震災後まもなく、ボランティアによって瓦礫と泥のなから引き上げられた陸前高田市本称寺の梵鐘。重機も入れず人力だけで回収された梵鐘は本称寺山門跡へ置かれた。街は一面瓦礫に覆われ津波被災地独特の異臭が漂っていた。
いつのころからか梵鐘のまわりには瓦礫の中から拾われた仏像やアルバム、ランドセル、ぬいぐるみなど様々な物が集まりだした。花が供えられたりもするようになった。静かに手を合わせる人の姿もあった。多くの人たちが様々な思いで梵鐘の前に身をおいたに違いない。この鐘が再びこの街で鳴り響くことがあるのだろうか?誰もがそう思ったことだろう。
震災から一年目の3月11日、被災各地では犠牲者の追悼行事が執り行われることになる。宗派内の支援者達からその日に合わせた活動の打診もあった。
その日をどう迎えるのか、単に被災地で追悼行事を行うだけでいいのか、それはかえって震災を過去の出来事として位置づけることになるのではないか、では何が出来るのか、何をすべきなのか、逡巡の中あらためて復興支援のあり方そのものが問われることになった。
そんなおり、陸前高田市本称寺の副住職が視察にきた人達の「何か必要なものはありませんか?」という問いに返した「忘れないでください、それが一番の願いです」という言葉は鮮烈であった。
半年が過ぎ瓦礫の撤去こそ終わったが、国や行政の復興事業が遅々として進まぬ故郷はいまだ荒野のような有様であり、その地にあっては被災者一人ひとりの生活復興はいまだその道筋さえ見えていなかった。にもかかわらず、被災地や仮設住宅を訪れるボランティアの数は激減し被災者はあたかも自分達だけが取り残されたように感じていた時期である。
そうだ、あの鐘をならそう。
あの日別れた人、あの日奪われた故郷を忘れないために。
そうだ、あの鐘をならそう。
あの日からのこと、あの日から出会った人たちを忘れないために。
全国に賛同を呼びかけ同じ時刻にそれぞれの場所で鐘をつく。たったそれだけのことだが、その願いを共有することが被災者と支援者という立場を超えて復興の道となることを信じて。私たちの勿忘の鐘はこうしてはじまった。これは終わりのない始まりである。