お留守番
    
 『蜜月まで何マイル・その後』


        7

 昼食はポテトのポタージュスープと野菜ジュースにクラブサンド。余談だが、筆者はこれってカニ
(クラブ)のサンドウィッチだと長いこと勘違いしておりました。ゴルフ場のクラブハウスなどで出されるサンドウィッチのことだそうですね。いやぁ、早とちりしてました。それはともかく。氷水を張った平桶にジュースの入ったデキャンタを浸し、大振りのバスケットにサンドイッチへ挟む材料の山を並べて広げ、まるでピクニックよろしく、船端に並んで腰掛けて、その場で作ってはぱくつきながら木立ちを眺めた。そう、皆が出掛けた、そして皆が帰って来る筈の木立ちへの道だ。他の方向からの何かしらの気配があればカルーが騒ぐだろうし、時折、サンジが海への注意は払っていたが…何が来ようと問題はない人たちだしねぇ。
"…な〜んかこういうのって覚えがあるよな。"
 潮風に遊ばれて目許を隠す前髪を時折追いやりつつ、サンジがふと感じたのは、まだかな、まだかな…と何かを待ってた、今と似た経験の記憶だ。あの忌まわしい遭難の時、ではなくて、今のルフィ同様に"早く帰って来ないかな"と人待ち顔で海の彼方を眺めてた覚えが、確かにあると不意に思い起こした彼である。いつもは一緒に出掛けていたのに、その日は急に留守番を言いつけられて…。
"あ…。"
 そうだ。バラティエに居た頃の…それも随分と小さい頃の記憶だ。まだオーナーと自分とのたった二人しか居なかった頃、ゼフが一度だけ、市場への買い出しに一人で出掛けてしまったことがあったのだ。
〈たまにゃあ、乳臭せぇチビナスの顔を見ないで過ごしたくってな。〉
 そんな憎まれを言って出掛けたゼフで、
〈上等じゃねぇかよ。俺だって、いっつもいっつもクソジジイの顔ばっか見てると魘
(うな)されんだよっ!〉
 出掛けるゼフに向かってえらそうな啖呵を切ったものの、その実、ずっと船端で市場の方向ばかりを眺めて一日を過ごした。帰ってくると凄く嬉しかったくせに、慌てて船の中へと引っ込んで、何事もなく過ごしていたかのような振りをした。後で通いの乳製品の配達の兄ちゃんに聞いたら、その当時は市場の近辺の海域に人を食う種の海王類が大量発生していたそうで、遭難事故も多発していたのだとか。それで万が一のことを考えてサンジに留守番をさせたゼフであったらしかったのだが、本人は結局一言も説明してくれなかったっけ。
"………。"
 待つ身の切なさを、待たせている方はどのくらい意識しているのだろうか。待たせることに事情や理由があるならともかく、そうでない場合は、相手のことなぞ大して考えてもいないのではなかろうか。
「…なあ、サンジ。」
「ん?」
 ふと、ルフィが呟いた。
「途中まで迎えに行っちゃダメかな。」
 おや…と感じて、たいそう真摯な童顔と向かい合い、
「………。」「………。」
 顔を見合わせあったが、
「ば〜か。ここで待ってるってのが今回の俺たちの役目なんだぞ? それをおっ放り出してどうすんだよ。」
 一瞬言葉を失ったのは、その手もあるよなぁとついつい思ってしまったから。だが、待っている者のところへ辿り着こうとしている側の気持ちというのが、ふっと頭をよぎった。少なくとも"会いたいから"辿り着こうとしているのだ。待ってるだろうな、もうすぐだぞと、相手を目がけての指針を胸に、向こうもまた焦れったく思いながらの移動中に違いない。だから、待っている側はむやみやたらと動いてはいけない。待つのが役目だ。(でも、待ち合わせへの遅刻癖は治すに越したことはないと思うぞ?)
「それに、お前ほどの方向音痴が無事に奴らと合流出来る見込みはないからな。そんな危ないこと、俺が許すと思うか?」
 …そういえば、居ましたね。お留守番を放っぽり出して寒中水泳してたら、その途中から迷子になってしまって、とんでもないトコロから飛び出して来たお兄さんが。誰とは言わんが、すこぶる男前な三刀流の剣豪さんだったような…。あの途轍もない方向音痴は、もはや治せない代物なのかしら…って、そ〜れはともかく。
「そっか。」
 途端に"しゅん…"と萎
(しぼ)んでしまうルフィであり、
"………。"
 自分がちゃんと傍に居るのに、そんなにも会いたいのかと、そんなにも想っているのかとありありと偲ばれて、サンジの方こそため息の一つもつきたくなった。………が、
「サンジだってナミやビビがいないと詰まんないんだろ?」
「…はあ?」
 いきなり何を言い出すんだか。
「だって、あの二人はきれいで良い匂いがして、わくわくする声だし、居るだけで明るくなるじゃん。」
「…言うねぇ、お前。」
 ちょいと意外な言いように聞こえたが、そういえば。別に"男にしかその気にならない"嗜好だという訳ではないのだ、この坊っちゃん。というより、ゾロ以外の男には言い寄られたくはなかろうなと、そこはサンジにも理解が及ぶ。つまり…言い方を変えれば、今現在大好きで堪らない対象なあの剣豪が"たまたま男だった"というだけのことなのだろう。
"けど、それってつまり…。"
 好きが一番先に来た場合の、その次の条件としてならば、男でも女でもどっちでも良いんだな、この子。さすが将来の"海賊王"だけあって太っ腹じゃん。
"…ちょっと違うぞ。"
 そぉお?
「ウソップの声だって、こんな長いこと聞いてねぇとなんか物足りねぇしな。」
「それって、お前が言うと説得力あるよなぁ。」
 いつだって寄ると触ると二人でギャーギャーと騒いでいるのだからして、本人は"物足りない"かも知れないが…その点に関してだけは、あんまり同意したいとは思わなかったサンジであるらしい。
「やっぱ、皆が揃ってないとなぁ。」
 あ〜あとため息混じりに大きく背伸びをし、甲板の上、ぱったんと引っ繰り返ってそのまま寝そべるルフィだ。どうやら彼は、愛しい剣豪だけではなく"皆に"早く会いたいと感じているらしい。あれだけ強いくせに、あれほど頼りになるくせに、仲間たちがいないと覇気が沸かないと言う。その仲間を一人一人集めた本人だからこその言葉なのだろう。そして、その中の一人であることが少しばかり面映ゆい。
「そんなぐずぐず言わんでも、すぐに帰ってくるさ。」
 ここは紛うことなく彼らの船であり、帰る場所は他にはないのだからして。
「…うん。」
 陽はまだ高い。それを遮るように、ルフィは麦ワラ帽子を顔の上へとずらし、そっと目を閉じた。

            ◇

 太陽がじりじりとそれでも動いて、陰の伸びる方向がいつの間にか変わっている。船端へ持ち出したオセロゲームは2、3戦ですぐに飽きた。おやつのタルト・プチ・フリュール…生フルーツのミニ・タルトも食べて、ぎりぎりまで粘って。陽はまだ高めだがそろそろ夕食の支度にかかるかと、サンジが立ち上がりかけたその時だ。視線を外しかけた木立ちの奥に、何かがチカッと光って見えて、それと認識したとほぼ同時、
「…帰って来たっ!」
 言ったかと思ったら、もう、船端に両手をかけているルフィである。この体勢はもしかして………。
「…って、おい、まさかっ!」
 止めようと手を伸ばしかけたが、
「ゴムゴムの…っ!」
 ああ、もう遅いなと諦めた。しょっちゅう巻き添えを食っている剣豪殿ほど頑丈ではない以上、巻き込まれて吹っ飛ぶのはごめんだったから。
おいおい



 からりと晴れた田舎道。長い長い道程をただ黙々と歩き続けた。行きの身軽さと打って変わって、大物な資材や買い物を積んだ荷車を引いて帰ることとなったが、日頃から信じられない鍛え方をしている身にはそれほど苛酷な代物ではなかったし、距離にしたところで、同行者に女の子がいても往路をクリア出来たほどだ。ちょっとした、そう"軽い遠出"といったところ。………が、そこはやはり…何というのか。自分たちを待っている"彼"の元へ、一刻も早く帰りたい、戻りたいという心理が隠しようもなく働いてしまったのは否めない。何しろ、途中から"休憩を取りたいなら荷車へ乗れ"とまで言い出しての、なりふり構わぬノン・ストップな行軍となったほどだ。補給地から離れたことで一旦薄れた潮の香りが、再び少しずつ強まって来て。そして、最後の雑木林にようやく入った。ここを抜ければ海岸に出る。ゴーイングメリー号を接舷した海岸に。昨日の朝、いつまでも手を振って見送ってくれた小さな船長が待つ海岸に。(ここで1.5倍ほど美化された回想シーンなぞが入ると笑えます。)
こらこら 心細がってはいないだろうか。寂しいとため息ついてはいなかろうか。後見役が目を離した隙に怪我でもしてはいないだろうか。何ともない平気なら平気で…それもまたやっぱり胸に堪える、複雑微妙な剣豪殿であったらしいが。
「………お。」
 ふと、後押し役だった筈のウソップが、いつの間にか持ち場から離れて、轅
(ながえ)を引くゾロのすぐ傍らを歩いていることに気がついた。ゴーグルを下ろして何かを眺めている様子であり、
「おい、お前…。」
 あと少しだからって気ぃ抜いてんじゃねぇよとか何とか、恐持てのする表情で言いかけたゾロだったが、
「ナミっ!」
 それを…タイミングでも勢いでも遮る鋭い語調でウソップが短く声を上げ、
「判った。ビビっ!」
「はいっ!」
 それに応じた女の子たち二人が実にてきぱきと動いた。ビビがゾロの手を取って、
「Mr.ブシドー、こっちへ。」
「あ?」
「早くっ!」
 理由も言わず強引に荷車から離れさせ、ナミはウソップと二人掛かりで荷車を出来るだけ彼から引き離す。そして、
「ビビっ、早く戻ってっ!」
「はいっ!」
 タタッと駆けて傍から離れる様子は、ゾロ本人が時限爆弾か何かのような扱われようで。3人ともがとも、こんなに真剣になって立ち回っているが、一体何が起ころうというのだろうか………って、白々しいですかね。(笑)
「な、何なんだ?」
 ただ一人、事情がてんで判っていないゾロへと目がけ、向かっていた方向から風を切って飛んで来た"白昼の流星"が一つ。
「………え?」
 その存在に気づき、やっと状況を把握したのと、流星もどきが"ど〜んっ"と衝突して来て、
「おわっ!」
 胸元へ受け止めたものの、数メートルほど後方へと圧し負かされたのとが、ほぼ同時だった。これが常人だったなら、何かよく判らないものに吹っ飛ばされて衛星軌道に乗った後でも、自分の身に何が起こったか全く判らないままだったろうから
おいおい、そこは…剣豪さんの馬鹿力のみならず、反射神経と動態視力をも褒めていいと思うの。500キロ…清涼飲料水の自動販売機(標準型)とかサラブレット一頭とか、はたまた関取約3人とか、750ccクラス以上の限定解除オートバイスクル(オプションフル装備)とほぼ同じ重さのものを軽々と抱えて振り回せる剣豪を、不意を打ったとはいえ、立ち位置から"ズルズルズズズ…"と圧し負かした突撃を敢行して来た飛来物は、
「おっ帰りっっ!」
 両腕両脚という四肢全部を使って"ひしっ"としがみついたゾロの胸元から顔を上げ、それはそれは目映い、輝かんばかりの笑顔を見せたものだから、
「…お前なぁ。」
 受け止めた側も、ついついやわらかく破顔してしまったほどだった。文字通り"飛んで来た"のは、もう今更ご紹介するまでもないが一応言っとくと
おいおい、彼らの船長、モンキィ=D=ルフィである。どうやら船端から"ゴムゴムのロケット"を使って文字通り"飛んで来た"彼であるらしく、出先から帰って来た飼い主に盛んに甘える仔犬よろしく、ぎゅうっとしがみついたまま、何度も何度も剣豪のそれは分厚く頼もしい胸板へ頬擦りをする。その様子には、ただ嬉しいだけではなく、もう二度と引き離されまいぞという切ないまでの必死の想いさえ感じられて。
"…ルフィ。"
 久し振りに…と言ってもたった二日弱なのだが…再び触れることの叶った温みや匂い、いやいや、それらを備えた"相手そのもの"が嬉しいのは双方ともに同んなじで、
「寂しくなかったか?」
 小さな背中に腕を回しつつ、そうと問いかける剣豪殿の声音も、静かな中にかすかな熱を帯びているような。それへと応じたルフィはと言えば、
「んと、ちょっと一杯寂しかった。」
 おお、臆面もなく。しがみついていた脚の方はさすがに外していて、だが、胸板へしがみついて頬を強く強く擦りつけた格好はそのままに、
「なんか、2日よりずっと長く思えたし。」
 そんな風に呟くルフィへ、ゾロもしみじみとした声を出す。
「そうだな。1週間も2週間も逢えなかったような気がするよな。」
 …そりゃあまあ、この二人が同座した"3章"のシーンから今までというと、現実時間で2週間ほど空いてますけどもサ。
おいおい
「でも、サンジが色々気ぃ遣ってくれたからへーきだった。」
 さっそくの夫婦の?語らいに、邪魔するのも何だと思ったか、それとも"付き合ってらんない"と思ったか、彼らを残して荷車を押し始めていた、後の3人だったが、
「今日は朝から海賊も遊びに来たし。」
 ルフィが付け足したこの一言には、

 「何ですって?」「おいおい。」「それって…?」

 さすがにギョッとした。
「…そんな。」
「海賊って…。」
「無事だったのか? お前ら。」
 ビビが口許に手を当てて絶句し、ナミやウソップが詳細を訊くのへ"にっかり"と笑って、
「大丈夫だって。あっさり伸して全員縛ってある。」
「縛ってある?」
 今度はゾロが怪訝そうな顔をしたのへ、ルフィはこくりと頷いて、
「俺も何でだか判んなかったんだ。けど、サンジが"解放したら海軍に言いつけに行くだろから"って言って。」
 だから大丈夫と念を押す。そんなやり取りを聞いていて、ナミがふっとため息をついた。
「…やっぱりサンジくんの方を残して行って正解だったわ。」
 ということは自分の方を低く評価されたようで、
「何だよ。」
 聞き捨てならないという声を出すゾロだが、そんなものに今更怖じけるような彼女ではなく、
「今、自分で"海賊どもを何で縛ってあるんだ"って訊いたじゃない。つまり、あんたが残っていたならそうはしなかったって事でしょ?」
「う…。」
 さすがに、それだけでナミが何を言いたいのか、半分くらいは判ったゾロへ、
「あんたは単独で立ち回ってた"海賊狩り"だった。そういう立場であり状況であるなら、それでも良い。でも今は違うの。判る? 一方で、サンジくんは"バラティエ"にいて、一応は…団体行動っていうのかな、連帯責任だとか、仲間への気遣いみたいなものを身につけてて、前後のことを考えられる。つまるところ、その差が大事なのよ。」
 とどめを刺すように、懇切丁寧、委細面談、
おいおい 微に入り細に入り言葉を尽くして説明してやる、意地悪なナミさんだ。あっはっは 但し、サンジくんはそうやって"自分"を押し殺しているところを、ゼフさんから気遣われておりましたがね。それに、こちらの顔触れの彼らはまだ気づいてはいないかも知れないことだが、いざ敵襲という場面に於いて"ルフィのやりたいように"と構える反射なら、逆にゾロの方が素早く切り替えが利く。ルフィただ一人に関してなら誰にも負けぬ把握と理解と機転とを持つのが彼なのだ。この海賊団に於いてはどちらも大事でどちらも重要な要素であり、まあ…そうですね、いざという時に一番頼りになる"双璧"が、そのポイントをバランスよく分担してくれているなら、特に問題はないんじゃないかということで。おいおい それよりも、
「んん? 何の話だ?」
「一番問題なのは、船長が全然判ってないってトコじゃねぇのか?」
「…そうみたいね。」
 キョトンとしているルフィに、されど"…罪はないか、そこがまた良いトコなんだし"と追及はしないナミであるところが、判りやすい えこひいき。場の空気が少しばかり和んだのを見計らい、
「こっちにだってお土産話は一杯あるんですよ?」
 ビビがにっこり笑って口火を切れば、
「そうそう。ゾロったらねぇ、昨夜、宿で寝ぼけて…。」
「あ、おい、よせって。」
 わいわいと語らい合いながら、皆して辿るは愛船への家路。船に辿り着けば、我らが名シェフの作った美味しい晩餐と、皆が顔を揃えての暖かな団欒が待っている。…やっぱり変わった海賊団だわね。こんな奴らが海賊世界を制覇なんてしたら"罰
ばち"があたるかも知んないぞ?こらこら


         〜Fine〜  01.8.13.〜

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