エスカレーション白い楽譜バナー

by.大久保美籾&狐月

Etude〜冬の情景〜

 面倒はいつも、だれかさんの一言から始まる。
「ねえ、みんなで初詣に行こうよ」
 細身のかわいいリボンで髪を左右二房に分けた少女はマリという。お人形さんのようにくりくりとした瞳が印象的だ。
「あ、いいっすねぇ。行きましょお行きましょお」
 そばかすに短髪もりりしい少女はアリサという。この子だけひとまわり小さいのは、まだ中等部の1年だから。
 学生会室で学生会長を中心に、朝食後の優雅なるお茶、をしているはずなのだが。この子の前だけクッキーの粉が多くこぼれている。制服のセーラーにも……。
「あたし、ホント退屈してたんです。寮のみんなは帰っちゃって、誰もいないし」
 全寮制の女子校で、冬休みだというのに残留している娘たちには。それなりの事情、ってものがある。ここにいる誰もが、それは忘れていたい。
「あ、やば。…その、ごめんなさい」
 アリサはあわてて両手で口をふさいだけれど。すでにテーブルに降った霜は溶けやしない。
「そうね。せっかくみんな揃っているんだし。みんなで、どっか出かけましょうよ」
 冬の陽だまりのように微笑んで、場をとりつくろうように発言したストレートロングの少女はリエという。
「せっかくの休日を無駄に過ごすなんて、いけないことよね」
「さっすが学生会長さん。まじめなこと」
 リエの発言に、ぼそり、とつっこんだのは。さっきから窓の外を睨んでいたポニーテールの少女だ。赤い巾太のリボンでゆわえている。この少女はミドリという。いや、茫漠と外の白い景色を眺めていただけなのかもしれないが。無愛想な性格が、吊り目で眼光鋭く輝かせていては、睨んでいたようにしか見えない。
「寝正月はイ・ケ・ナ・イ・こと、ね」
 ミドリに言われて、なぜかリエの顔が紅くなる。何か隠すようにうつむく。
 それを見て、マリの顔が赤くなる。何か怒っている。
 どーしたんですかリエ先輩? お子様は関係ないの。あー、ひっどーい。またあたしだけおミソあつかいするぅ。はいはい、あとで遊んでやっから。ぶー。
「初詣、ね」
 アリサを受け流すミドリが、マリに対して冷ややかな視線を横に送る。
「いーでしょーが、別にぃ。日本人なんだから」
 ミドリを正面からにらみつけるマリ。火花が散る。
「あたしは何も」
「言ったもん。『アホかおまえは』って言ったもん」
「あたしは何も」
「言ったもん。その視線で『ミッション系女子高生が神社仏閣に行ってどーすんだドアホのコンコンチキ』って言ったもん」
「あたしは何も言ってない。でも、そうは思ったかもね」
 ふ、とミドリが鼻先で笑い飛ばす。
「ほら、やっぱりぃ」
 吹雪と烈火のあいだで、稲妻がスパークする。
「ふたりともやめて。新年早々から」
 マリとミドリのあいだにリエが割って入る。
「なんでいつもケンカばかりなの? 今年はもう卒業なのに…」
「やーね。冗談よ冗談」
 リエを振り向いたマリが微笑む。
「高校3年にもなって、本気でこんなのとケンカするわけないだろ? とに」
「こんなのって何よ、こん…」
 ミドリの目配せを受けてマリも、あわてて笑顔にもどす。
「やーね。リエはすぐ本気にするんだから、もう。冗談に決まってるじゃない」
 たいせつなお友達と本気でケンカなんかするはずないでしょ。そお? やーねリエったら。
 マリと話しているリエが、ミドリのほうへおずおずと視線を送ってくる。
 ミドリはぷいっ、と窓の外を見る。
 リエはクスリと笑った。ミドリがぎこちなく微笑もうとして失敗したことがリエには分かったから。
「ミドリも来るわよね」
「あたしは…」
 にっこり笑うリエを見て。
「…行く」
 しぶしぶミドリはつぶやいた。ポーの原書と戯れているはずの冬休みは、陽光の前の淡雪のごとく消えた。本はほっといてもなくならないが、だれかさんの笑顔はささいなことでなくなるからだ。
「やったー。みろり先輩と、おでかけおでかけ」
「また。その呼び方だけはやめろっつっただろ、こら、アリサてめっっ」
 逃げるアリサをミドリが追う。
「ごめんなさいみもり姫」
「ミ・ド・リだ」
「わーい、青ちゃんと一緒ぉー」
「ひとをからかうなら、わかる話を…、こら、まてこの…!!」
 アリサはリエの背後に逃げ込んだ。
「やめなさいよミドリ、おとな気ない。ほら、アリサちゃんも謝っ…」
 ふりかえったリエが目にしたのは、ミドリにあかんべーしているアリサだった。
「栗本、ア・リ・サ・さん?」
 アリサの顔面が蒼白になるのを見て、ミドリとマリは肩までの直毛(ストレート)の裏側でリエがどんな顔をしているかを知った。
「ストーンヘッド、じゃなかった、舎監の先生へ外出届。やっとくから」「あ、あたし、図書室で時刻表調べてるから。じゃーね」
「あ、ミドリ先輩の裏切者ぉ。マリ先輩の薄情者ぉ」
 アリサには二人を見送る以外にすべはなかった。
 あ、リエ先輩はとってもお優しいですよね? ど・こ・の、リエ先輩かしら? 小松崎、リエ先輩。ほんとに調子いいんだから。もう。いい? もうちょっとで退学になるとことを、行儀見習いってことであたしたちに預けられたのよね、あなたは。なのに何? マリには反抗的だわ、ミドリにはからかってばっかだわ。普段からいたずらばっかりで、素行だってちゃかついてて。あなただって聖アザレア学園の生徒のひとりで、この神聖なる学舎で神の子の教えを請う、迷える子羊でしょ? 品行方正、とまではいかなくても、すこしは父なる神の前でもはずかしくないよう、おとなしくなさいな。いい年齢した乙女がなんてはしたないことするの。もう小学生じゃないのよ。……。
 くどくどくどくど。
廊下の角を曲がって階段を1階分降りるまで、ミドリとマリはリエの説教を聞き取ることができた。
「リエったら、ピアニストじゃなくてオペラ歌手を目指せばいいのに」
「そう、ね」
 マリのこぼした一言に、ミドリも同意する。
「ねえミドリ、賭けない?」
 マリに言われて、ミドリは一度天井を見て、言った。
「しれっとしてるアリサにリエが泣き出すほうに大枚1枚」
「あたしは、アリサがリエを泣かせるほうに大枚1枚」
 ミドリが言ったこともマリが言ったことも大差ない。
 少々の沈黙。
 ふたりして顔を見合わせて、西洋人の「しょうがないなぁ」ポーズをする。
 同じことを考えていては賭にならない。
「よくわかってるじゃないの、副学生会長兼文化部総部長の工藤マリさん」
「そっちこそ。書記兼運動部総部長の如月ミドリさん」
「ま、残りわずかの任期もよろしく」
「こちらこそ。せいぜい今年もフェアによろしくね、ミドリさん」
「…世の中、結果がすべてだってこと、優秀なマリさんならご存じですことよね?」
 少々の沈黙。
「で、新年早々なにしてたの?」
「さあ」
「さあ、じゃないでしょ」
 マリに睨まれても、ミドリは平然としている。
「ナニ、をしていたのかしら、ねぇ」
 くすくす、とミドリは意味ありげに微笑んだ。
「そっちこそ、なにしてるかしら? 同室のお姫様と毎晩」
「ぶえっつにぃぃ。夜はリエと友情を誓い合って、一緒に寝るだけよ。一緒に」
「そ。こっちもひさしぶりにお姫様におこしいただいて、友情を深めていただけ。友情を、ね」
「友情? 同情のまちがいじゃないの?」
「そっちこそ。癒されたのは嫉妬じゃないの?」
「そっちだって」
 少々の沈黙。
「ナルシー」
 ぼそり、とミドリがつぶやいた。
「るさいわね、純情バカ」
 すかさずマリが言い返す。
「ぶりぶりナルシー」
「ひねくれバカ」
 一触即発、の頂点で。ふたりして嘆息する。
 いまさらにらみ合い、いがみ合うことでもなかった。
 高1。
 ミドリには絶対的な存在として、早川ナオミという先輩がいた。
 高1の初秋。
 リエが転入してきた。
 ミドリはリエを蹂躙した。はずだった。しかし、奪われたのはミドリのほうだった。
 結局、ミドリはナオミを失い、リエを手にすることはできなかった。ミドリには友情という名の空箱が残った。
 高2の初夏。
 それは女王様の気まぐれだった。ナオミはリエのついでにマリを求めた。リエとマリは髪型がちがうだけで、外見だけは似ていたから。
 狂宴のなかで、マリは“お友達”の真実を知る。ナオミはずっとマリのあこがれの君で、リエは大切な親友だった。だから、マリも思い知らされた。“お友達”同様、埋まることのない空箱を自分も持っていることを。
 その晩、ミドリはリエの代わりにマリを抱いた。マリはナオミの代わりにミドリに奪われた。行き場のない想いが交差したのは、麻薬の代用としての快感にでもすがらなければ、壊れてしまうところだったから。いや、あのときのミドリとマリは壊れていたのかもしれない。
 それからのミドリは、手にできないと知りつつも、リエを抱く。
 それからのマリは、手にできないものを求めてリエを抱く。
 リエは、求められる都度、黙って与える。ミドリもマリも大切な“友人”。だから、多くを与える。ただひとつ、あるものを除いて。それはナオミだけが手にすることができるもの。
 ただひとつ、だけのもの。
 それは、ミドリもマリも手にすることはできない。
 ぜったいに、できない。
 だから。高3になって。
 ひょんなことから飛び込んできたアリサが、3人の救いになった。
 その行為が背負っている意味なんて。まったく無関係に、アリサはリエにキスをした。
 アリサにとってその行為は、純粋に友愛の印でしかなかった。だからアリサはみんなのアリサになった。
 そう。その行為に勝手に意味づけしてくだらない記号と化したのは、バカな大人たちなのだ。
 手にしたところでそれはただのカラ箱で。ただひとつの欲したモノが詰まっているとは限らない。分かっていても、バカな大人たちはカラ箱を求めてしまう。中身がないと分かっていても、カラ箱を開け続ける。
 救いがないのは分かっている。
 では、何に救いを求めればいい? 
 2000年前の中近東のじじいたちが勝手に決めたことに?
 ここは厳格なカトリック系女学院。
「ねえ、ミドリ」
「ん?」
「神様なんて信じてるヤツはバカだよね」
「ん」
 なにをいまさら、とミドリは冷笑を返した。
「初詣、来るでしょ」
 ミドリはこくんとうなずいた。
「バスで町まで降りたら、電車で2駅のところに、ややメジャーなのがあるの。祭神に大国主が入ってるから、ウリは縁結び」 
「お任せするわ、文化部の担当は」
「お任せされた。ところで、あのさ」
「何?」
「ストーンヘッドには何て言うの? 外出理由は」
「問題ない」
 すっ、と一息吸うと、声音を変えてミドリはしゃべりだした。
「あたしたち『キリスト教文化圏の新年行事と日本古来の新年行事の文化性の比較について』という題で、課題のレポートを作ることにしたんです。つきましては資料の収集のため、外出許可をお願いしたいのですが」
「さすが猫かぶり」
「ひっかかれたいのマリ?」
「遠慮しとく。でもそんなレポート本当に書くの?」
「ストーンヘッドは英語担当。社会科や国語は関係ないでしょ」
「さすが」
 マリは素直に感心する。
 あの娘が笑うなら何だってする。
 あの娘が笑うなら何だってしてあげる。
 そう。それだけのこと。
 となりにいるミーハー女は同志なのだ。
 となりにいるひねくれ者は同志なのだ。
 だから、となりにいるのは、親友なのだ。
 図書室には時刻表があって、舎監は舎監室にいた。

 学園前のバス亭に、アリサにひっぱられてリエが来る。
「ごめんね、ベレー、見つから、なくて」
 肩で息してるリエの目が赤い。
 ほらね、やっぱり、と目線で会話するミドリとマリを見て。
「先輩たち、なにかいいことあったの?」
 アリサに問われて。
「まーね」
 マリはウインクをミドリに送る。
 ミドリはぷぃと、あっちの空を見る。
「またあたしだけおミソにするぅ」
「何言うか、こら。リエを独り占めして会話を楽しんでいたくせに」
「あれは会話じゃなくてお説教…」
 マリと話しているアリサの背後から、ミドリがそっとアリサの首をしめる。
「マリと遊ぶ前に、何か言うことあるんでないかい、アリサくん」
 猫なで声で、首をしめる。
「う。その……」
 アリサは一度リエを見て、リエが微笑むのを見てから、ミドリのほうへ向き直る。
「さっきはごめんなさい、ミドリ先輩」
「分かればよろしい」
「ほら、バス来た」
 リエに言われて、一同はバス停に集まる。
 そう。安息日はこもってお祈りしてないで、外に出かけるのも悪くない。
 彼女たちの信奉する神は、彼女たちには救いを与えてくれないのだから。
 しょりしょりとチェーンを鳴らしながら、バスは町へと降りていった。
    −了−

あとがき

 読了ありがとうございます。
 とくに下敷きはありません。年中行事というか、歳時記というか。
 なんで“練習曲”なのかとゆーと。ひさびさに書いたエスカだったから、という、まったくの作者サイドの事情によります。
(シリアス版では)これの前回に書いた「14番目の奏鳴曲」のとき。
「どーしてHがないんだ?」と発表誌の編集の方々。ぜんぜんヤリタイコトを理解していただけなかった。
 で。一般人にはグダグダ書かないと通じないのか、と絶望し、その残滓のせいか、超説明くさくなってます。
 
 ウチでは、どうしてマリがアザレアに棄てられたのか(望んで来たのかも未決)は、まだ結論が出てません。
 ともかく、ウチでは、マリはフツーの明るい(ちょっとだけ対人関係には積極的な)女の子、です。パソゲー版のように、児童虐待の過去を背負わせるのは…つらいな。ウチではミドリがずんとこ暗いので、相方はなるたけ明るくしたいし。
 みろりさん、は、富本たつやのエスカパロから。みもり姫に青ちゃんと一緒、というのは。「けろけろちゃいむ」から(これ書いたの1997年)。主演声優の樋口智恵子めあてに、ずるずる見ちゃった。 ご感想などいただけると、うれしいです。