お留守番
    
 『蜜月まで何マイル・その後』


        5

 船旅は限られた空間に押し込められる旅だから…という訳でもないが、ゴーイングメリー号には割と色々なゲーム用具が揃えられてある。元の持ち主が資産家の令嬢だったせいもあろう、在り来りなトランプのみならず、花札やUNO
おいおいなどカード各種に、チェスやオセロ、ダイアモンドゲームにすごろくといった盤ゲーム、ダーツに輪投げに、甲板で遊べる小型ボーリングのピンのセットやこちらも小型のビリヤードまであって。だが、複雑なルールはなかなか覚えられないルフィは、その殆どを知らないままでいた。さすがにチェス辺りをいきなり教えるには時間的な余裕が中途半端だったので、ルールの簡単なカード遊びを幾つか、教えてやりながら二人でやってみる。屈託なく笑うルフィの顔見たさに、幾分かは手を抜いて何度か向こうが勝つようにと仕向けてのゲームはなかなか盛り上がり、あっと言う間に昼食、おやつと時間は過ぎて、今は夕食時である。
「サンジと向かい合って食べるなんて久し振りだよな。」
「そうだったか?」
「うん。いつもは座ってねぇだろ? 先に食うのか後で食うのか、俺たちの世話ばっか焼いてるだろ?」
「そういや、そうかもな。」
 何せ5人分の給仕をこなさねばならない。一旦全てを配膳してしまい、後はセルフで…としても良いのだろうに、一つ一つの料理にこだわりがあるものだから、温かいものは直前に火を通すだの、新鮮さが大事なものはぎりぎりまで冷蔵庫に入れておくだのという手間を惜しまない結果、自分が落ち着いて着席している場合ではない"食事タイム"となっているのだろう。だが、今はルフィの世話だけで良いと来て、前菜の芝エビのフリッターのオーロラソース添え、コールスローにコーンスープ、焼きたてのはちみつパンや付け合わせの温野菜のサラダ。そして、メインディッシュとして、オーブンから出して来たステーキ肉を彼の分と自分の分と、並べた皿に盛り付けて準備は万端。さあ一緒に食べようかと向かい合って椅子に腰を下ろしている。
「バラティエでは一緒に食べてたのにさ。」
「あん時は所謂"賄い料理"だったからだ。客相手みたいにいちいち気ィ遣ってどうすんだよ。」
 野菜もちゃんと食えよだの、ソースが服に飛んだぞだのと、世話を焼くのに忙しい状態は、日頃の食事とあまり変わりはないのだが、人から構われるのが好きなルフィがいちいち嬉しそうに微笑って見せるものだから、サンジとしてはどこか調子が狂ってならない。そういえば構われる側も初めてのマンツーマンとなる訳で、それもあって多少は照れ臭いルフィなのだろうか。
"いやぁ、それはねぇだろう。"
 ………まぁねぇ。筆者もそう思うわ。

 気がついてみれば…たった二人しかいないのだということを、物足りないとか寂しいとか一度も感じない一日だったような。そんな風にあらためて感じたのは、リビングルームの壁に掛けられてあった時計が十時を回っていることに気づいた時だ。ゲーム途中だった手札をテーブルの上へと伏せて、
「…おっと、ルフィ、ここまでだ。」
「え〜〜〜っ。」
「ゾロから言われてる。放っておくといくらでも夜更かししたがるから、早く寝かしつけてくれってな。」
 う〜ん。旦那なんだか、お父さんなんだか。テーブル一杯に広げられたカードを全てさらって箱へとしまう、手際のいいきれいな手を、少しばかり頬を膨らませて見ていたルフィだったが、
「…なあ、サンジ。」
「ん?」
「あの、さ。」
 何だか煮え切らない声を出す彼で、
「? どした? 何をどうねだっても、もう寝かすからな。」
「うん。寝るこた、寝るけどさ…。」
 椅子から立ち上がったサンジは、何か言いたげにテーブルに張りついているルフィの様子へ、
"…あ、そっか。"
 ここに至って思い出した。
〈何か怖がるようなら添い寝はしてやってくれないか。男と同衾なんて、お前の主義に反することだろうけど、寝つくまでの間で良いからよ。〉
 そうと言ってた剣豪ではなかったかとだ。そういえば、このバージョンの始まりというか基盤になってるコンセプトは"オカルトが超苦手なルフィ"だった。船幽霊が怖くて怖くてゾロと同室になったところから始まったシリーズで…いやまあ、それはあくまでも筆者側の事情であるのだが、
"奴と同室んなって、凭れ切るようんなって、余計怖がりになってんじゃねぇのか?"
 あはは…。それは言えてるかもねぇ。まあともかく、これは一番最初に交わした"約束"だ。
「判ったよ。…って言うか、ゾロからちゃんと聞いてる。一緒に寝てやるから心配すんな。」
 途端に心からホッとしたらしい"良かった"と言いたげな顔になるから、ゾロに言ったような"手は出さない"云々の大人の冗談を付け足せなかった、結構"善人"のサンジさんだったりする。
おいおい

 寝室へ向かうその途中、サンジをしばし通廊に待たせて、ルフィが自分たちの部屋から抱えて来たのは、大きなグレーの毛布だった。
「おいおい、掛けるもんくらい俺の部屋にだってあるんだぜ?」
 呆れたように言うサンジへ、ルフィはプルプルと首を横に振る。
「ん〜ん、これ、ゾロが使ってるやつだから…。」
"…あ。"
 本人でない、言わば"名残り"でも、彼にとっては一際大切な品なのだろう。えらい想われようだよなと小さく苦笑するサンジであり、
「まるで形見みたいだな。」
 ついつい軽く“憎まれ”を紡ぐと、
「縁起でもないこと言うなよな〜っ。」
 たちまち頬をふくらませて怒った。そんなルフィへ“あはは…”と笑い、細っこい肩に手を添えて部屋までの短い道行きをエスコート。
「ほい、到着。」
 サンジが使っている部屋は、丁度ルフィたちの部屋の正反対の船尾寄りにあって、
「わぁ〜、缶詰と調味料とお酒が一杯だ。」
 室内が貯蔵庫兼用なのはどの部屋も同じ。(『舞台裏』参照)この部屋もまた、壁の一面が棚になっていて、缶詰の箱、調味料の缶、セメント袋くらいもある大きな小麦粉の袋、ワインや酒のビンなどがびっしりと整理されて並んでいる。ちなみに、ルフィたちの部屋は洗剤や石鹸、ロウソクなどの収納庫を兼ねていて、壁によると結構良い匂いがしたりするのだが。
「あ、そんで時々ゾロ、こっちに来るんだ。」
 毛布を抱えたままで棚を眺めていたルフィが、振り返ってそんなことを言い出した。ベッドを整えながら背中で聞いてたサンジが、
「へぇ、気がついてたのか。」
 意外そうな声で訊くと、大きく頷いてみせる。
「うん。俺が寝たからって来てたんだろ? 酒盛りしに。時々は寝た振りしてたんだ。どこ行くのか追っかけてやろうと思って。」
 ほほお。
「…で?」
 今初めて合点がいったような言いようをしていたくらいだ。結局は確かめられなかったということだろうが、それは一体どうしてなのかと訊けば、途端に語調が弱まって、
「………だって、廊下が暗いからさぁ…。」
「…成程。」
 怖くて部屋から出られなかったのね。ちゃんちゃん♪ってか?

 そんなこんなと他愛のないことを喋っていたが、そこは日頃の習慣も出ようし、逆な要素としていつもと違う過ごし方をした興奮も手伝ってか、さほど手間取らせることもなく、いつしか床に座り込んだまま、すやすやと寝入ってしまったルフィである。ひょいっと抱えてベッドへと移し、そのあどけない寝顔に苦笑をし、
"…にしても、男くさい毛布だよなぁ。"
 臭いというのではないが、いかにも"男性が使ってるんですよ"という匂いがして、女好きで鳴らしているサンジとしては、これに引っついて寝なきゃならないというのは勘弁してほしかったりもするのだが、
"………。"
 肩や背中のみならず、顎から頬から包み込まれるようになってくるまっているルフィが、ぬくぬくと…いかにも安心した顔でいるのだから、これは仕方がないかと諦める。もう熟睡モードに突入しているのだから、ベッドは彼に譲って自分は木箱の上に寝ても良かったが、
"そこまで優遇するのもな。"
 それこそ女の子相手ならともかく、男同士で何の遠慮がいるものかと、小柄なルフィには余り倒しているベッドの空間へ身を横たえる。
"へぇ…。"
 間近になった柔らかそうな肌は、さすが"子供"に一番近いだけあって、たいそうきめが細かくて、
"………。"
 そっと頬に触れてみると、何とも馴染みがいい、しっとりとした感触がする。
"まあ、堅いんじゃあんなに伸びないよな。"
 だが、身体つきはしっかりしていて、決して餅のようではないし
おいおい、よくよく見れば…毛布からはみ出した腕などのあちこち、無数の傷だらけでもある。
"アーロンにも、ドン・クリークにも散々やられてたもんな。"
 ここの面子の中では自分しか見てはいない"バラティエ"での戦いの一部始終。最後の最後まで諦めず、ゼフに言わせれば"腹にくくった信念という名の一本きりの槍"で、完全武装していた百戦錬磨の大男であるクリークを叩きのめしたルフィ。鉄の刺のマントを素手で殴りつけ、鉄の楔の銃弾を受け、爆弾を幾つも食らい、これでもかこれでもかという怒涛の攻勢を真っ向から受けて立ち、一歩も怯まずに立ち向かった男。あの凄絶な戦いの最中は、味方側にいた自分でさえ、こんな年端も行かぬガキが何故立ち続けていられるのかと、ただただ呆気に取られた。
〈ここは俺の死に場所じゃないっ!〉
 死をも恐れぬ真っ直ぐな信念。偉大なる航路"グランドライン"を制覇し、世界一の海賊"海賊王"になる野望の完遂をただ目指している真っ直ぐな眸。あっけらかんとしているだけではなく、そこはやはり色々抱えた奴でもあって、それが一つ一つ判る毎、つながりや絆が深まるようでくすぐったかった。そうやって彼を知ることが、実はささやかながら楽しみでもあった。一番後から加わった自分は何かと蓄積も浅いが、もともと序列なんてもの、よほど組織立った海賊でもない限りは意味のないもの。ルフィ本人から直接の勧誘を受けた身なのだから、立場は対等な筈だった…にも関わらず、彼の傍らには既に頼もしい片翼がいた。いつだって言葉足らずな無骨な奴で、大雑把なルフィのフォローなぞ到底出来そうにない似た者同士の朴訥な相棒。だが、ざっかけない包容とさりげない気配りに、彼らの間にある深い理解がいつもいつも仄見えて、何より、ルフィ自身が剣豪を何につけ常に優先しているのだから、これはもう割り込むどころではなくって。その片翼の言うには、彼でさえ嫉妬する憧れの対象がいるのだそうで、出遅れの身にはさっさと傍観者の立場に回った方が利口だと、とっとと見切らせるには充分な条件立てだった訳で。とはいえ、今回のような機会が巡ってくると、特別な彼を独占出来ることが、そこはやっぱりちょっぴり快感だったりもするのである。
“…男心も複雑なんだよ。”
 ははあ、さようで。
「………。」
 ルフィはともかく、自分にはまだ寝るには早すぎる宵だ。ベッド脇のランプの灯を小さく絞ってつけたまま、無心な寝顔をぼんやりと見つめる。額髪が結構長く、その隙間から覗く目許が少々意味深な…どこかしら気を惹く翳りに半ば没しているようにも見えたのは、勘ぐりすぎというものだろうか。何せ、ただの“お子様”ではない。少なくとも幾度かは性体験を踏んでいて、しかもそのお相手はあの筋骨逞しき剣豪なのだ。いささか“下種の勘繰り”っぽいが、いくら初心
ウブな者同士だとはいえ、あれほどの男を骨抜きにしている存在だと思うと、そこはやっぱり…何か特別な要素でもあるのかなという目で見てしまう。男でも惚れ惚れする強壮なあの体躯に、この小さな身体が夜な夜な組み敷かれているのかと思うと、夜陰に仄白く浮かぶ小さな耳朶や、薄く開いた口許までもが、どこか艶っぽく見えて。…とはいえ、
“…う〜ん、どこが良いのかねぇ。”
 そこは自他共に認める“フェミニスト”で女好き。今ひとつ理解が及ばず、
“おネエちゃんの方が、やわらかくて気持ちいいだろに。”
 ごもっとも。そんな感慨を感じながら、頬にこぼれた髪を、くすぐったかろうと指先ですくい上げてやると、
「…う…ん。」
 小さく唸って、こっちの胸板へと擦り寄って来る。間近になった黒髪が薄明かりの中で妙に艶めいて、少しばかり高いらしい体温が、まだ触れてもいないのに余熱を伝えてくる。
“………。”
 自分でもどういう訳だか知らないが、柄になく…息を呑んでしまったものの、間近になった口唇から、
「ゾ、ロ………。」
 切なげな声で小さく紡がれたのは、やはりあの剣豪の名前。
“………。”
 良くあることだと判ってはいたが、実際に我が身に降りかかると結構きつい。声を立てずに苦々しく笑って、
“…ガキが。"
 ルフィへだか、それとも自分へだか、胸の裡で呟いてみたサンジだった。


『お留守番』E

 ルフィが故郷で通っていた酒場の女主人は、マキノさんという。  

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