第三章 ちまたに雪の降るごとく…
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〈…お前、B組の女子に告白されたのに振っちまったんだってな。〉
〈おや、耳が早いですね。〉
誰の何の話かということよりも、それを持ち出した人物が珍しいと言いたげな顔をする。こういう誤魔化(はぐらか)しがお手のものな奴だというのには、こっちにだって慣れがあるから、日向は単なる相槌代わりと受け流して、
〈今年で何人目だよ。〉
先の話題をそのまま突っ込むと、
〈さあて。〉
さして気のない顔で若島津は小首を傾げた。モテる身であることを鼻にかけるでなく、他意があることを思わせ振りに焦らすでもなくという飄々とした様子であり、
〈いいかげんにしとかねぇと、そのうち闇討ちに遭うぞ?〉
〈あはは…、そりゃあ怖いや。〉
〈お前なぁ。〉
もともと淡白なんだか、それとも色々と器用にこなす彼ながらやっぱり許容量には限界があって、それで欠落しているのがたまたまそういう部分であるのか。成績も良いし行儀も良い、神経質まで行かない程度にきれい好きで、派手なんだか地味なんだか意見の分かれる見てくれだって、恐らくは万人受けするだろう誠実そうな初見の人当たりだってすこぶる良いのに、そっちの方では…派手な浮いた話も深刻な沈んだ話もまるでないまま、身辺さっぱりと地味をつくろっている変な奴おいおいで通っていた彼だった。当然の成り行きというか何てのか、女の子たちにもちゃんと見る目はあって、悪い性分たちではないくらい易々と見抜けるだろうから放っておく筈はない。勇気のあるクチがたびたび当たって砕けているらしかったが、こちらもまた朴念仁で通っている日向が幾つか気づいたくらいだから、それ以外にも…日向の年間ゴール数と張り合うくらいは“ごめんなさい”で泣かせているのだろうと思われた。そういう自分もどちらかと言えばその手の告白には謝ってお引き取り願っているクチなので、日向としては羨ましいとまでは思わないのだが、それにしたってあまりに平然としている彼なので…ちっとは罪悪感とか抱えた顔をすりゃあ良いのにと感じてしまった訳である。そんな日向の胸中を知ってか知らずか、
〈大体“告白”ってのは一体何なんでしょうね。〉
ふと、唐突に訊いてくる。
〈?〉
〈だって、相手のことが好きだっていうのはその本人の抱いた気持ちでしょう? 何でわざわざ相手に言う必要があるんです?〉
〈そりゃお前…。〉
〈自分がこんなに好きだから、あんたも好きになってくれって事ですか? うじうじしてないで両想いになりたいっていう前向きな積極性は買いますが、思いもよらない相手からそんなもんいきなり押しつけられちゃあ、やっぱ困るでしょう?〉
一般論ぽく言っているが、案外これが彼の本心というやつなのかも知れない。だのに…素直な気持ちの吐露として聞こえないのは何故だろか。
〈向こうにとっては思い詰めた結果なんだろうから、好きか嫌いかはっきりした答えを欲しいに違いないんだろうに、こっちはよく知りもしない相手をまさか“嫌い”だとは言えないじゃないですか。かと言って、下手に期待させといて結果として傷つけるのも剣呑だし。そんな告白なんて、あんたなんか嫌いだって言われるよりよっぽど始末が悪いってもんですよ。〉
聞きようによってはこれもまたえらい言いようだが、
〈そこまでは考えてないんじゃねぇのか? 思い詰めが先に立ってて相手の立場までは…。〉
〈だったら尚更口を噤んでりゃあ良いじゃないですか。〉
〈そうは言うが…。〉
たたみかけるような若島津の語調に気圧けおされてしまって、日向はちょいと考え込むように言葉を詰まらせた。いくら自分が持ち出した話が発端だとはいえ、苦し紛れに“勝手にしろ”だの“俺の知ったことか”だのと突き放したって良いものを、ついついラリーを続けようと構えてしまう負けず嫌いなところが、もしかすると…若島津からつつき甲斐があると思わせてしまう、かわいらしい馬鹿正直さ。それはともかく、考え込むこと…1分少々。
〈うん。相手に言うんじゃなくって自分へのけじめみたいなもんじゃねぇのかな。〉
〈けじめ?〉
〈おうよ。相手にどうこうして欲しいってばっかりじゃないんだ。言ったからにはそう簡単には取り消せない。引き下がれない。言葉っていう形になっちまったら、それが足りなかろうが不出来だろうが、言ったもんの責任になっちまうだろ? そういう覚悟や思い入れが言わせるんだから、そんだけ想いも深いって事なんだろうさ。〉
これが倫理の先生あたりなら“よく出来ました”と言ってくれもするところだが、そこは若島津で容赦がない。
〈どっちにしたって、告白された方は良い迷惑だったりしますって。〉
〈…お前、本気で闇討ちされたいらしいな。〉
ストーカーになるより失恋した痛みを乗り越える方が誰よりも本人の滋養になるんですがね。まあ、そんな亨の茶々はともかく。呆れたように言ってから、だが、ふと…ため息のような吐息をつく日向である。
〈想って想って、思い詰めたそれをどうにかして形にしたくなるってのは判らんでもないな。〉
〈…え?〉
それまでは余裕の顔でいた若島津が初めて不意を突かれたという表情をして見せる。そんな彼の変化にも気づかず、日向は続けた。
〈それってのは、頭ん中の勝手な想像とか思い込みとかで、やり遂げた気になって満足出来る程度の“好き”じゃないからだろ? 他の事が手につかないほど夢中になったもんに鳧けりをつけたいって思うのは、誰にだってあるからな。〉
意外な言いように、若島津が…恐る恐るという声を出した。
〈…あんたにもあるんですか?〉
〈おうよ。まずは国体、インターハイ、全日本ユース、選手権の本大会に全部出ることだ。それから選手権3連覇だろ? 世界ユースが間にあるから、それに出て今度こそ“日本優勝”って運びにもしてぇしよ。〉
〈…ああ、そうですね。〉
〈何だよ。腑抜けた声、出しやがってよ。〉
〈いいえ。ただ、あんたにとってはあまり遠大なことじゃないように思いましてね。もっと大きな“野望”があるくせに、そればっかりは俺にも言えないってんですか?〉
〈…言わなくても判ってる奴にわざわざ言うこたねぇだろが。〉
〈何ですよ。顔、赤いですよ?〉
〈うっせぇなっっ(怒)
何が可笑しいんだよ、にたにたしやがってっ(怒)〉
◇
さて。日向(&松山)宅へとちゃっかりお邪魔していた若島津へも、特別電波仕様の携帯電話に件くだんの“通達”の旨が送られて来ていた。今回は珍しくも第一章という突端とっぱなに格闘シーンが入った仕立てだったが、
“う〜ん。やっぱりあれだけで終わらせるつもりはない亨さんらしいのな。”
いやん。 そんな明からさまに嫌そうな顔しなくても。
「…珍しいもんがありますね。」
「ああ。そりゃあ松山が拾って来たんだよ。」
かの松山氏に何でもかんでも拾って来る妙な癖があるのを披露したのは、確か『第三話』だったような。
「奴に言わせると、構ってくれろっていう何かが呼びかけて、立ち去り難くなっちまうんだと。」
「ふぅ〜ん。」
それにしたって…と若島津がついつい見つめてしまった相手は、身の丈が1。以上はある陶器の招き猫である。高さがそのくらいということは胴回りだって相当な大きさがある訳で、人目もあろうに一体どうやって持って帰って来たのやら。
“どこかの…居酒屋か何かの看板猫だったりして。”
さあ、どうなんでしょう。。〜ん。 2LDKのフラットは、キッチンとはカウンターで仕切られたダイニングリビングが結構広くて、ビデオ付きのテレビと小振りなソファー…と巨大招き猫を置いただけの広々とした空間に、透き通ったカーテンを思わせる干ひるの陽射しが満ちている。
「若林もあんまり詳しくは話してくれんかったんだが、今朝の何とやら…とかには関わりないことなのか?」
朝昼兼帯の食事を済ませてからリビングへ移動しての会話となって、まるで遠縁の親戚の縁談話の進展具合でも訊くように何げなく口にした日向だったが、訊かれた側には…一応“任務に関わること”という自覚がある。
「う〜ん。 まるっきり“無い”とも言えないんですよね。」
自分の拝命する特殊任務は、どんな瑣末なものでも、また、相手が誰であっても“部外秘”が原則。本人が口外するしないという問題のみならず、事情を知る者、機密を知る人間として準関係者と見なされて狙われかねないからだ。とっても大事な人であればあるほど、そんなような思わぬとばっちりから迷惑を掛ける訳にはいかない。その辺りは重々判っているのだが、
“下手に黙ってると、自分で答えを見つけようとして走り出す人だからなぁ。”
ひうがさんに こんなにも想われている わ・た・し。…というよなこらこらのろけ半分の自惚れで済ませてはいられないのが問題で、国家機密も最終兵器も知ったこっちゃねぇっという危険極まりない向こう見ずをされるよりは、いっそ嫌われた方がマシかも知れないというくらい、関わらせるには物騒すぎる事態である場合ケースが多すぎる。そこで、
「手っ取り早く言うと、とある学者の逃避行を追っかけてるんですよ。野放しにはしとけない事情があるんです。」
理解出来ようが出来まいがそこまでのお世話は焼きません。でも、話はしましたからね、隠し事なんかしちゃあいませんよ…という方向で煙に撒く方がおいおい彼のようなタイプには効果的だと判って来た。よくよく理解出来ないのを良いことに…というのは、ある意味“異国語での大声での内緒話”のようでもあって、
“姑息には違いないんだけどもね。”
詭弁に過ぎないと判ってはいるが、それでも、要らぬ暴走で…それも自分に関わったがために大怪我をされてはたまらない。問題は…日向さんがハジメちゃんが思っているほどおバカじゃなかったらどうすんだろうかという点だけですね。あっはっはっはっ。
「ターゲットはQ博士っていうんですがね、人物自体に人望だの人脈だのがある訳じゃない。見事に隠れ仰せた逃走手段にしても、彼が準備していたものじゃあない。ただ、彼の作り出した代物が欲しいって奴らの組織力が半端じゃないんですよね。」
リビングに敷き詰められているカーペット。その上へ直に座り込む格好で寛いでいる日向に食後のアイスティーを差し出しつつ、若島津はおもむろに説明を始めることにした。
「物体転送機って御存知ですか?」
「? …何だ? そりゃ。」
うんうん、いいねぇ♪ 判ってないみたいだよ?こらこら
「SFの小説や映画なんかに出て来る装置で、思いのままの場所へ一瞬でテレポート出来ちゃう機械のことですよ。」
「???」
「…テレポートってのは判りますか?」
「そのくらいは………うん。」
ホントかなぁ。 口ごもる日向に、若島津は小さな苦笑を見せる。
「何だよ。」
さすがに“小馬鹿にされた”と感じてか、日向が口元を尖らせたが、「いえ…理屈が重要じゃないのは相手にも同じなんですよ。」
そんな皮肉に気がついての笑み。
「どんな危険なものなのかを判ってない。当の博士も気づいちゃいない。それだから俺たちが駆り出されたんですよ。」
犯罪組織“ウルオッツ”は自己資本を元手に独自の兵器研究にまで手を広げていたらしく、前回の…オークションを狙った贋作担当“資金調達”部門の輩たちの連絡網や背後関係を追跡した結果、とある施設とお抱えの科学者たちの存在が明らかになった。犯罪に関わる組織の施設である以上、インターポールも黙ってはいられない。綿密な調査を重ねた上で、大々的な“大掃除”を手掛けようと構えたものの、地元の公安が…どう丸め込まれているやら動けないという。ならばと派遣されたのがRチームだった訳だが、
「物質転送を研究していたQ博士が作った…というか、偶然そんな作用が導けたらしい装置が問題でしてね。物質細分化装置といって、これが途轍もない破壊力を持っていて、兵器としても充分流用出来るもんだから、即刻“危険物”と指定した上で、施設ごと破壊したって訳なんですよ。」
たった四人で“破壊”したのね。 相変わらず凄んごい人たちであることよ。 そんな事実には…今更なことと動じなかったか、それともあまりに途方もない話でピンと来なかったか、胡座をかいた膝頭に頬杖をついたまま平然としている辺りが何とも日向らしかったが、
「…気のせいかな。何か、似たような装置がこれまでに出て来てなかったか?」
えっ? えっ? 何のコトかな?
「よく思い出せましたね。ウチのシュナイダー博士がお蔵入りにしといた“超伝導物質への変換光線発生装置”のことでしょう?」
古い話を…。(『第二話』参照。) 大体、あの時って…日向さんは“眠れる森の猛虎”だったんじゃなかったっけか?
“そういう表現は辞めろっ(怒)”
鳥肌が立ってしまったらしい日向さんに睨まれてしまいましたが。(でも、あずささんもわざわざ白薔薇一杯のカットを描いてくれたもんねぇ♪)脱線ばっかりしとると話が進まん。ハジメちゃん、続けて下さいな。
「(あはは…。) えっと。
そうですね、アレと同じ危険性を兵器として利用出来るんじゃないかって目をつけたらしいんですよ、つまりは。」
シュナイダー博士が考案した装置は、どんな物質でも超伝導物質になるように分子構造を変換出来る光線を射出するという代物だった。だが、どんな物質でも…ということは、それが人体に向けられたらどうなるだろう。人体に無害なものでなければ、どんなに便利でもどんな効用があっても安易に使ってはならない。副作用が出る薬は毒物と同じくらい扱いに注意しなくてはならない。こんな単純な原則が判っていないのが原子力関係筋の偉いさんたちなワケやね。温暖化の原因になるCO2を出さないっつったって、その代わりのように放射能ばら蒔く危険性があるんだから、良く良く考えなくたってもっと恐ろしいやんか。怖い怖い。
「つまりは単なる情報再生機なんですよ、そのQ博士が作っていたのはね。現物を瞬時にして細かく破砕してあらゆる情報を抽出し、転送先に準備された材料で情報通りのものを作り直すってのがコンセプトで、送信先に送られるのは信号化した情報(データ)だけなんです。」
判りやすく言うならが電話回線を使ったファックス。相手方の受信機へ情報を送る訳だが、こちらへセットした書類が消えてなくなりはしない。言わば“遠隔地コピー”のようなものだからだ。(一般向けのものが登場したばかりの頃、冗談抜きに“何度やってみても書類が戻って来て送れない”と勘違いした人が多かったそうな。)
「物理学系の、それも随分偏った顔触れのみで進めてた研究なようでしてね。こんな理論で…物資だけならともかく生体移送までやってみようとしてたってんだから目茶苦茶だ。個体の人格ってものの意義をまるで考えてない。」
…ああ、それで。
“見た目には判りにくいけど…腹に据えかねて怒ってるんだな。”
自分たちと“同じような”コピーを作り出すことになるってのに…と、それが一番に許せない彼であるのだろう。
「その“現物を瞬時にして細かく破砕する”っていう部分が、物質細分化装置とかいうヤツか。」
「ええ。」
良く言えましたねとニコッと微笑う。あんまり馬鹿にするもんじゃないぞ、ハジメちゃん。警察ってのも一応は“お役所”なんだから、四角くて長くてやたら難解な法律用語も飛び交うし、だからこそ“真犯人ホンボシ”だの“事件ヤマ”だの“家宅捜査ヤサイレ”だのという、沢山の「隠語」と呼ばれる専門用語が発達しもしたんですからね。それはともかく、
「本人さんは結構立派な研究も残してらっしゃるんで、出来れば改心してほしいトコなんですがね。あくまでも“転送”の理論を極めたいらしくて、それでそういう組織に迎えられることに甘んじてるんでしょうよ。」
困ったことだと若島津はあらためて鹿爪らしい顔になる。正しいことか間違っていることかの二通りだけでは済まないややこしさが、そういうことの対処に専門的に当たる自分たちには尚のこと厄介であるらしく、
「その“転送”も、次元理論を持って来てたなら、も少し何とかなったんでしょうにね。」
「次元理論?」
おお、専門的な話に入りそうですぜ、皆さん。
「点が一次元、点と点を結んで出来る一直線上の世界。直線と直線で構成される平面は二次元で、平面と平面が存在するのが三次元っていうアレですよ。」
どっかで出したような会話だな。(『DESERT EDGE』参照ってか。)「それで説明出来ちまうのか?」
「そう…例えば。」
若島津が傍らに寄せてあった雑誌の束から抜き出したのは1枚のチラシ。その裏へサインペンで二つの点をマークして見せ、
「この二つの点を最短距離でつなぐのは直線でしょ?」
そう言って二点を真っ直ぐな線で結ぶ。
「直線の定義って習ってますよね?」
「えっと…。」
言い淀む日向に微笑って見せ、
「同一平面上の最短距離を含む線分。」
ユークリッドの五つの公準の一。直線は一つの点からもう一つの点に対して引かれる線である…だね?
「これ以上の最短距離はありませんが…実はもっと近づけることが出来るんですよね。」
言いながらその紙を筒のように丸め、二点を重ねるようにくっつけて見せる。
「真っ直ぐ平らな紙の上という“平面の世界”では出来ないことだけれど、高さを持つ“空間”の中であれば出来るって訳です。」
つまり、も一つ上の次元である“高さ”や“奥行き”が存在するなら出来るという理屈。ワイシャツの手首を広げると一枚の布の上。同じ平面上の両端にあるボタン側とボタンホール側の位置を合わせるには、空間構造になっている“三次元”でくるりと輪にすれば良い。
「俺たちが存在する次元は三次元。縦・横・高さのある世界です。この三次元より高次な空間、四つ目の次元というと“時空軸”ではないかとされているのが定説です。その“より高次な次元”から三次元をねじ曲げれば可能なことなのではないかというのが発展して、そういう次元に飛び込んで高次な最短距離を未来方向へ移動するのではないかとされているのが、“ワープ”や“テレポテーション”の理論なんですよ。」
ま〜た小難しい話になって来そうですが…相対性理論だの、ローレンツ変換だの、ミンコフスキー空間だのを持ち出すつもりはありませんので、どうかご安心を。
☆
瞬時と思えるほどの超高速移動というと、思い浮かぶのがこの「テレポテーション」と「ワープ」の二つ。テレポテーションというと、つい「サイコキネシス psychokinesis」精神的遠隔操作などの“超能力”、すなわち「psycho-power」を想起しますが、これを直訳すると「霊的力、精神念力」。心というと“メンタル mental”という言い回しがありますが、こちらは「心の、精神的な」という形容詞で、名詞は「mentality」で「心的能力、知力」、もしくは「mentation」の「精神作用(状態)」となります。心理的なものとして漠然と使う時は“メンタル”で、理学的に神経作用の働き、もしくはエネルギー的な形を持つものとして扱う時に“サイコ”を使うらしく、この言い方の区別をより端的な日本語でやってみるなら、
「メンタル mental」…意
「サイコ psycho」……気
というところなのでしょう。のっけから話が逸れましたが。 「テレポート」という言葉は“遠隔移動”という意味で、
「tele-」“遠く”のギリシャ語と、「port」“運ぶ”のラテン語
が転じたもの。テレフォンやポーターの語源も同じだと言えばお判りかと。それが後に
『無視出来るほどの短時間内に、一地点から一地点へと移動する全ての方法』
へと発展。地上に於ける“物理的”な数々の法則を全て無視して出来るところのものともなると、それはもはや“超物理的な超自然現象”という事になってしまい、物理を越えた力、すなわち「psycho-power」による現象と直結してしまったものと思われます。
片やの「ワープ」は“warp”逸らす、曲げる、歪む、ねじれるという意味で、SFものでは
『宇宙空間に於ける何らかの歪みを利用しての移動』
として使われております。(今のところは“ワームホール”説が一番有効。ブラックホール同士をつないだ時空の穴のことで、この内部には凄まじい重力がかかっているため時間が存在しないに等しい。そこでこの穴を通っての移動が可能ならば、それは時間を経ない移動、すなわち“ワープ”となる理屈である。)
時間に影響が出るものと言えば…もう一つ、ウラシマ効果の材料として、アインシュタインの“光の速さに追いつく高速で移動すれば…”というのがありますね。こちらは、高速移動する者はそうでない者との間には時間のずれが生じるという代物で、例えば、光の速さで航行する宇宙船に乗って1年をすごせば地球上では7年半経っている。そういう宇宙船で1年間の旅行をして戻って来れば、出発した時に生まれた子供はたった1年で七歳になっていて、奥さんも七歳老けているという事態に遭う。怖い、怖い。これだとちょっとばかし冗談めいて聞こえる事例ですが、例えば再生技術にこれを応用したら?大火傷を治療するために移植が必要だとして、本人の体組織を使っての自己培養で皮膚を促成培養するとしても時間的な制約はついて回る。けれど…例えば患者の時間だけを7倍半遅らせることが出来れば? 光速移動で3日待ってもらえれば、約1ヶ月分育った広くて丈夫な皮膚が手に入る。(但し…怪我に響かないロケットが必要だけどもね。)おいおい こっちを実現させたければ、反粒子エンジンなら光速の1/10、レーザーライト・セイル推進航法なら光速の1/2で進むと言いますから、いやぁ…未来が楽しみですねぇ。
昔懐かし“ダイアモンド・ゲーム”という盤ゲームがありますが、これは接している駒ピンを飛び越える時以外、どの駒も一目ずつしか動けません。ところが、将棋やチェスは駒によってはとんでもなく遠くからいきなりポンと飛んで来ることも出来る。こっちは空間ではなく駒の方に特性を持たせたが故の代物ですが、つまるところの「ワープ」はこういう“特別な空間跳躍”と似たようなものです。(“王手飛車とりワープ”とか言って。 おいおい)
つまり「テレポテーション」も「ワープ」も、どちらも“超高速移動”のことで、現物そのものを遠隔地へ運ぶ事であり、それがあまりにも瞬時に行われるため、一旦消えて目的地で改めて発生したように見えてしまう訳です。この章の冒頭で亨がクドクドと屁理屈を並べてたように、くだんの「転送」もこっちの理屈の応用だったらまだ納得が行くんですがねぇ…とハジメちゃんは言うとる訳です、ハイ。
☆
余談まるけであることにすっかり開き直ってる今回ですねぇ。 それはともかく。
「未来方向?」
日向がちょっと待ったとチェックを入れた。
「タイムマシンじゃねぇんだろけど、それが“時間軸に影響されない移動”だっていうんなら、過去に移動することだって出来んじゃねぇのか?」
おやおや? こういう質問が出来るということは、結構理解力あるみたいですぜ、この旦那。こらこら 少なくとも今回の話の中身にはちゃんと付いて来てるってことですもんね。若島津も“おや…”というような顔になったが、
“まあ、タイムマシンっていやぁSFの基本中の基礎用語だし、松山さんが色々読んでるから少しくらいは知ってても…。”
それより何より、そうそう馬鹿にするのも失礼だしね。そうと納得して気を取り直し、
「これから何処かへ移動しようとするんだから“未来方向”なんですよ。それに…過去の方向にあるのは、言い直せば“既に通過した場所”です。同じ三次元座標には通過中の過去の自分が居る訳ですから、同物質だということで引き寄せられて衝突して…悪くするとどっちかが消えるか融合するかしてしまうという危険性だってあります。その点、未来の方向なら、自分が一旦消えた空間が空いてるでしょう?」
にっこり笑顔で“でしょう?”と訊かれたは良いが、
「……………。」
返答リアクションがこの三点リードてんてんてんの五乗だということは、日向にとってはここまでが限界だったらしい。ちなみに、この理論は“同じ時間軸を共有している過去・現在・未来を行き来する”という前提付きですのでお間違えのないように。もうちょっと突っ込んだ話をするなら…健ちゃんはそこまで触れてませんが、過去に割り込むというのは危険なことである以上に“とある矛盾”を乗り越えなければまずは不可能な事なんですのな。かのホーキンス博士も“時間の順序は保護されている”と『グランドファーザー・パラドックス』という説でもって過去への時空移動は不可能だとしてらっしゃる。というのが、例えば未来からやって来た誰かがいたとして、何もしなくても…ただそこに突然誰かが現れたというだけでも先の“未来”は変化しかねない。そして、その変化はその原因となった“未来からの来訪者”の存在をも変えかねず、極端な話、やって来た人物が消え、その人物がやらかした行為(不意に現れた事実)も消え、元通りの歴史が再生され、またその来訪者が生まれて同じことの繰り返しが延々と続くことになってしまって…そういうSF小説があったよなぁ、確か。こらこら。 一方、かの『ドラゴン・ボール』で、未来の世界からトランクスくんが来ていたにも関わらず赤ちゃんトランクスも同時に居合わせることが出来たのは、双方の所属する時間軸が別のそれだったから。よって、特効薬を持って来て悟空サが心臓病で倒れないようにしても未来は変わらなかったんですね。鳥山センセの理屈づけはおサスガだった訳です。(それに比して…亨が常々首を傾げているのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『ターミネイター』だ。)
これらとは理屈というか話の主旨・論旨が大きく逸れた例ですが、清水玲子さんの『ミルキーウェイ』(白泉社刊 花とゆめコミックス)に出て来たペステミワノワの天体望遠鏡の話。あれは当時の亨には感動ものでした。地球から200光年離れた惑星の天体望遠鏡から200年前の地球の様子が見えるという話で、瞬間移動ワープ航法を使っての移動が可能なればこその設定。そして…見えはするけれど、紛まがい物ではない現物ではあるけれど、それは200年前の…つまりは“過去”の影でしかない。光を追い抜く移動をしたればこそ、後から光が追っかけて来たというやつで、なるほどそういうことも起こるんだなと目からウロコが落ちたもんです。
「ややこしい理屈はともかく。」
相変わらず難解な背景付きで(加えて余談てんこ盛りだった。)任務内容についての“詳細”を、言うだけは言いましたからねと、ニコッと微笑って、
「話を戻しますが…その博士が使っていた研究所は、先日壊滅状態に追い込みましたし、助手たちも捕らえてあるんです。」
若島津は具体的な状況というものの方の説明を続けることにした。
「じゃあ、後はその首謀者だけか。」
「ええ。そっちの追跡は逃げ込んだ先、日本州ここの警察に任せてあったそうなんですがね…。」
という会話をしている日向も“日本州警察関係者”だ。それでちょこっと語尾が澱んだ彼だったが、
「捕り逃がしたってか?」
「…らしいです。」
請け負った所轄、若しくは担当部署のチョンボであって、今初めて話を聞いたクチである日向自身には何の落ち度もない話。大企業や警察や役所なぞに良く聞く“大家族主義”にもケッとか言ってそっぽ向いてるような人物だろうし、気にはすまいなと思ってはいたが…そこはやっぱり遠慮が挟まる。若島津の側のそんな気後れを察して…というよりは、そこまで深くは考えず、ありのままな“現実”というものを怖じけもせずに口にした彼であるのだろう。
「で、さっきかかって来たテレラインによると、方針が変わって俺たちが引き続いての後処理を任されたらしい…という訳なんですよ。」
以上、ご報告まで。おいおい
「ジノとピエールとで既に情報解析に取り掛かってるそうだし、いざ動き出せば時間の問題って奴ですって。」
若島津が楽勝だと言わんばかりの自信にあふれた顔をして見せるのは、日向に要らぬ心配を誘って余計なクチバシを突っ込ませぬため…だけではない。今回のような種の“燻いぶり出し”では、釣り出し用の巧妙な手管を仕立てるにせよ、一気呵成の突撃作戦になるにせよ、まずは間違いのない段取りを組むだろう参謀がいる。それを頼りアテにしているからこそのこと。そういう余裕は今更だと日向にも判るものの、「悪事ってのは後を絶たんもんだよな。」
ほんの今朝方もややこしい襲撃事件を平らげたばかりだというのに、またまたそういうややこしいもんに関わり合うこととなった相手の身が少々気の毒に思えたのだろう。自分もまたそういう“悪さをした者を取っ捕まえる”ところの『刑事』という職業であるためか、珍しく感慨深そうな声を出す日向だったが、それへとすかさず、
「悪事というより“利己主義”ですよ。」
若島津がこうと返した。それへとちょいと眉を顰しかめて見せて、
「ヘルナンデスからの受け売りか?」
こういう屁理屈を言いそうですもんねぇ、あのお兄さん。
「それもありますけどね。でも、実際問題として悪意が先に立つ悪事ってのは珍しいんですって。悪意なんて一片かけらもない、誰がどこから見たって親切でしかないことが、人や場合によって大迷惑になっちゃうことだってあるでしょう?」
まあそれは巡り合わせとかも絡んだりする、滅多にない極端な話ですがね。
「諍いさかいや争い事の発端は、大抵“どっちが悪いか”ではなくって、自分たちの側の欲求こそが正義だとどっちもが譲らないからなんですよね。」
勝てば官軍とはよく言ったもんだよなぁ。…そうじゃなくって。 例えば…今朝方 研究所を襲ったあのヒューマノイドにしても、ただ“悪事”だけを手掛けるようにというセッティングでは用をなさないと三杉博士が言うておったのを覚えていらっさるだろうか。殴る、蹴倒す、壊すetc…といった悪事を仕掛ける対象を見分ける能力、自分の支配者マスターとその他の人間との識別能力程度で補えるのなら、わざわざ超一流の科学者たちに頼る必要はなかった筈で、彼が求めたのは究極の自己判断、所謂“融通”という代物なのである。ご主人様に楯突く人間全てを例外なく倒して良いのか? そんなことしてたら口の利き方がちょっと悪いだけな人間も“反抗的”と見なされて全て平らげられてしまう。機械仕掛けならではの徹底さが発揮されて、気がついたらご主人様しか残りませんでした…なんてことになったら、一番困るのは誰だろう。表向きに服従してるなら良いや、せいぜい私に尽くせよ…で済む人間くらいは残しておかなくちゃ、誰もいなくなっては一から十まで全部自分でやんなくちゃならなくなるぞ? これもまた一種の“さじ加減”とでも言うんでしょうかね。その辺の見極めというか融通は、通り一遍のプログラムで選り分けられるものではなくて。それと同様に、悪意を込めた悪事というのもまた…ただ出鱈目に迷惑行為をやりゃあ良いってもんじゃない辺り、結構難しいもんなのかも知れない。おいおい
「実際の話、詐欺や使い込みっていう不正がばれないように殺人を犯すなんていう、どっちが重い罪だか判断出来なかったんだろうかって種の事件が珍しくないでしょう?」
少年犯罪に至っては、人前で恥をかかされたからだとか、覗きや万引き辺りの微罪を知られたから他人にバラされたくなくってだとか、そんな突拍子もないことに思い詰めての犯行もザラですからねぇ。
「たかが数万円のことで切羽詰まって強盗に入ったり人を殺したりするなんてと言う人がいますが、そういう人ほど生きてるうちは百文だって貸さないって言い方があるくらいですしね。」
ハジメちゃん、ハジメちゃん。 それは江戸時代くらいに使われとった川柳だぞ。(意味は合ってますがね。五両盗めば首が飛ぶと言われてた時代だとはいえ、一両二両の借金で自殺や強盗なぞをしでかした者を“そのくらいの金額で大それたことを…”と人は批判するけれど、生きてるうちはたった百文だって貸してやらないくせに…という言い回しの引用です。)
「ま、そういう訳で、たとえ悪意のない相手であれ、それならそれで正常な判断力を回復していただくためにはちょいと頭を冷やしていただかなきゃならないから、犯人さんに善処してもらってる…っていう解釈をしてるんですがね。」
たいそうな言い回しで御説を並べる彼へ、
「何だか小難しい話なんだな。」
日向がそんな感慨を返して来た。事件の背景やらややこしい詳細はともかく、後段持ち出した解釈には警察官なら多少は通じるところもあろうにこの感想と来て、
「他人事みたいに言わんで下さいよ。」
若島津が呆れると、
「他人事だ、俺にとってはな。」
素っ気ない返事。そりゃあ日向は一地方公務員であって、若島津らが関わっているような…その対処に倫理だの正義の所在だのをいちいち意識せねばならない次元や規模の事件とはあまり縁がない。掏摸スリや空き巣や下着泥棒の首根っこを押さえたり、TOKIO-CITY界隈で幅を利かせている窃盗団を検挙したりと、日常の仕事はただひたすら即物的なものが多く、そうそう屁理屈を持ち出す必要はないものばかり。それだけでは飽き足らず、勢い余って…都民の血税で買った備品やら個人の財産を相手に派手な器物破損までやらかしてるほどで、課長から連日のように警察官としてのそれよりももっと単純な倫理、すなわち“社会のルール”というものを説教されているほどでもある。おいおい ましてや、世界を股にかけている若島津らの活躍は…これまで沢山“一丁噛み”しはしたものの、一応は別世界の仕事ぶりなのだから、それは丁度、近所の金メダル候補へ“頑張ってね、応援してるからね♪”とエールだけ送るような、一種無責任とも取れる言い方になってもそこは仕方がない。その辺の理屈は若島津の側でも判ってはいるのだが、
「………。」
もうちょっと…何とか言いようはないもんかと感じてしまうのも、これまた判るでしょう? 皆さんにも。お仕事の管轄が違うからだとか、スケールだとかカラーだとかいう次元が別物だからだとか、そういう部分への“関係ない”だけじゃなく、それへと関わってる自分のことまで“関係ない”と言われたような。そんなような気がして、勢いを殺された格好になってしゅんと沈みかけた若島津だったが、
「俺に関係があるのはお前だけだからな。」
………おや。
「…っ。」
顔を上げると、たいそう和んだ眸と視線がぶつかった。
「どんな仕事だろうが、どんな覚悟が要る段取りだろうが俺には関係ねぇよ。俺が…その、関係あるからって気になんのはお前のことだけだかんな。」
そういえば…と今頃言うのも何なんだが、この日向刑事はこれまでの数々の騒動に対して…前々回の自分が担当していた事件絡みの『第五話』以外、事件の核心そのものには一切関心を示してはいないのだから穿っている。どひゃ〜。 あの『第四話』、R計画へ“若島津オリジナル”が巻き込まれた経緯が紐解かれた一件でさえ、関心はあったかも知れないが、参加動機は若島津ハジメちゃんが難儀をしてはいないかとそういう形で関わっただけだという傾向ふしがある。育ての親が言うのもなんだが、とんでもない主人公がいたもんで。そーかー、そんでこの人だけ、矢鱈と扱いにくかったんだな。おいおい 今更そんなことに気づいた迂闊な作者はともかく、
“…えっと。”
言ってから…言葉という形にすると結構恥ずかしい言いようだったなと、視線を外して照れたように日向は頭を掻いている。軽妙にまぜっ返してくれれば、冗談半分という代物に誤魔化せもしたものを、
「………。」
相手からの返事がないものだから、ますます照れてしまったのだろう。がりがりと頭を掻きながら、
「だから…いいな? 仕事だったらある程度は仕方がねぇんだろが、あんまり危ない真似はすんなよな。」
今回のお話のどっかで既に交わされませんでしたっけ、こんなやりとり。そして、それを傍で聞いていてあれこれ思い出してたハジメちゃんではなかったか…と、頁を繰ることをお勧めしようとしかかってた亨をも突き飛ばすように、
「はいっっ!」
そーれは“良いお返事”を返しながら、若島津が日向へガバッとタックルを仕掛けたものだから、
「ば…っ、こらっ!」
床へのスライディングをかけるよに狙い違わず胸元に飛び込んで来た温みは、そのまま両腕を背へと回し、肩先に顔を乗せて来て、鼻先にはやわらかな匂いのするさらさらの髪がかぶさる。最近“ラリアット”はかまされなくなったがあはは、この温みと匂いに抱きつかれるのは精神的なところでの動揺が大きいのでダメージは似たようなもの。床のカーペットの上へ座り込んでいて、唯一自由の利く部分として残された脚でじたばたともがく真似を見せたが…ここで思い出してもらいたいのは、この日向小次郎、一応サッカーの元・全日本代表である。本気でダンダンと床を踏み鳴らすほどの抵抗をしたなら、その強靭な足腰がものを言って、最悪 蹴り飛ばす形ででも相手を引き剥がすことは可能な筈。だのに、身じろぎ程度の抵抗しかしないということは…ねぇ? 皆さん。
“………。”
いくらなんでももうそんなに寒い時節ではない。日向なぞは気の早い半袖でいるくらいだというのに、陽溜まりの中で“ゴロゴロ♪”とまとわりつかれているのが鬱陶しくない。相手が殊更“触りたがり”なことへの背景は知っている。だが、では…それを撥ね除けられないのは、ただその事情を知っているから、だけなのであろうか?
“うっせぇよっ(怒)”
あんまり意味なくからかうと後が怖いし、何より話が進まんので、亨の冷やかしMCはこの辺で引っ込めるとして、
「俺が怪我したら日向さんに伝わりますもんね。日向さんを痛い目に遭わせる訳にはいきません。」
「こらこら。」
論点が違うぞ、ハジメちゃん。 若島津がしがみついていた腕を少しばかり緩めたため、丁度互いの身体の向きを逆にし合って並んで座っているという形になった。柔道の寝技の練習の構えにも似てるかもしんない。ああ、あれは背中をくっつけ合うんだっけか? こうまで間近から仔犬が“くぅ〜ん”と見上げてくるような大甘えな眸を向けられていることがさすがに照れるのか、
「大体、いつまであんな危ない仕事を続けるつもりなんだ?」
話題を変えようとちょこっと真面目な事を訊く。
「いくら腕っ節が強いからったって、なにも“やらなきゃいけない”って義理まではなかろうによ。」
この若島津が百万馬力の改造人間…もとえ。 途轍もない腕力自慢という身の上となったのは、何も自分から望んだことではないし、そういう処置をしなけりゃ生命の維持が危うかったという必須条件でもない。全ての謎が明らかになった今なら尚のこと、力仕事をしますから此処に置いて下さいという立場ではない筈だ。そんな無体な強制力はなかろうし、今更口封じも兼ねて彼の身を拘束しているICPO関係者の面々だとも思えない。元気でやってりゃあ口出しや手出しはしないで居られるところを、矢も楯もたまらず助けにと飛び出してしまうようなことばかりに関わっている彼であるのが、日向としては時々…柄になく心配にもなるのだろう。だが、訊かれた若島津はといえば、
「俺たちの任務って、実を言うとそれほど危険でもないんですよ。ちゃんとあれこれ…個々の能力だとか、綿密に計算され尽くしてますからね。」
けろりと言い返す。おいおい、その保証の部分は一体誰が計算しとるんや。
「それに、もっと大規模で危険極まりなかったり、後味の悪い罪深さ満タンな仕事は、俺たちみたいなエキスパートじゃなく、何も知らない人間がそれと気づかずにやらされてる場合が少なくはないんですよね。」
「? 何だ、そりゃ?」
「例えば“内紛”なんかがいい例でしょ? 素人もいいとこな市民同士、国民同士が戦いに手を染める訳ですからね。」
まあ…これはそうそう簡単なもんじゃなく、根深いものが前提としてある程度必要なので、操られて手掛けていると決めつけた言い方をするのはいささか乱暴だが。
「それは大仰だとしても…そうですね、国家規模の混乱なんてのは、例えばジノがたった一人で情報操作をすることで簡単に撹乱させてしまえるもんであって、実際に兵を起こして立ち回らなくてもいいんですよ。誰かがじたばた暴れるのではなく、デスクの前で指一本での手管で、国家が引っ繰り返るような混乱やら逆境に立ってる政府を救うような解決やらを導く事が出来る。」
それはジノさんほどの情報量と操作術があっての話だろうに、どこの誰にでも簡便なもののように思ってるところが凄い認識だねぇ。 ともあれ、彼の“そういうもの”への認識は、基盤自体への修正が施されない限り変わりようがないらしい。
「そういう日向さんこそ、刑事なんて危険な仕事を辞めないのはどうしてです?」
「…。。」
「こないだのキリン杯にだって出てたじゃないですか。もう参加しないとか何とか言ってたのに。」
「あれを観たか。」
「観ました。 初戦の決勝点になったダイビング・ヘッドなんて、カッコ良かったですよ♪」
にこにこと笑って言う若島津だが、日向としては…少々複雑な顔をする。この男には珍しくもどうやら照れ臭いらしい。それでなくとも“四年ごとに有名になる男”と署内でもからかわれている。日頃の暴走が丁度いいトレーニングになっているのかもなと、あの若林からまで言われた。
「警察(ウチ)の上層部ウエが協会からの圧しに負けたらしいんだよ。その…ファンからの嘆願書も山のようにあるんだからって言われたらしくてな。」
それと…今回みたく、職務の出先で何やかやぶっ壊されるよりはマシだというところなのかも。あっはっはっはっ この若島津ハジメちゃんはあいにくと、どれだけ熱心にサッカーに打ち込んでいた日向なのかを良くは知らない。それでも…話に聞いたあれやこれやから総合しただけで、日々を送る上での当然の伴侶であり必須条件であったものならしいと判った。酸素呼吸や日本語を操るのと同格なくらい、生活の根底にあったもの。それをそうそうあっさりと見切れるのだろうかと、ずっと…と言っても『Rの事情V』からだが。 それでも結構長いこと疑問に思っていたのである。
「全日本代表に選ばれたって事は、ちゃんと“あの日向小次郎だ”って眸を留めたり気づいたりした人が居たんでしょう?」
これはジノから訊いたことだが、日向が出た2回のW杯と、オーバーエイジ枠に推挙されて出たオリンピックに於いて、日本州代表はずば抜けた戦歴を残している。予選リーグではあったがイタリア州チームを負かしたことさえあったそうで、
〈そうかぁ…あの時の決勝点を入れたストライカーがシニョール日向だったとはなぁ。〉
ジノまでがそんな風に言って少々不満げな顔をして見せたくらいだ。
「日向さんさえその気になれば、どこのJリーグチームだって高給を保証してくれる筈です。年収1億で朝から晩までサッカーだけやってりゃ良いなんて、願ったり叶ったりな環境じゃないですか。Jリーガーが柄じゃないっていうなら、インストラクターとかコーチとかって手もあるし。どこかのサッカー名門高校の監督ってのも良いかも…。」
それは…某東邦学園中等部SCの北詰監督みたいになりそで怖いわねぇ。 若島津の言いように、日向はだが、ただ微笑って見せただけでムキにはならない。
「まるきり考えたことがねぇ訳じゃないけどな、今やってる刑事コレも結構面白いんだよ。サッカーの方にも念願のA代表って形で出られる立場になったんで、まあいいか…とな。Jリーガー組に訊いた話じゃあ、何かとタレントもどきなところがあって結構しんどいらしいし。」
「…そういうもんですかねぇ。」
子供の頃から打ち込んでいて、恐らくは四十、五十になってでもフィールドに立っていそうな技量と負けん気の持ち主だろうに、いきおいさばけた言いようをするのが、若島津にはますます飲み込めないようだ。
“亨さんがいきなりサッカーを持ち込んだから尚のことだよな。”
それは言わない約束よ。 正直なところ、どうしたもんかと迷いもしたけど、やっぱり切り離せない要素なんだもの。亨の思惑はともかく、
「あ・でも、もしも刑事さんを続けてなきゃ俺とは会えなかったかも知れないんですよね?」
若島津はそう言うと大きな眸を瞬かせ、
「だったら日向さんの気が変わらなかったことには感謝しなきゃいけないのかな?」
たいそう無邪気な笑みを口許に浮かべて見せた。こんな風な…甘えたり拗ねたりというのはさすがに行き過ぎだが…素直で真っ直ぐな感情表現というのも、オリジナルにはまず絶対に見られなかったろうものばかりだ。何しろ…オリジナルの方との日常のやりとりというと、
〈…ったく、一体何をどうしたらこれだけ散らかせるんですか。〉
〈うっせえな。俺には使い勝手が良いんだよ。〉
〈そんなこと言って、明日締め切りの都大会の申し込み書をこの中に埋没させて必死で探してるのは誰なんですよ。〉
〈やかましいっ(怒) 厭味を言ってる暇に手を動かせよっ(怒)〉
〈あんたよりは動かしてますよ。…あ、ほら。これは先週失なくしたって大騒ぎしてた、オルテガ=マキシマムの限定トレカじゃないんですか? せっかく勝くんがせっせと葉書を出して当ててくれたのを送ってくれたのにって。〉
〈若島津〜っ(怒)〉
知らない人間がここだけを垣間見たなら、すこぶる仲が悪い二人なのではないかと誤解すること請け合いな、丁々発止の連続でもあったのだから。
〈初戦の決勝点になったダイビング・ヘッドなんて、カッコ良かったですよ♪〉
さっき実に素直に喜んでくれた彼だが、あれが“若島津オリジナル”だったなら、
“あれって刻む歩数を読み間違えて失速したんでしょ? 顔から突っ込まなかったのはさすがでしたけどね。そのうち身体がついて来なくなりますよ?”
などと、それは見事に的を射た悪態をついて、ぐうの音が出ないこちらへ“ふふん”なんて笑って見せていたに違いない。
“見分けやすくなったよなぁ。”
おいおい、何を感心してますか。 このように、日向としては色々と感慨も深いところだが、そうは言うものの彼ハジメちゃん本人が変わった訳ではない。初対面の頃に比べると多少は?懐っこさが増しもしたろうが、もともと根本的なところがまだまだ子供で、その部分が…大好きな相手となった日向には屈託のない素直な顔として大っぴらに向けられるようになったまでのこと。そう…何かが変わったとするなら日向の方からの把握が落ち着いただけの話。まあ…こんなややこしい運命に遭遇し、その当事者になってしまうということ自体からして尋常ではないのだから、こんな風に穏やかにいられる順応力をこそ褒めてあげたいくらいであるのだが。それは嬉しそうな笑みを満面に浮かべて見上げてくる魅惑の顔容かんばせに、こちらもついつい…まんざらではないという緩みかかった顔で相対していると、
「あ、そうそう。」
若島津が何か思い出したらしい声を上げる。何だね聞いてあげやうじゃないかと、言葉要らずに眼差しだけで促した日向だったが、
「日向さんたち、▽▽地区を荒らしてる車上狙いの目処は立ってるんですか? ベンツとかフェラーリとかは丸ごと持ってかれてる荒っぽい強盗団でしょ。あれって、本拠がHONGKONG-CITYにある…。」
「あー、パスパスっ。」
途中からハッとして見せ、慌てたように手を振ってまでしてそれを遮るから、
「え?」
いいかげんな情報じゃないですよ? と若島津は小首を傾げた。それは日向とてよくよく承知。よくもそこまで細かいもんをとそういう意味で呆れるほどに、某国の国家予算の綿密な収支追跡から神戸市垂水区にお住まいの某OLの昨夜の夜食メニューまで望、元気か?というノリで、大きなものから小さなものまで彼らの情報ほど頼りになる代物はない。だが、だからと言ってそれに頼ることが完璧万全かというと、そうもいかないのが人の世の不可思議さ。
「お前らから貰った情報で動くと若林がうるさいんだよ。」
どこかしら渋い顔をして、日向はそうと説明した。
「逮捕しても どっから出て来た証拠ウラなのかってところでお前らの名前は出せん。それでってんで後からそこを固めるのに時間かけてる間に拘留期間が切れてみろ。釈放された容疑者は慎重になっちまうからもっともっと捕まえられなくなる。」
以前にどっかで出したことがあると思いますが、例えば「盗聴」によって得た情報は法的根拠が認められないから証拠にはならない。盗聴というのが不法行為だからで (これも『第五話』の84頁で書いたけど、暴力団や何やによる麻薬や拳銃の取引や密入国の手配といった重大な犯罪への“例外的処置”にあたる補助法『通信傍受法案』が99年に成立に運んじゃいましたね)、それと似たようなものだと考えていただくと判りやすいかと。つまり、選りに選って“証拠”そのものが微妙に『不確かなもの』扱いされてしまう訳ですね。
「…あ、そっか。」
この若島津=ハジメ=健ちゃんはおいおい そもそも隠密のような立場で立ち働いており、日頃そういう手法をこそ“当然のやり方”としている。加えて…先にも並べたが二十代半ばくらいという見かけに見合うだけの人生経験とやらを積み重ねてはいない身なため、精神構造がまだどこか白紙に近いほど幼くて、信頼を置いている人間の言うことをそのまま鵜呑みにしてしまうという未熟なところがなくもない。ほら、幼稚園に上がりたてくらいの子供は、親の言うことより先生の言った
ことを絶対だと順守するじゃないですか。ちょっと違うかな?ちょこっと
先の会話で、ジノの類い稀なる解析力に裏付けられたセッティングの手際をごくごく標準スタンダードなものだと解釈している節があったのが良い証拠で、下手をすれば…ジノの教育が徹底して偏っていたなら、途轍もなく冷酷無比な諜報員にだってなっていたかも知れないのだ。よって、実はちょこっと困った手順なんだぞという点に、こうやって説明されるまでピンと来なかったのは、ある意味仕方がないのだろう。これはうっかりしてました…と、失言を洩らしたその口許を押さえた若島津だったが、
「………。」
それをそうと指摘して諭した人間がこの日向だというのは、どこかで…彼という人物との間尺というか辻褄というかが合わないような気がして、
「…それって若林警部補が言った通りを言ってますね?」
ついつい訊いてみた。すると、
「まあな。」
ペロッと白状するところが素直なもんである。そーか、あの警部補なら釘を刺しときもするわなぁ。
「でも…若林さんなら、そのくらいの帳尻くらい、拘留期間内にちゃんと合わせちゃうんでしょうに。」
「だよな。」
おいおい、日向さん。
「我儘なんですねぇ。」
「…ちょっと違うぞ。」
まったくだ。
「じゃあ、その一件が片付くまではお忙しいんですね。」
自分から提供される情報は使えない彼らだということは、まだまだ何かと地道な取り調べが続くのだろうから…と、そのゴールの遠さを思ってだろう。若島津はどこかしら残念そうな顔をする。
「ん〜、言うほど拘束されとる訳でもないけどな。」
現にこうやって夜勤明けの非番の昼下がりをのんびり堪能出来てるほどだ。こっちのスケジュールがどうかしたのか? と言いたげに見やれば、
「この事件が片付き次第、俺たちは一応の“オフ”に入るんですけれど、ジノが“久し振りに実家へ戻ってみようかな”なんて言い出しましてね。」
「ふ〜ん…?」
日向からのリアクションの語尾が、微妙によじれた揚げ句に“?マーク”に辿り着いたのが、若島津の側にもよくよく納得出来るらしい。そーか、実はジノさんの方が“奥さん”だったのか。(『Rの事情』某頁参照ってか?おいおい)そうじゃなくって。
「…実家?」
「珍しいでしょ?」
ジノとてまさかに木の股から生まれた訳ではなくって、両親は健在、妹も居るし、その他の親族一同もイタリア州の各地でそれぞれに平凡ながら幸せに暮らしているとかいう話を、確か前々回辺りで述懐させたような気がするんですがね。前回に至っては、母方の親族はフランス州にいるとまでご披露したような。それでも…彼とそういった“家族”というものとが、何故だかイメージ的にすんなり繋がらないのだ。よく気がついて、はんなりやさしくて、社交的な礼儀だってわきまえていて。マナーだの思いやりだの、対人に於ける基本を自然なものとしてしっかり身につけているということは、満ち足りた家庭で育った証しでもあろうに、思えば…これまでおよそ“家族”という匂いのするものを一度も示したことがなかったジノでもある。彼本人が今現在の仲間たちをこそ一番の“家族”と解釈しているからだろうか。
「…で、良い機会だから、全くの保護者なしで何日か過ごしてごらんって言い方するんですよね。」
本人の骨休めのための方便ダシにされたとでも思ってか、不満げな言いようをする若島津だが、
“そういう解釈をされるような言い回しを選ぶ辺り、あいつも大変だよな。”
日向としては…彼ジノが良く良く考えた上で、若島津への負担にならぬよう、いっそ自分に損な感慨を招くような言いようをしたらしいというのが判るらしい。どうしたの、いきなり気ィ遣うようになったりして。お天道様が甘さに負けて水あめの雨でも降って来たらどーすんだ…なんて無責任な言いようでお茶らかしてはいけない。おいおい これもまた日向の側の所謂“親心”の発露のようなもの。自分も多少は…部分的には“親”であるらしいうーん この青年だのに、直接手を焼き骨を折り、身を粉にして育ててくれているのはあのジノである。誰にも言えない(言えやしない。)ことなれど、そういう把握になったればこその理解というのか認識というのか物の見方というのがあって、ついつい贔屓目とでも言うのだろうか、庇うような眸で解釈してしまう日向でもあるらしい。…相変わらず、毛色の違う路線をひた走るお話であることよ。う〜ん。
「まあ…休みになるってんなら、俺は構わんから居たいだけ此処に居れば良いさ。」
日向としては無難に言ったつもりだったが、
「はいッ♪」
途端に若島津がそれはそれは嬉しそうな顔になったから…やっぱり変なお話なんだろうな、これ。う〜ん、う〜ん。 と、そこへ、
「…あ。」
ガチャンと玄関の重いドアが開く音が聞こえた。早番だった松山が帰宅して来たらしく、
「いい匂いがしてるから、お前が来てんだなとは思ったが。」
スリッパをすたすたと鳴らしながら廊下を通ってリビングまで足を運んで来たそのまま顔を出す。それへと微笑って、
「お帰りなさい。お昼ご飯、出来てますよ? アジのカレー味フライと春雨の酢の物なんですけど、お嫌いじゃないですか?」
本日のシェフがにこやかに訊いた。勿論、その他にも…ウズラ玉子と椎茸と一口豚ヒレ肉のミニ串カツに、鶏のじぶ煮、モヤシとチクワのおみそ汁に、グリーンサラダ。加えて旬のサヤエンドウを使った豆ご飯という豪華なラインナップ。
「お嫌いどころか大好物だ。」
にんまり笑う松山に、
「じゃ、温めますね♪」
こちらもにっこり微笑い返して機敏に立ち上がり、キッチンへと向かう。そんな若島津の後ろ姿を見送ってから、
「…お前も相当抵抗がなくなって来とるのな。」
おもむろに訊いた松山へ、
「? 何が?」
何を差してのことだかが判らず、訊かれた日向が怪訝そうな顔をする。リビングを大股に横切り、自分の部屋へと腕に引っ掛けていたジャケットを放り込みながら、松山は短く付け足した。
「あいつのくっつきたがる癖に、だよ。」
さほどのしかめっ面ではないところからして、松山自身も自分に降りかかって来ないならという方向で慣れて来つつあるらしい。何しろ、身を寄せ合うように向かい合って座り込んでいたその互いの手が、片やは相手の膝の上、片やは相手の身体の向こうの床についていたほど…という構図は、今日日きょうび、恋愛映画のポスターでもなかなかお目にかかれなくなったほどの睦まじさであり、
「ああ…まあな。」
訊かれた日向の側にも今更焦るような様子はない。最初のまま…あの“若島津オリジナル”の続きだと思い込んでいたなら、可愛げやら人懐っこさやらが違和感満開で、いちいち凍りつくなりぶっ飛ぶなりしていたろうが、彼かの親友の遺した息子のようなものだという認識が生まれてからこっち、まとわりつかれるのへ段々と抵抗がなくなってくる彼であるらしい。何たって血肉を分けた“お父さん”ですもんねぇ。
“…っ(怒)”
あ、違うや。“お母さん”だった。(『第四話』完結編 142頁〜参照)
“…っ(怒)×2”
判ったから睨むのはやめたまい。
“けど…。”
はい?
“俺とあいつとは詰まるところ同じ細胞だから、磁石みたいな働きがあってくっつきたがるのかな?”
さあ…どうなんでしょうねぇ。
「おいおい」
亨とのごちゃごちゃはともかく、要らない誤解は解いておくに越したことはない。
「安心しろ。訊いたところじゃ、あいつの“アレ”はヘルナンデスと俺にだけ発揮されとるらしいし、俺だって誰にでも平気な訳じゃねぇから、お前には間違っても抵抗がなくなるってことはない。」
「…それは助かるぜ。」
おいおい、怖いくらいの本気の真顔を突き合わせて、なんて事をわざわざ確認し合ってますかい。 一方、そんな彼らの会話やりとりには当然気づかなかったらしい若島津が、
「あ、そうだ。こないだ珍しい人に逢いましたよ?」
温め直しからそのまま松山へのお給仕につくらしいキッチンから、日向へとそんな声をかけて来た。
「珍しい?」
自分に報告するくらいだから共通の知己だろうが、それが双方ともから“珍しい”という分類をされるとなるとかなり限られてくる。南米の皇太子か、それともあの人騒がせだったフランス州の伯爵様か、その辺かなとアタリをつけていると、
「えっと…高田さん。高田みづえさん♪」
何の頓着もなくそう告げられて、
「………☆」
ガタタッとマガジンラックを蹴飛ばすほど、それは判りやすくコケた日向である。
“和哉さん、こいつにはその名前で通す気かな。”
皆さん、覚えていらっしゃいますでしょうか。第四話にて初登場なさった、あの“若島津オリジナル”の実の兄上のことを。選りにも選ってアミュイ伯爵の秘書を務めていて、何かしら謎めいたごちゃごちゃをまだまだ抱えていそうな伏線を、前作の終わり際に張ってって下さったことを…いえ亨も忘れてはいませんが。
「フランス州でお逢いしたんですよね。何でもあっちにお仕事の本拠を移されたとか仰有ってましたよ。」
大振りの茶碗にグリーンピースもつややかなご飯をよそって松山に手渡しながらそう続ける若島津だが、日向の方はそれどころではない。ホントのところを言えないのは、間違いなくこっちが勝手に構えた負い目。とはいえ、これからもそのインパクトへこのリアクションを繰り返すのは真っ平だ…とでも思ってか、
「あのな、あの人の名前は“みづえ”じゃなくって“和哉”っていうんだよ。」
わざわざ…さっき若島津が空間の論理を説明するのに使ったチラシに、マジックで『和哉』とでかでかと書いて見せたから、
「ええ? だって、ご自分でそう仰有ってたじゃないですか。」
こらこら、おしゃもじを口許に寄せて“若奥さんのポーズ”を取るでない。おいおい
「あれは…俺を相手にふざけてただけだ。」
「なんだ。えっと、和哉さんですね。かずや、和哉、うん。覚えました。」
わざわざそうやって覚えているのが、日向には久々に手痛い光景だった。自分のことはどういう奇跡か覚えていてくれたが、それ以外の知己のことは何ひとつ“知らない”彼なのだ。科学的な理屈で言うなら同じ機体でありながらメモリーを全て書き直されたワープロやパソコンのようなもの。容器の材料が同じなだけで中身はまるで別人なのだから当然のことなのだが、こうまで似ていて血も肉も同じだのにと思うにつけ、その顔の人間なら知っている筈なことを未知だとされるたび、自分の存在を否定されるような気分になるに違いない。どうでもいい相手ならともかく、和哉にとってはきっと大切な肉親だろうに。“今のこいつのことまでちゃんと知ってたほどなんだもんな。”
彼がどういう“生まれ”なのかは、天下のICPOの内部でもかなり限られた人々にしか知られていないところの“超極秘機密”であるというのに、あのお兄さんはそこまでちゃんと把握していた様子で、
“………?”
はい? どうしました? 日向さん。
“なんで知ってたんだろ、和哉さん。”
…はあ?
“あいつがどういう経緯いきさつに巻き込まれたのかが気になったからってだけで、普通の人にそこまで追えるもんかなぁ。”
……………。
“? どうした? 亨さん。”
いえ、ちょっと…。久々の手ごたえというか、何でこんな半端なところで…。あんたってホンットに…マイペースっていうか、何んてのか。
“???”
良いんですよ、気にしないで下さいましな。そんなあらぬ方を見て怪訝そうな顔してると、ハジメちゃんが何事だろうかって心配しますよ?(笑)
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