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−2002年7月(後半)−

2002.7.16(火)

学会発表準備。D論で誤魔化してきたところを厳密にやろうとすると、あちこちで辻褄が合わなくなってどうしてくれよう。辻褄が合わないと言うか、ここを変えりゃいいというのはわかるのだが、それをプログラミング上でどう表現したものやら。

そういや先週の予備校でのテスト答案を採点してなかったな、ということで黙々採点。答案が15枚もありながら、大問のひとつが全員全滅。ドップラー効果の問題だったのだが、音源が円運動しているところがやや難しいと言えば難しいが、解けなくはないと思っていたのだが(ちなみに立教大の入試)。まあ、はじめの小問が解けないと全部解けない、というたぐいの問題だったので0点が多いのは仕方がないが、全員0点とは。一人だけ惜しい答案があったのだが、前に危惧したようにドップラー効果の符号が見事に逆。みんながんばろう。

2002.7.17(水)

予備校までお出かけ。夏期講習用のテスト作りのため、過去の入試問題を入手。さてどの問題にしようかな。

エルコンドルパサー死亡。惜しい、としか言いようがない。現役時代を知っている馬の産駒が走るのを見るというのは、またひと味違った面白さだと思うのだが、その機会が減ってしまうのは残念な限り。

学会発表準備。さっぱり進みやしない。まあ今回はポスター発表だから、とたかをくくっているところもあるが。

2002.7.18(木)

実は、どうやら秋からまた臨時雇い研究員になるらしいのだが。任期とりあえず半年。って去年と同じやん。しかもあいかわらずうちの研究室のポストではないところが何とも。
 ただ、今回は先方の研究室の仕事を実際に請け負うことになるらしく、その打ち合わせをちょろっとやる。プロジェクトに絡んでくる研究員の中に海外からの客員教授がいるので、当然のように打ち合わせは英語で(中国人だけど)。いきなりそんなことやられても(しかも専門外の内容)わからないっての。なんか、断片的に聞き覚えのある単語は聞こえてくるんだけども(笑)。

学会発表準備。

2002.7.19(金)

学会発表準備。前から何遍も言っているように、やはりD論の内容をいっぺんに発表しようとするのはかなり無理がある。この内容で発表するのは金輪際終わりにしようと固く誓うのであった。

2002.7.20(土)

東京から友人が来て一仕事してとんぼ返り。見送りがてら夕飯など…のつもりが飲み会に。地鶏の料理は旨かった(が高かった)。友人を見送った後、もう一人の友人と駅前をブラブラ、買い物など。「かまいたちの夜2」には激しく心惹かれるものがあったが、さすがに今買うのはやばい。せめて学会の準備が終わってからにしとこう。
 とりとめなく話をしていたら、いつのまにか来月の花火大会鑑賞会(参照:去年)に参加ケテーイ。ちなみに国際学会から帰ってくる日である(笑)。体力は持つのか。ていうかその前に、成田着が14:00頃なので、そこから京成線→新幹線と乗り継ぐことを考えると、駅→自宅の時点で確実に花火大会開始前のラッシュにぶつかりそう。駅からぐるっと遠回りして自宅に戻った後、またさらにぐるっと遠回りして友人宅へ、ということになりそうだが、さて間に合うか。

2002.7.21(日)

明け方に寝たのに、暑さで朝っぱらから目が覚める。ぼーっとしたまま何をするでもなく。

夕方から大学。国際学会までまだ1週間あるし、日程的にはそれほど急ぐこともないはずだったのだが、何せボスがその直前4日間に渡って出張でいないので、内容をチェックしてもらうには実質的にここ2、3日で準備を終わらせなくてはならない。まったくご苦労なことである。いや、ボスが。

2002.7.22(月)

学会準備。ロースペックのマシンで高解像度の画像べたべた張りまくり。重いのなんの。やはり画像を(プリントアウト→切り貼りでなく)デジタルのまま使おうとするとPentiumマシンでは歯が立たない(立ててるけど)。学会から帰ってきたら、ちょっとカタログでも当たってみようかしらん。
 まあ、なんだかんだ言って、ロースペックのまま無理矢理ポスター完成。

2002.7.23(火)

夕方から飲み会なので、その前に予備校の夏期講習のテスト問題を作ってしまうか、などと考えていたのだが、これが見事に甘い考えであった。うちの大学の受験者向けの講習で、適当に入試問題をピックアップして解かせりゃいいのだが、入試問題ってのは全般的に問題の文章量が半端でなく多い。まあ、自分なりにアレンジする、とかそう言うことをいっさい考えずに丸写しすればいいだけだから、頭を使う必要がないという意味では楽だが、機械的に長文を打ち込み続けるのはやはり疲れる。タッチタイプを会得しておいて良かった、とは思ったが。
 とりあえず、予定の3分の1すら終わらずに飲み会突入。

研究室納涼飲み会。寝不足気味だったせいか2次会でめちゃくちゃ眠くなる。調子に乗ってカルーアミルクだのモカミルクだの飲みやすい奴をがばがば飲んでいたのもまずかった。

2002.7.24(水)

今度の学会にも参加する、同じ研究分野の研究者からメール。学会で会う前に勉強しておきたいので論文かなんかあったら送ってくれい、とかなんとか。あああすいませんまだ論文できてません。しょうがないんで、学会で使うポスターをpdf化してサーバーにアップしておく(図の解像度が高すぎたせいか、pdfファイルのくせに4メガもあるのでさすがにメール添付はまずかろう)。
 ところで、「サーバーにアップ」って英語でなんて言うんだろう、と返事のメールを書きながらはたと困った。「サーバー」も「アップ」も元は英語だが、つなげると妙に和製英語くさい表現。"I put it on the www server of my laboratory."などと書いておいたが、これでいいのか?
 この研究者、他にも「会場で会ったら1時間くらいディスカッションしましょう」とか書いてきたので、さてどうしよう。現行の英語力で1時間も会話を維持できるとはとても思えんのだが。一方で、自分の研究分野の話なら何とかなるかも、という目論見もあることはあるが、やはりやってみないと何とも言えない。とりあえず想定問答集くらいは作っておくべきか(笑)。

予備校夏期講習のテスト作り。うちの大学の物理の入試は、平均でだいたい6割あたりが合格ラインらしいのだが、パッと見、今現在の時点でこれを何も見ずに解けるだろうか、という気がしなくもなく。というか、こういうのを根気よく解いていくという気力が…。

2002.7.25(木)

学会準備…、なんだが、ひととおりポスターができてしまったのでどうもそれ以上前準備をする気にならない。やはりポスター発表だと緊迫感がないなあ。

2002.7.26(金)

研究室ゼミ。相変わらず夏休み前ギリギリまでやってくれる。

2002.7.27(土)

学会準備。最終チェック。あとは…、もういいや。行きの飛行機の中で問答集でも作ろ。 ← 相変わらず緊迫感なし。

というわけで1週間ほどアメリカに出張。成田→ニューヨーク→ワシントン行き。これが最後の晴れ舞台か!? (笑)

2002.7.28(日) 〜 Jul. 28, 2002 EST (Sun)

国際学会のためアメリカへ出発。夕方の便だが、成田発なので、朝早々に家を出る。やはり成田は遠い。
 うちの研究室からの参加人員はボス他総勢4人。前回のこの学会の参加者から中ボス、ぢょしゅを引いて代わりにM2の学生一人プラス。これで日本からの参加者の2/3。さらに言うと、日本人参加者の残り2人は前回と同じ。うちの大学の人間とこの2人以外に参加しそうな人は他にいないのか。相変わらず国内ではマイナー感極まりない我が業界。

とりあえず、出国手続きを終えた途端に免税店でウィスキーを買い込み、包装だけさっさとすててバッグにしまい込むボスはさすがである、といっておこう。

12時間余りのフライトをどうやって過ごしてやろうかと考えていたのだが、今回乗ったのがボーイングの最新型? らしく、エコノミー席まで各席にモニター付き。映画も見られるし(上映時間は固定だが)手元のコントローラーでゲームもできてしまうという優れもの…のはずだったが、コントローラーのボタンが半分いかれていて、操作性極悪。まあ、ソリティアだのポーカーだの、大したゲームが入っていたわけでもないので別にいいのだが。

こうなったら当初の予定通り読書など。田中芳樹「銀河英雄伝説外伝 5」読了。イゼルローン日記の後半分。やっぱりデュアル文庫短すぎ。旅先に持っていく本としては少々もの足りず。

あとは学会発表の想定問答集作りなど。しかし、こんなもの作ったところで、いざ本番となるとそんな凝ったことを言えるはずもないと思うが。

というわけで、成田 → ニューアーク空港 → レーガン国際空港、でワシントン入り。そこからシャトルバス30分ほどでホテル着。時差ボケ対応のため道中ほとんど睡眠を取らずに起きていたのだが最後の方ではやはりかなりきつい。JSTだと徹夜明けで朝10時過ぎ頃まで起きていたことになる。シャトルバスの運ちゃんがものすごい勢いですっ飛ばしていた記憶がおぼろげながらあるのだが、居眠りしていて幸せだったかもしれん(笑)。
 チェックインしたホテルの部屋はかなり広くて良い。素泊まり+学会スポンサーのバックアップによるディスカウントで一泊89$という値段から考えて、それなりにいい部屋だろう、という予想はついてはいたが、日本の狭いビジネスホテルとは大違い。とりあえずベッドが横方向に向いてもちゃんと寝られるというのがなかなか。

Jul. 29, 2002 EST (Mon)

学会初日。…時差ボケで眠い。

休み時間に、自分のポスターを貼っていたら背後に人の気配。誰かと思ったらM氏とW氏。私の研究分野では超有名人。かなりびびる。私のポスターを指さして"Good results!!"とかなんとか言っていたようである。あとは事前にメールをくれたS氏と挨拶。あとでディスカッションしましょう、とかなんとか言っていたようである(そればっか)。

ホテルのレストランで食事。以前ハワイに行ったときにも思ったことだが、アメリカ人の食事ってのはどうしてこうも量が多いのか。これでもかというくらいに大盛りなトマトソースのリングイーネを前に途方に暮れる。それに、量もだが、味の方も…。まあまずいと言うほどではないが、値段の割には…、という出来。とりあえず貝の砂はきちんと吐かせてくれいと願わずにはいられない。アメリカの食事情ってのはひとことで言って「大量かつ大味」ということでよろしいか?

Jul. 30, 2002 EST (Tue)

ポスター発表の日。想定問答集を用意したとはいえ、実際のところ私の語学力ではろくに議論にならんのははじめから分かり切ったことなので、発表の出来は別にいいのだが(いいんかい)。
 まあ、拙い語学力ゆえに定かではないが、どうも昨日会ったS氏が言うには、この人のグループによる最近の研究の結論が、どうやら私の結論を否定にかかっている、ということらしい。そんなこと言われても、そもそも私の結論の元ネタとなる研究が、誰あろうS氏をはじめとするグループのものなんだけど。今更そんなこと言われても。どないせぇちうねん。

それはともかく。その最新の研究の論文で、どうやら私が遙か昔に書いた論文をreferしてくれているらしい。おお、reference第一号。おめでとうありがとう。しかし、あんなのよく探してきたなあ。

発表終了後、ホテルのボスの部屋でプチ打ち上げ。なんか、日本から持ってきたらしい酒のつまみが後から後から。さすがだボス。ここまできてニシンの昆布巻きなどというものを食えるとは思わなかったよ。

Jul. 31, 2002 EST (Wed)

学会は午前中で終わり。午後から学会主催の美術館見物。前回パリで行ったのと比べるとかなり劣る、というかだいぶ質が違う(ってそりゃルーブルと比べるのはハナから間違い)。まあ、開拓時代の部屋の造りを再現したところ、などという展示物はなかなか面白い。
 その後、美術館の一角にあるバーのようなところでレセプション。ひたすら延々と食っていたような。ここでもそうだが、学会会場でもコーヒーブレークでも色々つまんでいたせいかどうも胃もたれ気味。欧米人はやはり胃腸が丈夫なのか?

有栖川有栖「ペルシャ猫の謎」読了。まずまず。

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