日付 | 経過 | 病状 | 病状以外の情報 |
---|---|---|---|
2003.1.21(火) | 事故から21日め 手術から7日め |
退院1日め。 時々,傷が痛むが,寝る時に足の置き方を配慮しなければならない状況とか,お手洗いに行く度に足がむくんで痛くなることはなくなった。 手術前に安静にしていたときは,日に日によくなる感じがしなかったけど,手術後は気分的かもしれないけど,よくなっている感じがする。 会社から診断書が届いたとの連絡あり。状況よくわかりましたとのこと。 (私,実はI先生の字がとても達筆にて診断書が全部読めないんですが,よくわかったのかなぁ?) |
|
2003.1.22(水) | 事故から22日め 手術から8日め |
入院が7日になったので,生命保険の入院特約で少しお金をもらえそうだったので,日生にお電話した。おもいがけず,営業担当の方から,手術名の問合せがあり,がるぅが先生から聞いていた術式(観血的固定術)告げたところ,その手術は,給付金(1日5000円×10日)が支給されるとのこと。 こんな契約していた自覚はなく,営業担当の方の機転に感謝。 しかし,これから先生に何通も診断書をお願いしないとならなさそう。忙しいのにかわいそう。 (前回入院した腸閉塞も実は給付金支給対象だったのかなぁとふと思う。) 今日は,骨折後はじめて2階まで遠征してみた。室内では,お尻で階段を上ればいいことをインターネットで他の方が書いていた骨折日記で知っていつかやってみようと思っていたのだ。 一番上の段で立つのがちょっと腕力が必要だったが無事明日の通院に必要なデイバックを捜し出せた。 遠征のためか,夜,左腕の筋がなんかおかしいことを発見。 松葉杖たよりの身には腕の不調はちと厳しい。 |
|
2003.1.23(木) | 事故から23日め 手術から9日め |
今日は通院指定日。8時半に到着。 8時50分ごろ空耳かもしれないけど,「朝一消毒のIさ〜ん(私の本名)」と呼ばれた気がした。 朝早いと看護師さんからの情報のI先生がすでにスタンバイ(先生えらい!)。今日は外来ではないのだけど,特別処置の模様。(帰りがけに外来の看護師さんが先生もう1人呼んでいるんですかぁ?とか苦言を言っていたような気がしたのは空耳?) 会計も9時前に完了し,待ち時間では非常に時間がかかると評判の,南部病院での外来通院がゆううつだったけど,9時半には家に到着。 左腕のために湿布をもらった。 |
衝突した相手に,結局手術になってしまい,1カ月以上出勤できないことを書簡で連絡。前回(1/6の週に骨折だったことを知らせた書簡に対する連絡はいまだなし)前回は費用の負担をお願いしたことを申し訳ないと思ったけど,案外ひどい相手にぶつかられてしまったのかもという不安が頭をよぎる。 午後,このページを書こうと思ったが,久々の外出だけで疲労感あり,14時よりお昼寝。 こんなことでは,まだ社会復帰は難しいなぁとおもいつつ,まだ手術から1週間だしなといういいわけも。 |
2003.1.24(金) | 事故から24日め 手術から10日め |
抗生剤の内服薬もあと2日だが,まだ時々表面(傷口)に痛みが走る。 週末に薬が切れて大丈夫だろうか? 手術から10日たったが,足はまだ紫色にはれていて,劇的によくならないことから 朝,昼と気分的にめいって,ごろごろしてしまう。 |
衝突した相手からの連絡 |
23:40ごろ,衝突した相手から電話連絡あり。 スキー場という遊びの場での事故には賠償責任はないので,今後交渉の連絡もするつもりなしとのこと。 交通事故の例などを出して説得したが,この手の常識を持っていない様子。 弁護士マターになってしまうのかと思い,頭をかかえる。 現地では誠実な人だと思っていたのだが。その先入感が失敗だったと反省 先方の主張についてのメモを作成。 |
|||
2003.1.25(土) | 事故から25日め 手術から11日め |
足の腫れはまだひかない。薬は今日までだ。ちょっと心配。 もうすぐ手術から2週間,次の通院のときに「もう足ついてもいいよ」とか言われるとか,何か動きがあればいいと思っていたが厳しいのかなぁ。(骨密度が高いのは,何の役にも立たないのかなぁ。) |
実は,あまり足の状況がよくなければ病院に行こうかとおもってもいたのだが,昨日の衝突相手の対応であたふた。 最悪のケースに備えて,自分なりの事故状況についてメモを作成。KKスキー場のパトロールさんに事故状況確認の依頼FAXを送付。パトロールさんが覚えていてくれるといいのだが。 怪我が治るかどうかだけでも心配で,いやな思いをしているのに。。。 とちょっと不満。 |
2003.1.26(日) | 事故から26日め 手術から12日め |
今日から,抗生剤の服薬もなくなるが,右足はまだまだはれている。 痛みもまだ頻度高くある。ちょっと心配。 退院後初めて痛みどめを服用。 左足腿が痛くなり,湿布を貼る. 右足の腫れがひかないので,最低限のみおきて,なるべく寝ていることにした。 |
KKスキー場のパトロールさんからfaxあり。事情聴取の際に聞いた覚えのある事故状況にマーキングしてくれた。(覚えていてくれてよかった) (書類に誰が記載したかとかスキー場名などを明記してくれなかったのがちょっと心配だが。) 話合いに応じない衝突相手にもある程度話をしてくれるそう。 |
2003.1.27(月) | 事故から27日め 手術から13日め |
明日は抜糸の日。はれが少なければ,加重許可が出るかなと思い 安静にしておこうと思ったが, 使えなくなったリフト券のオークション関連で1日中パソコンの前に 座るはめになってしまった。 何であっても,何か動きがあると,気分が晴れるのだが。 |
明日は診察日なので,体を拭き,着ていく衣類の用意をするために久しぶりに お尻をずるずるしながら,2階にあがる。 家はまだ購入して5年なので,幸いなことにバリアフリー仕様,玄関,階段,お手洗い,お風呂に手すりがある。玄関と手すりのない洗面所に椅子をかってもらった。手すりのない3段の玄関前の階段だけでも相当大変。(決死の覚悟) たまたま購入した家が骨折対応仕様だったのでなんとかなっているが,もしそうでなかったら結構大変な生活だったなぁと考える。 (これからおうちを購入される方は是非こういうケースも多少考えて物件を評価してみましょう。重要なのは,後から対応できる手すり等ではなくて,家に入る前に階段があるかどうかですね。) 抜釘手術のことも考えて通信販売で,パジャマを4着注文。 (そろそろ休暇残も心もとなくなってきた) |
2003.1.28(火) | 事故から28日め 手術から14日め |
今日は通院日。 がるぅが車を駐車する間,車イスで再診登録のためにカードを機械に 通してみようとTryしてみようと思った。人間なんでもやってもらうと体がなまるもの。と決意して機械の前にすすんでいったところ,親切な事務のおじさまがカードを受け取ってくれてしまった。(しくしく)さらに,今日レントゲンのオーダが入っていますよと教えてくれ,2階の放射線科に直行した。 レントゲンも病院の始業時間の9:00より大幅に前に8:40ごろに呼ばれ,撮影してくれた。仕事をお休みしてつきそってくれているがるぅにはなにより。ありがとうございます。病院のみなさま 手術前のレントゲンもシーネをつけたまま撮影し,担当の看護師さんをびっくりさせたが今回もそうなのかなと思い。 私「シーネはずすんですか?」 レントゲン技師さん「お風呂とかで外していますか?」 私「いえ,全然」 レントゲン技師さん「じゃあこのままでとりましょう」 つまり,とったあとの処置をどうするか(誰がシーネと包帯をまくか によって,つけたままにするか,外すかが決まるシステムのようです。 さて,レントゲンをもって,いよいよ診察です。 本人ははじめてみる手術後のレントゲン。もう目が耳ダンボです。骨にななめに2本ボルトがくっきり。予想よりも結構ボルトの頭が大きいですね。 腫れがなかなか引かないことが,退院前の日曜にすべって右足をひねったことと関係していないかなと心配していたのだけど,骨はきちんと固定されていました。(よかった。) 今日は,(予告どおり)抜糸するとのこと。 シーネを外す,患部ではない左のくるぶしが確認できないぐらい,腫れは相変わらずかなりひどい。(1/4の先生は,事故から4日たってこの腫れは大変といっていたが,事故から1カ月でこの腫れはどうなんだろうか?と疑問符が。。。 ちょんちょんとはさみで糸を切っていくI先生。でもぴくぴくっと痛かったので,傷口を凝視できませんでした。 「傷口はとてもきれいですよ」とのこと。 昨日,おとといと,傷口付近がぴくっと痛むことが多かったのだが,傷口はきれいということは傷口の問題ではなく,神経痛とかなのかしら? さらに,今日はギプスをすると宣言するI先生。 そろそろ会社にいきたいので,というとであればなおさらとのこと。そうかもしれないな。 (しかし,いままでかかった3人の先生とも,腫れがひかないので,ギブスにできないといっていたけど,腫れひかない状況でギプスですかぁ?) ギプス処置室に移動。 看護師さんがしてくれるのかと思っていたら,またもやI先生登場。先生目の下あたりにお疲れのサインが。忙しいところありがとうございます。 I先生「うつぶせになってください」 私「うつぶせ? はらばい? あお向け,,,,うつぶせ? はらばい? あお向け」(頭の中でイメージして何をすべきか整理している。) I先生「うつぶせ」 I先生「うつぶせになって,足を上にまげて」 見えないのだけど,てきぱきとなにかがされている。 I先生が,ものすごい力で足首を曲げるようにする。 私「うぅぅぅぅぅ」 I先生「少しがんばって。」 私(心の中で)こんなにめちゃくちゃ足に力をかけていいんだったら,ギプスでかためる必要あるのかぁ?」 それにしても,整形外科の先生って,I先生みたいに太い腕・指で力持ちでないとつとまりそうにないですね。 だんだん足があったかくなる。(シーネはつめたくなったけど,ギプスはあったかくなるんですね。) I先生「大丈夫?」 私「大丈夫って?」 I先生「きつすぎるとか,あたるところがあるとか?」 私「うーん,正直いって,わからないです。」 I先生「きつすぎて,指が紫色に腫れるとか,指が動かなくなるとかなったら, 時間や曜日を問わず,いつでもいいから,病院にすぐきてね」 ギプスをまいて,12時間たちましたが,指は左足よりも紫がかっていますが,動きます。足首の圧迫が多少きついようですが(多分,足首をまげるように固定したため),がまんできないほど痛いところもありません。大丈夫なようです。 今日病院に来たときには,右足に加重してもいいかI先生にお願いしてみよ うと心に決めていたのに,診察の時に聞きそびれたことを思い出し質問するが,まだ,加重はだめとのこと。右足にある程度加重OKになったら,出社しようと思っていたのだが,先生のお墨付きをもらえるのは,早くても2週間後のようだ。 。結局1.5カ月も会社を休むことになってしまうのかな。だんだん悪くなったので,あまり深刻に受け取っていなかったけど,実は結構重症だったのかな。 足だけが病気で,体は元気なはずなので,いつでも会社に復帰できそうに思っていたが,通院した日はかならず,疲れて午後寝てしまうことになる。 はやく会社に行かねばとあせるものの, 事実上,社会復帰はまだ難しいのかもしれない。 |
※:病院の部屋は「ギプス処理室」って書いてありました。ギブスではなく,ギプスなんですね。 (あとから見返したら,渡辺淳一の「白夜」にも「ギプス」って書いてあった,どうももとからギブスではなく,ギプスだったようだ。(トレビアの泉に応募しようかな?)) |
2003.1.29(水) | 事故から29日め 手術から15日め |
朝から,内部の方から鈍痛が続く。だいたい3〜5分に一回。 痛み止めを飲んでいるが,治まらない。そういえば,抜糸の2日前ぐらいにも痛みの頻度が高くなったように感じたことを思い出した。 相変わらず,足を下にすると,指が真っ赤になっているし,あまりよくなっていないのかもしれない。かなりブルー インターネットで,スポーツドクターまっきいさんのページをみつけ,私と同じように手術の抜糸後もうっ血し心配している人の投稿を見つけちょっとほっとする。 |
会社に昨日の通院結果を受けて状況報告する。 |
2003.1.30(木) | 事故から30日め 手術から16日め |
昨日の痛みを踏まえて,安静にしている。 昨日よりは,痛みの頻度は少ない。(10分に1回ぐらい)ひょっとすると抜糸という行為が痛みを引き起こしていたのかなと。 |
|
2003.1.31(金) | 事故から31日め 手術から17日め |
本日は比較的順調。やっぱり抜糸のせいだったのか? うれしいことに腫れがひいてきて,指に続く骨がギプスの隙間から見えるようになった。 |
|
2003.2.1(土) | 事故から32日め 手術から18日め |
ここ2-3日調子がよかったが,気温が低いせいか,足の奥の方から鈍い 痛み。いまごろまた痛くなるのって大丈夫なのかなぁ?とインターネットで捜してみる。すぎやま整形外科のページを発見。かなりの充実度。 (抜釘術のインフォームドコンセントの雛型まで見つけてしまった。) 「個々の骨折には個々のドラマがある」という記載と,骨髄炎にならないよう抵抗力を弱めないようにすることが肝要なことなど認識を新たに。 腫れがひいてきたせいか,足を下にすると少ししびれる感じがあることに気づく。少し心配になり,月曜に診察してもらうことにし,病院に予約外の診察について電話で確認。 同じく腫れがひいてきたせいか,ギプスの収まりが悪くなってきていて,寝るときに足の置き場に悩む。(ギプスがあたる)。 |
スペースシャトルコロンビアの事故発生 来週金曜ごろから出社しようかとも思っていたが,長期休暇の後には出社許可の医師の診断書が必要とかいう連絡がきて,通院して診断書をお願いすることに。 (I先生が忙しそうなため,怪我の状況も十分聞けないのに,こんなばかなことで。。。とちょっと不満) |
2003.2.2(日) | 事故から33日め 手術から19日め |
今日は比較的順調。 夜,足のしびれ感を強く感じた。 足をずっと上にあげていたためか,右足の腿が筋肉痛。 足の腫れがひいてきて,使っていないため足が細くなっていることが急に 感じられるようになった。膝を動かすようにせねば。 | |
2003.2.3(月) | 事故から34日め 手術から20日め |
出勤許可の診断書の作成依頼のため,予約外で診察を受ける。 ついでに,「ギプス生活が予想外に厳しい」という事実を伝えたところ, ギプスのカスタマイズを実施してもらえることになった。 看護師さんがギプスのまわりを覆っていたテープを外してくれたとたん,足が自由になった気がして,「これが外れただけで,ずいぶん楽です。」とか発言してしまったが,実は,診察までの間ずっと足を下にしていたが,作業のために足を腰の位置まで上げたために楽になったみたい。(恥ずかしい) そこへ突然,I先生登場。 びゅいーん 小型のチェーンソーみたいなもので,ギプスに割れ目を入れる。(どうやってぎりぎりまで切るのかな? 作業時の姿勢として寝かされてしまったので,やっているところを見れなかったので,確認できず。(ガイドとかあるのかな? それとも単なる感? (それは恐ろしい(ちなみにI先生の指や手のひら周りはかなり肉付きがよく,繊細な作業にはむいていなさそうな外見。)) 作業が完了すると,さっきとは,別の看護師さんが割り箸とはさみをもってきた。 私「さっきギプスの外をおおっていたテープが外れただけでずいぶん楽になったんですが,それは勘違い?」 看護師さん「勘違いだと思う」 (ううん,やっぱりそうか...はずかしい) 看護師さんは,ちょんちょんと園芸用はさみで割り箸切って,ギプスの割れ目であたって痛いところにはさんでくれる。おぉ別天地じゃ。 こんなことなら,1週間がまんせずに,はやく訴えにくればよかった。 1週間くるしかったー。 私「来週,ひょっとしたらギプス外れたりしますか?」 I先生「状況によってはね」 手術が遅かったことと,腫れまくっていた期間が長いことを考えると,通常より長くかかるのかなと思いながらも,少しだけ期待してしまう私でした。 |
|
2003.2.4(火) | 事故から35日め 手術から21日め |
12M ADSLの工事完了。 いよいよ骨折日記を外部のWebページに公開。 |
|
2003.2.5(水) | 事故から36日め 手術から22日め |
来週から会社に行こうと思っているのに,風邪っぽく,ずっとねてばかりだった一日。 |
|
2003.2.6(木) | 事故から37日め 手術から23日め |
まだ本当のリハビリは開始していないけど,来週から,会社に行くために少しずつ生活のリハビリを開始。 ずっと前に購入していたギプスカバー(ストッキングタイプ)を使用して手術後初のシャワーに挑戦。(なんとシャワーは約3週ぶり!) ![]() ↑ギプスカバー(ストッキングタイプ) 無事に完了。ギプスもまったくぬれなかった。 次に汚くなっていた松葉杖の包帯を新しい包帯で巻き直した。退院前に看護師さんにやってもらったのを見ていたのが功を奏して,思ったより簡単に巻き直しができた。 |
|
2003.2.7(金) | 事故から38日め 手術から24日め |
職場復帰に向けて,1日中PCをいじっていようと思ったが,うっ血がひどく足を下にしておける時間は,現実としては15分が限度。足をしているとかなり苦しいことも発見し,ギプスの割れ目に割り箸を追加挿入してカスタマイズ実施。 |
|
2003.2.8(土) | 事故から39日め 手術から25日め |
午後にBS2(かBS-hi)でサタデー健康ホットラインという番組で骨粗しょう症についての特集をやっていた。その番組の中で,カルシウムのほかに,納豆に含まれるビタミンKが骨折によいと聞いて食べていたが,その働きについて解説があった。 骨が折れ,修復される過程で,まず,折れた場所からコラーゲンの繊維みたいなものが出てくる。その繊維の間にカルシウムがたまって骨を形成していくのであるが,コラーゲンの繊維は無秩序に伸びていて,カルシウムをキャッチしにくい。 そのような状態の時に,ビタミンKが存在すると,コラーゲン繊維が規則正しく整列し,カルシウムがきれいに配列して骨の周りに沈着しやすくする働きがあるのだそうだ。 ビタミンKは,納豆1パックで7日分ぐらいの必要量をまかなえるらしい。 ![]() そこで,何年かぶりに食品成分表を捜したのだが,不自由な足では捜しきれず困っていたところ, な,なんとWebで検索できる食品成分表はサイトがあった。http://food.tokyo.jst.go.jp/。 ちゃんとビタミンKの含有量もチェックできた。 大豆製品全般にビタミンKは含有されているのかと思ったが,豆腐や豆乳には含有されていないよう。納豆でもひき割り納豆の含有量が一番多いようで,ビタミンKとは,つまり納豆の納豆たる所以のところ(例えば粘りのところ)にあるものらしい。関西人でなくてよかった!! なお,「このデータベースは,文部科学省の科学技術振興調整費研究「食品成分データベースの仕様等作成に関する実証研究」の一環として開発したもの であり、試験的に公開しているものです。」とのことです。 ↑骨折の時によい食べ物。左からカルシウム、コラーゲン飲料(カネボウのサプリメント1箱160円)、納豆(ビタミンK) |
社会復帰に向けて,きちんとシャワーを浴びることとし,一昨日入ったばかりだが,シャワーを浴びる決意をしたが,この決意はあえなく挫折。なんと連続使用可能なギプスカバー(ストッキングタイプ)が指のつめでひっかけてしまい破れてしまった。しくしく。もう数本手配? |
2003.2.9(日) | 事故から40日め 手術から26日め |
ベットにいる時間が長いためか,足の腫れはかなりすくなく,楽。 当初,布団の重みだけでも負担に思ったこともあったが,ここ1週間はまったくそれも苦にならなくなったよう。 ただ,この状況で,数日後に会社にいけるのかかなり不安。明日の診察結果での成績に期待。 |
|
2003.2.10(月) | 事故から40日め 手術から26日め |
1週間ぶりの診察日 まず,レントゲン。 渡された写真を診察前にこっそりのぞく。 うーん,残念。全然白くうつっていない。 Webで調べておいた解説では,腓骨は5週の固定期間が平均と書いてあったから ここ数週がリハビリへの移行時期のはずと思っていたのだが, まだギブスからの開放は遠そう。 それに思ったより,手術後の骨折部の上部の骨の開きが大きい。 きっと,先の方は,細くなっていて,ボルト止めできないのだろうと想像する。 =========I先生の診察========= I先生「どう調子は」 私「おかげさまで,ずいぶんよくなりました。」 レントゲン写真をみて,うーんとうなっているI先生 私「まだ白くなってないですね。」 I先生:手術からまだ3.5週だから。。。(なんか悩んでいる模様) 私「来週また来てもいいですか?」 I先生「(そうそうその案のった!という感じで)来週から,足つけて歩く練習に入ろうか?」 私「少しならもう体重かけてもいいですか?」 I先生「そうねぇ。。。。(いつもの元気なI先生と違ってかなり歯切れ悪い印象。(何か家庭問題でも勃発しているのかなぁと心配してしまうほど。←人の問題にしておくほうが気が楽だよね。))」 I先生「じゃあ,1/3だけ,体重どれぐらい?」 私「(ちゃんと答えたけど内緒)」 I先生「じゃあXX Kgだけ」 私「どうやって,XX Kgまでって制御するんですか?」 I先生「看護師さんに指導してもらってね」 というわけで,待合室で看護師さんに教えてもらう。 体重計で体重のかけ具合を事前にチェックして,体感するのだそうだ。まだ30%だと松葉杖を外しては難しいとのこと。家の中で手すりがあるところならよいとのこと。 思うに,最初に受傷した時,湯沢の病院で足をかばって松葉杖なしで,診察室まで行ったときが50%体重って感じなのかな? 家に帰ってきてから,松葉杖はつかって,足を少しついてみて歩いてみたが,もう少し積極的にしないと刺激を与えるほどの効果はなさそう。 とはいっても,今日は,通院やら,30%荷重やらで久しぶりに足を下にしていた時間が圧倒的に多かったせいか(あるいは太ったのか?(まさか!)),ずいぶん右足が昨日よりもはれていて,ギプスがきつい。 昨日までの快適さはどこへ? 危うし!通勤開始 |
生命保険請求のための診断書を入手。 前の会社への診断書は2000円だったのだけど,今日のは5000円もするのね。 診断+入院証明で5000円なのかと思ったが,念のため聞いたところ,保険会社への診断書は一律5000円で,それ以外は2000円なんだそうだ。 あと,スキー保険と傷害保険のために東京海上さんに2通分お願いしないとならないんだけど,出費も大きいですね。しくしく |
2003.2.11(火) | 事故から41日め 手術から27日め |
結局,看護師さんがいっていたような伝え歩きは怖くてできない。松葉杖を使いながら少しだけ右足を床につけている。 時間的にあほとんど右足は床についていないのだけど,それでもかなり安定感がある。 しかし,しばらく感じなかった鈍痛も30分に一度ほど。 |
![]() |
骨折ダイヤリーの最初へ |
![]() |
続きへ |
![]() |
戻る |
![]() |
garuuのホームへ |