コンク
Conques







正面から見上げた聖フォア教会

フランス、 ミディ・ピレネー地方の東部、アヴェロン県にあるコンクの村です。一時間もあれば村全体をゆっくり歩いて回れるほどの広さしかない小さな村ですが、ユネスコの世界遺産に指定された村であり、“フランスで最も美しい村”に認定された村でもあります。村中に張りめぐらされた石畳や木骨組の家々、蜂蜜色の聖フォア教会など、中世そのままの町並みを残す村はとても素晴らしく、私が今まで訪れた町や村の中で一番美しいかもしれない、とさえ思ったところです。

村の中心にそびえるロマネスク様式の聖フォア教会は11世紀半ばから12世紀にかけて建設されたものですが、コンクの教会の歴史は8世紀末に遡ります。隠遁者Dadonがこの地に庵をおき隠遁生活を始めたところ、彼に付き従うものたちが集まり始め小さな宗教共同体が築かれました。その後、共同体は聖ベネディクト派の修道会となりカロリング朝(751〜987)の王たちの庇護を受け発展を始めます。しかし、カロリング王朝の庇護だけでは足りなかったのか、世俗根性なのか、修道院に他には負けない“目玉商品”が欲しいと考えた修道士たちが、あろうことか村の南西300キロほどのところにあるAgenからわずか12歳で殉教した聖女フォアの聖遺物を盗み出し、まんまと自分たちの修道院に安置してしまいます。それでも聖女フォアは怒らなかったらしく、数々の奇跡を起こすこの聖遺物によって巡礼者たちが続々と訪れ始め、コンクは一大巡礼地へと発展を遂げたのでした。また、世界遺産にも指定されたスペインのサンチャゴ・デ・コンポステッラへと続く聖地巡礼路のひとつ、ル・ピュイを起点とする巡礼路の宿場となったこともあり、11世紀から12世紀にかけてコンクは絶頂の繁栄を誇ったそうです。

しかし、13世紀頃になると巡礼の足も遠のき始め、14世紀には追い討ちをかけるように黒死病の流行、百年戦争の勃発などがフランス全土を襲います。コンクも多分にもれず、社会不安が生み出した盗賊たちの襲来や略奪を受け、修道院は貧困にあえぐこととなります。16世紀には、堕落したコンクの修道士たちがベネディクト会から追放されたという報告が残っていたり、宗教戦争ではカルヴァン派に占領されたり、18世紀のフランス革命時には修道会が解散させられたりして、まさにコンクのその後の歴史は苦難の連続だったようです。

それでもすごかったのは、コンクの村人たちが聖女フォアの聖遺物や修道院の財宝を色々なところに隠して守り抜いた、ということ。19世紀、ナポレオンの時代になり修道会は再開することになります。その時、村人たちから宝物は修道院に返還されたのだそうです。私たちが、今日でも聖フォア教会の宝物館で修道院の宝物を見ることができるのは、こういった村人の努力のおかげなのです。何百年も続いた略奪や戦火から、村人たちが何代にも渡って宝物を守り伝えたのですから、彼らの信心深さには頭が下がりますね。コンクの村を見て強い感動を感じるのは、村全体の美しさだけでなく、村人たちと教会とを結ぶ強い一体感があるからなのでしょうね。


村の背後にある山から
見下ろしたコンクの村

夜のコンク

聖フォア教会のレリーフ

聖フォア教会のレリーフ 天使??

聖フォア教会の柱のレリーフ

聖フォア教会の正面にあるタンパン
最高傑作といわれる

コンクの村





大通りから見た
聖フォア教会の正面

コンクの路地

防壁に設けられた門の跡

村の広場へと続く道




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