ES細胞
  「全能性」か「多能性」か、再生医療が私たちに問いかけるもの

3. 再生医療は莫大な利益
 
 
ヨーロッパの諸国では、生命の始まりに関する問題に対してたいへん神経質です。人の胚は神から与えられた生命であるから傷つけることは許されません。まして、胚の廃棄は絶対に許されない。カトリック教会は断固として立ち向かっていますし、国民の間でも論議を呼んでいます。こうした背景があるから、研究者の間でも宗教論や倫理と科学的発展、医療の充実という様々な視野で論議していこうという万全の姿勢があるわけです。
 

  アメリカの場合は研究の自由ということがとても強くある国ですから、国家による規制というものをたいへん嫌います。しかし、ブッシュ政権成立後、二〇〇一年一月末に中絶胎児や体外受精時の余剰胚の研究に対して国家の予算を出さないと名言し、人の胚の研究やクローンについて厳しい姿勢を打ち出しています。
 

  こうした世界的な動きのなかで、日本はどうするかが問われているわけです。かつての脳死臓器移植の問題は、いろいろな議論が起こりました。それは、脳死問題は、皆、当事者になる可能性があるからです。自分なり、自分の近しい人が病気になったとき、脳死による臓器移植を認めるか否か、そのことが一人一人に問われる。そこで、非常に豊かな議論になったと思います。
 

  ES細胞の問題は、手に入りにくい臓器は作って取り替えてしまおうという、まさに臓器移植に対する代替案であって、勿論臓器移植だけに福音をもたらすものではなく、色々な可能性をもった医療として考えられていますが、助からない病気の人を助けてあげる方法という点で、二つはかなり似ています。移植と生殖、「いのちの終わり」と「いのちの始まり」の違いはありますが、人間の生きざま、生きるあり方を根本的に変える問題です。脳死の時のような真剣な議論があってしかるべきです。
 

  しかし、これがあまり盛り上がっていない。一つの理由として、あまり議論にならない方がいいという雰囲気も感じております。というのは、これは、国家の産業政策に深くかかわっており、世界の競争に負けないようにすすめなければならない。考えてみれば、臓器移植というのは、大変コストがかかって経済的な利益は少ないが、再生医療は、特許をたくさん取って莫大な利益をたくさん産むと考えられます。ES細胞を使って、いろんな臓器を作る。これにバンクができれば値段がつく。欲しい人はどれを選ぶか、そのようなことが起こる。
 

  これは国家間競争が問題を加速化するわけですが、科学技術が利益に引きずられやすいという根本的な欠陥に対して、私の倫理感の焦点があります。



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