Albatross on the figurehead 〜羊頭の上のアホウドリ


   
子戻り唄 
 


        




「…?」
 波間を進んでいたところ、不意に身体に力が戻った。えっちらおっちら・ぱしゃぱしゃぱしゃ…と、もどかしいくらい少しずつ水を掻いていた手ごたえが一気に増加して、あんなに重かった刀もさして負担ではなくなったし、それに…ずり落ちないようにと服を絞って縛り上げてた腹が苦しい。立ち泳ぎに切り替えて、腹巻きごと腰を締めていたロープを手早くほどく自分の手を見て、
「…戻ってる?」
 重みのあるでっかい見慣れた手だ。おお、これは十九歳の体に戻れた…と判ったと同時、驚くのも喜ぶのも後回しにして海面上でがばっと振り返り、後方へ腕を伸ばす反射は大したもの。というのが、
「あっぶねぇ。」
 こちらも十七歳に戻っていて、当然ながら…カナヅチに戻っていたルフィが沈みかけていたからだ。二の腕を掴んで引き上げたところ、気持ちよく脱力状態になっているのを幸いに、仰向かせた上で小荷物扱いで小脇に抱える。そんな不自由そうな体勢で波間を掻き分けることとなったゾロだったが、今度はなかなか力強くて、見る見るうちに目的地へ到着してしまった。
「おい…おい、着いたぞ。」
「あ?」
 岩城の最下層、カモフラージュされた崖の狭間に覗く船着き場にほど近いが、そこからは死角になっていそうな岩礁へ上陸し、人事不省の相棒を揺すり起こすと、
「あれぇ? お前、元に戻ってないか?」
「おめぇもだよ。」
「じゃあ、奴らやっつけなくても良いじゃん。」
「あいつらを助け出さんでも良いのかよっ。船だってねぇんだぞ?」(演出;軽い憤慨から歯を噛み締めたままで。)
こらこら
「あ、そうか。」
 相変わらずいちいち手間のかかる船長さんである。それはともかく。(今回、こればっかり)さっき折り上げて調節した衣服を手早く元に戻し、刀も定位置に装着し直す。それから…そんな様を他人事として暢気に眺めていた船長へ、
「…ルフィ、ベルトを戻せ。」
「あん?」
 さすがはゴム人間で、子供サイズに絞ったベルトが腹をぎゅうぎゅうに締め付けているというのに何ともないらしい。
「別に平気だぞ?」
「見てる方が落ち着かねぇんだよっっ!」
 本人からして大雑把なくせに、自分より抜けている相手には妙に世話を焼いてしまう。どうもウチのゾロ氏はめっきりと"長男タイプのO型"であるらしい。
あはは …と、そんな間合いに、
「んっ!?」
「どうした?」
 不意に何かしらへの鋭い注意を示したルフィに合わせて、敵が現れでもしたのかとゾロもまた緊張して見せたものの、
「食いもんの匂いがする。」
「お前なぁ…。」
 一気に気が抜けて、逞しい肩が片方、10.4cmばかりずり落ちた。脱力気落ち攻撃を身内に連発で炸裂させてどうしますか、船長さん。とはいえ本人は至って真剣な様子であり、そういう奴だというのは…悲しいかなゾロにも実はよくよく判ってもいる。善しにつけ悪しきにつけ、いつだってどこかで何かが常人と違う男だ。何を根拠にそういう解釈をするのだろうかと怪訝に思うようなことが幾度あったか、どうして選りにも選ってそっちへ突っ走るんだと慌てたことが何度あったか。そんなことに通じている自分自身にも時々空しいものを感じるが、今はそんなことを憂いている場合ではない。たいそう真剣に辺りの空気を探っていたルフィが、
「これはサンジの料理の匂いだ。」
「…何だって?」
 何を言いたい彼なのか何とか洞察してみようという機転を利かせる以前に、何が何だか、言うに事欠いて何を言い出すんだかとますます混乱しかかってさえいるゾロであり、こればっかりはもうちょっと付き合いが長くなんないと…加えて気も長くなんないと呑み込むのは難しいことかも。そんな二人がごちゃごちゃをやっているその頭上。海上の海賊城の内部では…。



          ◇



 ――カメラが転じたばかりではありますが、
   時間的には少々逆上っていただきます。

「相変わらず、お頭の"子戻り唄"の効き目は抜群でやすねぇ。ガキにしちまえば場所も取らなきゃ扱いも楽でやんすし、そのまま売っ払っちまえば良いんですからねぇ。」
 サンジの予想は当たっていたようで、連中は捕まえた賞金首の海賊たちを売りさばくルートにもコネがあるらしい。ある意味で同業者を売る卑劣な行為だが、それもまた極悪非道にして無法の輩にとってはごくごく当然の仕業なのであろう。
「三千万ベリーの船長と二千万ベリーの海賊狩りのゾロを逃がしちまったのは惜しいが、
 そんでも後の三人だけでも結構な額になりやすね。」
「おうよ。それにそっちの二人にしても、だ。生きてたとしてこの近辺からそう遠くに逃げ出せる筈もねぇ。何たってガキに戻っちまってる上に船もないんだからな。ま、のたれ死ぬ前に見つけてやるか、骨でも拾ってやるのが慈悲ってもんだ。あとで辺りを見回っておけよ。」
 度量が広いとでも言いたそうだけれど、実のところは…彼らには『Dead or Alive』生死を問わずという懸賞金を懸けられているからでしょ? 成程、大方はゾロやサンジが見通した通りの展開らしいが、色々とザルなやりようでもある。何故なら…という解説は、これからの展開で披露するとしましょうかね。頭目と幹部らしき男とが会話を交わすここは、海賊には少々不釣り合いな装飾の残る広間で、海に向いた側の壁はその縁取りを半円にカーブさせて張り出させている優雅なデザイン。とはいえ、内装はほとんどないも同然で、等間隔に並んだ腰高な窓も、ところどころはガラスが嵌まっていないようだ。そんな窓からは四方を囲む海からの潮の香りが流れ込むのが常なのだが、
「んん? なんか良い匂いがしねぇか?」
 ふと…気づいて顔を上げ、ヤギ髭の頭目は辺りを見回して見せる。潮の香には飽きているが、だからこそ、それとは違う匂いに敏感に気づけたのだろう。しかも、格別に魅惑的な種の匂いだ。匂いに形があるとしたなら、バニーちゃんの衣装で挑発的に尻尾を振り振り、
《んふふ、こっちよ〜ん。捕まえてごらんなさぁ〜い。》
 そんな雰囲気でどこいらからか彼を誘っているかのような…気がしたらしい。
おっさん、おっさん
「良い匂い…ですかい?」
「おうよ。ウチの料理番じゃあねぇな、こりゃ。」
 天井あたりをキョロキョロと見回していた頭目殿は、向かい合っていた幹部格の男にこう命じた。
「誰が何して出てる匂いか、突き止めて来い。」
 や、ややこしい命令だな、そりゃ。



          ◇



「ウソップ、ナツメグ持ってねぇか。」
「おうっ、あるぜい。」
「…あんた、そのバッグに一体何をどのくらい入れて持ち歩いてんのよ。」
「さあなぁ。一度こん中も片付けなきゃなぁと思っちゃいるんだが。」

 これがどういう作戦なのかの説明は一切ないまま、まずは…牢の中のあちこちに崩れ落ちていた石材を集めて一か所に積み始め、器用にも簡単な火床
カマドを作ったサンジだった。それからがウソップの鞄の出番になろうとは、ナミもウソップ自身もちょっと予想しなかった。彼のガマグチバッグは、一見したところ大層雑然としているため、ガラクタばかりが入っているようにしか見えない。それに加えて"子供だから大したことも出来まい"と高をくくっていたのだろう。怯え切った彼が小さくなった身体ごと、手足4本使ってぎゅうっと抱え込んだそのままに、この牢屋へ持ち込めていたのだ。そのバッグが現在只今大活躍中。まるで自分自身が本来の持ち主であるかのように、次々にあれやこれやを取り出させているサンジであり、

〈ウソップ、釣り糸はあるか? ああ、釣り針もな。〉
〈羽根か何かないかな、擬似餌に使えそうな。〉
〈確か水筒に飲み水を入れて持ってたろ?〉
〈酢はねぇか? バルサミコなんて贅沢は言わねぇ。〉
〈ナイフはねぇか?〉
〈鉄串はねぇか?〉

 …ちょっと待て。ちゃんと武器になりそうなものまで入ってて、よく没収されんかったなぁ。まあ、大方…すっかり逃げ腰になってた子供に何が出来ようかと、これもまた"これまでがそうだったから"という頼り
アテにならないものを参考にして甘く見積もったというところなのだろうが。そうして進められた作業は、天窓から外へ糸を投げての釣りに始まり、大漁の後の鮮やかな包丁さばき、簡易カマドに火を起こしての調理と盛り付けを経て、ちょっと早い"晩餐 in岩牢"にこぎつけようとしていたから、末恐ろしい子供である。…あ、中身はもういい年齢トシの兄ちゃんだっけか?  子供の頃もほとんど同じ髪形だったのは他の面子とご同様。片方の目許にかかる鬱陶しい前髪を、首をちょいっと振るって跳ね飛ばし、
「あいつらとぶち当たる直前までルフィが釣りをしていたろ?」
 フライパンの代用品にした…壁から抜け落ちてた鎖留めらしき鉄板を火床の上で軽快に揺さぶりながら、サンジ坊やは楽しそうに調理を続けている。当然、素手では掴めないから、やっぱりウソップのバッグから取り出したヤットコを使って、助手のウソップと力を合わせてのことだが。
「ここいらは結構な釣り場らしくて、上物ばかりが食いつく"あたり"が来てたんだよ。」
 さすがはシェフ殿。何げない光景の中、そういうものにまずは目が行くんだねぇ。
「………えっと。」
 この模様に一番驚いたのはウソップでもナミでもなく…見張りである。次から次へと要りような道具が幾らでも出て来るのも驚きではあったが、小さな子供が実にてきぱきと、調理用のカマドは作るわ、釣った魚はさばくわ、小さな手でそれは鮮やかに作業をこなしているのがもっと驚異で、開いた口が塞がらないでいる。よくよく考えりゃあ、クドイようだが…見かけはともかく中身はただの子供じゃないんだから、若返る前の知識が残っていてそれを発揮しているだけのことなのだが、人というのは目で見て得た情報を優先するそうで(だから…夢は"見た"って感覚になるんだそうです。本当は脳の中で情報が行き来しているだけだのに。)、それだけにインパクトも殊更に強いのだろう。
「さて、お待ち遠さま。ウオゼの南蛮漬け風とアイナメのレモンバタームニエル、海草のサラダ、ヤドカリのエスカルゴ風、出来上がりでございます。」
 おおおぉぉっとっっ! 食材の仕込みからものの1時間とかからずに完成ですかい? でも…ちょっと待った。揚げ油や小麦粉、レモンバターまで出て来たんかい。それに…ヤドカリって食べられるの?
「クセのある魚ならコアントローの方が合うんだ。まあ、アイナメならこの味付けでも上等だろう。」
 コアントローというのはオレンジのリキュールのこと。鴨料理なんかのソースに使われてますな。大皿代わりの平らな岩片に海藻を敷き詰めて料理を盛り、各々皿は缶の蓋という粗末さだが、そんなマイナス・ファクターなんぞ何するものぞという豪華な仕上がりで、
「ゴーイングメリー号の冷蔵庫にデザートのババロア・シャルロット風が出来上がってる頃なんだが、それが出せないのが口惜しいねぇ。」
 そうかいそうかい、これでもまだ不満はあるんだな。傍から見る分には子供たちのおままごとか"食べ物屋さんごっこ"だが、並んだ料理は香辛料の匂いも香
かぐわしい一線級の本物揃い。戦闘疲れから小腹が空きかけていたこともあって、
「いっただきま〜すっ♪」
 3人揃ってにこにこ笑顔で早めの食事と相なった。一時的とはいえ、現状の侘しさや心細さも忘れさせてくれるから、食の豊かさって大切なことなんだなぁ。健啖家ぶりを見せる仲間二人の様子に作る喜びを噛み締めているかに見えたサンジ少年が、さりげなくチロンと見やったのは…上階から通じているらしい扉だ。しばし待つこと数分後。そこがバタンと開いて別な海賊仲間が一人現れたものだから、まるで予告篇で確認済みなドラマの成り行きの好転を再確認したかのように、口の端でにやにやと笑うサンジである。
「なんだなんだ? なんであいつらに大盤振る舞いなんかしてやってるんだ?」
「いや…違うんだ、兄貴。あの金髪の小僧が…。」
 ぼしぼしぼし…と耳打ちしている様を横目で眺めやるサンジの密やかな笑みに、ナミの口許にも小さな笑みが浮かんだ。
"あ、そうか。なるほどねぇ…。"
 喚くより言いくるめるより効果的な"誘い水"。美味しいものの匂いという、有無をも言わせず五感に直接訴える代物を囮に使うことで、状況を牛耳る切っ掛けを作ろうと構えた彼であるらしい。
「おい、そこの。」
 格子の外からの不遜な呼びかけに、これがいつもなら…すぐさま"ムカッ"と来て無視
シカトをするか怒鳴り返すところを、
「なんだい?」
 できるだけ気さくにと努めて返事をする。口元が心なしか引き吊っているが、短気な彼にはなかなかの我慢だろう。
「その料理、お前が今作ったってな。」
「ああ、そうだよ。」
「どうだ? その腕前で俺たちに食事を作る気はないか?
 お頭の機嫌が取り結べたら、悪いようにはならんと思うんだが。」

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