ES細胞
  「全能性」か「多能性」か、再生医療が私たちに問いかけるもの

6. 「胚」は沈黙の世界

 人の胚から取り出されたES細胞を動物の胚に入れると動物と人のキメラができる。白の猫と黒の犬を混ぜると猫と犬の間の白と黒の混じったようなものができるということですが、キメラというのは掛け合わせるのではなく、すでにできた犬の細胞に猫のES細胞を入れれば、猫の様子がどんどん犬の中に発展していくということです。
 

 つまり、人の受精卵から取り出したES細胞を、動物の胚に入れると、動物と人のキメラができるということです。人間の要素を含んだ動物は人間の亜種ということです。人間の亜種をつくるということは、とてもグロテスクなことです。ここが全能性という語の意味を問うた根拠の一つです。
 

 ES細胞はあだやおろそかにできない、非常に大きな注意が必要です。
 「基本的考え」では、次のように報告されています。
「樹立されたES細胞を使用する研究においては、現在のところ核移植や他の胚との結合等を行わなければ個体発生につながることはなく、人の生命の誕生に関する倫理的問題を生じさせることはないが、ES細胞の由来するところに鑑み、慎重な配慮が必要である。」
 

 人のES細胞を入れた猫が大人になったら人間の要素をたくさん含んだ猫ができるから、胚の段階の研究にとめておけばよい、という考えです。
 委員会では、「ES細胞をすべて人に近いもの」といわないでくれと研究者の方から言われましたが、少なくとも素人かみればES細胞そのものが倫理的に大きな問題だと言わざるを得ません。余剰胚というものを他人からもらって、そこからES細胞を得るわけですから、提供する人にはそのことについて知る権利があります。
 

 もちろん、インフォームドコンセプトの上で、夫婦が提供するかしないかを決めるわけですが、これをもってお墨付きのようにいろんな事が許されるというものではないと、私は思います。
 

 臓器移植の場合は、当事者がいて、自分の権利を主張したり意見を述べたりすることができます。 
 

 しかし、胚の世界は沈黙の世界ですから、当事者というものが非常にわかりにくい。そこのところが、これまでの考え方の枠ではすすめられないところです。私は、胚とは何か、ES細胞とは何か、そこのところがもっと広く議論されなければならないと思うのですが、委員会でも、マスメディアでも議論がすすんでいません。


 

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