モザンビークにおける2KR問題の整理

○◎ モザンビークへの2KRの始まりは
◎○ 外交政策の貧困から始まった

日本政府がモザンビークへの食糧増産援助を開始した年、1983年モザンビーク国内は政府軍と反政府ゲリラによる武力衝突が全国的に拡大し、多くの人々が居住地に留まることもできずに難民となり、また多くの命が失われた年でした。このような、農業が営まれる状況になかった時期に日本政府は化学肥料・農薬・大型農機具の支援を開始したのです。

1983年開始時(2.2億円)より、モザンビークへの2KRの年間総額は84年4億、85年5億、86年9億と毎年増額され、その後の8年間毎年9億円を拠出していますが、この時期は与党フレリモが社会主義を放棄して、西側寄りに政治路線を変えていく時期と重なります。私たちモザンビークネットが情報公開法のもと開示請求をした外務省の内部文書には、対モザンビーク2KRの「外交的効果」として次のように書かれています。

『独立以来東寄りの国であったが、近年西側傾斜を特に顕著にしている。本年(1984年)3月には同国外相も訪日し、日「モ」関係拡大を要請しており、本件援は対「モ」外交を展開する上で極めて効果的である』(84年の文書から引用)『(前略)本件援助はモザンビーク政府の期待するところも大きく外交的効果は大きい。特にかかる援助はソ連はじめ共産主義諸国は実行が難しく、西側陣営に属するわが国との協力の重要性を認識させる外交上の効果は重要である。南ア問題との関連もあり近年南ア周辺国(フロントライン諸国)への援助の必要性がさけばれており、特に経済再建に意欲的に取り組んでいるモザンビークへの援助については各国とも重要性を認めている。その中で我が国がモザンビークに対し同国にとって当面最も重点をおくべき食糧生産の増進に毎年相当額の援助を行っていくことはPR効果としても大きい。モザンビークと密接な関係にあるジンバブエに対しても我が国の南部アフリカに対するコミットメントとして波及効果は大きい』(89年の文書から引用)対モザンビーク2KRはこうして「効果的な」外交手段として、大量の農業資材を、紛争でインフラが深刻に破壊され、多くの人々が難民化している国へと、送り込むことになったのです。モザンビーク国内の紛争は92年の和平合意まで続いていたのにもかかわらず、毎年数億円相当の農薬・化学肥料・大型農機具がモザンビークへ送られました。本来、2KR物資は、被支援国政府が国内市場で販売します。被支援国政府はその売上金を一定額積み立て、その積立金(見返り資金)を経済社会開発予算にあてることを、日本政府は2KR支援の際に相手国政府に義務付けています。しかし、戦火を逃れ、難民となり、日々をなんとか生きのびようとする中で、誰が農薬や化学肥料、大型農機具を購入できたのでしょうか?日本政府は紛争解決・平和構築といった外交にこれらのお金を使い、一人でも多くのモザンビークの人々の命を救うことはできなかったのでしょうか?人々が武力闘争に巻き込まれ命を落としていく最中、これが本当に「効果的」な外交手段だったのでしょうか?

○◎ 行方不明の資材
◎○ そして存在しない記録

83年〜91年の間、モザンビークは内戦下にありました。この間2KRで供与された資材の行方に関して、日本政府はほとんど把握していません。私たちモザンビークネットとの2001年11月8日の会合で、外務省経済協力局無償資金協力課小原課長は「内戦下のモザンビークにおいて2KRの農薬は8割は配られたのではと推測する」と語りました。しかしその根拠は、デンマーク政府が近年モザンビーク国内の期限切れ農薬を回収したときに、「これは日本の2KRではないか」と言われたものを見ての推測にすぎないとのことでした。過去の2KRの実績の推測根拠は、他国政府の最近の指摘であってそれ以上は全くわからないそうです。この期間内の見返り資金に関して、モザンビーク政府は口座を持って管理していたわけでもなければ、この資金に関する記録さえ存在しません。小原課長の言い分では「モザンビークでは、83年から86年までは商務省というところが2KR関連の対応をしており、その後大蔵省、97年からは農業農村開発省になり、記録も残っていないことから、追跡調査をすることは難しい」と言います。しかし、それは今やることなのでしょうか?本来単年度ごと、その都度、供与物資の配布状況を把握し調査する必要があったのではないでしょうか?小原課長はしきりに「相手国政府のガバナンス能力」を問題にします。受入国の体制の問題であったというのです。しかし、10年以上にわたって、紛争状態のモザンビークにおいて、モザンビーク側の2KR資材に対する需要や2KR実施体制などに関して把握もしないまま、毎年大量の2KR資材を垂れ流しした日本政府に非はなかったのでしょうか?JICAのホームページには2KRに関して下記の記述があります。『要請された資機材品目の妥当性については、主に以下の基準で検討されます。

  1. 要請された資機材(肥料、農業機械、農薬)の使用目的がその国の食糧増産計画に沿っていること。
  2. 要請された資機材の配布計画、活用体制が明確であること。
  3. 肥料については、その国と日本両方の各種法律に違反しない品質および安全性を確保していること。

農薬については、環境面への配慮から「安全性が日本あるいは国連食糧農業機関(FAO)、世界保健機関(WHO)などの基準を満たしているか」、「安全性に関する法的整備がなされているか」など、慎重に検討されています。』

現在配布されずに倉庫に山積みとなっている期限切れの農薬が、現地の環境や人々の健康に深刻な影響を与えようとしています。この内戦の間そして和平合意後も継続して実施された日本の2KRに関して、今上記基準の2と3が大きく問われているのです。

○◎ 環境と地域の健康に
◎○ 日本の支援が与える影響

1997年2月に日本政府はモザンビークへ食糧増産援助実施状況を確認するための調査団を派遣しています。平成8年度モザンビーク国食糧増産援助実施調査団概要報告書には、その調査団がモザンビーク農水省防疫局を訪問し、オブソレート農薬(期限切れ農薬)問題に関して聞き取り調査を行っていることを明記しています。その文中には『推定500トン程度の農薬の在庫があり、その半分はオブソレートであると推定される。』とあり、つまり日本政府はその時点で既にモザンビーク国内での農薬の在庫過多及びオブソレート農薬問題に関しての認識があったことになります。しかし、これらの認識があったにも関わらず、98年3月に日本政府は再度モザンビークへの2KR支援を決めており、その中に農薬も含まれていたのです。

そして、その98年3月に締結した97年度供与の2KR資機材に関して、私たちモザンビークネットとの2001年11月8日の会合で、外務省経済協力局無償資金協力課小原課長は『2000年2月に調査を行ったところ、そのほとんどがはけていなかった』ことを認めました。

97年の時点で既に大量の期限切れ農薬を抱えていたモザンビークは、デンマークの政府開発援助実施団体であるDANIDAと共に期限切れ農薬回収・処分プロジェクトを開始、900トン分を全国から回収しました。農薬は種類によって処分の仕方が異なり、例えば有機塩酸系は焼却してしまうとダイオキシンが発生してしまうため、処分は慎重に行わなければなりません。回収した期限切れ農薬はMatolaのセメント炉で焼却処分される予定でしたが、国際的な環境NGOや地元NGO・住民が反対デモを繰り広げ、デンマーク政府及びモザンビーク政府に抗議した結果、99年5月一時的にこの焼却プロジェクトは停止されました。未来のモザンビーク住民と地域環境を守るために、地元NGOは引き続きモザンビーク国内での期限切れ農薬焼却処理に反対、ドナー各国による供与分に相当する期限切れ農薬の持ち帰りを主張しています。期限切れ農薬に関わるコストとは莫大なものです。期限切れ農薬の支援相当額とはつまり他の支援に使われることができたにも関わらず期限切れ農薬として一切利用されず無駄に帰したコストですし、前述の地元環境や住民に及ぼす影響もコストであると言えます。また農薬を送るのにかかった輸送費や梱包費、燃料費、現地での倉庫代などもコストですし、その処理にかかる諸費用も出てきます。DANIDAの報告書『Review of the "Project Concerned withDisposal of Obsolete Pesticides in Mozambique". May 2000』によれば、実際に期限の切れている農薬を処理するには、国内での港への輸送及び梱包などに1トンあたり約1800ドル、そしてモザンビークの港から第三国への輸送及び第三国での処分に約1000ドルかかるといわれています。これら莫大なコストを伴う期限切れ農薬の一部は明らかに日本の2KRによるものなのです。

日本が過去2KRの一環として供与した農薬の中には、毒性が非常に強く危険度の高いものや環境ホルモンが懸念されるものなどが含まれています。例えば88,89年度供与のモノクロトホスとは、別名Azodrinと呼ばれる有機リン系の殺虫剤で毒性が非常に強く、WHO(世界保健機構)の基準では、1B(Highly Hazardous=「非常に危険」)のグループに指定されているものです。タイ政府はその危険性のため、1999年にこの農薬の使用を全面禁止したほどです。ベノミル(90,91,93,94年度供与)及びマンゼブ(87,89,91,93,94,95年度供与)はいずれも環境ホルモンとして問題視されているもので、これまた人体や生態系への影響が懸念されます。その他、フェニトロチオン(86,93,94,96,97年供与)は、天敵を無差別に殺した後、抵抗性を獲得した害虫が激発するという現象を引き起こしてしまう農薬であり、これは将来の農業生産をおびやかす可能性さえあるのです。

外務省経済協力局無償資金協力課で2KRを担当している小林課長補佐(2KR担当)は、『(2000年2月に確認された倉庫に山積みとなっている農薬中日本の2KR供与分は)97年の分で、それも50%はなくなっています。』と言います。うち国家防除及びデモンストレーション用に30%、あとは市場に流通されたと小林氏は言いますが、そもそも多くの農薬の期限は通常2年と言われています。97年度に締結され、99年にようやく現地へ入港した農薬の多くは、2001年末の現在期限切れか期限を迎えようとしていると思われます。これらを去年の調査以降無理にモザンビーク国内へ流通・消費させているのだとしたら、非常に危険であるといわざるを得ません。

そして日本政府はそれらの期限切れ農薬の処理はあくまでもモザンビーク政府の責任であるという主張を繰り返しているのです。

○◎
◎○ 誰のための援助か

外務省ではODAに関するHPを持っており、そこでは食糧増産援助は次のように定義されています。『後発開発途上国の食糧自給増産計画を対象に実施する無償資金協力の一つ。農業関連物資を購入するための資金を供与するが、対象となる作物は米、麦類、豆などの主食用食糧と、栄養摂取に役立つ野菜類の基礎的食糧に限定される。』つまり、2KRはあくまでも食糧生産が対象となっているのです。

他方で、私たちモザンビークネットの間で開かれた2001年11月8日の会合で、モザンビーク北部では配布された農薬のうち8割が綿花プランテーションに配布された事実を外務省及びJICA担当者は認めました。食糧増産援助目的の農薬が大規模綿花企業に配布されていたのです。同会合で外務省経済協力局無償資金協力課で2KRを担当している小林課長補佐は97年度供与分5億円相当の農薬のうち半分ははけており、うち3割はデモンストレーションとして使用されたといいます。単純計算で7500万円相当がデモンストレーションに費やされ、つまり農家の手にはこの分の農薬は一切手に渡っていないことになります。

94年供与分の農業機械が未配布のまま、95年にも同種の機械が供与されたケースもあり、この結果94・95年に供与された農業機械は在庫として残ったままでした。名目上食糧増産支援を掲げ、しかしその実農家の人々の手には届かない支援。では一体誰のための援助なのでしょうか?私たちは過去の対モザンビーク2KRに関する文書を開示請求いたしました。そのうちの85年度2KR肥料支援に関しての在ジンバブエ日本大使館による外務省宛て電信には『モ政府が肥料を迅速に利用したいため「随意契約」を希望した』とあります(85年12月27日)。そしてこれに対する外務省の返答は『本件肥料を随契として差し支えない。なお、本件肥料の取り扱い業者として、三井物産を指名するので、右「モ」側に通報の上、速やかに随契交渉に入るよう指導ありたい』(86年1月6日)ということでした。

随意契約とは、競争入札を実施しないで、特定の企業・団体との契約を行うことです。公共事業は競争入札が原則ですので、競争入札を実施しないで、特定の企業・団体との契約を行うことは基本的にあり得ないはずです。過去の実績や特定団体・企業に蓄積されたノウハウの重視からの随意契約ではなく、競争入札を行う手間を省くためだけの随意契約を希望するモザンビーク側の理屈もおかしければ、何より外務省が三井物産を公然と指名している事実も不可思議です。

1998年12月31日朝日新聞の調べで、食糧増産援助のうち肥料を納める商社を選ぶ競争入札で、三菱商事、三井物産、住友商事、日商岩井、丸紅の大手総合商社五社が中心となって談合を繰り返していたことが明らかになりました(1998.12.31 朝日新聞朝刊)。それによるとこの大手五社は、被援助国ごとに営業努力や過去の実績を「幹事権」として認め合っており、幹事権を持つ社が落札できるように話し合いが行われており、モザンビークの幹事権をもつ商社は三井物産であるとされています。その朝日新聞の報道によれば、90年前後の肥料の民間貿易において商社の儲けは1トンあたり千円前後にすぎないが2KRで完全な形で談合が成立していた場合では3、4万円になることもあったそうです。

○◎ 未来ある支援
◎○ 必要とされる支援に向かって

モザンビークを一例として、日本の2KR支援を見てきた私たちは、前述の諸所の問題を鑑み、2KRスキームそのものの見直しを提言したいと思います。本来食糧増産支援を目的としていながら、相手国の要請に対する審査や現地でのニーズなどに関しての事前調査、配給・利用の際の技術的フォローアップ、モニタリングなどが全く不十分であることは、今まで見てきた事例から既に明らかです。本来の目的にかなう手段であるべき支援が、毎年何億という金額で外交のプレゼンスを示す手段に終始し、相手国の農業のあり方に対する理解や議論、ポリシーも無いまま物資だけを要請されるがままに垂れ流してきた体制を見直すべきなのです。相手国のガバナンス能力や現地農業の形態に即した資材供与を国別援助計画にもとづいてできるような体制作りを目指し、有識者やNGOなどの外部の人間を含めた2KR見直しのための委員会を設置し十分な調査と議論を行うことを、私たちは日本政府に提案したいと思います。

外部の人間を含めた2KR見直しのための委員会を設置し、十分な調査を議論を行い、その結果を広く日本の市民に明らかにすべきです。そしてその見直し作業の間すべての2KR援助を一時凍結し、委員会の最終提言において、完全凍結が望ましいということであればその2KRの凍結をすべきだと思います。

今国際社会は、高収量品種普及のための農薬や化学肥料を多投入する農業支援からIPPM (Integrated Production and PestManagement) 型と呼ばれる低投入型・環境保全型の農業支援にシフトしています。現在同様な期限切れ農薬問題を抱えているエチオピアにおいて、国連食糧農業機関(FAO)や各ドナーの協力のもと、世界最大規模の期限切れ農薬処分プロジェクトが減農薬を目指すIPPM普及と平行して行われています。

私たちモザンビークネットとの2001年11月8日の会合で、外務省経済協力局無償資金協力課小原課長及び小林課長補佐は2002年度対モザンビークへの2KR再開はない、と明言しました。今後、同じような期限切れ農薬問題をモザンビークで起こさないよう、日本政府も今回の2KR中止を機に、今後は低投入型農業の普及に積極的に取り組むことを通して期限切れ農薬問題の予防に積極的に取り組んでいってはどうでしょうか?毎年何億というお金をつぎ込み金額でしか外交のプレゼンスを示せず、結果大量のオブソレート農薬を供与した大口ドナーと呼ばれるより、よほど効果的な外交手段となるはずです。

そして政府だけでなく、私たち日本市民もまた、考えなければなりません。誰の無関心がここまでの税金の無駄遣いを許したのか。結果今世界で何が起こっており、誰がそのつけを払わされているのか。来年度政府開発援助(ODA)の予算は10%削減されると言われていますが、それでもなお納税者一人あたり1万円をこのODAに支払う計算になります。本当に有効な支援とは何か、政府はどのような議論・調査のもとどのような判断をし、そしてどう行動し、結果どうなったのか。私たちのお金はどのように使われどう生かされ、あるいはどう無駄にされたのか。無駄になったなら、それは何がまずくどう変えていけばいいのか。一人一人が市民として政府と一緒に考え、時には声を上げ、本当に有効な税金の使途を探っていかなければならないのです。

情報公開資料 外務省からモザンビーク大使(ジンバブエ大使が兼轄)宛電信 1986年1月6日付


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