練習Tips

あなたの練習に役立つ…かもしれない話。

開始動機

結論:楽しいから、キモチイイから。そんだけ。

イントロ
かならず他人[ひと]に訊かれるんですよね、「マラソンやってます」とか言うと。「なんで?」「理由[わけ]は?」と。企業の面接でも、酒席であっても、旅先であっても。
 さて、いったいどんな返答を期待してるんでしょうか、先様わ。…こういう場合、本人の意思なんて、いっさい関係ないものと相場は決まってます。捕らえた捕虜を尋問(拷問)する場合、質問側は自分の期待する返答を、ひきずりだしたいだけなんだから。
 おじさんには、健康のタメ、と。おねいさんには美容のタメ、と。学生さんには自分さがし・根性試しのタメ、と。失業者さん・ヒッキーさんには履歴書のタメ、と。アニオタさんには、ネタ取材のタメ、と。お子さんには罰ではなく好きで汗かくのは快感だからなんでも自発的にすることが大切なのよと余計な説教こみで、と。そう答えることにしてます。
(狐月「美籾さん、スパイ映画とか時代劇とかの見過ぎじゃありません? それに、なにげない“世間話”と捕虜の“尋問”をいっしょくたにするってのは、認知が歪んでませんか?」)(美籾「ほっといて」)
おれんすごっこ
 会話の副音声(面と向かって言われる場合もアリ)で聞こえてくる単語で頻出なのは、「もの好きだねぇ」「あんたマゾ?」。たいていのマラソン者は言われると、ムキになって否定するか、反論もメンドクセとげんなりガオするか。美籾[わたし]限定では、中たらずとも遠からず。「T.E.ロレンスごっこ」な面があるといえばある。
(補足:神坂智子「T.E.ロレンス」新書館。第一次世界大戦でアラブ独立を指導した“アラビアのロレンス”を題材にした伝記マンガ。ロレンスの強引でムチャな行動は、母親憎悪に起因する肉体破壊願望+おのれの限界だめし、というのが神坂智子の描写。腕骨折+虫歯+腸チフス+赤痢+足マメ状態、脱水状態でフラフラ、それで沙漠を横断するロレンスであった)
 麻酔切れた状態で奥歯抜いたらどうなるかな、とか。タバコで根性焼きやってみようかな、とか。挑戦的アクティブな方向でのおバカと。疲れちゃった飲まず食わずでずっといたらどうなるかなようやく3日目だね、なんとなく手首切ってみようかな、とかの横着的ネガティブな方向でのおバカと。いずれにしろクダラナイ自傷行為は、誰もが一度は試してませんかはぁ試してませんかそうですか。
 こういう行為と「長距離走で限界チャレンジ」は、美籾にとってはどこに差があるのかよく分からない。
 いきなり不健康な話題から開始したのは、スポーツ(=原語意味はきばらしひまつぶし)=健全だと短絡してるバカどもがでぇっきれぇだから。気晴らしは修行じゃありません。
冒険、限界チャレンジ&限界拡張
 現在はナイです。むかしはありました。学生時代のうちに、いちどはフルマラソン、と。だからいちど走ったらオシマイ、のつもりでした。
 バイクで北海道に行く者、自転車で日本一周する者、背嚢かついで東南アジア貧乏旅行、などなど、ちょっとした思い出づくり&プチ冒険する例は、日本人若者の数だけあることでしょう。初マラソンの動機は、これらとアナロジーでいい勝負です。
 しかし、いちど走れてしまうと次回以降は「アタリマエ」。冒険ではなく日常。したがって2004年現在ではすでに消滅した動機。
 ふたたび病気してリハビリ、ってことになったら、この要素はまたぞろ再登場でしょうけれど。
 ここで、「限界チャレンジ」がじぶんの肉体を使った「人体実験」って方向へ転がると、上述のような不健康な領域と地続きに。自己自意識の領域が脳だけになってると、「限界チャレンジ」を口実に肉体虐待へと向かうわ、「エヴァンゲリオンのシンクロ率はどれくらいかしらテスト」なことに。ゆえに、「フルマラソン完走して足裏ずるむけ」と「手首かみそりでひっかいて流血にウットリ」がアナロジーになるような。
 「限界チャレンジ」がもちょっと外側に向いた場合は、何km/hでコーナーにつっこめるとか、チキンレース的な方向へ向かうような気がします。って、やったことないからよく分かりませんけれど。
 上項と大差ない方面に話が戻っちゃったけど、そもそも日常現状を肯定してて、何の疑問もなかったら、もしくは考えてもしょうがないことは考えないで済むオトナな方なら、わざわざ「冒険」なんてしませんよねフツーわ。
 ええ。やっぱ「ヒマでものずき」だから走るのです。どきっぱり!
リハビリ
 広義には現在進行形。2001年秋に、松葉杖をつくことになって。2002年春の時点で「歩けるが走れない」。20020408(月)からのリハビリ試行錯誤が、現在に至る、と。
 このときに「夢はでっかく」「いつかは網走(100km)」なーんて思ったりしたので、Nach網走になりました。
(補足:サロマ湖100kmウルトラマラソン大会は、国内で有名なウルトラマラソンのひとつ。国内ウルトラの元祖的レース)
(補足:「夢はでっかく世界チャンピオン」と当時やってたTVA「激闘クラッシュギアTurobo」が、毎週楽しみなころでございました。基本的にキョウスケ×クロード)
(某CM「いつかはクラウン」名コピーだと思います)
(フル4回も走れたら、もう初期目的=リハビリは十分達成だとは思うんだけど、だったら、なんでやめないんでしょうね美籾さん)(惰性は否定しませんが、ほかに理由があるようにも自問どうなんだろ謎です狐月さん)
 「いちど言い出したことはぜったいに実現させるまでやるのだ」とか言う高度経済成長期オヤジは嫌いなんだ、わたしわ。作ってもしょうがない鉄道や道路はすぐに工事やめるように、採算も意義もペケならば、続けてもしょうがない。目的はリハビリであって「健康になること」で「100km完走」じゃあない。めんどくさいし汗くさいしばばっちーのやだし、あーもー、やめやめ(代理:三波ケン@マシンロボレスキュー)。
 なので、楽しければ続けるし、飽きればやめるでしょう。
実利
 健康証明書がわりにフルマラソン完走証を手に入れる。資格ゲットと同義の目的で、2003館山若潮23は、そのタメに走った…面もあります少々%とはいえ。
 卑近かつ切実な実利のタメに走る。否定はしません。そして、マラソンは「有利」なので、実利目的の方に、オススメといえばオススメです。それが第一目的だとつまんないですけどね。
 もちろん広義のメリットは、かぞえきれないほどあります。健康増進、美容向上、体力増進、社会的評価の向上、観光、自然との接触、気分転換、…。
 どんなシュミにしろ、実利のタメにやってるわけじゃなく、楽しみのタメにやってるものです。が、たまにはキックバックがないと続かない。物質面でも精神面でも、完全持ち出しではいずれ破綻します。世の中は〜環〜循環してるのですよ(神坂智子の作品で好まれる主題。だから好きさ)。
 社会的評価の向上、美容、健康増進。実利は強力にあります。上述のリハビリだって実利目的ですからね。
 社会的評価=世間受け、とってもいいですねマラソンって。費用対効果(世間様の賞賛/(実質練習時間*苦痛))は、べらぼーに高いです。この面では超オススメです。マンガアニメゲームの2次元シュミとは正反対すぎ(比べるなよ)。
 フリーター&ヒッキーさんの履歴書対策・面接対策としては、破壊的に有効かつ安上がりだと思いますよん。「健康である」「体力がある」「忍耐づよい」「計画性がある」「数ヶ月にわたる作戦の実行力がある」と。…アニパロ個人誌を作るのにも、これらの要素は必須なのに、「有明で同人誌売りました」と言ったら、確実に一般企業での面接は終わる。この差はなんなんでしょう?(世間様の偏見)
罰として
 罰として課す苦行として長距離ランニングさせる、という話はよく聞きました。どーゆーわけか、たいていの教育現場で体罰がわりに使われてました。「うさぎとびはダメ」「給水はこまめに」と、根性論が科学により絶滅したはずの、わたしらの世代でも。現在の小中学校でもそうなんですか? 肉体を動かすこと=苦行である、という条件づけを成立させる一方で、「運動して肉体を鍛えましょう」「オリンピックのマラソンがんばれ」って、たいそうな矛盾だと思うのです。
 作文の宿題忘れた罰として「グランド10週マラソン」よりは、「漢字書取ドリル100ページ」でわ。野球で「トンネルばっか」なら、「グランド10週マラソン」よりは「ノック1000本」でわ。…関係ないじゃん長距離走。
 気晴らし(=スポーツ)として楽しいから走るので、宗教的錯覚も、崇高な使命感錯覚も、神の与えたもうた試練錯覚も、ないです。
 他人様がそれでフルマラソン走れて、なおかつ「3時間切れます」とおっしゃるなら、罰で走れる有用性を検討考証&実行します。が、そんな話はまず聞かない。そもそも楽しくなけりゃ続かないほどに高負荷ですからねマラソンわ。
脳内麻薬
 …ひょっとしたらヤク中なのかもしれない、脳内麻薬とアルファ波の(藁)。…イッちゃったもん勝ち、という点は、どんなスポーツでも共通だと思う。
あこがれ
 他者へのあこがれ(先輩とかTVの選手とか)、競技じたいへのあこがれ、これらは皆無です自分の場合。
 世界記録タイムも有力選手の名前もぱっとでてこないし。(“坂本尚子”がQちゃんで毛が3本で上を向いて歩くってほんとうですか狐月さん)(たまにはアニメ以外のTVを見たほうがよろしいと思います美籾さん)ほんとに他人には興味がない。
 TVマラソン中継は観光・環境映像としては見るけど、運動教材やわくわくするタメに見たことはなし。…自分でやろうと思って汗をかく。やりたいから、やる。見ててもつまんないでしょ。スポーツはやるもので見るものじゃ、ない(と激しく思う)。
 通ってた小学校では、マラソンをやたらと推奨してたけど(なわとびしろとか、学校のまわりぐるぐる回って走行距離を積算しろとか、あーゆーの)、表彰されるタメに走る気はなかったし。
 「あこがれ」がスタートになること自体を否定する気は毛頭ないです。たんに自分にはそれがなかったってだけ。べつに他人様が「あこがれゆえにはじめました。高橋尚子のセキスイハウスCFみたく颯爽と走ってみたくて」と言っても「素晴らしいですね」と言い返します。いいことじゃありませんか。「手首切ってあそぶのとおなじつもりで、つい走ってみました。お花畑とか、天山[テンシャン]の白き神々とか、ひょっとしたら見えるんじゃないかと思って」とか言い出す者よりかは、はるかに。
開放感
 ここまでヒネクレたことばかり並べてきましたが、単純に快感だから走るんですよ長距離走。だーっと走って、だーっと汗かいて、あーすっきり、と。
 わたしの現在生活のほとんどが、“ちまちま”“きゅうくつ”“せせこましい”ことへの反動でしょうね。屋内でパソコン画面見っぱなし机作業。ほかのシュミは弓道…ある意味インドアなんだな。弓道場以外で矢を任意に放ったら、確実に怒られちゃうし。ちまちま計算高いこと詰め込むのは、ヨタ小説の構成考えるのでウンザリ。CGのドット削るのもチマチマうんざり。カラオケ屋で叫ぶのもピアノ叩くのも、インドア。オートバイはメットがきゅうくつで、右手[アクセル]ちまちまひねるだけだし。自動車は“屋内”だし。自転車は休日サイクリングと違って通勤10kmだとシゴトに組み込みになってしまうから気晴らし[スポーツ]になんないし。
 解放感、が重要な走行動機かな。「かならず」走ろうと思ったとたんにイヤになる。毎回おなじ練習コースで、飽きて窒息感が出てくると、やはりイヤになる。「実利」をと、走ってるとき聴いてる音楽を英会話練習テープに替えたとたんに「明日走ればいいや今日はやめ」。
 楽しくてキモチイイから走る。そんだけです結局。