エスカレーション白い楽譜バナー

by.大久保美籾&狐月

見果てぬミドリ

 スタンド蛍光灯だけ点けて。
 闇に浮かぶ青白い世界のなかで、ミドリは机にもたれていた。
 その夜はどうしても眠れなかった。
 昼間、くだらない本をオトモダチに読まされたせいだ。
「……王子様、ね」
 世界を革命するチカラを手に入れた王子様は、奇跡を起こして、お姫様と幸せになれるのだそうだ。
 ご都合な連中の、おめでたい話だった。
 奇跡なんて、ないのに。
 不愉快な毒が全身に回ったまま、抜けない。
 だから、寝付けなかった。
 いや、ほんとうはそんなこと、関係ないかもしれない。
 眠れない夜に、あまり愉快ではない思考が回っているのは、いつものことだから。
 不意に予感が走って。
 スタンドを消すと、スイッチに手をかけたまま、ドアの向こう、廊下の気配をうかがう。
 舎監ではないようだ。
 では、誰?
 寮生活において、消灯後の外出は厳禁である。
 それでも夜中に忍んでくる者がいる。
 あたしなんかの、部屋に。
 ……だろうね。
 一瞬、甘美な夢想を期待した自分を、ミドリは鼻先で笑った。
 スタンドを点けて、ミドリは投げやりに言った。
「あいてるよ」
 そっとノックしようとする直前に言われて、硬直したのだろう。
 ややあって、ドアが開いた。
 バツが悪そうに、ミドリの部屋に入ったきたのは、マリだった。
「は、はぁーい」
 なんで?
 音、立てなかったのに。
 透視術でも使えんのか、あんたは?
 マリの顔にそう書いてあった。
 ばればれじゃん、とは答えず、
「なんのよ?」
 とだけミドリは答えた。
「おじゃまー。まだ起きてたんだ」
 まあね。
 なんで起きてたのさ?
 と視線を交わして。
「べつに。で?」
「まぁちょっと、眠れなくて、ね。夜の散歩」
「うそつけ。あんたがこんな夜中にウチに来る理由なんて、ひとつしかないじゃない」
「そ。夜這い」
「…試験前日に赤点常連が?」
 ウインクの返事は、冷たい視線。
 静かな深夜。
 時計の音が、かちっ、かちっ、かちっ。
「あははー。ばればれ? やっぱ、王子様は奇跡のチカラに頼ってでも補習を回避しないとさ、お姫様が泣いちゃうと思うの。だからノート見」
 ミドリの平手ぱんちがマリに炸裂した。
「勉強くらい、自分のチカラでやりな」
「なにすんのよ!」
 床で叫ぶマリからは、机上の蛍光灯で逆光になったミドリの表情をうかがうことはできない。
 その冷ややかな青白い光線と同じ角度で、ミドリはマリを見下ろしていた。
 こいつは……。
 ほんまもんのバカ、だ。
 どうして素直に信じられる?
 他人(トモダチ)のものはぜんぶ自分のものだ、って。
 どうしてまっすぐ確信できる?
 あたしにノート見せてもらえる、って。
 オトモダチダカラ?
 どうしてこんなバカが、あの娘と同室で。
 あの娘といつも何時もいつも何時も。
 いーっつも一緒で、四六時中ベタベタしまくって。
 あたしよりもたくさんたくさん、あの娘を笑顔でしあわせいっぱい、にしてあげられるんだ?
 あたしよりも、笑顔を、いっぱいに。
 あたし、よりも。
 ……。
 勉強くらい、他人にいくら教えてあげてもいい。
 ノートくらい、他人にいくら見せてあげてもいい。
 でも。
 バカに見せるノートなんか、びた1ページだってあるもんか!
「気貴き王子様とやらは、ひとさまのノートをあてにするわけね。……穢らわしい!」
「るさいわね。勝てば官軍って言葉、知らないの!」
 マリのおかえしがミドリの頬を打つ。
 それは絶対3日間は色つきであろう痛さだった。
 その“言葉”は、じつによくミドリにも理解できた。
 へぇ。
 どう“言えば”あたしに通じるか、分かってるなんて。
 あたしが分かる、なんて。
 バカのくせに。
 ……。
 だからミドリはブチ切れた。
 ナマイキ!
「このブタ女! 決闘だ決闘っ!」
「望むところよ! つり目ケチっ!」
「ねえミドリ、真夜中なのにマリがいない…って、やだ、やめなさいよ、あんたたち! マリ! ミドリ! おねがい、やめてーっっ!!」
 自分がケンカの原因だって知らない者が、ケンカの仲裁をするんですね、たいていは。

 かしら、かしら、ご存じかしら?
「まぁ。なんですの? 英子さん」
「もう聞きまして? 美衣子さん」
 あの“不良”で有名な如月さん、“また”問題を起こしたんですって。あらま、今度は何ですの? 夜中にとっくみあいのケンカですって。おお、なんてヤバンな。犠牲者は工藤さんですって。どうして、いったい。ノートを貸しに行ったら、ボコボコにされたそうよ。あぁ、あんな愛くるしい方を…なんて乱暴なんでしょう。工藤さんが親切にご教授なさったのを、バカにされたと思って逆恨み、ですって。ひどい。恩を仇で返すなんて。鬼畜だわ。小松崎さんがシスター呼んでくるまで、馬乗りにまたがって滅多打ち、ですって。おお恐い。ヤバンだから限度ってものを知らないのね。いつもかばってあげてるのに裏切られたって、小松崎さんはショックで保健室で寝込んでるそうよ。あの方お優しいから…お気の毒に。お育ちが下賤な方は、これだから困るわ。あらいやだ…あのお話は、やはり本当でしたのね。如月さんって、認知もされず、“柳橋”のほうからいらっしゃったんですって、ね。まぁ。わたくしは“橋の下”って聞きまして、よ。
 ほほほ。
 ほほほ。
「いけませんわ、英子さん」
「そうですわね、美衣子さん」
「『マリア様の祝福を受けし者』は? 英子さん」
「『みなすべて同じ神の子ら』ですわ、美衣子さん」
「はしたないですわ、ひとのウワサ話なんて、英子さん」
「そうですわね、美衣子さん」
「これはここだけの、ナイショにいたしましょうね、英子さん」
「そうですわね、美衣子さん」
 ほほほ。
 ほほほ。
「ナイショですわよ、英子さん」
「ナイショですわよ、美衣子さん」
 ほほほ。
 ほほほ。
 かしらかしら、ご存じかしら?
 かしらかしら、ご存じかしら?

 そして、翌日は試験の時間。
「テストで点数高いほうが、こんどの外出日にリエを独占できる。いいわね」
「奇跡のチカラとやらを見せてもらおうじゃないか、王子様」
 それはそれは、ゾクゾクするほどいやらしい口調で。
 だが、言われたほうも。
 イヤミに負けるほど軟弱じゃないもん!
「そうよ。白馬に乗った王子様は奇跡のチカラでお姫様と結ばれるのよ!」
 おやくそくだもん!
「ま、白痴の王子様はおしめ様と仲良くなれるよう、せいぜいムダな努力すんだね」
 ばーか。
 むっかー。
 口げんかでマリがミドリに勝てたためしはない。
 しかし、負けたこともない。
 なぜなら。
 負けを認めなければ負けたことにはならないのよっ!
「あんたなんかに、ぜったい負けないんだから!」
「ほざけ。一夜漬けのくせに」
 じっさい、今朝のマリの目は赤い。
 その一言をマリは待っていた。
「そうよ。ゆうべはあれから、リエに“つきっきり”で教えてもらったんだから」
 会心の一撃!
 だが、ミドリはポーカーフェイスのままだ。
 さすがね、鉄仮面。
 でも、これで終わりじゃないもん!
 びしっっ。
 マリは、ミドリに向かって、一本の短い棒を突きつけた。
 エンピツ、だ。
 赤い頭巾をかぶった、寸足らずのウサギが、いっぱいちりばめられている。
「……なに、それ」
「マイメロディ」
「知ってるわよ」
 あたしでも……それくらい。
 へーえ。意外。あんたがねー。
 ゆ、有名でしょ。
 でもね、これは。
「あたしのキティちゃんとトレードした、リエのマイメロディよ!」
 ちぇっくめいとぉぉ!
 ミドリはポーカーフェイスのままだが、マリは手応えを確信していた。
「お姫様の祝福を受けた剣は、無敵アイテムなんだから。世界を革命するチカラの前に“悪”は粉砕されるのよ!」
「ふん。エンピツはエンピツ。脳たりんが使っても、名前書いて終わりでしょ」
 また、くだらない本の受け売り。
 つきあってらんない。
 ミドリは鼻先で笑い飛ばして。
 直後。
 これみよがしに不機嫌な顔になった。
 やーいやーい。あんたリエのエンピツなんて持ってないでしょ。うらやましいだろざまーみろ。
 というマリの顔を見たからではない。
 とても不愉快な推測が、あまりに悲しい結論に至ったから。
 まっすぐにつきつけられたマイメロディ。
 マイメロディ。
 しわくちゃな顔が、吐き捨てるように言った。
「机から落とさないでよね」
「?」
 これから使うエンピツが、つまり“手に持ってる”エンピツが、なぜ“机から”落ちる?
 マリはきょとんとしている。
「……もう、いい」
 リエからもらったエンピツ……。
 このバカは絶対に許せん!
 ミドリは本気で怒った。

 全20問マークシート4択。
 20分経過まで、いっさいの入退室は認められません。
 遅刻者は後日、再試験を受けて下さい。
 退室者の再入室はできません。
 はじめっ!
 というわけで、開始後20分。
 成績優秀者にノミネートされるなんてウザいことにならないように。でも、さぼっても文句言われないように。
 きっちりクラスで4番になるように、普段は点数を調整しているミドリだ。
 が、今回は特別。
 ぶっ潰してやる!
 ま、95点なら間違いないでしょ。
 あの娘いつも、良くて60点くらいだし。
 画竜点睛を欠くとはいえ。
 これ、ウチのクラスだけ、まだ習ってない。
 だいたい、偶然当てたって、勉強になんないじゃん。
 どっかのだれかさんが必死こいてエンピツ転がしてるのを横目に、ミドリは1問だけ空欄のまま、退室した。
 リエのエンピツ……。
 使ってこその文房具を、金庫にしまっておけとは言わない。
 だけど。
 フツーに使うなら、ともかく。
 見てなくても、聞こえてくる。
 いやぁ!!
 何度も何度も机上に叩きつけないで!!
 やめてぇー!!
 3回も続けて下に落っことさないで!!
 的中してほしくない推測以上の、ていたらくだ。
 教室では、いまだにひどい使われ方をしているに違いない。
 あれなら勝利は確実とはいえ。
 ミドリはちっとも嬉しくなかった。
 いい天気だった。
 青い空のどこかに、神様でもいそうなくらい。
 でも。
「奇跡なんて、ないんだ」
 だって。
 望んだことはたったひとつだけ、なのに。
 生まれてはじめて。
 たったひとつ。
 なのに。
 それは絶対に叶わないことなんだよ?
 ウソばっかのおとぎ話に説教されるのは、もう、まっぴら。
 あのミーハーは。
 いい年齢(とし)こいて、くだらねー少女マンガに夢中で。
 たまに活字の本だと思ったら、ほんとうは恐ろしいナントカ、だし。
 世間様で流行だからって。
 しかも、あたしなんかにまで、押しつけて。
 あたしなんか、に。
 あの娘と一緒に、それで盛り上がって。
 あの娘と、一緒に。
 あの娘は…。
 楽しそうで。
 陽射しがこぼれて、あふれだすみたいに。
 いっぱい、いっぱい、笑ってて。
 笑ってて。
 ……。
 バカと夜中に騒いだせいで、寝不足で。
 いい天気が、イヤになる。
 陽射しが、…いっぱい。
 世の中ヤなことばっか。
 ミドリはさっさと植物園で昼寝がしたかった。
 陽射しにつつまれて、甘い夢が見たかった。

 数日後。
 それは、くだんのテストが返ってくる日。
「…今回は、満点がひとりだけいました。工藤マリさんです。みなさん拍」
 どがたんっ!
 振り返った者は、それはイスと机がひっくり返り、教科書とノートがぶちまけられた音だと知る。
 席がその近くなら、滅多にない光景を目撃できたかも。
 ほら。シャーペンが1本、床に突き立ってる。
 真っ赤なマイメロディ柄なんて、もちろん持ち主の趣味じゃなくて、貰い物です。
 ナイショの、貰い物です。
 ま、大切な宝物がどーなってるか、どころではないようですけどね。
「いったい、何事ですか、…如月さん?」
 突然のご乱行に凍っていたシスターは、ようやく自分の職務に復帰した。
 しかし、なにもできなかった。
 あまりに尋常でない生徒にどう対処してよいかまでは、聖書にも教育指導要領にも書いてなかったからだ。
 クラス全員の視線に突き刺されて、呆然と立ちすくむミドリの口が、ぼそり、と少しだけ動いた。
「何とおっしゃいました? ……如月さん?」
「…違う」
「何がです? …如月さん?」
 神のきまぐれに打ちのめされてなお、立ち上がりし勇者。全身の傷口から噴き出す真っ赤な決意そのままに、気貴い王子様は、無慈悲な神への徹底抗戦を叫んだ。
「違う! 断じて違う!! 認めない! あたしは絶対に認めない! こんなの…こんなの奇跡なんかじゃない! ただの、ただの偶然だぁー!!」
「如月さん! 授業中ですよ。どこ行くんです! 如月さんっ!!」

 そっとしといてあげようよ、シスター。
 あんたが誉めた今回の成績優秀者は。
 7問分もエンピツ転がしたんだよ?
 いちまんロクセンさんびゃくハチジュウよん、ぶんの、いち。
「万に一つ」以下の勝負をひっくり返したのは。
 偶然でも奇跡でもなく。
 さあ、何でしょう?

 テストのあった日。
 それは、とってもいい天気の日だった。
 テストが返ってきた日。
 それは…。
 どしゃぶりだったと思う?
 とってもいい天気だったと思う?
    −了−

あとがき

 読了ありがとうございます。
 もちろん冗談で書きはじめて。
 やがて、ぼろぼろ泣きながら書いてました。
 −−奇跡なんて、ないんだ。
 脱稿後、寝込むほど落ち込んで。
 自分のサイトに載せたくなくて、他人様のサイトに里子に出した(投稿した)くらい。
 そうです。「少女革命ウテナ」大好きです。
 ウテナで樹璃が敗れたときは、ゴハン食べながらゲラゲラ笑ってました。
 …笑ってたくせに。
 勝手なもんです。
 ご感想などいただけると、うれしいです。

 じつは、蛇足があったりします。この作品。
 いちおー、ギャグです。400字で25[枚]。
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