医療は地域文化-医療と仏教- (3)

田畑正久 (佐藤第二病院医師) 

 ●医師として三十年間

  私は医師という職業を選んだのですが、学生時代に浄土真宗の師との出遇いがあり、聞法を続けながら消化器外科の仕事に従事してきました。最近の十年間は、田舎の公立病院の院長として管理職を務め、いろいろな経験を積ませていただきました。二〇〇四年四月より、再び一医師として働きながら、「仏教と医療の協力関係」の構築に向けた取り組み 三十年間、医師として働いてきて思うことは、よくなる病気はよくなる、よくならない病気はよくならない″ということです。よくなる病気に対する医療関係者の対応は、治癒を目指して取り組みます。それで、多くの疾病は治癒していくのです。しかし、病気か、老化現象と考えるべきなのか、境界のはっきりしない病気も増えてきています。

 人生の全期間をみるという視点からいえば、医療の仕事は結果として、老・病・死の一時的な先送りをすることであると思われます。よくなる病気に対しては、最新の知識と技術で努力しなければならないが、それも自然に備わる治癒力の上に乗っかってできることであるという自覚が大切だと思うのです。一方、よくならない病気に対して、私を含めて医療界の取り組みはどうであったのか。緩和ケアに関しての知見が増えてきたいま、振り返ってみると患者の苦悩を少なくするという取り組みが 「十分ではなかった」という反省が出てきます。

 

 ●患者との対話

 昭和六十年代、癌という病名を患者には言わない″という雰囲気が、まだ日本の医療界を包んでいたころ、私はある国立病院で仏教系のある短期大学長の胃癌の手術を担当しました。癌という事実を告げないままの治療でした。進行癌であり、数年後再発をしました。患者は学者で、念仏もされている人でした。家族と相談したうえで、本人に知らせたほうがいいと判断して、病名、病状の事実を告げることになり、主治医による説明がなされました。当時は、日本の医療界も、少しずつ癌の告知がされるようになっていました。

 報告をもらった後、私は患者を病室に訪ねてびっくりしました。それは、患者のことでびっくりしたのではなく、自分のことでびっくりしたのです。臨床経験も十五年以上積み、外科の責任者として仕事を切り盛りして、それなりに自信をもてるようになっていたときのことでした。癌という病名を告げた後、私自身、患者との対話ができないのです。それまでは本当の病名を告げずに、いわば嘘≠言って患者との一時的な対話をしていたのです。少々のことにはごまかしの訓練を積んでいて、種々の患者の訴えには、即座にそれなりの答えをしていたのです。

 ところが、本当のこと″を言った後の対話についての訓練がまったくなされていなかったのです。私は学生時代から細々とはいえ、開法を継続してはいたのです。しかし、言葉を失うとはこのようなことか、と惜然としました。その短期大学長(患者) の著作の内容の話で、何とか間はもたせることができましたが、本当にびっくりしました。まして、宗教と縁のほとんどない多くの医師のことを思うと、これは大変なことだと直感しました。死がイメージされる病名の事実を告げた後、対話をどう進めるかは、日本の医療界の未経験の領域だったのです。

 その後、医療界での対話の訓練は十分なのでしょうか。温かい対話が十分になされているか気になるところです。


 
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