月夜見
  
千紫万紅(とりどりの色)
      〜ウィンター・オーバル "蒼夏の螺旋・後日談"


           


  ―――冷たい青の真夏から七年が経って、
      今、街角には赤と緑のデコレーション。
      気の早い天使とサンタが駆け回り、
      飛びっきりの暖かい冬を迎えようとしている。


 気がつけば空の色と高さが変わっている。いつの間にやら季節は流れている。何だかあっと言う間だと、さも新鮮なことのように言う従弟は、つい最近まで停滞した"時"の澱みの中に居たのだから、尚のこと、そう感じもするのだろう。そして、こちらはこちらで別の意味で、やはり…あっと言う間にこの半年を消化したよなという想いが一入
ひとしおだ。社会人一年生としての生活が落ち着きだしたばかりの初夏に飛び込んで来た一大事件に翻弄されかかり、それが片付いたら片付いたで、余波というのか"お土産"というのか、それとも…翻弄された彼への"ご褒美"とでも言うべきか。可愛らしい同居人という新しい要素が増えた新生活にあらためて馴染まねばならなくなった。

「ゾローっ、何かピーピー鳴ってるぞ。」
 伸びやかなルフィの声に、ネクタイを結びながらキッチンへと足を運ぶ。見るからに清潔で明るいダイニングキッチンのどこかで、確かに何かの電子音がしていて、
「何かって…こらこらっ、ガスだ、警報機だよっ。コンロのスイッチを切れっ!」
 トレーナーの袖を肘近くまでまくり上げ、みそ汁が吹きこぼれたナベを流しに浸けて悠長に洗っていたらしく、しかもその間、火が消えただけのコンロのスイッチを切ってはいなかったらしい。火が消えた途端にガスを止める安全装置が働く筈なのだが、間が悪かったかどうかしたのだろう。それにしたって確かめれば済むことで、
「あ、そうか。ごめんな。」
 慌てて流し台前の小窓を開けるゾロに、謝りながら申し訳なさそうに肩をすぼめる姿が、何とも言えず幼くて、ついつい…ぱさぱさとまとまりは悪いが艶があって手触りの良い黒髪を指にからめるようにして、その頭を撫でてやる。
「…怒ってねぇって。ビックリしただけだ。けど、火やガスを使うってのは危ないことだからな。手ぇ出すんならそういう注意もちゃんとしろな。」
「うんっ。」
 何もしなくて良いとさんざん言って来たのだが、何もしないでいるのは気が引けるのか、それとも留守番をしている間が退屈なのか、色々と家事にも手を出すようになって来た。掃除や洗濯は掃除機や洗濯機があるから…とはいえ、実は一度、結構高かったスーツを洗濯機に放り込んでくれたりしたこともあったりしたのだが、まあ…さほどの問題はない。だが、火やガスや刃物を使う"料理"だけは、ゾロの目がある時にのみ、やって良いという約束をさせられている。慣れてなかろうからとか不器用だからとかいうのではなく、純粋に怪我や事故が心配なのである。ので、朝の食事の用意は頑張りどころだと奮起しているらしいのだが、今のところは…3日に一度は鍋を焦がすか吹きこぼしている様子。
「でも今日はちゃんとゾロの分は死守出来たぞ。」
 大切そうに両手で抱えた汁椀をテーブルの定位置に置いてにっこり笑う。
「ありがとうな。」
 再び大きな手でぐしぐしと頭を撫でてやると、何だよ子供扱いすんなよなーと言い返しながらも、顔は正直なもので"にっこにこ"とご機嫌そうだ。ちょっと焦げた鮭の切り身と、ホウレン草の煮びたしと。だし巻き玉子はまだ焼けないけど、大好きだからゾロに作ってもらって、炊きたてのほかほかご飯を茶碗によそうと席につき、
「いただきま〜す♪」
 食べる前にパチンと合掌するのは、ゾロがついやってしまうのを見ていて覚えたもの。本人は…社員食堂なぞでやりかけては拳を握って誤間化そうとしているらしいが、ルフィにしてみれば、この何年かのずっと、指を組む方の合掌をしていたものだから違和感はない。むしろ、何でゾロには恥ずかしいのかが判らないらしい。この辺り、相変わらず"外国の異文化ナイズ"されている少年である様子。それはさておき。
「今晩はどこか外で待ち合わせて食べようか。ちょっと遅くなるからさ。」
 焼き海苔にかける醤油をサイドワゴンから取ってもらいつつ、ゾロがそうと持ちかけると、
「え〜? だって、おでんの出しの取り方教えてくれるって言ってたじゃんか。」
「今日だったか?」
「…今日とは言ってないけど。」
 むむうと不満げに唇を尖らせる。今日は金曜で明日は休み。だから、時間を置いて寝かすのに丁度良いかなとか、練習も兼ねてやってみる分、少しくらい食事が遅くなっても良いかなとか、そう考えていたのに。
「なあ、何かこの頃、凄く忙しくないか? ゾロ。」
「…まあな。」
 家に居る時は出来るだけ構ってくれるが、ルフィが寝た後や随分早くに起き出してとかして、持ち帰ってた書類を片付けているのを実は知っている。この二、三週間かは特にだ。年末が近いからだろうか? だが、彼が籍を置くのは結構大きめの商社で、クリスマスや年末年始向けの商品取引はとっくに方がついてる筈。帳簿の決済は経理課の仕事だろうし、直接の商品手配や調整もゾロが所属する部署の仕事ではなく、今時分の商談やら取引やらとなると、来春向けのあれやこれやというところか。
「残業して来ても、俺、平気だぞ?」
 無理から定時に帰って来ているのがありありとしていて、しかもそれが自分を寂しがらせないためだと判る。心遣いは嬉しいが、自分のせいでいつか身体を壊しでもしたら…と、そう思うところが、そこはやはり"ちょこなん"とした見かけはともかく中身は21歳。タフネスな彼で今のところは大丈夫なようだが、それがいつまで保
つのやら。最近ようやく"バッテン握り"が治った箸を止めると、大きな眸でじぃっと顔を見つめて来る彼に、
「…まあ、そのうち落ち着くから。」
 口元に持ち上げていた茶碗の陰で、ちょっと言い淀んだのがますます気になった。嘘をつくのはルフィ以上に下手な男で、それでの言い淀みなら、何かを隠しているからではなかろうか…と、どうしたって思えて来る。じっと見つめてくるルフィからの視線に、さすがに箸が止まりかかったゾロだったが、
「…あ、ほら。メール、鳴ってるぞ。」
 隣室からパソコンのチャイムの音がした。ウェブラインを使った連絡員という"お仕事"をしているルフィが、パソコンから離れていても気がつきやすいようにと設定しているもので、
「いいよ。後で見る。」
「事務所へのだったらどうすんだ。」
「時差があるんだし、違うって。」
 そんなことで誤間化
はぐらかされないからねと、妙に強情な彼だったが、そこはこちらも負けてはいない。少しばかり眇めた目線で幼い顔をちろりと見返して、
「仕事をないがしろにするような奴は、ガキ扱いされても文句言えないぞ?」
「………。」
 そこは実生活的なレベルで"お仕事"をこなして来た分の実績がものを言う。約定やら報告やらという、情報のやりとりだけで世間が回ったら苦労はない。才能や手際、実力とは直接関係ないにも関わらず、親切で丁寧な応対の態度や誠実そうな人品とかいった事柄がものを言うよな、そういう機微はまだまだ健在。そこいらのキャリアでは、たった一年とはいえ実践経験がある分、ゾロの方が先輩であり、ついでに言うと"ガキ扱い"というフレーズも効果があったらしく、渋々ながらも確認しに席を立つルフィだ。少々唇の先を尖らせたままながら隣室に消え、マウス操作をしているらしいカチカチッと言う独特な音がかすかに聞こえて来たのも束の間、
「………あ。」
 思わず…という声を発した彼は、向かった時とは正反対な様子でぱたぱたっとスリッパを鳴らして慌てて駆け戻って来た。
「? どした?」
 言葉が出ないで、だが、座ったままなゾロのシャツの袖をぐいぐいと引っ張る。先程までとは打って変わって、嬉しそうに口許がほころんでいる辺り、よほど良い知らせらしいなと苦笑しつつ、こちらから訊いてやると、
「サンジが来るってっ!」
「…ほほぉ↓。」
 ………何なんでしょうか、このトーンダウン。
(笑)
"しらじらしいぞ。"
 あはははは。まあ、お気持ちは判ります。サンジというのは、彼らにちょいと…いやいや随分と大きな縁のある男性の名前で。その彼の来訪に、ルフィがこれほどまでに喜ぶのが、理屈では判っていても感情の上では少々苦いものを感じるゾロであるのは致し方ない。しかもその上…このトーンダウンな反応に潜んでいるのは、単なる焼き餅?のみではなかったりするのだ、お客さん。
おいおい 実を言えば、先程ルフィに心配させたほどの、隠し切れていなかった"このところの忙しさ"も、あの金髪碧眼のお兄さんの仕業なのだから、ゾロにはどうしたって素直に受け取れないというもので。世界的に名を馳せているような有名企業や大会社、高級品工房などからの引き合いがいやに増え、会社全体の株も上がり、この不景気にありがたいことだと沸いていたところへ、その原因が…ゾロにのみはっきりしたのが、今月に入ってから明らさまにゾロを名指しの商談が妙に増えたせい。社会人一年生の新米社員が何故また名だたる大企業の一流どころに名を知られているのか。
『ああ、それですか。ウチのボスのアドバイザーが"若いのに頼りになるから、これからのことを考えたら是非に頼れ"と助言して下さったからだと訊いてますが。』
『アドバイザー?』
 超有名な企業のトップたちを良いように操れる恐るべき経営アドバイザーというのが、そのサンジという男。しかも、ゾロにしてみれば…この可愛い従弟を7年間も独占し続けていたという曰くつきの相手でもあって、
"遠い空の下からの嫌がらせのお次は、いよいよご本人の到来かよ。"
 そりゃあ不機嫌にもなりますわな。…という訳で、はしゃぐルフィには悪いが、朝っぱらからどこか気が重くなってしまった彼である。


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