公開質問状に対する外務省からの回荅文

モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク 殿

平成13年11月28日 外務省無償資金協力課

8月30日付書簡をもって、モザンビークに対する我が国の食糧増産援助に関して貴団体から質問がありました。

I.ご質問のうち、これまでにモザンビークに対して実施した食糧増産援助についての評価及び2002年からの食糧増産援助の再開の予定に関しまして、現在までの調査の結果等を踏まえ、次のとおり回答致します。

1.我が国は、1983年度から1997年度にかけてモザンビークに対して総額115億円(交換公文の供与限度額ベース)の食糧増産援助を実施し、この食糧増産援助によって同国が調達した農業資機材(肥料、農薬、農機等)は、1985年から1999年に同国に到着しています。両国政府は、総合的にみてこの食糧増産援助は次のような効果をもたらしたとの評価を共有しています。

(1)国連食糧農業機関(FAO)の統計によれば、1984年から1999年までの同国の穀物生産量の増加率は、主要穀物であるキャッサバが145%、トウモロコシが356%、米が221%等となっています。食糧生産は、農業投入による効果だけでなく、天候その他の要因に大きく左右されるため、食糧増産援助によって調達された農業資機材(肥料、農薬、農機等)の効果については明確に説明することは困難ですが、これらの主要穀物の増産の要因の一つとなったと評価しています。

(2)特に内戦時における食糧増産援助は、貴重な農業投入材を主として国営農場及び協同組合組織の農民に供与することによって食糧生産を維持し叉は食糧生産減少を抑える上で大きな効果があったと評価しています。

(3)1983年度から1997年度にかけてモザンビークに対し食糧増産援助として供与された総額115億円(交換公文の供与限度額ベース)は、内戦期及び内戦後の同国の外貨支援に役立ちました。また、食糧増産援助の下で調達された農業資機材の国内販売等によって回収された資金(「見返り資金」)は、同国の社会経済開発のための資金として活用されました。

2.なお、モザンビーク政府は、これまでの食糧増産援助にちての高い評価に基づき、食糧増産援助の継続を強く求めていますが、モザンビーク国内における食糧増産援助の実施面に問題があることが認められたため、1997年度に食糧増産援助を実施して依頼同援助を実施しておらず、2002年度から同援助を再開することを検討しているとの事実もありません。

II.貴団体が入手された情報に関し事実確認及びコメントをして欲しいとの点につきましては、当省としては引き続き調査を行っているところです。しかしながら、貴団体から現時点での回答で差し支えないとの強いご要望があったことを踏まえまして暫定的な見解を申し上げれば次のとおりです。

1.我が国は、1983年度から1997年度にかけてモザンビークに対して総額115億円(交換公文の供与限度額ベース)の食糧増産援助を実施し、この食糧増産援助によって同国が調達した農業機材(肥料、農薬、農機等。以下「援助資機材」という。)は、1985年から1999年に同国に到着しています。

2.我が国政府は、モザンビーク政府から要請のあった援助資機材の妥当性を、我が国国内における技術的検討、現地調査等を通じて確認し、その調達を認めてきています。また、食糧増産援助の制度上、援助資機材の管理等については、一義的にモザンビーク政府が責任を持つこととなっており、同国政府はその管理等に努めてきたものと承知しています。これまでの食糧増産援助についての同国における実施体制は概ね次のとおりと承知しています。

(1)1983年から1996年まで

(イ)インターケミカ(Interquimica)社、インターメカノ(Intermecano)社、ボロール(Boror)社といった国営の輸入代理店・販売店等を通じ、援助資機材は、(a)1980年代後半までは主として国営農場に配付され国営農場の農民が使用し、また(b)1980年代後半から1996年頃までは国営農場が解体されたため主として企業農場に配付され小農は収穫物によって代金を返済する形態(クレジットの一形態)で農薬・肥料を企業農場から購入し使用していました。

(ロ)内戦時においても援助資機材は上記の経路で流通し、基本的にトウモロコシをはじめとする食糧生産に活用されていましたが、内戦が激化した1980年代後半においては、その一部が食糧生産以外にも活用されたとの報告があります。

(ハ)援助資機材を販売すること等によって回収された資金については、財務省が管理するモザンビーク中央銀行の口座に積み立てられた後、同国の国家予算に組み入れられ、同国の社会経済開発に使用されていました。

(2)1997年以降

   民営化及び市場経済制度を含むモザンビークの社会、経済及び政治的変化の進展に伴い、食糧増産援助の実施を国営企業に依存できなくなったために、1997年以降農業省自身が食糧増産援助の実施を所管するとともに、1998年から農業開発基金(FFA)がその実施に関与することとなりました。しかし、農業省及びFFAは、これらの新たな変化への対応面を含め主として(イ)〜(ホ)のような困難に直面しました。この結果、援助資機材の配付及び使用が遅延するとともに、1997年度の食糧増産援助(1999年5月に現地に到着)については未だ流通経路に乗らない在庫も生じています。援助資機材は、協同組合叉は企業農場に売却され、小農が収穫物によって代金を返済する形態(クレジットの一形態)で、農機については賃貸又はこれを用いた協同組合の役務を購入し、肥料及び農薬については協同組合又は企業農場から購入して使用しています。

(イ)税関の手続き及び運営が厳しくなったため、問題が発生しても政府部内で調整して解決してきたこれまでのやり方が機能せず、通関手続きが遅延した。

(ロ)このため、余計な倉庫保管量等が生じ、当該費用の負担問題が発生した。

(ハ)国営企業に依存してきた輸送及び倉庫の農業省におる確保が難しくなった。

(ニ)援助資機材の発注時から配付までに時間がかかり、この間に需要が変化(需要者が援助資機材の代替品を市場で調達し、売れ残り現象が発生)した。

(ホ)2000年の大洪水によってベイラ市及びマプート市の倉庫に保管されていた肥料の一部が浸水し使用不能となるものも発生した。

(注)1990年にJICA専門家及び外務省員がそれまでにモザンビークに実施した食糧増産援助について、援助資機材の配付・使用状況を含め調査し、評価報告(平成4年6月外務省経済協力局「経済協力表か報告書」参照)を行っています。なお、2000年1月に在モザンビーク大使館が設置されるまでの間、1985年4月前は在タンザニア大使館、1985年4月から1999年1月の間は在ジンバブエ大使館、1999年1月から2000年1月の間は在南アフリカ大使館がそれぞれモザンビークを兼轄しており、モザンビークに対する経済協力の窓口となるとともに、経済協力の効果等についても管轄公館としてチェック機能を果たしていました。

3.上記2.において言及した1997年度の援助資機材の在庫に関しては、2001年11月15日時点で次のとおり確認されています。

(1)在庫となっている援助資機材(1997年度分)は全体の40%である。

(2)2000年の大洪水によってベイラ市及びマプート市の倉庫に保管されていた肥料の一部が浸水し使用不能になりましたが、モザンビーク政府は浸水による環境への影響は心配ないとしている。

(3)2000年2月の調査時において一部不明とされた援助資材機材については、ベイラ市のFFAの倉庫に保管されていることが判明している。

4.オブソリート農薬の問題は、モザンビーク等開発途上国だけでなく農薬を使用している先進国にも共通の国際的な問題であり、地球環境保全の観点から真剣に取り組むべき問題と認識しています。モザンビークにおいては、デンマークの協力によって既に約900トンのオブソリート農薬が処理されたと承知していますが、依然として数百トンのオブソリート農薬が存在すると推定されています。現在、FAOの協力によってモザンビーク政府が国内の農薬在庫リストを作成しており、今後同リストをもとにオブソリート農薬を確定する作業が進められるものと承知しています。既に処理された約900トンのオブソリート農薬及び現存するオブソリート農薬の中に食糧増産援助の下で調達された農薬がどの程度含まれるのかは明らかではありませんが、我が国政府としても、オブソリート農薬の発生防止及び対策面でどのような協力ができるかを検討しているところです。

5.我が国政府は、在モザンビークの国際機関、各国援助機関等との間でモザンビークに対する効果的かつ効率的な援助の実施という観点から種々意見交換を行っています。これらの機関のほとんどからは、モザンビークに対する食糧増産援助についてその効果を評価するとした上で、食糧増産援助の効果を高めるために援助資機材の配付方法、援助資機材の品目等について助言がなされています。他方、一部の機関からは、特にモザンビーク政府による農薬の選定から使用に至る実施上の問題点の指摘を受けており、我が国政府としてもこれを真剣に受け止めています。

6.2000年の大洪水の被害に対する国際的な支援の枠組みを協議した同年5月のローマ会議において、我が国政府は30億円の支援を表明し、その中で食糧増産援助の可能性についての言及がなされていることは事実です。しかしながら、我が国としても1997年以降のモザンビーク政府の実施体制についての問題点は十分に認識しており、他のプロジェクトとの複合的な実施等の可能性を検討する余地を残しておくとの趣旨で言及したものであって、食糧増産援助を実施するという前提でのことではありません。

(了)


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