公開質問状

2001年8月30日

外務大臣 田中眞紀子様

モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク
代表 舩田クラーセン さやか
兵庫県川辺郡猪名川町松尾台3-2-3

賛同団体
日本国際ボランティアセンター
債務と貧困を考えるジュビリー九州
関西・南部アフリカネットワーク

モザンビーク食糧増産援助(2KR)についての公開質問状

私たちは、2000年及び2001年にモザンビークを襲った大洪水の被災者を支援するために活動する市民団体です。

洪水被害に対する国際的な支援の枠組みを協議した2000年5月のローマ会議において、日本政府は30億円の支援を表明しました。その具体的な内容について私たちも注目しておりましたが、農薬援助を中心に過去に問題を指摘されている「食糧増産援助」(通称2KR)が検討されていることが明らかになりました。

結果的に、洪水被害に対する支援としての「食糧増産援助」実施は見送られましたが、私たちの入手した情報によれば2002年の実施へ向けて改めて調査が開始されている模様です。

「食糧増産援助」とは、ODAの無償資金協力の一環として農薬、化学肥料、大型農機具の支援を行うものであり、モザンビークに対しては1983年から1997年までの14年間で総額115億円が実施されてきました。しかしその援助は、(1)現地住民の多数を占める小規模農民にとって本当に必要な資機材ではなく、(2)1994年まで内戦状態にあり農業資材等の国内流通が不可能な状態にあったにも関わらず大量の資材が送り続けられ、(3)配給されず倉庫に山積みになった農薬が危険な状態を招いて国際機関から批判を浴びると同時に、これを撤去するための新たな負担も生じている、といった多くの問題を引き起こしています。国民の税金を使った巨額の援助が、現地の人々の支援につながることなく14年間も継続されてきたのです。

このような重大な問題を抱えた「食糧増産援助」が、過去の実績に対する十分な評価もされないまま2002年から再開されることに私たちは疑問を抱かざるを得ません。少なくとも、過去の問題に対する評価と再検討なしにモザンビーク食糧増産援助を再開すべきではないと考えます。

私たちは以下の点について質問します。文書において、すみやかな回答を求めます。

  1. 1983〜1997年にかけて実施したモザンビーク食糧増産援助についてどう評価しているのか。私たちが入手した情報(別紙資料)について事実確認、コメントを願いたい。
  2. 2002年から食糧増産援助の再開を検討しているが、その内容と再開理由は何か。特に、2度にわたる洪水によりダメージを受けたモサンビークにおいて、何故敢えて再開するのか。また、モザンビーク国民の多数を占める小規模農民を支援する援助内容となるのか。そう考える根拠は何か。

以上

(資料)

モザンビーク食糧増産援助(2KR)についての問題点

モザンビーク洪水被害者支援ネットワーク

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1. 対モザンビーク2KRの概要
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  • 83年から97年の14年間で、対モザンビーク(以下モ国)2KRの総額は115億2千万円(*1)。内容は、農薬を中心に化学肥料、大型農機具等となっている。

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2. 2KR開始期のモンザビーク国内状況
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  • 日本政府が2KRを開始した83年は、モ国内で反政府ゲリラによる紛争が全国的に拡大し、大量難民と死者が出るとともに、飢餓が問題化した年である。
  • この紛争は、激しさを増しつつ92年末まで全国規模で継続した。モ国内の大半において農業が営まれ得る状況ではなく、村に留まることさえできなかった人々は難民化し、食糧援助に頼るしか生きる道がなかった。
  • つまり、当時の状況では流通・小売業者等が農薬、肥料等を購入するなどということは考えられなかった。
  • この時期における巨額の2KR実施について、日本側にはどのような理解と調査、議論、意思決定、体制があったのだろうか。

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3. 内戦下(83年〜91年)の2KR資材及び「見返り資金」(*2)の不明
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  • 結果的に、83年から91年までに供与された2KR資材がどのような経路でどこへ行ったのかは全く把握されておらず、日本側が99年に行った調査では「配布先・用途共に不明」とされている。
  • つまり、日本側は10年以上にわたり、紛争状態のモ国において、(モ国側の2KR資材に対する需要の有無、2KR実施体制等に関して)十分な調査を怠ったまま、毎年大量の2KR資材を垂れ流してきたことになる。
  • 2KRのスキームでは、モ国政府は2KR資材を市場で売却する際に得る資金の一定額を積み立て(「見返り資金」)、国内の社会開発等に活用することになっているが、モ国は所謂「見返り資金」口座を設置せず、83年から91年分の「見返り資金」については記録さえ存在しない。「見返り資金」に関しても日本は放置していたことになる。
  • これらの問題については、在外公館が毎年作成している「食糧増産援助関連資料」を始め、関連資料を全て公表し、問題点を検討する必要がある。
  • さらに、2000年までモ国には日本大使館等の代表機関がなかったが、モ国への援助案件等の窓口はどこが行っていたのか。巨額の2KR援助について現地でのチェック機能はあったのだろうか。

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4. 和平合意(92年)後の2KR実施状況と未使用農薬の問題
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  • 内戦下での問題についての評価、改善策を欠いたまま、更に92年の和平合意後、市場経済化に伴ってモ国の状況が変化したにも関わらず日本は2KRを継続させた。
  • 内戦終結後の2KR実施の意義として「主たる支援対象は小農」としている(*3)にも関わらず、これまでの2KR資材は一般に大規模農家しか購入できていないと思われ、市場に出回った2KR資材(特に農薬)が綿花プランテーションなどで使用されたケースが見られた。市場全般においても農薬の需要は非常に少ないにも関わらず、多品目大量の供与があった。
  • 大量の資材を垂れ流し続けた末、98年になり日本政府は「モ国の実施体制に不備があり未配布の資材があるため」と2KRを中断した。
  • 現在モ国には、大量の使用期限切れの未使用農薬が確認されており、その背景に国内需要を超える農薬が輸入され続けたことが指摘されているが、この内のある程度の量が過去の日本の2KR供与分である可能性が高い。
  • このような経緯を知っている在モ国の国際機関や各国政府機関、国際NGO等は、日本の対モザンビーク2KRに対し批判を強めた。
  • 使用期限切れの農薬(割合は不明だが日本の援助分も相当含まれる)は焼却処理される予定であり、環境面からも問題があると国際NGOなどは批判している。

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5. 97年度の2KR資材が長期にわたり港の倉庫に放置された件
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  • 97年度の2KR資材(農薬・化学肥料・機具類)は引き取り手が現れず、99年5月以来長期にわたってモ国の港の倉庫に放置されたままの状態にある。 倉庫への雨漏りの結果、一部資材(化学肥料など)は水に浸かって危険な状態となっている。
  • このように日本から到着した資材の大半は倉庫に積み上げられ放置されたままの状態だが、一部の品目は行方不明となっている。
  • 日本側の認識では、これはモ農業農村開発省の問題であるとしているが、80年代〜90年代初と同じく、日本側の調査・管理・協力体制に問題があったのではないか。資材の中に含まれていた大量の農薬はモ国の農民の需要とかけ離れている品目が多く含まれているとの指摘があるが、事前調査はどのように行ったのか。
  • その後、放置されたこれらの資材はどうなっているのか。
(註)
  •   93年までモ政府は2KRのスキームに従わず2KR資材の無償配布を行っていたので97年のような在庫とはならなかった。しかし無償配布した資材が有効に使用されたかどうかは確認されていない。
  •   むしろ、配付されても使用されなかった農薬が大量に残り、これらが各国援助機関が回収しようとしている未使用及び使用期限切れ農薬の何割かにあたる可能性がある。

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6. 国際NGOからの2KR批判
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  • 在モザンビークの国際機関、各国援助機関、NGOなどは以下のように2KRを批判している。
    1. このような資材供与は、市場を歪め、健全な市場の育成を阻んでいる。
    2. 需要のない農薬を2KRで調達したため、これらの使用期限が完全に切れていたり、また切れつつあるので、大変危険な状態となっている。
    3. モ政府農村開発省にはこのような巨額で複雑なシステムを運営する能力もなく、やるとしてもあまりにも大きな労力を消費してしまう。

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7. 2000年の大洪水と2002年6月の「再開」計画について
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  • 以上のような問題点があるにも関わらず、2000年2月〜3月にモ国において発生した洪水被害への緊急援助として、何故かこの2KRが検討された(*4)。
  • その背景として、上述の2KRをめぐる問題が日本の援助機関によっては公表されず、日本の援助が引き起こした問題であるという認識が不足していることが挙げられる。これまでの私たちの質問に対して、外務省は「事前調査は行っているし、日本の責任だとばかり言われても困る」と回答している。(*5)。
  • 以上の様々な問題点等が明らかにされないまま、2002年7月には2KR再開が計画されている。

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8. まとめ
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  • 以上を鑑みると、モザンビークという人々を生死の境に追いやるような厳しい武力紛争状態の国に対して、紛争が激化した83年から91年まで大量の農薬・化学肥料・農機具を供与し続け、供与開始から10年近く経ってからこれらの資材の行方を調査し、問題がモザンビーク政府側にあるとする日本の援助姿勢には疑問を感じざるを得ない。
  • 115億円余の巨額の税金が効果的に使われなかっただけでなく、未使用農薬は環境にも影響を与えかねない危険な状態となっている。農薬の処理に最貧国であるモザンビークの資源と国外からの援助(デンマーク政府の無償援助が予定されている)が使用されなければならない状況を、日本の2KR支援は招いた。

(註)

*1:外務省「ODA白書」によると対モザンビーク2KR額は83年2.2億円、84年4億円、85年5億円、86年9億円、87年9億円、88年9億円、89年9億円、90年9億円、91年9億円、92年9億円、93年9億円、94年10億円、95年10億円、96年6億円、97年6億円の計115.2億円。

*2:「見返り資金」とは、援助物資として供与された資機材を当該国政府が国内市場に流通させ る際、売却代金として一定額を積み立て、それを社会開発に活用することを義務付けたもの。

*3:国際協力事業団「モザンビーク食糧増産援助調査報告書」(平成8年)によると「新5ヵ年計画の発足によって、農業省より2KRを通じて調達する資機材を小農支援のために積極的に活用する方針で臨みたいとの意向が示されている」とあり、支援対象は小農であることが明記されている。

*4:最終的には、2KRではなく「食糧援助」(5億円相当の政府備蓄米)が実施された。

*5:2001年2月21日外務省無償資金協力課担当官とモザンビーク洪水被害者支援ネットワーク代 表者との意見交換より。

以上


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