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褥創(ジョクソウ) その3 あれからの母は褥創に悩まされることはなくなりました。 ただ、少しでもバランスが崩れたら、いつでもおきうることです。 ベッドの具合、車椅子の具合、車椅子に使っているエアーマットの具合、そして、食事。 これらが整っていれば母を褥創から守ってあげられることが解りました。 もし、褥創になっても、治るということがわかりましたから、心に余裕も持てます。 昨年8月母が入院をしました。
真っ先に気になるのは褥創ですが、褥創が気にならないほど、重篤になってしまいました。 褥創のことを思い出したのは、丸一日が経ったときでした。 エアーマットを用意していただきましたが、かかとはもう赤くなっていました。 (この赤くなった褥創初期状態は 水泡を形成していたようですが、破れることなく自然消滅していきました。) 意識がない、食べられない、もちろん動けない… もとの母に戻れないとおもいましたが、褥創からは守ってやりたいと思いました。 自宅から低反発の小型枕を持ち込みふくらはぎ全体をのせ、かかとをカバーし、エアーの調節も自分で確認しました。 そして、ひとさじでも母の口に食べ物を入れるようにしました。本当にひとさじずつです。これが効をなしたのか、母が快方に向かいはじめました。 酸素マスクがはずれ、点滴がはずれ、自宅に戻れるまでに回復したのです。 私は母のために食事介助に通っていたのですが、どうしても通えないときは自費で ヘルパーさんにお願いをしました。 そのときには母の状態を紙面にし、ヘルパーさんに見ていただくようにしました。 今までの母をご存知のヘルパーさんでも現在の母のことはわかっていません。 ベッドの上げ方や、順番、ふくらはぎにマットを当てる理由も書いて、テーブルに置きました。こうしたやり方は母の意思疎通ができなくなってから、ヘルパーさんたちに母のことを解っていただくためにしてきたことです。 デイもショートも、同じように情報開示です。 特にヘルパーさんはメンバーが変わります。その一人一人に母のことを解っていただくためには必要なことだと思っています。 母の褥創の治療もそういった環境の中でやってきました。最初は戸惑いを見せていたヘルパーさんたちが私の考えを否定せず、協力してくださったことは本当にありがたいことでした。協力いただけるのですから私も母の状態をより詳しくお知らせしてきました。 褥創はベッド、車椅子、食事、そして、人によって予防されるものだと思います。出来てしまった褥創は消毒しないでラップで治す。
そういった知識、意識をベースに我が家の介護が成り立っています。 |
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(タベダス 2005 12月号に掲載)
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