いきなり見放さないで〜 (95%完治(?)編)
日付経過病状病状以外の情報
2003.3.10(月) 事故から67日め

手術から53日め

----- 2週間ぶりの診察日 -----

まずは,恒例のレントゲン盗み見を。
おっとびっくりです。2週間前にはあんなにぱくっとあいていた骨折上部に黒い影がまったく見当たりません。足首付近,固定したボルトよりも下のあたりにほんの少し筋(まだ骨でうまっていないところ)が見える程度です。
2週間前まで,骨のつきが悪いとなやんでいたのがうそのよう。
わーい,きっとこれで,ギプスはずれて100%荷重OKだわ,きっと。

さて,I先生の診察です。
(今日のI先生は9:40のお出ましだったので,本当におまちかねしました。)

I先生「Iさーん(私の本名です。)どう調子は」
私「腫れはまだ結構ありますが,痛みは少なくなりました。結構調子いいです。」

I先生(レントゲンを見ながら)「いいねー,何週だっけかな?」
私「8週です!」
I先生(カルテをみながら)「そうだね,8週。」
私(心の中で)(2週前は私が6週です!っていったら,まだ5.5週と直したくせに〜...)

I先生「もう全荷重OKだっけ?」
私「2/3です。」
I先生「じゃあ,今日から,それ(ギプス半分のシーネ)もとって全荷重でいいや。」
私「え,いきなりこれとって,何もなしでいいんですか?」
(サポータとか,包帯は巻いてとかないのぉ)
I先生「いいもう,心配だったら,最初のうちは外に出るときだけしていけばいいや」

私「わかりました。あと,リハビリとかは指導していただかなくてもいいんですか?」
I先生「なるべくあるくようにして,よく曲げ伸ばせばOK」
私「今までは,足首をこういう風に縦に動かすだけしか運動していないんですけど,もうどっちに動かしてもいいんですか?」
I先生「何やっても大丈夫」
私「ほんとですか! じゃあもう遊びにいってもいいんですか?」
(この突然の論理展開に,I先生はめんくらいながら)
I先生「だめまだ,普通の生活の範囲なら何やってもいいだけ。」
私「ぶつぶつぶつ......(温泉にいくだけなのに(あわよくばスキーとは思っていたが)....」

私「これって,ひょっとして完治ってことですか?」
I先生「完治じゃないよ,でも95%ぐらいは骨ついているから,何してもOK」
(95%かぁ,なんか弱気な数字だなぁー)

私「腫れているのとか,多少痛いのはもう気にしないでいいんですね」
I先生「うん,まだ腫れるとは思うけど,腫れたら足高くあげてね。」

私「あ,先生,そういえば,(松葉杖を指さして)これは?」
I先生「あ,それももうしないでいいよ」
私「もうしないでいいっていきなり,両方?」
I先生「なしで歩いていいよ」
私「(看護士さんの方に助けを求めるふうに)シーネもはずして,いきなり両方松葉杖なしで歩くんですかぁ?」
I先生「いいよ」
私「今日も??????????? いきなり????????(そう言われても歩けないですよー。)」
看護士さん「じゃあ,今日はまきます?」

というわけで,あっけなく,獅子の子の私は,I先生から千尋の谷に蹴落とされたのでした。さて,いきなりの病状の好転にびっくりしながらも,這い上がってくることはできるのでしょうか?」

でも,港南台病院で最初の受診の時の先生がずれ(転移)がないと判断したのは,どうもレントゲンを撮影するときの角度のせいだったみたいだから,こんなにぱっくりあいていた上部の骨折跡があとかたも見えないのはまた撮影角度のためにも思えますね。
まぁ,リハビリで少し冒険するための免罪符をいただけたのだから,実は上部がまだぱっくりでもいいやっと。


普通に歩いていいとのお達しにより,なんとはじめて病院から歩いて帰ってみました。(やっぱり過保護?)
病院と家との間の距離は元気な時に歩いて10分以内。
両松葉,シーネ付の私は難なく課題をクリア。(本来松葉杖なし,シーネなしでOKの指示なんだからあたりまえ?)
さらにはじめて片松葉で駅まで出てみました。これも軽くクリア。
しかし,さすがにめちゃ疲れて,家に帰ってすぐお昼寝となってしまいましたとさ。

ふとおもったのですが,骨折した足に荷重をかけはじめたころは怖くて逆松葉しかできなかったのですが,100%荷重OKになった今,正松葉もできるようになっていました。さらに,正松葉だと元気な方の足のすすめかたを自然にできますね。
松葉杖全部いらないって言われた今ごろ発見する事実でした。

 荷重100%OK,生足化のお祝いに,がるぅがベットを2階に戻してくれました。疲れているのにどうもありがとう。今日から毎日2階にあがって,リハビリにします。
 
2003.3.11(火) 事故から68日め

手術から54日め

初めて公共交通機関で帰宅してみました。会社の横のバス停から家から5分ぐらいの大通りまで1本のバスです。
家の近くの,バス停から家まで10分でたどりつきました。
今日はまだギプスを半分に切ったシーネをつけていったので,楽勝,楽勝。
やっぱり大大大大過保護の怪我人だったのね,私。

そこで気をよくして,夜お風呂に入って入念に柔らかくした後, ちょうど切らしていた,化粧品を買いにダイエーまで車でつれていってもらいました。
せっかくなのと,車だからということで少し冒険をして生足に普通のスニーカーで片松葉で出かけてみました。
最初はすいすい。下手したら杖なしで歩いていたのですが,30分もお店を歩いていたら,突然,全然足まがらなくなってしまいました。(いわゆる疲れはてて動けないーってやつですね。家に帰るころには,松葉杖があっても動けなくなっていました。)
まだあまり無理はできないようです。

でも,靴を履いただけで,結構ギプスぐらいの安定感は得られることがわかったのは発見でした。ちょっとうれしかった。



2003.3.12(水) 事故から69日め

手術から55日め

本当に(7.5週ではなく)手術後8週たちました。
あれからもう2カ月なのですね。

さて,I先生に捨てられ途方に暮れていたはずの私だったのですが,一晩あけると何故か急に(本当に)家の中では全く松葉杖とシーネのいらない人に成長していました。(すっごーい)

つめたく私を捨てたはずのI先生だけど,「シーネもいらない,松葉杖もいらない,勝手にリハビリせよ」というI先生のお言葉が私を勇気づけ,階段を受傷足から下りたり,違う段に左右の足をあげる階段あがりという荒業へのチャレンジさせるまでの自信を与えたのでした。うーんすばらしいお力。(ちょっと悔しい)
(単にシーネと松葉杖を卒業する日の宣言のタイミングが遅れただけだったりして....)

さらに,それだけの成果では満足できず,実家のある(1つ先の駅の洋光台)の駅の堀口医院さんで,リハビリとしてマッサージをしてくれるという情報をキャッチし,お電話で紹介状なしでのリハビリ指導を交渉し,さらに果敢にも生足にスニーカーで電車で診察に出かけてしまったのでした。(お電話の時に前回の失敗を踏まえ,この地域で大きな威力を誇る南部病院のKO系整形外科の名前を決して出さなかったのは言うまでもない。)

 しかしながら,やっぱりプロのマッサージはすごいです。怖くて触れなかった骨折部もがんがんマッサージしちゃうし,足首の曲げ伸ばしも,大昔にバレエで鍛えた私の左足の伸び方を見てびっくりした理学療法師さんが自分での限界まで私に曲げさせてそれをさらにひっぱってくれるし。15分ぐらいだったけど,より早く回復しそうな予感。明日も予約が入れられてラッキー。
(なんでも大騒ぎをして最善を尽くすのが私の主義なのだ。この際だから医療費無駄遣いは多めに見てね)

まだまだ全然びっこたっこだし,1歩目は相変わらずうまく歩きだせないけど,回復が形になって見えてくるのはうれしい。

【今日教えてもらったリハビリのしかた】
・台など,手がつける場所に椅子をもってくる。
・椅子に座る。
・台に手をつき,椅子から立ち上がる。
・立ってから徐々に受傷したほうの足に体重を移動する。
・健全な方の足に体重を戻し,椅子に座る。
上記の繰り返し


2003.3.13(木) 事故から70日め

手術から56日め

リハビリ2日め,担当くださる理学療法師さんいわく,手術からの日程と,骨折の直り具合からすると,私の足の腫れ方は少しひどいそう。
でも,あい変わらず,1歩目の歩き出しはスムースにいかないけど,自己流では伸び悩んでいたリハビリ,効果が出ているような気がする。
甲を伸ばすのは,まだ1/2程度だけど,曲げる方は5/7程度まで回復したように思う。

ただ,曲げる方はこのまま歩くなどの日常生活で復活しそうに思うけど,甲を伸ばす方はかなり特別な努力をしないと元にはもどらないような気がする。
がんばろう。


今日はリハビリに通うために,会社--(バス)--大船--(電車)--洋光台(リハビリ)--(電車)--港南台--(徒歩)--高島屋--(徒歩)--自宅というルートを自力で達成。
急成長しました。

ところで,夕方港南台駅で,I先生と思わしき方の後ろ姿と遭遇。とっさに「おかげさまでこんなに歩けるようになりました!」と声をかけてお礼しようと思ったのだけど,さすがに健常者を後ろからおいかけて追いつけるほどには私の足は回復していませんでした。(あたりまえ?)

というわけで,I先生の後ろ姿は,タクシー乗り場より車中に消えていきました。(まるで捨てられた女が後ろ姿を見送って,強く生きるぞーと決意を新たにする図ですね。)

2003.3.14(金) 事故から71日め

手術から57日め

今日は,会社へはギプス半分のシーネはせずに,包帯とサポーターだけで出社した。
まだ,数日前みたいに急に歩けなくなった場合のために松葉杖1本は持っていくけど,もし持っていなければ,(びっこではあるけど),骨折者とは思えないぐらいには歩けるようになったのではと思う。

さて,夕方,今日もリハビリに通う。(3日め)
いつも担当してくださる理学療法師さん(今度お名前を聞こう,またIイニシャルつながりだったりして。。。)
毎日同じ方なので,客観的に状況をチェックしてくださるのがうれしい。
療法師さん「足の腫れ,結構ひいてきましたね。かかとのところ,皺が出てきたし,順調に回復しているみたい。それに,骨折した方って,足が冷たい人多いんですけど,Iさん(私の本名)いつも足あったかでいいですねー。」

ということは骨の生成も順調みたい。このまま6月までに抜釘ができるかしら?(できるといいなぁ。)

療法師さん,本当にありがとうございます。
通勤帰りの汗まみれの臭い足で申し訳ないなーと思っていたのです。お許しください。


【6月までに抜釘したい理由】
スキー保険,障害保険などは,事故から6カ月以内の医療費しか支払ってくれないのです。

自分のためにワイン(大好きなカリフォルニア産ジンファンデル)をあけた。骨折に悪いからと我慢していたのだ。
実に2.5カ月ぶりのアルコール。

2003.3.15(土) 事故から72日め

手術から58日め

昨日,理学療法師さんは,足の腫れが引いてきているといっていたけど,昨日は会社にいた時に患部に湿布をはっていたことを思い出し,ひょっとしてと思い,昨日寝る前に足首に湿布をして寝てみた。
すると,朝,な,なんと「普通は細くなるらしいのに全然細くならない」と笑っていた私の右足が左足より2回りぐらいほっそりとしているではないですか!

つまり,今日まで,象のような足首だけでなく,足全体が今まで,ずっと,ずっと,ずっと腫れていたようなのです。うーん,怖いことです。


今日は,雨です。
雨なのに,何故かうれしい。
がるぅはスキーで野沢温泉。
後で,一人で傘をさしてお出かけしてみよう。

がるぅがCOCOONというハードディスクにTV番組を記録するものをsetupしてくれた。これ,勝手に番組を録画しておいてくれる機能があって,とっても便利。久々のヒット家電商品になる予感がしますね。
お風呂でのリハビリで見逃してしまった「美女か野獣」を勝手に録画しておいてくれたよう。うれしい。
手術の翌日,無事に手術室から帰還し,「美女か野獣」を見れてホッとしたことをふと思い出した。「美女か野獣」もあと1回で最終回。

2003.3.16(日) 事故から73日め

手術から59日め

昨日は傘を杖にして,健康な時徒歩6分の駅まで無事遠征できたので,今日は,杖なしをチャレンジしてみた。使っていないようでも体重をささえる威力は抜群のようで,やはり杖なしでは,帰りまで受傷足(体力かも?)がまだもたない。へとへとになってやっと帰りつく。
でも,全荷重OK,松葉杖なしの許可が出て1週間の成果としてはかなり満足。


ここ3日の骨折ダイヤリーのデータがftpの時のシステムダウンでなくなってしまった。記憶を元に再度書いたけど,タッチが記憶系になってしまい,ライブ感がなくなってしまった。

2003.3.17(月) 事故から74日め

手術から60日め

約束どおり理学療法師さんのお名前を聞いた,このページに多く登場するイニシャルIさんではなく,さなえさん。
さなえさんとのお話の中で以下アドバイスをもらった。
・ある程度歩けるのなら,松葉杖を返して杖に変えること。
・なるべくびっこをひかないで歩くようにする。
・湿布をはったほうが腫れがひくようなら,湿布をはるのは積極的にしてOK。(肌がかぶれなければ)
・湿布はお風呂からあがってすぐにはしない。(体があったまっているときは,できるだけ動かすことを優先)
【今日教えてもらったリハビリのしかた】
・タオルを床に敷き,指ではじの方をじゅんじゅんにたぐりよせていく。
(できるようになったら,タオルの端に重しをのせる。)
・床にボールペンを置いて,足の指でつかんで移動させる。
→どちらも足の裏の力を強化する。


2003.3.18(火) 事故から75日め

手術から61日め

今日はリハビリの予約とれず。


オフィスから最寄駅までいままでバス(2停留所)を利用していたが,はじめて骨折前と同様のルート(徒歩→電車→徒歩)にて通勤。

2003.3.19(水) 事故から76日め

手術から62日め

宴会の開始が7時からだったので,リハビリを受けたあと,再度大船に戻り,宴会に出席。
足首の皺が深くなってきたことを早苗さんは喜んでいる様子。


1月に予定していた友人の歓送会をやっと実現。
(実は昨日のオフィスから駅までの徒歩での通勤はこのため。)
本人は全然大丈夫のつもりなのだが,骨折してから,はじめての飲み会のため,がるぅは迎えに行くといい,心配な様子。
結局,同席した友人に家まで送ってもらい,家からがるぅがその友人の家まで送ることになった。みなさんありがとう


2003.3.20(木) 事故から77日め

手術から63日め

今日もリハビリの予約とれず。
お風呂で50セットのタオルでの曲げ伸ばしを実施。


骨折してからはじめて,美容院に行った。
いきつけの美容院が大船だったので,我慢するしかなかったのだ。
ひさしぶりにさっぱり。担当の美容師さんも交通事故での骨折経験者で,骨折談義でもりあがる。

2003.3.21(金) 事故から78日め

手術から64日め

今まで,足首は伸ばすことと曲げることしか動かしていなかった。
甲を伸ばしたとき,footが曲がって伸びる原因として,小指側が伸びないためではとおもい,温泉リハビリ第1日めのトライアルとして,足首を回す運動を行ってみる。
直接の痛みは出なかったが,足の腫れがものすごい。ちょっと心配。(I先生からはまだ遊びにいってはだめとも言われていることを思い出す。)


骨折前から予定していた,年に1度の姪っ子とのスキーのために白馬乗鞍に。骨折後,はじめての遠出。骨折後,I先生に最初にした質問が「3月連休にスキーにいけますか?」だった。I先生の回答は「今シーズンはだめでしょう?」だったが,スキーはまだだけど,スキー場にはやってきました。スキーまでにはもうちょっとかな?
せめてリハビリに温泉の効果が出ますように....

2003.3.22(土)〜3.23(日) 事故から79日め
〜80日め

手術から65日め
〜66日め

足首を回す運動をしてしまったためか,車の中でずっと 足を下にしていたためか,足の腫れが酷い。久しぶりに腫れで足に痛みが出た。必死に足をマッサージ。
ずっと湿布も実施。



でも足の甲を伸ばした時の足のまがりかたは心なしか少し矯正されてきたようにも感じる。


2003.3.24(月) 事故から81日め

手術から67日め

久しぶりのリハビリ。
足の状態は,昨日に引き続き,痛みはないものの,腫れが酷い。
定刻に,今日はいつもの早苗さんではない方が現れる。
早苗さんとおなじコメントが口から出て,
私の場合,足が冷たくないのがよい点とのこと。
でも,この時期,直り方の割には,腫れ方は,ひどい部類に入るとのこと
気長にマッサージして直していきましょうとのこと。

(縦の動き(甲の伸ばしと,足首を直角にの繰り返し)だけではなく,足(foot)の回転をしたところ,腫れが酷くなったことを伝えると,まだしばらく回転はしないか,ゆるい運動にとどめて様子を見るようにとのこと。)

リハビリの帰りに買い物にスーパーによったところ,また急に歩けなくなった。
腫れがひどいせいかもしれない。
しばらく休んでいたら,がるぅから家に帰ったとの電話。
状況を伝えると,ラッキーにもまだビールはお口にしておらず,車で迎えに来てくれるとのこと
ほっとした。

2003.3.25(火) 事故から82日め

手術から68日め


16:45 祖母が亡くなる。
先週,母が私のリハビリの先生に,祖母の曲がってしまった膝のリハビリのしかたを聞いていたというのに....
夜とりあえず,祖母の家に。集まった親戚中が私の骨折を知っていることにびっくり。
おか〜さんのおしゃべりぃ。

2003.3.26(水) 事故から83日め

手術から69日め

今日のリハビリは早苗さん。
そろそろ,なるべく杖を使わず,びっこをひかずに歩いてみるようにとのこと。
杖があると,全然びっこっぽくなく歩けるのに,杖なしだと結構ぴょこたんといった感じの歩き方になってしまうんですねーこれが。
何故?


2003.3.27(木) 事故から84日め

手術から70日め

手術から10週目
そろそろ完治も目前かとおもいきや,
随分腫れのひいた指から甲にかけてとは対照的にふと足首を触ってみると, なんと!足首が熱をもっていることを発見。
実はここずっと熱あったのかも。(いあまで怖くてさわれなかった)
そりゃあ腫れひかないわけですね。
(足があったかいと言われていたのも,実は熱もっていたから?)


お通夜お葬式のために,スカートをはいてみよう,ということは靴もスニーカーじゃだめだというわけで,ローヒールのパンプスを出してきた。
無理かなと思った横幅よりも,縦の長さが長くなっていて入らない。(腫れのせいが縦にも膨張するものなのかなぁ?)
しかたないので,パンプスはあきらめ,Kissaのカジュアルシューズで勘弁してもらうことにしよう。
2003.3.28(金)
〜3.29(土)
事故から85日め〜
86日め
手術から71日め〜
72日め

祖母のお葬式で足は久しぶりに酷使されたが,腫れもなく無事にすごせた。

はじめてスニーカーではなく,普通の靴(KissaのEEE)のカジュアルシューズだけど。 また一歩普通の人に近づけた。
2003.3.30(日) 事故から87日め

手術から73日め

右足が右の方向へ向いているらしく,ガニ股びっこになっているとのがるぅの指摘。
足を前に出すよう心がけて歩くようにしないと。


あ,切のいい512のアクセスカウンターのbitmapを保存できなかった。

2003.3.31(月) 事故から88日め

手術から74日め

夕方のリハビリでパンパンにはった足をみて,早苗さんが心配そう。
(→原因は右欄参照)

実は,出張先への往復時に注意力の欠如から段差に右足をのりあげ,「痛い!」という状況になってしまったことを打ち明ける。が,早苗さんがマッサージをしていくに従い腫れが回復。だんだんよくなっているねとのこと。
「痛い!」の影響はないようでよかった。


近めの製作所の方との打ち合わせが必要になり,怪我をしてから初めての出張。
あまりの荷物の多さにみかねががるぅが朝は出張先まで車で送ってくれる。(それでは初出張の意味がないのだけど。。。。)

そんな風に甘えていたためか,10分間の打ち合わせの結果はとても悲惨な状況で急遽オフィスに戻らざるを得なくなり,1時からの別の部署との打ち合わせも時間をずらせず, 結局,昼食抜きで,大船←→鎌倉間を1日に2往復するはめに。
1往復ですでに足はもうぱんぱんに腫れている。
ピンチだ。
交渉の方は,決してあきらめなさそうな私の行動に根負けした先方がしぶしぶOKしてくれ,足ぱんぱんの往復の甲斐があったというものだが。。。
(でもまた普通の人に一歩近づく。)

2003.4.1(火)
〜4.3(木)
事故から89日め
〜91日め

手術から75日め
〜77日め

松葉杖で戦った日々で一緒のころ活躍したメンバーから,回復の報告が続々。
みんなよかったね。
でも私はちょっと一休み状態かな?
毎日湿布をはって腫れと患部の熱感を抑えるようにしていて,その効果はでているけど,ぴょこたん歩きは少しよくなってきた程度。
あせらず継続の力を信じよう。


仕事が忙しい。忙しさにまぎれている間に曲がるようになっているといいな。

2003.4.4(金) 事故から92日め

手術から78日め

杖を病院に返却。
(でも港南台病院で借りた,松葉杖はまだお手元。)


会社のお昼は食堂まで歩いていかないとならなかったため,毎日昨日作成のお弁当持参だったが,誘われてはじめてお弁当持参で食堂まで歩いた。
お弁当があったので,杖なしで歩いていったら,みんなびっくりしていた。
でも相変わらず杖がないとぴょこたんしてしまう。杖ってあまり使っていないようでも結構効果あるんですね。

2003.4.5(土) 事故から93日め

手術から79日め

土曜日のため,朝9時からリハビリ予約。
朝はじめて私の足をみた早苗さん曰く,「足の厚みが(夕方に比べて)ぺちゃんこ」 だそう。


闘病中だった叔父が昨日亡くなった。

2003.4.6(日) 事故から94日め

手術から80日め



叔父のお葬式に参列。

ftpをコマンドプロンプトから行っていたのだが、コマンドプロンプトのwindowを閉めたとたん、システムが落ちてしまって、PCが立ち上がらなくなってしまった。
なんとか、修復コンソールからこのkossetu-diaryのログのみFDに退避。
とっても大変だった。

2003.4.7(月) 事故から95日め

手術から81日め

手術から12週め。1カ月ぶりのI先生の診察。
恒例のレントゲンの盗み見も 骨の上部は真っ白で、骨折跡はみつけられない。

今日は、ひょっとして最後になるかと思い、いろいろ質問を用意してきた。
しかし、レントゲンを見るなり、I先生いわく
I先生「ほぼ完全に骨つきましたね、これなら、もういつでも抜釘できるよ。」
私「え、そうですか?保険の関係で、できれば6月中に抜きたいのですが。」
I先生「いいよ。じゃ、次の診察を5月の終わりにして、その時に日程を決めよう」
というわけで、本日最大の交渉ねたと思っていた、6月中の抜釘はあっけなくOKとなってしまいました。
(障害保険と、スキー保険が両方出るのは結構大きいのでよかった。)
その後、用意しておいた質問を。 私「ずいぶん腫れ引いてきましたが、患部だけ熱もっているんです。湿布をしていますが、もうあまり湿布しないほうがいいという話もあるようですが、湿布をする処置でいいですか?」 I先生「それでいいよ。」
私「足の甲を伸ばすとき足がまがってついているように思うのですが、どちらの筋を伸ばすようにリハビリすればいいですか?」
I先生「え、まがっている? 全然へんじゃないよ。まがっていないよ。
ちょっと足首曲げてみて。ずいぶん曲がるじゃない。」
私「秘密の特訓してがんばりましたから。でも、健全な足に比べればまだまだです。」
I先生「そう?これだけ曲がれば十分だよ。」
私「そうかなぁ。」(かなり不満)「まぁ、怪我している方の筋が延びるようにリハビリがんばります。」
私「あと、日常生活だけでなく、もう遊びにいってもいいですか?」
I先生「テニスとかはまだだめだよ」
(スキーを禁止されるとだめなので、スキーとは言わない。I先生もまさかいまさらスキーに行くとは思っても見ない様子。)
私「もう走ってもいいですか?」
I先生「小走り程度なら、全力疾走はまだだめだよ。」
というわけで、次回診療は5/26日となり、手術日をその日に決めることとなった。
うれしいような、恐いような。

同じ日の夕方、リハビリ。
I先生の診察結果を聞いた早苗さん、いつもより随分力をかけてやってくれた。
ちょっと厳しかったが、心なしか改善がとまっていた甲の伸ばしが少し進展したかも。

診察結果を受け、杖を返す。レンタル料金が1900円


抜釘手術が現実に近くなってきて、調査のためwebを探していたら、レントゲン写真完備のすごい 骨折日記を発見。
2003.4.8(火)〜4.10(木) 事故から96日め
〜98日め

手術から82日め
〜84日め

仕事や葬儀で忙しくしばらくさぼりぎみだったリハビリ。きちっと50セットこなす日々

1.5カ月のブランクとその後の残業なしが相当評価を落としているよう。 リーダの職を解かれる。
その上、かなり厳しい言葉を上司から受ける。(退職もありえるとのこと)
これでもせいいっぱいがんばっているんだけどなぁ。
しくしく。

2003.4.11(金) 事故から99日め

手術から85日め



採用活動のため、東京の本社経由で茗荷谷まで初めて杖なしの出張。
1時間の電車は骨折後はじめて。
見栄を張って、大学に到着してから、ハイヒールに履き替える。
前回ハイヒールを断念した原因である足の縦の腫れはなくなっており、無事足を 滑り込ませることができた。
(イメルダ状態の靴ストックを捨てずにすみそうだ、よかった。)
学生さんや先生と別れてすぐ、Kissaシューズに履き替え、ほっとする。

帰りはとてもラッキーに磯子行きに東京から座れた。
でも、デモ用にPCをもっていったため、荷物が重く、駅から家までやはり足が前に 出なくなる。
やっぱりまだ病人?

2003.4.12(土) 事故から100日め

手術から86日め

1時30分よりリハビリ
昨日の遠出の出張で、くたびれはててしまい、やっぱりまだ病人だと思ったと早苗さんに伝えたところ、
早苗さん「もう病人じゃないですよ、がんばってちゃんと歩いてください!」
と一括されてしまった。厳しい....

駅で屈伸をしてみた。思いがけず、かかとをつけたまま膝を抱えることができた。
また一歩普通の人に近づく!



2003.4.13(日) 事故から101日め

手術から87日め


いままで、お風呂を入れる前のお掃除やお手洗いのちょっとしたふき掃除はやっていたが、骨折後はじめて本格的なお掃除にtry。
お風呂の漂白やら、外周りの雑草とり、枯れてしまった植木鉢の庭木の除去など。
本来ならばとうの昔に剪定しなければならなかった木。
いまごろ切ることになってしまいごめんなさい。といいながら、剪定しようとしたのですが、さすがに背伸びしながら高い位置を切るのはちょっとまだ無理でした。
肥料をあげていなかったブルーベリーも花芽がいくつかついていてちょっとほっとした。

久しぶりに外にでて作業したら、お隣の奥様も作業中。久しぶりに立ち話しをしたのですが、私が骨折したとは気づかなかった様子。
まだ足に違和感があることを伝えると、新横浜にある横浜市スポーツ医科学センターにいくと、リハビリメニューを作ってくれるとの情報。
早速調査してみよう。

2003.4.14(月) 事故から102日め

手術から88日め



アクセスカウンターが急に1日で100もカウントアップ。
今まで1日あたり10〜20ぐらいがせいぜいだったので、何かあったかなぁ?と思い、 ふとgoogleで「ちゃありぃ+がるぅ」で検索したら出てくるではないですが、このページが
やっとgoogleさんが、チェックしにきてくれた模様
それにしてもすごい威力。google

2003.4.15(火) 事故から103日め

手術から89日め



すっかり忘れていたのですが、「松葉杖と戦った日々」のおしゃべりで思い出したのですが、ギプスIn期間は、障害保険、スキー保険とも通院日数と同じカウントにしてくれることが判明。
(同僚に情報をもらって、保険会社に確かめて確認)
骨折ってそんなに頻繁い通院するわけではないので うれしかった。(同僚さんに感謝)
ちなみに「ギプス」と「シーネやギプスカットの半分」は明確に区別されて いて、ギプス期間しか保障されないようです。
入院保険は、やっぱりアリコやアメリカンファミリーかなぁ。
(私の生命保険は5日免責なので、2日しかでなかいです。でも契約した覚えのない、手術給付金(50000円)が出たけど。)

2003.4.16(水) 事故から104日め

手術から90日め

昼食を食堂で取ることに。
(昼食は1カ月単位でしか喫食/欠食のコントロールができないため)
食堂の帰り、昨年いっしょに仕事をしたおじさま(通称悪魔さん)が後ろから 私の歩き方を観察し、
「意識的にびっこをなおさないと、そのままびっこになってしまうぞ!」
と忠告をくれた。
彼は骨折経験者なのだろうか?
もともとするどい人だと思っていたが、とても適切な忠告。

一方、客観的にまだびっこなのかとちょっと落胆


2003.4.17(木) 事故から105日め

手術から91日め

4/17虎ノ門まで出張。
帰りは新橋まで歩いた。
別に問題ないと思っていたが、帰って足をみたら、外くるぶしあたり(患部)だけがぽっこりと腫れあがっていた。
念のため湿布を貼って就寝。

ふと、腫れがひどいのは、金属アレルギーのせいもあるのかなぁとふと思う。


2003.4.18(金) 事故から106日め

手術から92日め

最近あまりリハビリが停滞していると感じていることと、昨日の外くるぶしぽっこり状況を理学療法士の早苗さんに話たところ、
逆に、足の甲の血管が結構出てきていること、腫れも引いてきていると早苗さんは感じていることを教えてくれた。
外くるぶしぽっこりも他の部分の腫れが引いてきているので、目立つようになってきたのではとのこと。
通常は、元にもどるまでに、固定していた期間の2.5倍はかかるとのこと。
私の場合、
固定期間=2週+7.7週=9.7週
2.5倍すると、24週
固定が外れてから、今日で5.8週なので、
残りは、18週=4.5カ月
10月半ばかぁ....


2003.4.19(土) 事故から107日め

手術から93日め

ついに港南台病院から借りていた松葉杖を返す。
借用保証金が3000円
お借りしたときに、ちょっとどたばたしていたので、松葉杖貸し出しのシステムをきちんと聞いていなかったかなという心配があり、 ひょっとして、借りていた日数毎に費用がかかるのでは?(仮に1日100円だとすると、10000円ぐらいになってしまう)と思い、どきどきしながら返却しますと申し出たのですが、とてもラッキーなことに、保証金3000円が返ってきただけでした。
わーい&どうもありがとう港南台病院さま



昨年1年の仕事の成果についての、昨日の上司の発言でかなりブルー

2003.4.20(日) 事故から108日め

手術から94日め



入院中、ナースステーションの前に病院のお掃除用のタオルの寄付を募集する張り紙があったことを思い出し、旅行でもらったタオルを半分に切って大きさを小さくして縫った。15枚ぐらいになった。
(こんな数でも役に立つのだろうか?)
入院中に決意した、これから時間を見つけたら少しずつ、小さなボランティアをやってみようという思い、だんだん体が普通にもどってきたので、実現していこう。

2003.4.21(月) 事故から109日め

手術から95日め

急に気温が低くなったせいか、夕方ものすごいびっこになり、歩くのが困難になる。
夜足が痛く起きてしまう。こんなことは初めて。びっくり



2003.4.22(火) 事故から110日め

手術から96日め

昨日と同様気温が低め。夕方つらい。
GWのスキー復帰計画あやうし。



2003.4.23(水) 事故から111日め

手術から97日め



10年前の仕事のボスが定年退職のため、久しぶりに昔の仕事の仲間と飲み会。
骨折したのを知っていた友人、杖なしになったのを見て「よかったね」
とても仲のよかった後輩が欠席した理由が息子さんが腕を骨折したとのこと。
心配。

2003.4.24(木) 事故から112日め

手術から98日め

早苗さんのリハビリ。
普通のまげのばしの範囲だったら、左右同じぐらいに甲が伸びるようになったとのこと。
一生懸命伸ばすようにするとまだ左右で2cmぐらいの高さの差があるが、 正座とかもあまり違和感なくできるようになった。
曲げる方は、多分大体左右同じレベルになったと思う。

だが、足の痛みやびっこは一向に改善されない。 最近リハビリの帰りのびっこがひどいのはなぜ?



2003.4.25(金) 事故から113日め

手術から99日め



今年の査定係数がかかった初めてのお給料日。
予想どおり、最悪の評価。2.5万円もさがってしまった。
ヘルスケア休暇を使用しても査定には影響しないシステムのはずなのになぁ。
あまり多くは語りたくないが、悔しい。

アクセスカウンターが1000を超えた。(祝)

【ご注意】
このページ内の医学的な情報は、私の病状に対し、私の主治医殿が診断したりアドバイスされた内容と、
骨折に関して、他の方のホームページから私が調査した情報から、私自身が信頼できると判断した情報とから記載しています。
(その意味で他の方のホームページからの情報はリファレンス先を表示しています。)
あくまでも、私の病状と私の主治医殿のケースということをご承知の上で、参考として活用するにとどめることを推奨します。
2003.2.3から人の方に訪問いただきました。

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