モザンビークの歴史と食糧増産援助

 

1.モザンビーク共和国概要

  • 面積:80.2万ku(日本の約2.1倍)
  • 人口:1800万人
  • 首都:マプト

2.歴史的背景

1629年 ポルトガルの支配権確立
1962年 タンザニアにおいてモザンビーク解放戦線(フレリモ)結成
1964年 フレリモ武装闘争開始(以降10年にわたる植民地解放闘争)
1974年 宗主国ポルトガルのファシスト政権がクーデターにより転覆
1975年 モザンビーク人民共和国として独立(初代大統領マシェル)
1977年 南ローデシアにおいてモザンビーク民族抵抗(レナモ)結成後、「破壊工作」開始
1980年 南ローデシアがジンバブエとして独立。引き続きモザンビーク内戦には南アフリカが介入(不安定化工作)
1983年 干ばつ。日本の食糧増産援助開始。初年度は2.2億円。
1984年 食糧増産援助4億円に。
1985年 食糧増産援助5億円に増額。
1986年 食糧増産援助9億円に増額(以降93年まで9億円)。
1980年代後半、 内戦激化
1992年 和平協定調印(フレリモ政府及びレナモ)
1993年 国連モザンビーク活動(ONUMOZ)展開開始&難民・避難民の帰還開始
1994年 初の複数政党制議会及び大統領選挙実施(フレリモ勝利)
カンボジアに次ぎ、日本の自衛隊のPKO派遣。食糧増産援助10億円に増額
1995年 食糧増産援助10億円
1996年 2KR資機材の未配布、見返り資金積立不足などの問題が顕在化。食糧増産援助6億円に減額
1997年 食糧増産援助6億円
1998年 前年度2KRの関税支払問題などが解決されず。98年度以降の食糧増産援助は中止
1999年 二度目の選挙実施(フレリモ勝利)
2000年 マプトに日本大使館開設(99年以前は周辺国の大使館が兼轄)
大洪水に襲われ被災者200万人。復興援助の中で2KRが検討されるが実施は見送り
2001年 中部地域での大洪水。被災者46万人
2002年度以降の食糧増産援助について「再開することを検討しているとの事実はありません」(外務省)

15年間(1977年―92年)にわたる武力紛争の犠牲者は百万人。総人口1/3が難民・避難民化したといわれる


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