手の口臭や吐息の湿り気まで再現しろというのかと訊かれると、別にそれがいけないと言いたい亨ではないので“ごめん”としか言えません。
おいおい 情報をより速く、より遠くへ、より的確にやり取りするという意味で、これほど画期的な発明はないでしょう。世界で最初に有線電話を考案・発明したとされるアンドリュー=グラハム=ベル博士は偉大です。ただ…エンタープライズ号の「転送」は、もしかするとこの電話のシステムを応用していらっしゃるのではないかと、当時の亨はチラッとですがそう思っちゃったんですよ。そして…もしも人間を離れたところへ送り出す“それ”が電話やファックスの理論での「転送」であるのなら、それってちょっと怖いんでないかいと思ってしまった亨なんです。

*昨今のSF界では「粒子変換」とかいう手段もあるそうですが、分子や原子というレベルで物質が変化するとなると莫大なエネルギーが要る。何たって…水を氷にしたり水蒸気にしたりというような半端なものじゃあない。どうかすると核融合クラスの変換ですからね。下手すりゃ“ビッグ・バン”が発生するほどのものだのに、航行中の艦内でひょいひょい出来るような処理だとは思えませんから、これはなかろうと消去しました。(『ザ・フライ』は怖かったですねぇ)






          ◇



 第一章に於ける“ドタバタ”は、彼らにとって本来関わる予定ではなかった、文字通りの突発事態である。第二章にて若林警部補がご説明下さったところの“輸血用血液搬送に絡んだ妨害工作”とかいう代物で、たまたま居たから担ぎ出されたまでのこと。冒頭でご本人さんたちがゆったり暇を持て余しとったように、今彼らがここに滞在しているのは、単なる健康診断のためであり、休暇も兼ねての羽根のばし。よって、TOKIO-CITYにお使いに出たハジメちゃんが、余計な寄り道をしたとしても、さほど眉を顰められる恐れはない。かように“本来の仕事”は一段落していた彼らである…筈なのだが、日本州にいるのならついでに首謀者逮捕にも参加しておいでという要請が入ったものだから、
「ついでってのは何なんだかね。」
 勿論、正式な通達として寄越された“要望書”にはそんな言い回しなぞないのだが、これまでずっと大空総監とチームリーダーのジノの間でのみ交わされて来た代物なだけに、言外にどういう心積もりがある文章であるのかというところまで“お見通し”なのだろう。ちなみに、正式な表向きの通達は、ICPOの国家中央事務局日本州支部とTOKIO-CITY中央警察署の外事課の精鋭たちとで組まれた特別班が手掛けていた事件への“助っ人”要請…となっている。お気楽に勅命されてもなぁと眉を顰めているジノに、
「君たちがこないだまで関わってた“ウルオッツ系”の事件の首謀者にあたる某博士だからねぇ。
 ここは勝手が判って機動力のある君らが居合わせてる偶然を利用して、早急に解決させようって腹なんじゃないのかな?」
 三杉が大空総監の胸算用を代弁する。どんな名前を使っても気を悪くする人が出そうなので、ここからは“Q博士”と呼ぶことにして、
「失踪した上に、なかなか尻尾が掴めないらしくてね。」
「…は〜ん。」
 武装していて危険な一派だからという理由で自分たちへと割り振られたのは、Q博士の配下たちが守っていた研究所の壊滅工作で、そちらは今 三杉がなぞったように既に終えている。ここまでがRチームが拝命していた“こないだまで関わってた”分担だった。ところが…首謀者のQ博士とやらが逃げ込んだと見られる先が法治国家・日本州であり、ならば犯人側の動きも制限されるだろうからと日本州支部と現地警察機関とに追跡&糾弾を任せたところ、執拗な追跡をまんまと撒いて逃げたらしく、どこの地下に潜ったやらまるきりの消息不明。そこで…早急な逮捕のため協力をお願いしたいという追加要請と相成ったらしい。
「まあ…野放しにはしておけない相手ではあるが。」
 手ごわい相手だというのはジノにも判らんではない。いつの間にやら このシリーズではめっきり敵役の代名詞と化している犯罪組織“ウルオッツ”の一派。活動拠点を世界的な規模であちこちに点在させている組織なだけに、警察関係からの糾弾への対処手段も巧妙かつ大胆で、どこか穏健な日本州警察では少々手古摺ることだろうなと、今回の案件の総仕上げを任せたジノとしても心のどこかで危惧してはいたのだ。しかも…彼らを危険な連中だと判断するに至った要因を握っているのが、他ならぬそのQ博士。
「オマケに…今朝の此処の騒動にも関与していたらしいんだよ。」
 おやや?
「Q氏の策謀に乗せられての行動だったと?」
 あの道具立ての陰にそんな人物が居たのかと、ジノの表情が“お仕事仕様”に切り替わる。三杉が広げた資料ファイルには、例の騒動に使われたあのヒューマノイドや小型ロボット、ミツバチ型発信機などといった“小道具”たちの分析結果が連ねられている。それらを解析し、機体に見られる癖…仕様傾向などから考察するとそういう結果が出たということならしい。冒頭の“怪力強盗”のくだりでも述べたが、特殊な装置だの機体だのには、市販品に見られる画一的な部分から飛び出た形で、作った人間の癖が出る。ぶっちゃけた言い方をするなら、レディメイドとオーダーメイドの差。資材の選択、機能の論理、仕様の好み、無理の偏り方などを解析すれば、出所は結構絞れるもの。今回の場合、Q博士とやらに関する資料もたんとあったので照合した結果、かなりの確率で彼の手になるものだと判定されたらしいのだが、
「というのか。目的は撹乱に違いないんだが、その底に腹いせという気配もあったんじゃ…ないのかなっていうか。」
 問題の研究所を、経済上、並びに機能上、運営不可能に追い込んだ…その当事者を前にして、ついつい苦笑混じりに言葉を濁す三杉である。
「考えてもご覧。
 今朝方ほんの一時だけの時間稼ぎで充分だったものだのに、準備期間を取り過ぎてるのがちょっとばかり異常だ。
 我々をそれだけ手強い相手だと認識していたから?
 自分たちへの追跡を招かぬために、尻尾として切り捨てられる無関係な人間を取り込みたかったから?
 それらも勿論あるんだろうが、
 それより…あわよくば研究所に多大な損害を被らせようっていう思惑の方が強かったからじゃないのかと思えてね。」
「…成程ね。」
 三杉もジノも怪訝に感じていたチグハグさ。実行犯が実は時間稼ぎを担わされただけの道化だと判ってもなお、消化こなれの悪さとして残った疑問。こんな程度の…しかも“ダミー”の大暴れに、どうしてああまで見事な玩具や下準備をわざわざ用意してやったのかが、この不景気な御時勢に思い切り景気のいい話じゃあないかと不審だったのだがおいおい、そういった“下心”があってのことなら仕方がないかという納得も出来る。
「君らのこともよくよく知ってるって事になるんだろうね、これは。」
 あのヒューマノイドの途轍もなく頑丈だった装甲は、ハジメちゃんの鉄腕攻撃も堪こたえなかった強度だったし、岬くんご自慢の冷却波も効かなかった。
「一種の復讐劇だったってか?」
 先に相手の研究所を襲った時にしても、まさか
〈遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそはICPOが誇る特殊部隊の誰某だれそれ司令官だッ〉
とばかりに名乗りはしなかった筈だがおいおい、それでも的確に仕返しをしてくるとは、さすがは仇敵“ウルオッツ”。こらこら そうじゃなくって…。 あちこちでその暗躍の気配を嗅ぎ取る機会コトがある毎に、彼ら曰く“行き掛けの駄賃”とばかりに、取引の邪魔をし、関係施設を叩き、関係者を巧妙に表通りへおびき出してお縄を受けさせてみたりという過激な“ちょっかい”を出してもいるのだから、こりゃあ覚えられてチェックされていても仕方がないというところ。
「ま、そういう訳だから、
 たまたまだとはいえ此処での騒ぎを収めた以上、ついでにその首謀者も取っ捕まえて来いというのも判らんではない。
 同んなじ容疑者が関わった事件として出来るだけ多くを一本化すれば、書類手続き上の処理だって一遍で済むだろう?」
「…書類整理の合理化に何で現場の方が合わせんといかんのだ。」
 あっはっはっはっ
(笑) とんでもない活躍を重ねている仕事を簡単に“現場”と片づけるジノさんも只者じゃないやねぇ(笑) 二人が居るのはこの研究所内でのジノの私室。奥に寝室があって、手前には寛げる空間としてのリビングがあるという造りは他のメンバーたちとも同じ間取りである。先にどこかで紹介したことがあったと思うのだが(確か『Rの事情U』)、マホガニーの調度の濃茶が引き締めるように効果的に映える白く明るい室内には、籐ラタンの家具や観葉植物を揃えてあって。慣れぬ者には何かしら違和感を覚えさせるその原因が、直線や角を嫌っているかのようなデザインの、且つ出来るだけ自然物によって調度を統一されているからだと外に出てから気づくほど、どこか優しい風合いのする部屋である。5時間ほどの仮眠を取って目を覚ましたらしい彼に呼び出され、今朝の騒動に関する事後報告をしていた三杉であったが、
「それと…。」
 ふと、その白い顔を微妙に翳らせて言葉を途切らせる。
「ん?」
 それまでの闊達さが不意に弱まったことに気づいて、ジノが椅子の背から身を起こした。何か告げにくい事が判ったのだろうかと訊く体勢。それを見て、三杉が少々慌てたように笑みを見せた。
「直接仕事に関わるような大したことではないんだがね。」
 そう言って白衣のポケットから取り出したのは一枚のファックス用紙。差し出されてその書面に視線を走らせたジノは、慣れた者にも判るかどうかという微妙な間合いで目を見張った後、微かに眉を寄せて見せた。そこに綴られてあったのはたった一行の活字で、
[人間の再生なぞというヒトの倫理に触れるような悪行は即刻中止せよ。]
とだけ。
「発信者はどこやらの倫理団体らしいんだが、これで何通目になるんだか。
 結構しつこいんで、ちょっと気になってね。」
 ため息混じりに苦笑し、
「もうとっくに凍結しているんだが、まさかにそれを公表する訳にもいかん。」
 まったくだ。はっきり言って“ばっきゃろーっ、言われんでも判っとるわいっ(怒)”もんである。
「大方、曖昧な情報だけが今になって出回ってるのへ、事情も知らないで便乗しているだけの手合いだとは思うんだがね。」
 困った馬鹿がいるという顔になる三杉へ、
「こういうのだったらICPOにも来ているらしい。」
 ジノも小さな苦笑を見せた。
「そっちは政治犯の釈放だの何だのって添え書きがあるらしいがな。」
 ジノたち当事者にしたところで、まるきり相手にしない立場を取って、洟はなも引っかけないというような大上段からの構えを取ろうというのではない。単に構っていられるほど暇が無いだけのこと。
「大空総監が“僕の目の黒いうちはこれに関しての何やかやで君らに負担はかけないよ”って言ってくれてる。」
「ふ〜ん。」
「ところで、どうして“目の黒いうちは”なんて言い方をするんだい?
 さりげなく外人への差別をしてるように聞こえんでもないんだが。」
 またそういうややこしいことを言い出す
(笑) (そういや“私の目が細いうちは…”と言うてた人もいましたね。こらこら
「自分を含めた外国人のことだと判ってて“外人”って言い方が出来る君には言われたかないね。」
 あっはっはっはっ
(笑) まあそれはともかく。
「今更な話で不愉快にさせて済まなかったね。」
 一笑に伏せることでなく、さりとて、今更事情も知らない誰かに言われて深刻になるのも何ともなぁと言いたげな顔になるジノへ、三杉も…何とも複雑そうな、強いて言うなら自分自身の失言を詫びるような表情をする。
「ただ、君らの活躍の場が増えている以上、
 曖昧な輪郭だけでディティールにまでは追いついてないという形であれ、あちこちに広まるのも時間の問題だ。」
 ディティール detail。細部、詳細という意味ですね。
「正確な詳細が後追いになっている分、思わぬ方向からの弾劾や妨害がかかるようになるかもしれない。
 一応は心に留め置いた方がいいというのが所長からの通達でもあったんでね。」
 先の章でも触れていた事だが、普段から“犯罪抑止力になるから”と嘯うそぶいて、自分たちの飛び抜けた能力への注視にあまり頓着していない傾向ふしが多い彼らでもある。無論、世間一般に対してのものではないものの、そうである以上、その点を逆手に取るような攻勢も予測してしかるべきもの。若林警部補に心配されていたものとは別に、こっちの“特異性”を突かれるというのも警戒せねばならない事には違いなく、
「そうでなくとも、色々と恨みを買ってはいるだろうしな。」
 休む間もないほど活躍してますからねぇ。このシリーズではプライベートのあれやこれやが絡んだ話ばかり紹介してますが、亨がそれ以外の特務に於ける彼らの活躍の方をあんまり具体的に書いちゃいないのは、大空長官やジノさんから“口止め”されているからなんで、悪しからず。ほほぉ
「健や岬という本人たちには何の罪も非もないことだ。
 日頃からも注意を授けてはあるが、深く捉われることのないよう、その分、俺たちが充分留意するさね。」
 ブルース=ウィルス主演の『マーキューリー・ライジング(98年)』という映画を御存知だろうか。国家機密に関わる暗号をたまたま解読してしまった天才少年を政府の暗殺者が殺そうとする話で、ウィルスさんはそんな彼を救おうとするFBI捜査官。映画になるということは、そういう考え方がさほど突飛ではないということであり、その筋の人間なら…国家や軍事が優先という思考回路になってる者には、さして異状でもない順番であり道理であるのかも知れない。
“恐ろしい話ですがね。”
 以前から少しずつ書いて来たことだが、人並み外れた、もしくは特異な能力を持つ者は、望まれるか拒絶されるかという両極端な扱いを受けるもの。才能・性質があまりにも脅威的で、尚且つ、手元で管理・監督・制御出来ないならば、いっそ葬り去るのが安全策だとなるのが…どこか理不尽なことのように聞こえるかも知れないが、その筋では立派なセオリーなのである。
“その筋っていうのが、何も軍事独裁政権に限られてないってのが、下手な怪談より怖いところですよね。”
 まぁね。平和で退屈で単調な毎日のすぐお隣りでも、もしかして“その筋”とやらが蠢うごめいているのかも知れない。ひょいっと何の気なしに見えちゃったものが原因で、見たことさえ覚えてないにも関わらず…どこの誰とも知れない何かが“あなた”を封じに来るかも知れない。(某国による拉致疑惑の大半は、これが理由ではないかって言われてるそうな。)
“…まあ、そういう限定するよな例え話はそのくらいにして。”
(そういや論点もかなりズレてるわね。)余談はともかく、当事者側の最後の手段としての手っ取り早い策には、こんな危険な仕事からとっとと降りるという道もある。冗談抜きに大空長官も“そろそろ封を…”と考えてはいるらしいと聞いている。自分の危険にはかなりがところ無関心だったジノでさえ、このところは胃が痛い想いをしているほどなのだからして、
“謎のチームのまま姿を消した方が格好いいってもんですし。”
 こらこら
(笑)
「………で。若島津くんは?」
 培養血液を病院まで運ぶというお務めは、タイムリミットが今朝の9時までとなっていた。それは無事に果たした彼であるらしく、某大使の手術も無事に成功したという連絡が入っている。だのに、搬送した本人はまだこの研究所には戻っていない。三杉の改まっての質問に、わざわざ訊くとは白々しいぞという顔で苦笑を返す。
「日向さんトコにお邪魔してるんだよ。
 ひとっ走りったって結構疲れることだし、
 行きは早朝だったからともかく、昼日中の市中をとんでもないスピードで爆走させる訳にもいかんしな。
 かといって、在来線を使えば半日仕事だし…。」」
 そう…でしたっけ? 二時間ちょっとしか かからん筈ではなかったんじゃあ…? 亨と同じような計算を脳裏に浮かべたらしい三杉へと、
「ほら、言うじゃないか。“行き掛けの駄賃”って。」
「…それはちょっと喩えが違うと思うんだが。」
 ジノの日本語は時々突拍子もないのが曲物だと、ちょこっと眉を寄せたものの、
「日向氏と会うのはいい刺激になるらしいね。」
 三杉としても、関係者以外の知己として問題のない相手だと容認してはいるらしい。警察官だから身柄がはっきりしていて良ろしかろうだとか、単純で正直なところが好ましいだとかいう“通り一遍”の評価ではなく、事ある毎の関わり合いから育み合っているものが、ハジメちゃんの気性を眸に見えて良い方向へと伸ばしているからだ。それへはジノも是と頷いて、
「彼からはプラスばかりを吸収してくる。
 辛いこと苦いことを要領よく忘れるとかいうのが得意ではなさそうだのに、
 それを誤魔化したり呑まれたりしない強い人だ。
 我々も見習わなきゃいけないと常々思い知らされてるよ。」
 そ〜かぁ、日向さんて“紫のバラの人”な訳やね。
「???」
「亨さん、ちょっと例えが違う。」
「? 三杉? 何のことだか判るのか?」
 そ〜れはともかく
(笑)わはは 反省は大事だが後悔は過ぎると重荷にしかなりませんもんねぇ。(…と、反省の足らん作者が言うと説得力がないかも知れんが) 亨の御託(と脱線)はともかくとして、ジノはにっこりと微笑って見せる。
「日向かれへの思い入れがオリジナルの遺した好みではないかと気にしていたのを、
 それが嫌だと感じたのは自分ではないのかと助言してくれたそうだよ。」
 一見のお客様には何ともややっこしい言い回しだが、(『第三話・上巻』88頁を参照)
「…なかなか奥が深いんだな。」
「だろ?」
 それをまた ちゃんと理解出来る人たちだってのも奥が深いぞ、あんたたち。
“………。”
 ふと…ふいっと視線を投げた先には、窓の外に中庭の若い翠のモザイクが揺れている。まだ五月嵐メイストームという程ではないながら、それでも時々少し強めの風がゆきすぎては、青々とした撓しなやかな枝が張り出したユキヤナギの茂みが波打つように揺すられている。それをぼんやりと見やりながら…ジノがぽつりと呟いた。
「少しずつしっかりしてくるのが嬉しいやら淋しいやら。」
 それじゃあ“お母さん”だよ
(笑) 彼のそんな一言に、
「自分の知らないところで育ってくれると余計に…なんだろう?」
 三杉は意味深に微笑って、
「今のところは本人もそれどころじゃないってことで上手く誤魔化せているが、帰って来て思い出したらどう丸め込むつもりだい?」
 そんなことを付け足した。やや横を向いた格好のまま、
「何の話だ。」
 訊き返したジノだったが、
「おやおや、僕で予行演習するのかい?」
 クスクスと微笑って“素知らぬ振りは取り合わないよ”という構えを見せる。少しばかり身体を傾けてひじ掛けアームに肘を寄せ、その先の白い指を宙でちょちょいと振って、
「何たってピエールが跳ね起きたほどの“救援信号”だ。だのにそれを聴いてた君はといえば、選りにも選って爆睡した…なんてね。何の説明もなく若島津くんが納得するとは思えないんだが?」
 それって今朝のジノさんのやらかした唐突な“爆睡”のことでしょうか? 確か…本人にもどういう周期だか判っていないらしいと言っていた代物だのに、何を今更ほじくり返すのかと怪訝に思った亨と違い、
「人間にはそれぞれのバイオリズムってのがある。催眠作用や覚醒作用があるって言われてるα波やβ波なんてのが解析されていても、今のところはまだ漠然としたものなんだし…。もっと簡単に言うなら、同じ音や旋律でも人によって不快だったり心地よかったりするんだし。」
 理詰めで躱そうとするご本人だったが、
「…で?」
 三杉は“小細工”と決めつけてか、取り合おうとはしない。そういえば…ジノさん自身も“気が緩んでたからという訳でもないような…”なんて引っ掛かってなかったですかね。
「…何でそう絡むんだよ。」
「君は“うるさかったから目が覚めた”と言ってたろう? だけど、あのドタバタより前に若島津くんがさんざん“起きて起きて”と呼んだ筈だ。君の感応器官が彼の懸命な呼びかけより単なる雑音を優先するとは思えないから、となると、物理的な騒音…直接うるさかったのが原因で起きたというのは無理がある。」
 凄んごい把握をされているんですねぇ。
「それに、だ。君自身の部屋でも“うるさくて”眠れないとか言っていたよね? それを考え合わせても…やっぱり君にも問題の音波の働きかけは効いていたとみて良いんじゃないのかな?」
 さすがにこちらは専門の学者。同じような合理的判断でも、刑事事件だの組織立った一味の犯行の段取りだのという、捜査経験や何やを求められるような話ではない以上、そうそう煙に撒かれたりはしないという余裕の微笑を見せている。
「こういう解釈だって出来るぞ。 これは夢なんだって割り切った上で、内容を冷静に観察していたとしたら。」
 目覚める寸前や何かの拍子に“ああ、これって夢なんだ”と判る時ってありませんか? あまりにも奇天烈な内容に翻弄されてる間は目隠しされていた記憶がするすると連結されて、なんでとっくに卒業したのに試験を前にして焦ってるんだろうとか、ちゃんとした理屈が追いついて来て、なんだ夢を見ているんだなと気がつく。これが頻繁に意識出来る人はトレーニング次第で夢の内容をコントロール出来るんだそうですね。観たい夢を楽しめるってのはストレス解消への一番の特効薬だそうですから、大いに楽しんで下さいませね♪ …じゃなくって
(笑)
「それなら…若島津くんに助けを求められることが、君にとっての安心感につながってたって不自然じゃない。」
「…理屈が訝しくないか?」
 助けを求めるというのはピンチであるということで、庇護者の一大事が保護者に安心を齎もたらすとは確かに理屈としては目茶苦茶な話。だが、
「独り立ちされるのが寂しいと思っているのなら、その心の裏返しと判断も出来るからね。」
 底意地の悪い言いようだが、こちらを覗き込むようにしてくるでない、あっけらかんとした顔の三杉であり、
「夢は見とらんと言ったろーが。」
「そうだったね。けれど…うるさかったんだろう?」
「…察しが良すぎると嫌われるぞ。」
「君には言われたかないね。」
 ちょこっと目が座りかかったジノに比べて、三杉の方はやわらかな笑みをまるで崩さないでいる。何か…こういうやりとりはあちこちで見たことがあるような。あのウーレ・ペリ皇国のサンターナ殿下を無事に保護した翌日の会話もこうだったし、アンブロシアの御子様だった満くんへの事情聴取の後での会話もこんなんじゃなかったかと。…そーか。このお二人さんの場合、三杉博士の方が僅かながら上手をいってるのね。
“まあ、私は微妙に当事者じゃあありませんからね。”
 だからこそ無責任な発言も出来るのだと言いたいらしい。とは言っても…ただ“それだけ”であるのなら、二度も三度も手玉に取られるばかりな相手とこういうデリケートなことを話題にしたいと思う筈はない。ジノからの信頼が…もしくは気安く思っている度合いが、いかに多大なものであるかの現れでもあろう。
「実際の話、こっちとしては出来る限り肩入れしたいと思っているんだ。」
「ありがたいと思ってるよ。」
 あらたまって言われずとも、彼やスタッフ一同の心遣いは知っている。その育成過程には本人の意思を尊重するように徹底されていて、現状につけ将来につけ、何でも自由に選べるよう…過大な期待やそれによる負担で邪魔をしないよう、さりとて妙な特別扱いに偏らぬよう、微妙な意識を常に抱いて自分の庇護者を暖かく見守ってくれている。今更の言葉に感謝を込めて微笑するジノへ、
「僕が言っているのは君へだよ。」
 柔らかそうな口唇から洩れたのは、ため息にも似たこんな一言だった。
「こんなに全身全霊をかけて誰かに構い立てしている君っていうのが、何だか自分のことのように嬉しいもんでね。」
「…何だ、そりゃ。」
 その表情が珍しくも“素す”になっている辺り、何のひねりもなく純粋に意味が判らないらしいジノへ、
「なに、アテにされなかった者からの恨み言だとでも解釈してくれたまえ。」
 三杉は柔らかく微笑っているばかり。最初は自分が所長から預かっていた“子供”だった。自分一人で育ててゆくには自信がなかったし、何より…自分も子供じみたところの多い科学者。何かと抱えるものが多く、しかもたいそう繊細な人物だと判ってくるにつけ、何かと偏った自分が引き受れば先々で破綻するのは目に見えていると…それこそ科学者の冷静な判断で割り出して、こういうことに打ってつけだろう“適任者”を知己たちの中から選りすぐったのが七年前。無論、彼ジノに押しつけ切った訳ではなく、惜しみない助力…バックアップとフォローをと心掛けて来た。そうやってすぐ間近で彼ら二人を見て来たからこそ知っていることは一杯ある。醜いところや みっともないところも散々見せ合い、時に憎んだり恨まれたりもし、罵ののしり合うことも少なからずあったろう。決してきれい事ばかりではなかった日々を積み重ねて辿り着いた“現在”であると知っている。
“投げ出すような弱音や重圧への泣き言なんてのは、結局一度も口にしなかったもんなぁ…。”
 見込んだ通りだったことをこそ喜んでいい筈だのに、どこかで歯痒い気持ちが頭をもたげる。自分が結構気を揉んでいたことも、彼らの側ではまるきり知らないのかもしれない。こちらが意地でも気づかせはしなかったのだから当然と言えば当然だが、これだけのことをやり遂げた彼を素直に称賛したい反面、得意分野ではなかったろうことだのに一度も頼ってくれなかった彼に、同じくらい すげない何かを感じてもいる矛盾。
“人間ってのは奥が深いねぇ。”
 三杉さん、三杉さん。
(笑)

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