6カ月以内にできますぅ?(抜釘手術編)
日付経過病状病状以外の情報
2003.6.1(日) 事故から150日め
手術から136日め
(19週)

今日から6月。抜釘手術準備編としました。


アクセスカウンター2000をcaptureしそこなってしまいました。

count-2001

2003.6.2(月)〜6.6(金) 事故から151日め
〜155日め
手術から137日め
〜141日め
(19〜20週)

じめじめした日が多いせいか、はたまた月曜は姫路、水曜は大阪と出張が続いたせいか、右足(受傷足)のかかとや甲やひざが痛い。
急に決まった出張のため、水曜のリハビリの予約をキャンセル。最近自分でするリハビリもさぼりっぱなし。ごめんね、私。


保険会社に電話。
障害保険は事故後6カ月が保証期間とのこと。(私の場合6/29が最終保証期間)抜釘手術が6/17〜となったので、消毒期間を考えると治療で通う日が保証期間以降となってしまい、ぎりぎりまで先生に診断書を書いてもらえないことになってしまうため、いつまでに診断書と保険金の申請用紙を送付すればいいかを問い合わせた。
以下とのこと。
・申請と診断書は保証期間後でもいい。(7/MでもOKとのこと)
・複数病院通院の場合は、診断書類も複数の病院でとる必要はない。
(手術した病院のみ診断書をとり、後の病院は、診察券のコピーを申請書類に同封し、  通院日を明記すればよい) ・スキー保険と障害保険の申請は1通申請すれば、東京海上の中で複数申請として処理してくれる。

2003.6.7(土) 事故から156日め
手術から142日め
(20週)

土曜日にリハビリで、かかとや甲が痛いことを伝えると、以前は左足に体重をかけていたのがびっこにしない対策で右足に体重をかけるようにしていたが、やはり患部はまだかばった歩きかたになっているため、右足の患部以外のところに力がかかって痛みを誘発しているのだろうとのこと。
junkoさんのページでもそのことを質問してみたが、junkoさんの回答も上記。
抜釘手術が近いが、あまりよくなったという実感がない。


なぜか今日も休日出勤。
先に帰るために声をかけてきた上司は、今も足の調子が本調子でないこと全然わかっていない模様。まぁ、そんなもんでしょうね....

2003.6.8(日) 事故から157日め
手術から143日め
(20週)

朝方、寝ていたのだが、急に右足患部に神経的な刺激があり、ぴくっとして起きてしまった。何があったのだろう。ちょっとびっくり。
気のせいかもしれないけど、こころなしか、その後、変な方向にしか伸ばせなかった甲が左足と同じ角度で伸ばせるようになったような気も。(多分気のせい)


朝から腹痛。
10月に腸閉塞の疑いで4日ほど入院した時の痛みに似ていてちょっと心配。
夕方右下腹に痛みを少し感じる。盲腸?
今(23:00)には収まっている。
お願い、抜釘まで暴れないでね。

手術の準備ができていない。来週は、美容院とお買い物をしなければ。

2003.6.9(月)〜6.13(金) 事故から158日め
〜162日め
手術から144日め
〜148日め
(21週)

火曜日は、骨折して初めてハイヒールを履いて、大阪まで出張に行った。
さすがに帰ったら、とっても久しぶりに患部に熱感が。
あと、ぺったんこ靴だと問題なくなった、斜めの道だけど、ハイヒールだと依然として かなりの違和感あり。

でもとりあえず、イメルダ状態の靴コレクションも無駄にならずにすんだのだなぁ。うれしい。


私が骨折したことを知っている人で、とってもひさしぶりに会った方に、 「まだなんですねー」
といわれてしまった。
ハイヒールを履けて直った気になっていたけど、やっぱりまだ変な歩き方なのね。
しくしく。
がるぅは、まだ痛みがとれないんだそうです。のど元すぎて熱さ忘れてしまった私。そんなに痛み続いたかなぁって言ってしまったけど、そういえば、だんだん痛みが狭まって患部だけになったっていうがるぅが訴える痛みの感じ、そういう経験あったような....

2003.6.14(土) 事故から163日め
手術から149日め
(21週)

リハビリの後、手術を来週に控え、初詣も行っていなかったしというわけで、鶴ヶ岡八幡宮に行った。
横須賀線で鎌倉駅から小町通りをウインドウショッピングしながら。
本宮は屋根の張替えとのことで、例の大銀杏のある階段は上らないところまでしか行けない。なんだけど、鎌倉駅から結構あるのだろう、久しぶりに足が前に出ず、「もう歩けない!」という状況になってしまった。
もう6月も半ばだというのに、また?
こんなもんでも来週は抜釘手術。


八幡宮で開運厄除けのお守りを購入。
やっぱり健康お守りよりも厄除けが重要だよね。

入院中あまり悲惨に見えないように美容院に。
彼も交通事故で手を怪我して、保険会社と交渉中のため、私の賠償問題に興味があるみたいで話題がとぎれない。
入院中の夏用サンダルと、手術日との関係がかなり心配になってきた(えー、またなのかなぁ、やだなぁ)生理用品を調達。

2003.6.15(日) 事故から164日め
手術から150日め
(21週)

いよいよ入院はあさって。
今回は、即入ではないので、がるぅほどではないけど、いろいろと荷物を揃える。(ふりかけとか海苔とか)
2回目なので、本人は、緊張感があまりないなぁ。
先生はたかが抜釘って感じにならないでねー。お願い。

いまだに麻酔をどうするか決め兼ねている。
生理が始まってしまったら、早く歩けるよう下半身だけにしようとは思うけど。
痛いのはいやだしなぁ。


料理が全くできず、一人で食事ができないがるぅのために、入院中の食料(カレー、鯛ご飯の冷凍)などを用意。前回と違って、がるぅも病人のため、ちょっと心配。
(がるぅの納豆苦行も私が入院の間はしばらくお休み)

2003.6.16(月) 事故から165日め
手術から151日め
(21週)



帰りに同室の方へのご挨拶のために大船駅前のお菓子の家でレーズンウィッチを購入。
閉店まぎわだったため、ケーキのショーケースから残っていたゼリーをプレゼントしていただいた。早速お参りのご利益かな?
がるぅの入院Goodsを多い、多いといじめていたけど、自分の荷物も紙袋3つ。がるぅより多いではないかー.....

2003.6.17(火) 事故から166日め
手術から152日め
(21週)

今日は、抜釘手術のための入院の日です。
病棟につくと、入院者の待合室で、がるぅの手術の時に同部屋だったSさんの奥様に遭遇。Sさんは外反母趾の手術で、今回は、前回手術した足ではない方を手術するそう。Sさんからがるぅの主治医のY先生が6月で南部病院を退職されて横浜線の大口駅近くに開業されることを教えてもらう。
がるぅの抜釘は、どうなるのだろう。。。。。
(がるぅは整復があまりに見事に実施されたため、他の先生ではどこが骨折箇所かもレントゲンではわからない状態(Y先生談)になっているのでした。
(骨がついたかどうかもレントゲンではわからないというおまけつき。)
かわいそうながうぅ

待合室に私の担当の看護師さんが迎えに来てくれた。
部屋に案内されると、そこはな、なんと1人用の個室だった。
私「あの、私、大部屋希望だったんですけど。」
看護師さん「間違いかもしれないですし、今回ベットが空いていないのでそのためかもしれません。念のため確認してきますね。」
   …
看護師さん「やはり、ベットの空きがないためでした。ですので、差額ベット代は必要ありません。」
というわけで、1人部屋となってしまいました。(またも、八幡宮お参りのご利益?)

がるぅは、冷蔵庫もお手洗いもあって個室は気軽でいいなぁ、がるぅも個室がいいとか言っていましたが、でもやっぱり個室は失敗だぁ、同室の方とお友達になれないのはもちろん、同室の方のお世話にきた看護師さんについでにお願いしたりとか、他の方の担当の先生とお友達になったりができないもの。手術の前の日でウルトラ暇だという事情もあるけど、1日で退屈しまくり。骨折ダイヤリーも筆が進む。

予定外と言えば、手術の次の日から歩けると聞いていたような気がしたのだけど、 手術後の安静度が「免荷松葉杖歩行」となっているとのことで、看護師さんが松葉杖を持ってきてしまった。が〜ん。月曜か、火曜に大阪までの出張をいれてしまったのだけど、大丈夫だろうか?
19:20 麻酔の先生が説明に来てくれた。
今回用意してくれたのは、梅コース(脊椎麻酔)だけだった。
どうしようかと悩んでいた竹コース(硬膜外麻酔)はなしの予定だったとのことで、悩まずにすんだ。
でも一応、前回のこと(受傷足ではなく、左足にばっちし麻酔が効いていたこと)、それでも手術後の痛みはほとんど感じなかったことを伝えると、麻酔の先生は以下のように判断されるとのことでした。
・薬の量をぎりぎりにすると、体の傾きや、管の方向でどちらか一方にのみ強く効いてしまうことがある。
・左足に強く効いていたとしても、手術後の痛みを全く感なかったということは受傷足にも麻酔が効いていたと判断する。
→なので、今回脊椎麻酔だけで手術を受けるとすると、手術後は前回よりも痛みを感じる可能性はある。
(痛みを感じたくない)という強い希望があれば、竹コース(硬膜外麻酔)を追加することも可能。追加しない場合は、座薬や、点滴で痛み止めを使うとのことだったので、オーダーどおり梅コースでお願いすることで決定した。
(食事はNG、飲み物は、明日の朝9:00までok)

19:30 I先生が手術ブレスレット(単に名前を書いたプラスチックテープの腕輪ですけどね)を装着しに登場。
なんか、元気なI先生。(抜釘でも一応手術だからかなぁ?)

でもあいかわらずのI先生で、
僕、手術の説明したっけ? とか私に聞くし。
先生、前回私、家族と一緒に診察受けなかったので、家族に説明したがっていましたよ、と伝えると
I先生「え、今日、ご家族こないの? 遅いのは僕、どんなに遅くてもいいから待っててもらって」
と言い残して、いつものように風のようにさわやかに(別名いい塩梅にともいう?)退場されました。

20:30 I先生再び登場
がるぅとともにカンファレンスルームで、インフォームドコンセント説明を受ける。
・骨折箇所がわからないほど骨はついているので、抜釘には問題なし。
手術時間は20分以内
まれに以下の可能性あり。
・感染症の可能性あり
・他の部位に血栓が生じるなどの合併症の可能性あり。
・再骨折の可能性あり。
・金属が破損し、摘出できない場合あり。
 →入れた金属はチタンなのと、部位が遠いいので、ちゃが毎年受けないとならない子宮のMRIは問題なく受けられるとのこと。

質問タイムに入ってから、おもに荷重について手術前の理解が甘かったことに気づきました。
私「さきほど、看護師さんから手術後松葉杖歩行とのこと伝えられたのですが、どれぐらいの間松葉杖なのですか?」
I先生「骨の問題ではなくて、傷の腫れ具合によるんだけど、1〜2週間かなぁ、まぁ腫れがひどくなければ、1〜2日で1/2程度はOKだけど」
私「あの、24日に大阪出張入れちゃったんですけどだめですか?」
I先生「(当然だめって顔だったんだけど)う〜ん。。。(明確な回答はなし)」
私「無理ってことですね。(困ったぁ)」

私「前回と同じところを切開するのですか?」
I先生「同じところ、前回よりは短かくなると思う。」
がるぅ「抗生物質の点滴は何日ぐらい必要なのですか?(←がるぅはベッドが空いていないので、点滴完了せずに病院を追い出されることを心配して質問をした)」
I先生「2〜3日,何日でオーダ入れたかな?2日の点滴後、内服だったかもしれない。」
I先生「退院はいつぐらいがいい?」
私「ベッドが空いていないみたいなので。。。土曜でもいいですか?」
I先生「いいよ」
(あ、先生またそんなベッドの状況も確認せずにそんな安請け合いすると看護師さんにおこられちゃうよ〜)

というわけで、後は、ボルトを記念に欲しいことと、先生がもってきてくれたレントゲン写真をデジカメで撮影させていただきました。レントゲン写真は、依頼すればコピーを作ってくださるとのお話をお聞きしたので、コピーをお願いしたいことお願いいたしました。

最後に、明日よろしくお願いいたしますとお願いして退席しました。

BEFORE-OPE
↑整復手術前。左の写真に斜めに黒く大きな転移がわかります。


↑抜釘手術前。骨折部位に骨ができて、真っ白です。
(ボルトは2本ですね)


今日のI先生は、前回の切開跡がきれいな傷跡だったと伝えたら、肌かきれいだからでしょとか冗談で答えてくれたりして(I先生の冗談ははじめてだぁ!)、とても余裕のある感じで素敵でした。

(でも、せっかく手術前説明したのに、「説明を受けました。」と私とがるぅが署名、捺印することになっている書類を私に渡しちゃうし、この書類なくて大丈夫なのかなぁ???)


お昼は、がるぅと同室だったSさん夫妻と一緒にデイルームでいただいた。慌てて割り箸の入っている外袋まで確認しないで1本ぬいてデイルームに持っていった割り箸。ふと、割り箸の外袋に目をやると「葬儀のG社」なんて書いてあるし。(叔父のお葬式で精進落としを食べなかったので、おみやげとしてもらったときの割り箸だし)こんな時にぃ、しくしく。
(これも八幡宮のご利益?)
この調子だと、ひょっとして、今日抽選のドリームジャンボに当たっているかも。。。。

【参考】病院のお食事
2003.6.18(水) 事故から167日め
手術から153日め
(22週)

手術当日。
16時からの手術予定だが、看護師さんによると9時から1時の予定で始まった前の手術が、すでに1時間半遅れているとのことで、かなりのんびりしていた。
しかし、15時に担当のM看護師さんが来て、別の手術室でできるようになったので、15:15に迎えにくるとの連絡。あわてて手術着に着替えてGO!
前回と違って、今度の手術室は整形外科の専用の部屋ではないみたいで、工具とかがおいてなくて、なんか綺麗。(TVで見る手術室のイメージだわ)

まずは、麻酔。
前回は、足が負傷していたためか、左向きで背中に麻酔を打ってもらったと記憶しているのだが、
麻酔医さん「右足手術ですよね、じゃ右向いてください。」
(そうか、で、前回左足に多く薬がいってしまったのかなぁ?)
今回は、何度か痛いって感じた。麻酔医さんちょっとてこずったみたい。
「もう一度、麻酔薬打ちます。」とかいってぶすっ。。。
一瞬、顔をしかめていたら、I先生登場。
私「よろしくお願いいたします。」
I先生「麻酔はちょっと痛いけどがまんしてね」
といつものように礼儀正しい私だったけど、やられましたよ、I先生....(後述参照)

さて、再度麻酔の状況です。
追加で麻酔薬を打ったせいか、麻酔がむちゃくちゃ効いている感じ。
息苦しいと伝えると、酸素を鼻にかけてもらった。だが前回はあんなに天国に感じた酸素があまり効果がない。再度、息苦しいことと、気分が悪いことを伝える。何か薬を入れてもらったが、これもあまり効かない。
麻酔が胸のあたりまで効いていて、それで息が苦しいそう、でも脇の下あたりの感覚はあるし、手も効いていないので、これ以上効くことはないので大丈夫とのこと。
前回の手術の時の麻酔の記憶は、左足にぴーんと感じたのが1回あった以外、そんなに苦痛でなかったのだが、今回は、手術を受けること自体に気持ちの余裕があるため、いろいろてこずっているように感じるのかもしれない。
さて、今回は、前回の時みたいに横向きにされずに、ベッドが少し傾くため、あお向けに寝た状態で布をかけられ、手術の様子は全く見えない状態でした。(ちょっと残念)

しばらくすると、小さく「お願いしま〜す」の声。
なんか、がるぅの主治医さんのY先生の声が聞こえるような気がしたのですが、体の左側にY先生に似た方がいるような。
でもI先生の声は全く聞こえないので、まだなのかなぁという気も。すぐそばについている麻酔医さんに、状況を聞いてみる。
私「もう始まったのですか?」
麻酔医さん「はい、もうボルト抜いているみたいですよ」
そうなんだぁ、でもI先生の声聞こえないし、Y先生らしき人じゃない右側にいる先生がやっているよなぁ。。。と思っていたのでした。
と思っていると、「ありがとうございました〜」の声。
あ、もう終わってしまったのね。
今回は、気持ちの余裕はあったのに、いろいろ観察する暇もなく終わってしまってちょっと残念。(もともと10〜20分と言われていたのでした。)

Y先生だと私が思った先生が、ボルトどうします?と声をかけてくれたので、I先生にくださいねってお願いしていたはずなのにと思いつつも、 「いただきま〜す」とお願いいたしました。
と、病棟からのベットを待つ間、麻酔医さんが麻酔の状況を再チェック。その間に先生たちは全員手術室から退出。I先生はいずこ。。。は確認できないままに手術室をでました。

手術部の入口には、今回の担当のM看護師さんがお待ちかね。
(手術前に聞いていた10〜20分を大幅に上回り、手術室入室から退出まで1時間15分でした。)

M看護師さんに手術の間ずーっと気になっていたことを遠回しに聞いてみる。
私「手術室にY先生がいらっしゃったような気がしたのですが。。。」
M看護師さん「あれ、Y先生ではなくて、H先生だと思うのですが。」

つまり、私の手術が当初かなり遅れる原因となった前の手術はI先生の担当で、I先生は私の手術をH先生にお願いしたのだった。(ではないかと推測される)
(多分、Y先生は私が手術室から帰ってきた後に、手術室に向かったSさんの手術を担当するはずなので、次のSさんの手術までの間、私の手術にアシストで入室したのではないかと思う。)

次の日に聞いたのだが、昨日20時まで病院にいたがるぅが病院から帰る時、エレベータホールで手術終了を待つベットが3つも待機していたそう。この日は本当に先生たちにとって大変な日だったようです。ご苦労様でした。

さて、病室に帰ってきました。
17:00 まだ麻酔は、胸のあたりまで効いている。
かなり息苦しい。
M看護師さんに訴えるが、酸素のオーダーが入っていないのでとのこと。指に何かサックをして、機械につなぐM看護師さん。
M看護師さん「酸素濃度100%あるので、酸素が過多になっても問題があるので、このままがまんできますか?」
というやりとりをしていたら、麻酔がお臍のあたりまで下がってきて、随分楽になった。

18:00 昨日麻酔の説明をしてくださった麻酔医さんが状況チェックに来てくださる。足はすでに動くようになっているが、まだ知覚は太ももあたりまでしかない。(つねってもわからない)今回も麻酔は若干だけど左足の方に強く効いている。

20:00 おなかのあたりの麻酔は完全に切れて、生理痛がひどく感じるようになる。(そうです、やはり悪い予感は的中し、今回も手術日と生理2日めが見事ドッキングしてしまったのです。)
膝も動かせるようになる。足はまだ少し麻酔が残っているのか、抜釘したところは全く痛くない。

21:00 足の麻酔もほぼ抜けたと思われるが、手術足の痛みは感じない。
インターネットの骨折仲間の方は、みなさん痛みどめが連続で使えないため、痛みに耐えて手術日を乗り切ったとのことだったので、今回は痛いかなぁと覚悟していたのだが、私の手術部位(外踵)は痛みが少ないのかもしれない。
今回は、おなかもすでに稼動していて、はやくもお水を飲んでもOKが出た。

本日の術後説明はなし。(H先生とはじめてお話できるかなと思ったのだけど。。)


 気持ちの余裕のありなしも影響していると思うのですが、麻酔のストレス、術後の痛みなど比較すると前回の整復手術の方が、今回の抜釘よりもうまくいったというか、楽だった気がします。
(ただ、整復後の足が重く、上から重しをのせられている感覚は今回はなかったです。←この痛みは骨に金属を打ち込まれて痛みだったのですね。)

 この日の当直のK看護師さん(千佳さん)には本当にお世話になりました。どんなに感謝の言葉を捜してもみつからないぐらい。本当にありがとうございました。

本日は、がるぅも1カ月ぶりのY先生の診察日だったのです。Y先生が開業されると聞いて心配になったがるぅ、それなら、プレートの違和感が予想外に大きいし、いっそのことはやく抜釘して欲しいと訴えたところ、抜釘する時が再骨折のリスクが一番大きいのでやっぱりきちんと時間を置いてやったほうがよいとのこと。
やっぱり他の先生では抜釘時期は見極められないのではとのことで、しばらくは大口まで通うことにしたそう。


2003.6.19(木) 事故から168日め
手術から154日め
(22週)

明け方、手術した足が1分に1度ぐらいぴっと痛むことが持続していることを発見。
我慢できないことはないけど、やっぱり前回より少し痛いなーと思っていたら、看護師さんが、包帯の上から出血をチェック。(包帯の上にマジックで出血範囲をマーキング)
10時、回診でI先生とご対面。
出血マーキングがあったので、消毒して、ガーゼを取り替える。
I先生「どう、痛みは?、しびれとかは?」
私「痛みは少しあるけど、がまんできる程度です。」
I先生「傷口もきれいだね〜」

(がるぅ曰く、I先生の「傷口きれいだね〜」は、Y先生の「どう、この整復だったら、他の先生がレントゲンで見たらどこが骨折箇所だかわからないでしょう?」と一緒でどの患者にも、このフレーズを使っているんじゃないかなぁ。とのことです。)

I先生「痛みもなさそうだし、今日だけ免荷で、明日から踵だけつくとかでいいよ。」

I先生、昨日のバトンタッチを告白してくれるのかなぁ〜と思っていたが、退院土曜日でいいよね〜と言い残して次の部屋へ向かわれたのでした。
(後から思うに、手術室に麻酔中にI先生が一瞬いらっしゃったのは、H先生にバトンタッチするからねと言いにいらっしゃったんだと思うんだけど、私が「お願いします」と先に挨拶してしまったので、言い出せなくなっちゃったんじゃないかと。。。I先生らしいわぁ。)

結局、術後1日めも手術日と同様1分に1回程度ぴくっと軽い痛みが継続的にある状態が続いた。ただ、我慢できる範囲ということで、夜の座薬は必要なしとした。

昨日も3時間ほどしか寝ていないのだけど、今日も寝付けない。

NAME-PLATE
↑安静度が「免荷松葉杖歩行」になってしまった。


面会に来たがるぅが、I先生ピンチヒッターにお願いしたこと話してくれた?と聞くので、だってI先生だもんと回答したところ、ちゃんと聞けばいいのにぃって言われてしまいました。
がるぅは手術日の前日のインフォームドコンセントの説明の時はじめてI先生ときちんとお話したのだけど、ちゃんと説明してくれたと思うそう。I先生ときちんとコミュニケートできないのはちゃが患者として素直に聞かないからじゃないかと思うとのこと。
そうかもしれないなぁ。

【参考】病院のお食事
2003.6.20(金) 事故から169日め
手術から155日め
(22週)

 いつまで続くのかI先生も看護師さんもわからず(なんで?) 謎だった抗生物質の点滴ですが、昨日までだったようです。今朝、M看護師さんが「今日から錠剤です。」と持ってきてくださいました。(セフゾンカプセル100mg 1日3回7日分)
 やっぱり当初の入院計画書(5/27 I先生作成)に記載されていたように抜釘は3〜4日の入院がデフォルトなのでしょう。

(こんなにはやく点滴が終わるって早く言ってくれれば、金曜退院もあったのになぁ。←これまでのお付き合いから、I先生の作業パターンとして、なるべくはやい時期に忘れないように全部オーダして、何か変更があってもよっぽど問題ないかぎり変えないというやりかたみたいなので、こうなるような気がしました。)

痛みの方は痛む間隔は広がったが(1分→5分ぐらい)、痛みの強さは手術直後から変わりなく、同じぐらいの痛さ。

多分まだ本当は患部は安静なのだろうけど、リハビリの療法師さんがよく、「後はボルト抜いてどうなるかですねぇ」とおっしゃっていたので、つい甲を伸ばしたり、足を外側開いたりしてみてしまう。心なしかぐぐっと行ったような気も。

今、I先生が回診にいらっしゃいました。
荷重は、痛くない程度であれば、徐々に全荷重までしていいとのこと。
まれに飛んだりはねたりして、再骨折する人がいるので、慎重にという意味も兼ねてとのこと。(よし火曜日は出張いっちゃうぞー!)
土曜日は、病院全体が診療日なので回診があるとのことで、土曜日に消毒をしてもらってから帰って、次の診察日はもう俺決めているんだけど、わすれちゃったなぁ、水曜日だっけ?とまたもI先生なのでした。(忙しいのよね)

 夕方看護師さんが病室に確認に来る。松葉杖を持ってかえるには手続きがいるが、松葉杖は本当にいるかと。
そりゃ、昨日は免荷だし、今日は1/2荷重なのに、その次の日に松葉杖いらないはずはないよねーと思い、「一応お借りしていきます。」とお願いしたが、看護師さんによれば、もうなくても大丈夫では?このあたりでなしで歩いてみては?とのこと。
その言葉を聞いてからつかまるところのある病室周りをなしで歩いてみたが、 やっぱり全然問題なく歩けました。
でも私って、先生のいいつけは結構守るたちなのよね〜。(ほんとぉ?)



朝起きたら、肩が猛烈に痛い。(後ろに手がまわらない)、なんでだ〜と不思議に思ったが夕方ごろよく考えたら、久しぶりの松葉杖のためと判明。あんなに慣れた松葉だったけどたった2カ月のブランクだけで元通り。

廊下で1/18にお世話になったI看護師さんに会った。やっぱりこの人はこの病院で一番親しい人かなぁ?
声をかけてくださったので、「今回はお会いできる機会がないですね〜」と。 暇なとき遊びにきてね〜て言っておけばよかったかなぁ?(暇なんてなさそうだけど)

それにしても暇である。
と思っていたら、I看護師さんが、夕食の準備係りとして病室に来てくれた。すかさず、garuu編のI看護師さんの手の写真を見せる。勝手に掲載しちゃったけど、手の肖像権を主張します?と聞いたら、快く掲載をOKくださった。(でもY先生に許可もらってないけど。)

【参考】病院のお食事

2003.6.21(土) 事故から170日め
手術から156日め
(22週)

退院の日です。
がるぅと同室だったSさんに、先に退院することのご挨拶に行く。ふと、ナースステーションの前をとおりかかると、Y先生がPCの前でなにやら作業中。あ、今日の回診はY先生かもしれない。Y先生だったら、手術室の謎を確かめてみようと決意。(なんでY先生だとなんでも聞けるんだろうなぁ?)

看護師さんへのお礼のお手紙を書いていたら、回診で〜す。との看護師さんの声。
あ、やっぱりY先生だと思った途端、Y先生の方から「え、何でいるの〜と」びっくりされてしまった。(一瞬私の顔を見て、びっくりして、部屋の外に後ずさりして出て行かれてしまったぐらい)
私「私の抜釘手術の時、先生の声聞こえていたんですけど、同じ部屋にいらっしゃいましたよね?看護師さんにそう聞いたらY先生じゃなくて、H先生でしょとおっしゃってたんですけどY先生の声だなぁと思っていたもので。。。」
Y先生「え、IさんH先生の患者さんだっけ?(ネームプレートを見て)あれ、I先生??? H先生の手術????」(かなり混乱している様子)
がるぅ「彼女はI先生の患者なんですけど、なんかとても忙しい日みたいで手術される先生がH先生に交代されたみたいで」
(Y先生やっと整理できたみたいで)
Y先生「あ、そうそう、僕一緒に立ち会ったよ。水曜日だよね。」
私「ずっと手術室でお声が聞こえていたんですけど、Y先生なのかなぁとずっと不思議に思っていたんです。最後にボルトいる?って聞いてくださったのY先生ですよね?」
Y先生「僕、ボルトをボトルとかいい間違えたんだよね?」
(そうだったかなぁ? 麻酔が苦しくて気づかずリアクションできなかったなぁ。)

bolt
↑Y先生のボトル?

てきぱきと消毒いただき、看護師さんが今回はガーゼ+包帯ではなくて、シールをはってくれた。今回は傷口をチェック。縫い目は5針(整復時と同じ)

看護師さんによれば、傷口付近を濡らさないようにできれば、シャワーもOKとのこと。ちょっとほっとした。

痛みの方は、1時間に1回ぐらいに激減。痛みの強さは変更なし。
腫れは強くない。(血管が右足は浮き出ていない、指の皺が右足は少ないといった程度)

(退院して、家に帰ってきたら、予想どおり杖は全く必要なかった。お手数おかけしてごめんなさい看護師さん。)



手術室の謎がとけて、胸のつかえがなくなって本当によかった。
しかし、最後まで手術後の説明がないのはどうして〜(まぁ、たかが抜釘だからでしょう。)
説明を求めたら、どの先生がしてくれたのかなぁ?

でも白衣姿のY先生は、背が高くて、姿勢がよくて、さわやかな印象だけだったんだけど、手術着姿のY先生は、なんか厳しい(というか恐いぐらいの)表情で、外見の感じからY先生かどうかの確定もできないぐらい違う印象でした。

お支払いを済ませて、10時に無事退院。
次の予約は6/26日(木)。(実は6/26は私の生誕記念日。お誕生日のお祝いにI先生手術後説明してくださいとお願いしてみようかな。(いぢわる))

医療費が前回は2割負担、今回は3割負担となったはずだが、請求額は6万弱
入院日数が2日少ないけど、前回より請求額が少ないということは、抜釘術の保険点数は、整復手術より相当少ないことが予想される。

I先生の骨粗鬆症の公演会、もう終わっちゃったなぁ。聴講できなくって残念。

2003.6.22(日) 事故から171日め
手術から157日め
(22週)

傷口の痛みの頻度は激減。(久しぶりに痛んだなぁと感じることがある程度)
リハビリはまだ再開していないが、歩く時感じていた違和感がかなりなくなったような感じがする。(思いこみかもしれないけど。。。。)

右足だけ足を伸ばした時の角度が外向きな件の改善は、残念ながらボルトをはずしても目立った効果なし。(この件は、足を外側に向けるリハビリを継続するしかなさそう。)

夜になって、痛みの頻度が昨日並に増した。


昨日の夜、左腕に湿布を貼って寝たため、あがらなくなっていた左腕がやっとあがるようになった。恐るべし松葉杖。

スキー保険、障害保険に請求する診断書をI先生にお願いするため、下書きを作成。
生命保険は今回は診断書は不要とのこと。

2003.6.23(月) 事故から172日め
手術から158日め
(22週)

24日に予定していた出張、26日に変更との連絡がきて、困った。
26日は次の消毒の日なのだ。今日はもともと会社は休暇にしていたこともあり、とっさに今日予約外で病院に行ってしまうこととした。
I先生、いつもは予約外でいくと迷惑そうな感じだし、26日は診察の担当の日ではないのにわざわざ対応してくれる朝一消毒予約だったはずなので、かなり下手に言い訳。
私「申し訳ありません、26日大阪に呼ばれちゃって...」
I先生「じゃ次30日、朝9:00に入れるからね。」
私「次もう抜糸ですか?」
I先生「そうだねー。」
わーい、I先生怒ってないやー。9:00にしてくれるなんて、親切ね。(秘密があるからかなぁ。←いや、I先生の場合そんなことはすでにout of memoryだろうなぁ。)

というわけで、ダブルブッキングの危機を無事乗り切った私でしたが、帰りに雨降ってきてしまって、傷口に貼ったシールがまくれてしまって傷口がしみてきてしまった。これってかなりまずいかなぁ。(これじゃあなんのために消毒にいったかわからないよねー。)ちょっと対応策を考えよう。

傷口が雨にしみてしまった以外は、足は絶好調で、今までかなり違和感のあった歩き出しの一歩めとか、水平方向の道の傾きとか、全然気にならなくなりました。私の場合、抜釘前にはっきりとボルトの違和感だなぁと感じることはなかったのですが、やっぱりかなり影響があるんですね。よくボルト抜かなくても、抜いてもどっちでもいいと言うお医者様もいらっしゃいますが、私の場合は(今の時点の判断では)抜いたほうが断然よかったです。


ギプスカバーをして、手術後はじめてシャワーを浴びる。問題なく、濡れずに完了。

またもアクセスカウンター3000をcaptureしそこなってしまいました。

count-3001

2003.6.24(火) 事故から173日め
手術から159日め
(22週)

雨にぬれてしまった傷口対策として、会社に出社早々、会社の診療所にかけこむ。無事消毒をしてもらったが、また雨にぬれるといけないからと、スプレーのコーティング剤を傷口に噴射されてしまった。大丈夫かなぁ、I先生に怒られないかなぁ?←なんだかんだいってやっぱりI先生を一番信頼(別名恐がるともいう)しているのかなぁ、私。
会社の診療所の先生は元外科医さんで、傷口を見て、「結構内出血しているねー。どこの病院で切ったんだっけ?」と一言。
イソジンもらって自分で消毒しちゃいけないんですか?って聞いたけどあまりよくないそう。(どうしてだろう?)


抜釘後、今日から会社復帰

2003.6.25(水) 事故から174日め
手術から160日め
(23週)

傷の痛みはほぼなくなる。


上司より異動につき条件(グループ外も対象)変更を検討して欲しいとの申し出あり。
制度をよく知らないため一旦保留して欲しいと回答。
骨折での長期休暇の影響もかなり大きいと思う。かなりくやしい。

2003.6.26(木) 事故から175日め
手術から161日め
(23週)




抜釘手術後の遠距離出張へ。
念のため(&先生の指示を意地になって守るため)松葉杖もお供に。PCはデイパックに入れて背負ったため、切符や、お財布を取り出しやすくするため、写真みたいに松葉杖の手のところに小さなバックをくくりつけた。
crutches

港南台で電車に乗ると、すぐに20代ぐらいの女性が席を譲ってくださる。意地松葉だとはいえなかったが、大丈夫ですと一旦はお断りしたのですが、ありがたく甘える。
(わーい、ずっと自宅療養、車通勤だったので、初めての経験)

23:23新横浜着と予想外に遅くなり、新横浜までがるぅに迎えに来てもらう。

2003.6.27(金) 事故から176日め
手術から162日め
(23週)




昔の同僚の転勤を口実にした宴会に参加。
junkoさんから、「抜糸まではアルコール厳禁」って言われていたのに、飲み放題コースだし。

2003.6.28(土)
〜6.29(日)
事故から177日め
〜178日め
手術から163日め
〜164日め
(23週)

傷の痛みは、あ、痛かったかなという時がたまーにあるぐらいになった。
それよりも、最近思うのは、以前は、ボルトの違和感とは感じていなかったけど、1歩めがなかなかでないこと、階段を下りるとき思うように足が動かなかったことや、横に傾いた道を歩く時に感じたおかしな感じが、ボルトを抜いたら全然感じなくなったこと。
I先生とは「抜釘はするもの」という前提で話をすすめていたが、リハビリをしてもらった開業医さんからも「抜いても抜かなくてもいい」と言われたし、internetで相談されている方も悩まれている方を見かけるが、私ははやめに抜釘してよかったと思いました。
(でもプレートの違和感をものすごく感じているがるぅがはやく抜いて欲しいと懇願したところ、抜釘手術そのものが一番再骨折しやすいんだそうで、まだ。。。とのことでした。)



【ご注意】
このページ内の医学的な情報は、私の病状に対し、私の主治医殿が診断したりアドバイスされた内容と、
骨折に関して、他の方のホームページから私が調査した情報から、私自身が信頼できると判断した情報とから記載しています。
(その意味で他の方のホームページからの情報はリファレンス先を表示しています。)
あくまでも、私の病状と私の主治医殿のケースということをご承知の上で、参考として活用するにとどめることを推奨します。
2003.2.3から人の方に訪問いただきました。

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