お留守番
    
 『蜜月まで何マイル・その後』


        1

"………。"
 静かだった。遠い潮騒の音と、船体が波に柔らかくもまれて軋む独特な音がしはするが、慣れてしまえば無音も同様。薄暗い中、寝乱れたベージュの毛布の中に辛うじてという有り様で縮めた身を包み、丸くなって眠っていた少年が、ふと、小さく身じろぎをするとシーツの海へ腕を伸ばす。
「…ん。」
 何かを手探りで探しているらしく、細かい皺がさざ波のように、大きな襞が渦潮のようにうねっているシーツの大海でまさぐられていた手は、だが、何も掴めないとなると、槌
つちのようにぼすっと"海面"を軽く叩いて身を起こす反動に代えられる。シーツの上へ座り込み、黒々とした髪の隙間、目許をこしこし…と手の甲で擦ってから自分の周りを見回して、おもむろに、
「…ゾロ、朝だよ。起きようよ。」
 自分の背後でもう一枚の毛布にくるまっている添い寝の相手の名を、ねだるように呼んだ。こちらはまだちゃんとした掛け布の着方をしていて、…にしては、広くて深い胸元が大きくくつろいだ空間になっているのは、この少年が元はそこに収まっていた名残りかも。
「なぁ、起きようよ。」
「…んー?」
 幅のある肩をゆるく揺さぶられてやっと返事らしき声を出す。やや俯いていた鋭角的で端正な男臭い顔立ちが一瞬しかめられたが、深い吐息を一つつくと、すぐに元の無心な顔に戻って再び寝息を刻みだすものだから、
「ゾロ、起きてんだろ? なぁあ。」
 あまりの反応のなさに、無防備にも顔を近づけるようにして覗き込んだその途端、素晴らしい反射でがっちりした両腕が毛布から伸びて来て、
「わっ!」
 たちまち黒髪の少年がその中へと取り込まれてしまった。大きめのものらしいグレーの毛布はしばらくもそもそと蠢いていて、

 「…ん、こら、やだ…って、ん…、もう………っ、ゾロ………。
  あっ、や…………、んん、ん・あ…………。……………。
  ………もうっ! こんだけあれこれ出来るんなら起きろよなっ!」

 な、何をどう、どんだけ"あれこれ"出来るんだろう…。あんたたち、だいぶ進展したのね、あれから。かつて、ただ触れるのさえ、抱き締めるのにさえ、ためらいとか間合いとかが必要だった、あんだけ初々しかったあなたたちはもう何処にも居ないのかしら? あんなにも"切ないお話ですね"との評を集めたバージョンだのに、いきなり何なの、このカラーの違いは。
"…あんたがそれを言うかい。"
 あっはっはっはっはっ。まあ、それはともかく。薄手の寝間着用のシャツを相当掻き乱されて、素潜りから水面へ浮かび上がって来たかのように毛布の中から"ぷはっ"と先に顔を出した黒い髪の少年が、この船の船長にして麦ワラ海賊団の頭目、モンキィ=D=ルフィといい、その彼を軽々と手元へ引き戻して、やっと身を起こしたその膝の間に抱え込んでしまったのが、三刀流で鳴らした剣豪で戦闘隊長のロロノア=ゾロという男。かつては非情で血まみれの仕事ぶりを"血に飢えた野獣"とまで呼ばれた海賊狩りが、今は何をどう誤ったか、狩っていた側の海賊となっているから世の中って不思議。そうまでの…人生に於ける180度の転換を彼に決断させたのが、朝っぱらからいちゃいちゃするのに忙しいこの少年だというのだから、世界はもっと不思議に満ちている。
おいおい 勿論、最初から彼の色香に迷った剣豪殿ではなくこらこら、当初はスリリングな冒険の旅を背景に、海の男の友情と侠気の世界が繰り広げられる筈だったのだが、………まあ色々とありまして。(そこいらの詳細は『虹のあとさき』という拙作を各自で再読していただくということで。)

           *

 アレからしばらくは"熱さまし"という感があった。ただ眸が合うだけで笑みがこぼれ、指先が触れ合うだけでも心ときめき、髪を手櫛で梳き合ってはうっとりし、それこそ単なる添い寝だけでも充分に満ち足りていたから。………が、程なくして二度目の機会が訪れた。あの時は"今だけ、お前をくれないか"なんて言ってた剣豪さんだが、この若さとあれほどまで深かった思い入れが、そんなもんで満足し切れる筈がない。(言い切るか、自分。)これから寝ようかというベッドの上、ふわっと抱き寄せられて唇をそっと盗まれ、続いて何となくの目顔で求められた訴えに、またもや"こくり"と無防備に頷いてしまった船長さんであり、まあ…あんだけの男前に凛々しい真顔で求められちゃあねぇ。
おいおい

 ………で、その翌朝、

〈…。〉
 ぽかっと目を開けて。その目が添い寝の相手の目とかち合って。
〈ゴメン。〉
 先に謝ったのはルフィの方だった。
〈…え?〉
 何がどう"ゴメン"なのか。もしかして…辛くて怖かったからもう沢山だという意味の"御免"なのかと、内心で少々、いやいや、随分と竦
すくんだゾロだったが、
〈その…なんか、大騒ぎしたような気がするし…。〉
 言いながらどんどん頬から肩から耳朶からほんのりと赤く染まってゆくルフィであり、どうやら"取り乱したことで迷惑をかけたんじゃないか"という意味で謝ったらしい。初々しいやら、微笑ましいやら、まったくもうっ、船長さんたら。
こらこら そんな愛らしい様子へ、あらためて惚れ直したこと請け合いなクセして、
〈気にするな。〉
 余裕ぶってそう言うゾロに安心し、
〈…うん。〉
 幸せそうに安堵の吐息を一つ。それから、
〈ゾロって大人なんだな。何度も怖くなったけど、大丈夫だって、ちゃんと此処に居てやるからって顔してたから、ついてけたもの。〉
 何とも健気なことを言う。そんな風にこちらを見ていられた内はそうだったかも知れないが、実を言えば、こちらこそ…我を忘れた。自分の持ち物でありながら、その昂まる感情を、荒ぶる慾を抑えることが難しく、経験の浅い相手であるのだということを何度も何度も思い出し、自身へ言い聞かせはしたものの、どこまでしっかりしていたものか。たどたどしい愛撫・愛咬へ過敏に反応する、声に、震えに、息遣いに、熱に、無意識のものだろう小さな抵抗に、逃げを打って身を捩
よじる仕草に、あっと言う間に歯止めが利かなくなり、どんどんのめり込んでいったゾロだった。いつもより潤みを帯びた漆黒の瞳に自制心を吸い込まれ、自分の名を呼び続ける啜り泣くような声に、狂おしいまでに胸を掻き乱された。悦楽の波にさらわれて溺れるのを恐れるように、必死でしがみついてくる小さな熱い手を背へと回させ、吐息ひとつさえ こぼすものかと抱きすくめた。

           *

 余裕があったように見えたということは、イコール、既にどっかの誰かとの"経験者"であるということなのだと、そこまで突き詰めて考えるには幼すぎて。しかもその上、相手に熱中夢中だったから、もはや問題は一つもなかった。そうして今は、ココロは素直なまま、清らかなカラダは…まあ幸せなら良いじゃんという色に少しずつ染め変えられている最中というところだろうか。
"………悪かったな。"
 最近じゃあ、向こうからねだられる夜もあるんだってね? 良かったねぇ♪
"///っ、うるせぇよっ!"
 それはともかく。
あはは 別に逃げ出すまでするつもりはなかったらしく、抱え直された男の頼もしい胸板へ自分からぽそんと凭れたルフィは、
「寝ぼスケなんだな、ゾロは。もしかして"テー血圧"なのか?」
 屈託なく一丁前なことを言うもんだから、
「…お前、またコックかナミから要らんことを吹き込まれたろう。」
 こちらは"これでもかっ"とまでに逞しい上半身には何も纏わぬ半裸のままの、野趣あふれる男の色香全開な剣豪殿が…思わず呆れて見せる。十七歳といえば、ゾロには2年前。既
とうに一端いっぱしの男として世間に出ていた年齢であり、冷ややかな気魄を帯びた睥睨ひとつで、周囲の海千山千な荒くれ共を充分にビビらせてもいたものだ。それと同い年な筈のこの彼は、どうにも言うことやることが幼いというか子供じみているというか、すこ〜んと抜けているというか何というか。なにも剣豪殿ほど凄みのある男でなくてもいいとして、それでもちょいと桁が…ゾロとは逆方向に外れ過ぎている。ここまで物知らずでありながら大海原という危ない世界で支障なく生きてこれたのは、彼に微笑む奇跡と幸運の蓄積か、それとも彼の腕力・体力の功績か。どっちにしたって、傍から見ている分には、まったくもって、危なっかしい事この上もない。
"まあ、そこがまた良いトコでもあるんだが。"
 …そうだったわね。純真で無垢で真っ新
さらで、今時には稀な"真っ直ぐなココロ"の持ち主。そんな彼が欲しくて欲しくて仕方がなかったにも関わらず、大切に守らなきゃいけない、穢してはならないとさんざ煩悶していたのは、どこのどどいつだったっけ。それが今や、
「んん。」
 腕の中から少しばかり背条と首を伸ばすようにして仰向いた童顔が、そっと目を暝
つむったのを、許可&進呈の"ど〜ぞ"だと受け取ると、あらためて軽く口唇を重ねて朝のご挨拶。………どうやら今回は"新婚さんモード"の描写があちこちにあふれると思います。いつもよりなお甘い、当社比180%級かも知れません。虫歯のある方、知覚過敏な方、血糖値の高い方、どうかお覚悟を。とほほ 甘い甘い接吻を交わして、眼下のぱさぱさな黒髪を指にからめるように撫でてやりながら、
「それにしても…何で朝だって判るんだ?」
 ゾロとしてはずっと疑問であったらしいことを尋ね訊く。何しろ部屋は船倉にあるため、窓もなく陽は射さない。大海のただ中だから海鳥の声もない。無論、目覚まし時計なんてなアイテムもこの部屋にはない。だというのに、ルフィは毎朝きっちり同じ時間に目を覚ます。今日も、上の方から朝食のスープだろう、いい香りがかすかにして来たところをみると、どんぴしゃりな時間である様子。
"寝つく時間は日によってまちまちだってのに。"
 なんで? ねぇ、なんで"まちまち"になるの? ねぇねぇねぇ♪
こらこら だが、訊かれた当のルフィもまた、凭れかかったゾロの肩辺りにおでこをくっつけたまま小首を傾げて見せていて、
「? なんでだろな? でも、判るんだ。」
 さすがは天然…もとえ、自然児だということか。
「ほら、早く甲板に行こ。錨、上げなきゃいけないし、俺、腹減ったし。」
 小さく体を揺すぶっておねだりの仕草を見せる新妻…もとえ、恋人…じゃなくって、可愛い船長さんへ、どう繕っても目許や口許が端からにやけてしまう、朝から締まりのない剣豪殿である。…てぇ〜いっ、しっかりしろ、ロロノアっ!


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 ロロノア=ゾロが下げている刀は合計3本である。

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