ES細胞
  「全能性」か「多能性」か、再生医療が私たちに問いかけるもの

5. 「生命の萌芽」という見方

 まず、赤ちゃんとなる人の胚を研究医療目的に破壊することは許されるのかといった問題です。「基本的考え方」で次のように報告されています。

 「我が国においては、体外受精の結果得られ、子宮に移植される前のヒト胚について、現在のところ民法上の権利主体や刑法上の保護の対象としての法的な位置づけはなされていない。しかしながら、ヒト胚は、いったん子宮に着床すれば成長して人になりうるも  のであり、人の発生のプロセスは受精以降一連のプログラムとして進行し、受精に始まるヒトの発生を生物学的に明確に区別する特別の時期はない。したがって、ヒト胚はヒトの生命の萌芽としての意味を持ち、ヒトの他の細胞とは異なり、倫理的に尊重されるべきであり、慎重に取り扱わなければならないと考えられる。」

 「上記のように人の生命の萌芽としての意味を持つヒト胚を、人の誕生という本来の目的とは異なる研究目的に利用し、滅失する行為は、倫理的な面から極めて慎重に行う必要がある。ヒト胚の研究利用は一切行われるべきではないという見解もあるが、ヒト胚性幹細胞の樹立のように、医療や科学技術の進展に極めて重要な成果を産み出すことが想定されることも事実である。以上の点から、ヒトの生命の萌芽として尊重されるべきという要請を考慮した上で、医療や科学技術の進展に重要な成果を産みだすため研究の実施が必要とされる場合には、不妊治療のために作られた体外受精卵であり廃棄されることの決定したヒト胚(余剰胚)を適切な規制の枠組みの下で研究利用することが、一定の範囲で許容され得ると考えられる。」
 

  ここでは、胎児になる前の「胚」の段階(エンブリオ)については、まだ人のかたちが定まっていないという理由から、「生命の萌芽」という見方をしております。
 

  つまり、生命の萌芽は生命そのものではないから、体外受精の時使われなかった余剰胚は捨てられる。それを廃棄といいますが、どうせ捨てられるなら研究利用しよう、ということです。「使えるものは使う」という科学者の感覚です。人のいのちとなるはずのものは、どれほど小さなものであろうと、人の心やからだとなるいのちの萌芽である。したがって基本的には人であり「モノ」のように扱うべきではない。

 

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