A “蜜月まで何マイル?”より


        2


 鍵一本に船中を引っ繰り返してまでの捜索活動をやらかしたのも、別な見方をするならそれだけ暇だったからで。午前中の大捜索の後片付けも一通り済んで、美味しい昼食も済み、さてと…と普段のモードへと皆が立ち戻る。次の島まではまだ少し、2日くらいはかかるだろうか。発色の良い明るい青をムラなく上手に塗られた空と、藍から青への鮮やかなグラデーションを呑んだ広い広い海。さして荒れもせず穏やかな海上をさくさくと進む船は、潮騒の単調な調べにゆったりと揺られて、どこか揺り籠のような効果を見せ始め、
「…?」
 何かしら呼ぶものでもあったのか。上甲板のいつもの船縁に凭れてうたた寝しかけていた剣豪がふと立ち上がり、船長お気に入りの指定席へと足を運んだ。大胆なまでにデフォルメされてそれはそれは丸っこい顔の両端に、これもまた…カタツムリの背負う家のようにクルンと丸まった角を配した、羊の頭のフィギュアヘッド。どこぞの伝説から持って来られた海獣や女神像に比べれば面積はあるが、それでも丸みのある、非常に不安定な場所だというのに、相変わらず彼らの船長殿はこの舳先が大好きで。丸い角の間の頭頂部に胡座をかいて、進行方向の先の先、果てのない水平線を眺めて日がな一日過ごすのが、さして予定のない日の日課である。いつものように海原の果ての方を眺めている背中を見やったゾロは、だが、
「………っ。こら、ルフィ。」
 その長い腕を伸ばすと船長殿の肩を掴んだ。いつもなら"何すんだよ"と、肩越しに振り返りながらの、驚くなり笑うなりの反応が返って来る筈が、

  ―――――っ。

 ぐらりと。何の抵抗もなく傾いた体が、転がり落ちて来る。ぎょっとしつつも予想はあったらしく、ゾロは自分の体の正面に小さな船長の肢体をしっかと受け止めると、頼りがいのあるその両腕の中へ横抱きの格好のまま、甲板の中ほどへと移動して。そのまま片膝をついて屈み込むと、船長殿の顔を覗き込んだ。
「ルフィ、どうした。寝てんのか?」
 下へとついた足の腿へと座らせて、立てた方の膝を背もたれ代わり、やや立て掛けられるような角度を取らされたためか、麦ワラ帽子ごと、少年の頭が前へと力なく項垂れる。
「ルフィ?」
 こんな風に、羊の上にいながら寝てしまったことがこれまで一度もなかった訳ではないが、そこは反射神経の鋭い彼のこと。うつらうつらと舟を漕ぎつつも倒れかかってははっと目を覚ましていたし、何より、
"…そうまで眠いなら自分から降りて来るんだが。"
 欠伸の一つでも出ようものなら、とっとと自分で見切りをつけて、すぐ傍で昼寝をしているゾロに膝枕をねだり、甲板で大の字になって寝る。いつもならそうしている彼な筈だのに。こんな危ない状態のままでいたとはと、初めての危機に少なからず肝を冷やした剣豪だった。とはいえ、
「…ま・いっか。」
 一応無事ではあったのだ。こんなにも気持ちよく深い眠りについているものを、わざわざ起こすのも可哀想というものだし、と。目を覚ましたら叱れば良いさと、そうと決着づけると、ゾロは声を立てずに小さく笑う。そうして、
「………。」
 抱え直した船長殿をしばらくじっと見やっていたが、ややあって。伸ばし直した膝の上へ頭をそぉっと乗せてやり、一緒にお昼寝タイムへと入ることにした。

  この時はまだ、変事には気がつかないでいた剣豪殿であったのだ。


            ◇


《………え、ねえってば。》

 うにゃ? 今、何か言ったか? ゾロ。

《あなた、一体どうやって此処へ来たの?》

 此処? 此処って…此処どこだ? あれ、お前、誰だ?


            ◇


 様子が変だと気がついたのは、そろそろおやつだということがそれはもうありありと判った状況からだった。
「…ん。」
 相変わらずに暖かな陽射しの降りそそぐ甲板の至るところに立ち込めていたのは、甘い甘い蜂蜜とバニラの香り。パウンドケーキだかシフォンケーキだか、相変わらずゾロにはその区別がつかないのだが、ルフィの大好物の匂いだというのは判って、
「ん〜ん。」
 船端に凭れたままだった体のあちこちを、クキクキとばかりに捻ってから、大きく大きく背伸びをし、くかあぁと大口を開いての欠伸を一つ。それから、
「ルフィ、おやつらしいぞ。」
 膝の上を見下ろして、そこに眠り続ける船長殿へと声をかける。だが、
「…ルフィ?」
 何かが訝
おかしいと、ふと、感じた。いつもなら…こんな風に声をかけるまでもなく、この魅惑の甘い香りに誘われて既とうの昔に目を覚ましているのが彼ではなかったか? だというのに、
「………?」
 今はどうだろう。その瞼は降ろされたままであり、口許もどこか無表情に閉ざされていて、ひくりとも動かない。
「ルフィ?」
 手を伸ばし、肩を揺すってみた。力なく首ごとゆらゆらと揺れて、だが、その眸はやはり閉ざされたまま。
「おい、何をふざけて…。」
 言いかけて、はっと気がついたことがあり、辺りを見回す。彼らが腰を下ろしていた少し先の甲板の上に"それ"はあって、
「ルフィ? これ、飛ばされてるぞ? 宝物じゃないのか?」
 コック殿のお手伝いだろう、メイプルシロップの小さな壷を両手に掲げて、とたとたと可愛らしい足音をさせながら階段を上ってやって来た船医殿が、やはり気がついて拾い上げ、わざわざ傍まで持って来てくれたのだが、
「…ゾロ?」
 そんな彼の顔をじっと見つめて来る剣豪の表情が、何だか尋常じゃなくって。思わずギョッとして、その手に持っていた麦ワラ帽子を取り落としかけたチョッパーだった。


  「ルフィが…目ぇ開けねぇんだ、チョッパー。」



NEXT→***


back.gif

、2/