炎水晶の迷宮 A  “蜜月まで何マイル?”


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 さてさて、すったもんだのままに陽が暮れて夜が来て。気さくでざっかけないクルーの皆さんから、母国がどこに位置するのかを引き出す必要もあって、何かと話しかけられることで少しずつ馴染んでいった姫様ではあったが…。ルフィであってルフィでない身の"彼(彼女?)"は、だからといってナミやロビンと同じ部屋に寝かせる訳にもいかずで、
『あら、あたしたちは構わないわよ? ねぇ?』
『ええ。』
 こだわりはないらしい女性陣ではなく、
『ダメですよ。もしかして、ひょっこりと何かの拍子に元に戻るかもしれない。』
とサンジが主張し、
『夜中に"ルフィ"に戻って、相方のトコへ帰るとか何とか、無茶な駄々を捏ね出したらどうすんですよ。』
 おいおい、そっちかい。男の子なんだからとか、女性の部屋には危険だからと思われてない辺りが何ともはや…。という訳で、キッチンのベンチに何枚ものマットを敷いて毛布もかけて、急増のベッドをしつらえ、そこでお休みいただくことにした。
「窮屈かも知れないけれど我慢してね。」
《あ、いいえ。こんな温かな褥
しとねは久し振りです。》
 ずっとずっと、何の感覚もない冷たい眠りについていた姫。生身の体を得て久し振りに味わう感覚の何もかもが暖かくて、それはそれは嬉しい御様子。テーブルの上へ小さく灯したランプを置いて、それじゃあと手を振ったナミによってキッチンの扉が閉じられると、ふうと吐息を一つついて、ルフィ
(姫)はごそごそと毛布の中へ。起きぬけに色々なことが降りかかって来て大変だった。海賊さんも時代が進むと、こうまで気のやさしい人たちになってしまうものなのかしらとか、立って歩いて愛らしくおしゃべりまで出来るトナカイさんがいてビックリしたとか何とか。(笑) 色々とぼんやり考えているうちに、とろとろと眠りの波が"彼女"を迎えにやって来た。
《………ん。》
 瞼を降ろして、お行儀のいい範囲で寝相を決めて。すうっと吸い込まれるように眠りについた…その途端。
「………☆ あれぇ?」
 入れ替わるように"ぱちぃっ"と目が覚めたのが、
「なんでもう夜なんだよ。」
 …まだ事情が全然飲み込めていない、ルフィ船長本人である様子。毛布から身を起こす"彼"は、今の今まで眠っていたから全然眠くないらしい。夜陰の中を不審げに見回していたが、
"ここってキッチンじゃん。"
 自分がいる場所に気づいて肩をすぼめた。用のない、しかもこんな時間にいたら、ここの責任者であるシェフ殿からつまみ食いを咎められること請け合いだ。
"…何でだよぉ。"
 困惑しつつも、覚えのないことで叱られるだなんて割に合わないとだけは判るらしい。とっとと出て寝室へ戻ろうと、だが、扉に手をかけたそのまま、少し躊躇したのは…そう。このお話、どのカテゴリーに入ってましたか? あの"蜜月まで〜"でしたよね? という訳で、
"どうしよう。"
 早い話、一人では闇溜まりが怖くて、甲板に出られない彼なのだ。ここから直接船倉へ降りるルートの蓋扉もあるにはあるが、随分と船尾寄りなので、船首にある部屋に向かうにはやはり真っ暗な通路を通らねばならず、
"ゾロぉ〜。"
 いささか情けないが、怖いものは仕方がない。べそをかきかねない様子で扉の丸い窓を覗いていると、
「…あ。」
 月光に青々と照らされた甲板の上、メインマストの脇の蓋扉が開いた。あの場所は…。
「ゾロっ!」
 矢も楯も堪らず。そういった勢いでキッチンから飛び出した小さな影に、そこから出て来た大きな影がそちらをちゃんと向いてやり、柵を飛び越えて一気にばふっと飛びついて来た船長を胸元でしっかと受け止めた。
「なあなあ、なんで俺、キッチンで寝てるんだ? それに何でもう夜なんだよぉ。」
 聞きたいことが山ほどあるらしい船長は、いつもの"すりすり…"が高じて、分厚い胸板へぎゅうっと押し付けた頬が押し潰されるほどの"むりむり…"といったノリの頬擦りをしかけつつ、大好きな剣豪に甘えかかる。良くは判らないのだけれど、こうやって彼の匂いや温みに触れるのも、かなりの間をおいていたことなような気がするのだ。
「…ルフィ。」
 どうやらあのややこしい憑衣状態ではないらしいと判って、ゾロもまた安堵の吐息をつき、飛びついた弾みで脱げ落ちた麦ワラ帽子を拾ってやると、だが、その頭にかぶせる前に、
「その、な。ちょっとばかりややこしいことになってるんだ。」
 言葉を選んで説明しつつ、大きな手のひらで愛しい恋人の手触りのいい黒髪をまさぐった。重みのあるいつもの手にわしわしと撫でられる感触にうっとりしつつも、
「ややこしいこと?」
 物問いたげに小首を傾げて見上げてくるつぶらな眼差しの、何と愛らしいことか。どこか逼迫した色合いの滲んだまま、月光の真珠色の光に照らされた愛しいお顔に、はっきり言って…剣豪殿の理性が音を立ててぶつっと切れかけたほどだったのだが、
「ほらほら。説明しなさいって、ちゃんと。」
 それを制するタイミングで背後からの声がして、
「え? あ、ナミ?」
 てっきり彼だけだと思って油断があったルフィが、途端にぽうっと頬を赤く染めた。思いがけないすぐ間近にナミが、また、少し離れた船端に凭れてロビンまでもが立っている。遅ればせながら、それへとやっと気づいたルフィであるらしい。ゾロの慎みが伝染ったか、彼もまた、あまり人前でいちゃいちゃするのには慣れがない。電信柱…はこの世界にはないらしいが、そんなところへ止まったセミよろしく、腕も足も使ってぐるりと回してしがみついていた剣豪の胴へと、恥ずかしそうに"ぱふっ"と顔を伏せたルフィであるが、その格好のままの方がよほど恥ずかしいぞ、あんた。


「あんた、今日は何か訝
おかしいなってことへは、もう気がついてるわよね?」
 何はともあれ"仕切り直し"。メインマストの傍ら、樽の上へと腰掛けさせた小さな船長殿を前に、ナミがそうと尋ねれば、
「うん。何か記憶がぶつ切れでよ。時々トイレに起きたりしてるよな気もするんだけど、半分夢の中みたいで今ははっきりとは覚えてねぇ。」
 実のところ、普通の環境下でこういう状態が続くのはあまりよろしくはない。体が起きている間、ルフィの意志を担当する部分だけが眠っていて、体を動かしたり知覚・感覚を制御するための脳組織はしっかり起きている訳だから、体だけでなく実は脳までもが休憩を取る暇が無いということになる。
「それに関して、今日起こったことを今から説明するから、い〜い? 落ち着いて、しっかり集中して、聞いてちょうだいね?」
 ナミによる、手際のいい、しかもルフィの性格をよくよく把握した上での丁寧な説明でも、途中何度も同じことを言い方を変えて繰り返したりして。全てを説明し終えるまでに1時間近くはかかっただろうか。
「………で。その気の毒なお姫様をどうするか、よ。」
「俺、そのお姫さんがいる間はゾロに逢えねぇのか?」
 そういう点まで理解してるのは、物凄く丁寧な説明の甲斐あってのことなのか、それとも、
「だから…。それが一番最初に来るか、あんたはっ!」
 ははは、やっぱし。そういう事項だったからこそ飲み込みも早かったと。
(笑) オカルト絡みな事態だという事への怯えがないのは助かるものの、脱力半分、だがだが、まだ気力を萎えさせている場合じゃないとばかり、気持ちを奮い立たせるように憤然としつつ、
「あたしまで同席してるのは、そんなことをわざわざ話してやるためじゃないの。い〜い? そのお姫様は母国に帰りたがってるの。話をつないでみると、どうもあたしたちが向かってる島にあった国らしいし。そこで、よ。」
 何とか気を取り直したナミは、身を乗り出すようにして言いつのる。
「船長に確認が取りたかったの。コースに問題はないからその島へと向かってはいるけれど、島に着いてからその国にまで立ち寄ってあげる? それとも、うっちゃっておいて、時々あんたが乗っ取られてしまうこの状態をずっと続ける?」
 妙に迫力があるのは、彼女の希望する方向へと話を通したいからだろうか。だが、それを傲岸なゴリ押しだと断ずる者はいない。ゾロもロビンも姫の希望を飲んでやりたいという方向に異論はない身であったし、それより何より、頼りなく思われがちながらも…これで結構、物事の本質はちゃんと見通せる船長さんだから、ちゃんとしたその判断に際して、余計な助言なぞ不要だろうと思ったからだ。
「う…ん。」
 唇をへの字にひん曲げて一通り唸って見せているルフィは、だが、頼りにしているゾロの顔を見やるでなく、腕を組んだままでじっと考え込んでいる。今の今、全てを一気に聞かされた彼には、理解するための時間が要り用かしらねと、ナミもそれには覚悟の準備があったらしいが、


  「判った。」


 ルフィからの返答は、案外と早かった。
「…良いの?」
「ああ。構わねぇよ。」
 何ともあっさり出た答えに、却ってこちらが面食らう。聞かされた側にしてみれば、何の傍証もないままに、ただ言葉を連ねただけで説明された事象。いくら信頼している仲間の言であれ、これからのクルー全員の行動を決する判断なのだから、疑わないまでももう少し慎重に構えて良い筈だろうに、それはそれはけろりとした即答での言いようだったものだから、
「ホントに良いのね?」
「ああ。」
 ついつい確認を取ってしまうナミに、やはり再度頷いて見せる彼であり、その屈託のなさには、
「………。」
 さしもの才媛、ロビン嬢も、訳もなくくすくすと微笑んでしまったほど。
「…まあ、それなら問題はないんだけれど。」
 いやに呆気なく方がついてしまって、ともすれば肩透かし。案件通過に不満はないが、せっかく準備した"覚悟のほど"が雲散霧消してしまい、どこか拍子抜けしたらしいナミであるらしくて。
"無闇に深刻になるよかマシかしらね。"
 そういうことですかね。順番がおかしい話だが、例の姫君に取り憑かれたのが他のメンバーで、あの場にルフィがルフィとしてちゃんと同座していたなら、もっともっと早く話が運んでいたのかも知れないと、そんなような気までしてくるから、
"…ううん。そうじゃないって。闇雲なこいつをいちいち引き留めて、安全とか真実とかいったことへの確認を重ねるのがあたしたちの役目だわ。"
 おおう、冷静さも取り戻したご様子。そういう自覚を強く持つためにも、この船長のお暢気さは必要なのかも知れないって言いようは…あんまりですかね? もしかして。
(笑)



 ………で。話はついたが、
「…なあ。」
 ルフィが、多くは語らぬまま見上げて来たのへ、
「…ん。」
 すぐ傍に立っていたゾロとしても異存はない。むしろ異存があったのはナミで、見つめ合ってる二人に気がつき、
「ちょっとあんたたち…。」
 分かってるの? 途中で"彼女"と入れ替わったら洒落にならないわよと続けかけたのを遮って、
「ここでちょっと話してくだけだ。部屋に連れ込んだりはしねぇよ。」
 その辺りはちゃんと理解しているさと、ゾロが先んじて自らクギを刺す。
「…ホントに?」
 念を押されて肩をすくめて見せ、
「俺だって、あんな目は二度とごめんだ。」
 成程と、ナミも昼間の経緯を思い出した。選りにも選って皆からの衆目の中で、この愛しい恋人から思いきり、文字通り突き飛ばされるほど拒絶された彼の衝撃はかなりのものだった筈。それに、そもそも器用に嘘を使いこなせる男ではない。振り返った先で、ロビンも肩をすくめて、だが、小さく笑っている。
「…判った。でも、ホントに忘れないでね? 今のルフィには"女の子"が、それも、あのビビよりも心細いんだろう、か弱い子が同居してるってこと。」
「ああ。」


 彼女たちがキャビンの中へと去って後。
「あんな目ってなんだ?」
 甲板の板張りの上へと腰を下ろしたゾロの膝へと抱えられ、深い懐ろへ掻い込まれた小さな船長さんからの問いかけの声に、
「うん? ああ、大したこっちゃねぇよ。」
 苦笑半分、余裕の表情で誤魔化す剣豪殿で。まあ、言いたくはないでしょうね、うんうん。だが、
「うう…。」
 それこそ事情を全く知らない身であるが故に、謀
たばかりはしない彼だと信じていながら、それでも何だかムズムズするらしく。月光だけに照らされた宵闇の中に浮かぶ、惚れ惚れするほど精悍に整った男くさい顔へと、焦れた揚げ句の駄々を捏ねたそうな表情を向けたのも束の間。
「あんな、ゾロ。」
 ルフィはそのやわらかな頬をくっつけた、頼もしい胸板の持ち主を見上げて、
「ん?」
「………浮気すんなよ?」
 えらいことを言う。
「あのな。」
 心外だと眉を顰めた剣豪殿へ、こちらも真摯な眼差しを懸命に向けて来て、
「だって、この顔でこの身体、そのまんまなんだろ?」
「まあそうだが。」
 さすがは"大好きな剣豪殿の関心度"という代物、それにこんなにも早く気がつけたという辺り、ルフィにしては素晴らしく頭の回ったことだが
おいおい、彼が言わんとしていることは既とうに判っていて、
「平気なのか?」
「お前じゃないってちゃんと判っているからな、平気だ。似てるけど、新参の姫さんてことで、しっかり解釈しているさ。」
 ちゃんと割り切れているよと、余裕の笑みを見せる剣豪殿である。そこはそれこそゾロの側からも胸を張って"大丈夫だ"と言い切れるほどに、割り切れてわきまえている事象でもあって。まだ何事か言いたげな幼いお顔を、愛惜しげに腕の中へと見下ろして、
「早く寝な。体は起きっ放しなんだぞ、お前。」
 低い声をそっとかけてやると、ルフィはぷるぷるとかぶりを振って見せる。
「へーきだ。寝るよりゾロとこうしてたい。」
 そのまま、何かをねだるように見上げてくるのが何とも…無視し難くて。
「………。」
 小さな背へと回した腕で優しく上体を引き上げて、そっと唇を重ね、そのままやわらかく抱き締める。うっとりとしてか大人しいルフィで、どうやら姫君は相当疲れたのか起き出さない気配らしい。だが、だからと行って調子にのるとロクなことはなかろう。あとはただ、再びの眠りにつくまでの間、小さな背中をそっとそっと撫でてやるばかり。とんだことに見舞われてしまったが、彼らの絆はそうそうは解けない強固な代物であるらしく。
「………。」
 静かな静かな海の夜。夜空の真上に佇む月が、真珠色の光を無言のままに降りまいては、二人を静かに濡らしているばかり…。



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