炎水晶の迷宮 E  “蜜月まで何マイル?”


          6


 まだ朝ぼらけな空気の満ちる中を歩き始めて、どのくらい経ったのか。足場の悪さに一時たりとも気を抜けないという、張り詰めたままの強行軍に、さしもの体力自慢たちもぜいぜいと肩で息をし始めて。
「………んん? 此処、じゃねぇのか?」
 中身は"ドミニク皇女"な船長を肩へと担いで先頭を歩んでいた剣豪殿が、岩壁が不意に途切れたのへと気づいて、そのまま…突然開けた空間へと足を進めた。今までとんでもない裏道を辿っていたのが正規の本道へ出たような。そんな観のあるような、数メートルほどの幅がちゃんとある"道"がいきなり現れた格好で。
「こっからはこういう道なのか?」
「って言うか、向こうから来た人へ対しては"ここで行き止まり"って思わせる仕掛けになってるんじゃないのかしら。」
 ナミが膝に両手をついた姿勢のままで、チョッパーの洩らした質問へと応じてやる。
「知ってる人ででもなきゃ、あんな凄まじいコースが道だとは思わない。ギエーノフの国へ、そう簡単には入れないぞって仕組みになってたのかもね。」
 ただ風化侵食を受けたがためにああまでとんでもないコースだったという訳でも無さそうだと、ナミはそう言いたいらしかったが、
「ほら、ナミさん。まずは休んで。」
 サンジが差し出した水筒に小さく笑って口をつけた。さすがは周到。どういう道行きとなるのだかが判らないその上、微妙に女性陣が増えた
(あはは)編成のためか、サンジの気配りにも磨きがかかっているらしい様子。
「ドミニクちゃん、お水だよ。」
 ナミ、ロビンと1口ずつ飲んだものが回ってきた水筒を差し出したサンジへ、だが、皇女の寄り代である船長の小さな背中は振り向きもせず、じっと岩壁を見つめているままである。
「…どした?」
 様子が訝
おかしいと、傍へ寄って声をかけると、
《何だか…何か思い出せないでいるんです。ここに何かあったような気がするんですが、何だったのか…。》
 ルフィの童顔の上へ戸惑いを隠し切れないという表情を載せて、小首を傾げている皇女だ。
「ここに?」
 彼女が見やっているのはただの岩壁。道を開くために削られて幾百年経ったものやら、さほどにはゴツゴツもしてはいない、ただただ無愛想なまでに平らな壁面で。道祖神か何かがあったような跡さえなくて、殺風景なばかりの行き止まりへと垂直に接しているばかり。
「どうしたの?」
 二人が並んで壁をじっと見やっているものだから、他の面々も気づいて寄って来た。
「何かがあった気がするの?」
 話を聞いて、全員が壁の前に並んでじぃっと凝視。そして………数刻後。
「…いや、こうしていても、な。」
 何だか後ろ向いたお地蔵様みたいね。
(笑) ふと我に返ったようにゾロが後ろ頭をがりがりと掻き、
「チョッパー、何か匂いとかしねぇか、ここいら?」
「うっと。」
 言われて"ふんふん"と匂いを嗅いでみる。わざわざ意識して…ということは、そうでも構えない限りは何の気配もない場所だということだが、
「…んっと、何かよく判らないんだけど、これってただの削られた壁じゃない。」
 彼は実にあっさりとそんな答えを弾き出した。
「どういう意味よ。」
「んっとな、何かの気配がある訳じゃないんだけれど。この裏、この中かな。空洞になってるみたいなんだ。ホントに少ぉしだけど、空気の流れがある。」
 彼が示すのは、皆で眺めていた壁だった。
「よし。」
 そうと判ればと、ぐっと拳を握りこみ、傍らの相手と"やるか"と目配せ。剣豪とシェフ殿が突き当たりの部分と横壁とが接している辺りへ手をねじ込みかかるが、
「ちょっと待った。」
「んん?」
 ナミがそんな彼らにストップをかける。
「そんな力任せで何とかなるなら、こうまでカモフラージュされたままでいるかしら。もしかして…あの炎水晶が此処から持ち出されたなら尚のこと、開け閉めにも何かしらの仕掛けがあるのかもしれないわ。」
 そうと言って、腰に回していたサッシュの隙間に撓やかな指先を差し入れる。そこから出て来たのはあの"炎水晶"。ここまでの描写では省略していたが、トイレだの何だのという都合で"ルフィ"を呼び出した後、再び"皇女"に戻す時に、赤ちゃんをあやすガラガラよろしく、この石を使っていた彼女であったのだが、
「これがもしも此処から持ち出されたものなのなら、何か関係しているのかも。」
 そうですかね。だって、その水晶がまだこの中にあった時は? 外から働きかけた人は、当然、その宝石、まだ持ってなかったんでましょ?
「うっさいわね。やってみなきゃ判んないでしょ? それでなくたってヒントが少ないんだから、どんな些細なことだって試してみる価値はあるのよ。」
「…ナミさん? 誰と話してるんです?」
(あはは…)
 筆者とのMCはともかく。手のひらへと載せた炎水晶をそのまま前方へとかざすようにして、ナミは岩壁を丹念に探ってみる。まるで水晶から放たれている何かを満遍なく壁全体に塗り広げているかのような仕草だったが、
「…ん?」
 不意に水晶が吸い寄せられるような感覚の伝わる箇所があって。そこへと手のひらをかざし直すと、
「あっ!」
 壁であった一枚板の大岩が、がこんっと十数センチほど迫り出して来た。そして、砂ぼこりを蹴立てながら、上からはばらばらと土や小石を振り撒きつつ、その岩が横へ横へとスライドしていったから………そんな馬鹿な。
「ほぅら、ご覧なさい。」
 鼻高々にして胸張りまくりという大威張りのポーズを取るナミへ、
「さすがだ、ナミさんっ。」
 感動する者、
「ふぇ〜、何でもやってみるもんなんだ。」
 感心する者、
「どんな不思議が起こっても"アリ"なんじゃねぇのか? 今回の話はよ。」
 身も蓋もない言いようをする者と、色々いる様子。………ロロノアくん、後で職員室まで来なさい。
こらこら
「うわぁ〜。」
 ぱっくりと開いたのは洞窟への入り口で、大人が余裕ですれ違えるほどの、幅や高さもあるしっかりとしたもの。それを見て、ここまで来らばもう躊躇
ためらっているのも訝おかしいというノリになったらしく、ざくざくとばかり中へ足を進める彼らである。でもそれって…船長さんの日頃のノリそのままではなかろうか。彼があまりに無頓着だから、その代わりのように、皆さんが慎重であったり疑り深かったりしたのだろうに、本人がいないからって、あんたたちの方がそれを発揮してどうするね。(う〜ぬ) そんなな彼らが辿り着いたのは………、
「…これは。」
「凄っごい…。」
 岩屋の中に隠されたドーム状の空間だった。高い高い天井に結構な広さのある荘厳な空間は、大聖堂と呼んでも良いほど。角度をつけた板状の岩を重ねるといったような、特別な工夫がなされてあるらしく、外からの光もふんだんに取り込まれていて明るく、奥まった正面には祭壇のようなものも設
しつらえられてある。
「けど、秘宝がある場所には見えないわね。」
 あちこちの壁をぺたぺたと叩きつつナミがそんな風に感想を述べた。彼女が昔勤しんでいたのは"泥棒稼業"でトレジャーハンターではなかったが、それでも…何かしら隠されてあるよな気配や作りというものへは、それなりの勘が働く。からくりや死角というものには馴染みがある身の上だ。そんな彼女が見回して断じたのだから、やはり此処は、そういった隠し部屋だのの仕掛けまではない、ただの岩で出来たがらんどうな空間であるらしい。入り口にこそちょっとした鍵代わりの仕掛けがあったものの、だからと言って…あの炎水晶がなければ入れない訳でもない。何となれば力任せに削岩機などでぶち開けるということだって出来ようから、足腰の達者な者なら誰でも、ちょっとばかり頑張れば入り込めるような場所だということになる。
「何か特別な儀式をするところなのでしょうね。ほら。天井や壁に、絵や文字が描かれてある。」
 ロビンが頭上を指差して、
「ホントだ。」
 そのまま後ろざまに引っ繰り返ってしまいそうなほどのけ反って見上げて、真ん丸な瞳を大きく見開き、感心するチョッパーの傍ら、
「ロストアイランドを探した時に見たのに似てるよな。」
 ポケットに両手を突っ込んで、すらりとしたその肢体をなお伸ばすように天井を振り仰ぎながら、サンジが呟く。そういやありましたな、こういうの。何かの物語を描いているのか、デフォルメされた人々の様々な姿が、時に風化されて随分と色褪せた顔料で描かれてある。それらがひどく傷んでいるのは、此処がさほど厳重には密閉されていなかったからでもあろう。
「何かを隠した宝物庫ではなく、場所として神聖なのよ。それで、入り口にあんなからくりが付いてたのかもね。」
 ナミがそう言って振り返った先、

  《ここは主に葬儀を執り行う"黒の聖堂"です。》

 ドミニク皇女は頷きながら応じて、祭壇の窪みにその小さな手を載せた。
《私を封じた炎水晶は恐らくここに埋められていたのでしょう。何だか覚えがあります。泣いていた母様に見送られ、父様と祭司長に連れられて此処に来たと。》
 訥々と感情も乗せないままに語られているが、もしかしなくても、それは彼女の"最期"の場面なのではなかろうか。
「…そうなんだ。」
 やっと辿り着いたギエーノフ王朝のあった名残り。それが彼女の最後の記憶の舞台でもあった斎場だというのはどこか皮肉だが、
《…ありがとうございます。》
 皇女は小さく笑って会釈を見せる。ほんの数日だったが楽しかったと、最後に、生き生きとした同世代くらいの人々に接することが出来て嬉しかったと、そんな想いの滲む、少し寂しげな、だが、やさしい微笑。
「…あ。」
 それこそが目的で、海賊にはあるまじきお節介を選んだ彼らではあったものの、このまま別れるなんて、あまりに呆気なくあまりに気が早すぎる。
「あの…。」
 引き留める理由はないのだが、彼女が満足して"旅立って"くれなければ自分たちが困るのではあるが、それでも何だか………割り切り切れない心残りがあるようで。誰からともなく手を伸ばしかけ、ちょっと待ってと声をかけようと仕掛かった、その時だ。


   「俺たちからも礼を言わせてもらうぜ。」


 思わぬタイミングで割り込んだ声。唐突なことで、
「どひゃ〜〜〜っ!」
 入り口近くにいたチョッパーやウソップが、ぎょっとしたそのまま、飛び上がって洞内側へと駆け込んだ程だったその声の主はと見やれば、

  「な、なんでっ!」

 全員が驚愕を隠し切れずに、思わずの息を呑み、絶句し、唖然呆然とその表情を凍らせる。それもその筈、そこに立っていたのは、見覚えのある連中。そう、あの盗掘団の賊たちであったからだ。
「さっきはよくもやってくれたよな。」
 ああまでして撒いたつもりだったのだが、相手もしぶとく、こちらの後を尾
けて来ていたらしい。だが、
「そんな馬鹿なっ!」
 頼もしい男衆たちが一旦はねじ伏せた筈なのだが…と、ゾロやチョッパーのみならずサンジやナミたちの方でも訳が判らんとばかり、困惑げな顔となる。例えば"叩き伏せた"という経緯を差っ引いたとしても、周到な準備の下に速足の馬車とチョッパーの野生の脚とで撒けた筈。自分たちが此処に向かったという傍証があったとしても、途中のあの、凄まじい絶壁を伝うコースを経なければならないことも含めて、こうまですぐさま、まるで影法師のようにひたひたと、何の気配もないままに紙一重の差で追い着けるものではなかろうに。
「確かに妙よね。」
 ロビン嬢の静かな声がして、
「あれほどの怪我で、あんなに出血したまま追って来られるような、熱血な人たちとも思えなかったのだけれど。」
 そう、どちらの陣営も決して手は抜いていない。息の根こそ止めてはいないものの、数日ほどは寝込むだろうほどの手傷を負わせた筈だ。それこそ戦歴華々しい彼らであるから、そういった"加減"には慣れても長けてもいるというところ。不意を突かれた相手側に何の準備が無かった分も含めて、奇襲作戦としては大成功だった筈。どう考えても腑に落ちないことではあるが、
「どうしてだかを考えてる場合じゃねぇ。邪魔されると剣呑だ。とりあえず、こっから叩き出そうぜ。」
 せっかくやっとのことで辿り着いた聖なる祠
ほこら。ドミニク皇女にとって、唯一かもしれない思い出の名残りが残る神聖な場所だ。それをあんな私欲にまみれた連中の鼻息で穢されたくはない。
「叩き出すぞっ。」
「おうっ!」
 ゾロの腰から大きな手ですらりと引き抜かれた3本の刀。サンジもやや腰を落とした戦闘態勢に入っており、ウソップも…どこかビクビクという気配は拭い切れないまでも、ゴーグルを降ろして使い慣れたスリングショット
パチンコを構える。チョッパーもその体型を大男型へムクムクッと変化させており、そんな彼らの陣形の後ろ、ドミニク…の憑衣したルフィを庇うように懐ろへと抱き寄せたナミの手前、二人まとめて守るかのように、ロビン女史が立ち塞がっている。さほどの身構えはないが、その場から一歩も動かぬままに相手を易々とねじ伏せることの可能な"ハナハナ"の能力がある彼女だ。これで十分な防御壁となっている…という訳で。
「哈っ!」
 先手必勝、ゾロとサンジが賊一同の最前列を目がけて突っ込んだ。
「こんのクソ盗賊どもがっ!」
 サンジの鋭い蹴り技が炸裂し、
「呀っ!」
 ゾロの、今度は3本に増えた刀による剣撃が容赦なく斬りかかり、盗掘団の連中は糸の切れた操り人形のごとくパタパタと地に倒れ伏した。
「何だ。やっぱり口ほどにもねぇ…。」
 その手ごたえのなさに苦笑しかかったサンジが、だが、自分が蹴り伏せた輩たちを振り返って"…ん?"と眉を寄せる。
「…なんだ?」
 ただ転んだものが自力で立ち上がったというような呆気ない動きで、倒れた全員がむくむくと起き上がるではないか。それはゾロが刃にて倒した面子たちにも同様で、
「な、なんだ? こいつらっ!」
 それでも再び相対したが、何度叩き伏せても起き上がってくる様にはさすがに…怪訝を通り越して不気味さを感じるほど。
「どうなってやがるっ!」
 いくら斎場だからって、死者再生の術が立ち込めている訳でもあるまい。訳が判らんとばかり、こちらから仕掛けるのではなく、向こうからの攻撃へ対処するよう、陣形を構え直したところが、

《…そんなもの、我らには効かぬ。》

 何とも異様な声音で響いた声があって。しかも、それを聞いたロビン嬢が、
「気をつけて。どうやらこの連中、ただの傀儡だったみたいよ。」
 その表情を堅く引き締める。この、日頃たいそう冷静な彼女が傍観者でいられなくなるとは、一体…?
「傀儡?」
 合点がいかずに小首を傾げるナミへ、彼女は大きく頷いて見せた。
「ええ。そうでなきゃ、あれほどまで叩きのめされて立ち上がれるかしら。全員、あの町でのダメージを受けたまま、手当てもしないで此処まで追って来たらしいし。」
 言われてみれば、服の端や裾から見えている手足の肌に、痛々しいまでの血の流れた跡が黒々とした縞模様になってこびりついている。それらは今受けた傷ではなく、町で先んじて受けたものだろう。
「格下への手加減にさえ手慣れた人たちですもの、この程度の連中を相手に仕留め損なう筈はないわ。」
 勢いと速さに幻惑されがちだが、ゾロの放つ斬撃は…この程度のレベルの相手に本気で繰り出されることはまずはなく、バザールで繰り出されたものも、そして今放たれたものも、成程、単なる足止め的な浅い代物。息の根までは止めていない。サンジの蹴りも同様だし、チョッパーの攻撃だってかなり手加減されていた。とはいえ、それは"それで十分叩き伏せられる"という解釈の下に用いられた代物たちで、大した装備もない相手がそうそうあっさりと受け流せる筈はないのだ。その証拠に、それぞれ間違いなく傷を負っていて、受け身が下手で骨を砕かれている者もいるというのに。だのに…むくむくと立ち上がるのは、成程、不自然極まりない。
「じゃあ、こいつら…。」
 ロビンが読んだように、尋常な状態にある者たちではないということか。出方を読むように動きを止め、身構え直したままな面々へ、


《我らは王家の秘宝に用がある。
 大魔神"バーミリオン"を封じし魔法陣を稼働させるため、炎水晶が必要なのだ。》


 再びの声がどこからか響いて来た。思えば最初に掛けられた声も、この男たちの中の誰かが発したものではなかったのだろう。遠いような近いような、大声なような、だが破れ鐘の喚く音のような耳に痛い甲高さはない不思議な声。そして、
「大魔神?」
 それは…お初に聞き及ぶフレーズだ。今まで一度として見えも触れもしなかった言葉。だが、この聖なる場所のあまりに閑散と虚ろな佇まいに想いが及んで、ナミはハッとすると腕の中へと庇ったルフィの横顔に眼差しを向ける。
「…じゃあ、ドミニクが封じていたものって。」
 残虐な海賊たちに決して与えてはならない秘宝。それはもしかすると、金銀財宝などではなくて、ある種の兵器として用いられかねない悪魔の力、すなわち、大魔神とやらのことだったのではなかろうか。
「だから、人ひとりの存在を用いなければ封じ切れなかった?」
 それほどまでの代物だったのだ、秘宝自体が。だから、国民たちを守る義務を全うせねばと決断した国王は、涙を呑んで愛する娘を犠牲に選んだのだ。そこへと想いが及んだナミは、
「…まさか、昔、王国へ襲い掛かった連中も?」
 まさかそこまでは…と。思いつきこそしたけれど、まさかそこまで徹底した周到さで彼女らが襲われた訳ではなかろうと、ナミはルフィを…皇女をきゅうっと抱き締める。それではあまりに惨
むごいから。何者かに図られたことで、何者かの勝手な采配で、一人に二つはない命を摘み取られただなんて。掛け替えのない肉親たちとの絆に支えられ、愛情に満ちた幸せを、傲岸な思惑に弄ばれただなんて、そんなのあまりにも惨すぎるではないか。だが、
《ああ。そうだよ。》
 謎の声は無残にも続けた。
《愚かな奴らだった。王家に山とある宝を手に入れたがっていた阿呆ども。我らは手を貸してやったのだ。だのに、肝心な炎水晶を見失っての。あまりの間抜けさには腹が立って、腹いせに奴らもまた滅ぼしてやったわ。敵は討ってやったから、感謝するのだな。》
 人へと非道であればあるほどに、そして返る声が悲痛であればあるほどに、彼らには甘露な響きであり味わいなのだろう。ぐつぐつと笑う声へ、
「勝手なことを…っ!」
 ぎりぎりと噛み合わせた歯の隙間から、憎々しげに言い放つナミである。何が許せないって、自分勝手な奴が、他者の懸命さや不幸を嘲笑う行為ほど腹に据えかねるものはない。
《魔神を封じる炎水晶。だが、我らには実際に触れることが適わない。そこで、この岩屋に潜み、何年も待ち続けた。そして、ある日通りかかった旅人に誘いをかけ、祭壇から炎水晶を持ち出させたのだよ。》
 声はそうと続けた。なるほど、それで、手ぶらだった誰かさんが、だのにも関わらずこの中へ入れたのだなと、先に筆者が投げかけた"岩壁の仕掛けへの疑問"への辻褄はこれで合ったが、
おいおい
「…ちょっと待てよ。じゃあ、もう魔神とやら、おまえらが解放できてんじゃねぇのかよ。」
 サンジが言う通り、それでもうコトは叶っている筈な段取りではなかろうか。皆して"そうだよな"と怪訝そうな顔になっていると、

《それがそうもいかんでな。》
 …はい?
《ただ封石を退けるだけでは魔神の解放には至らなんだのだ。》

  「………。」

 皆さんのこの沈黙、あえて筆者が代弁するなら、

  "………こいつってば、お馬鹿?"

というところでしょうか。(笑) 知恵のない馬鹿に、されど、こうまでの永い歳月を待てたほど、体力は有り余るほど与えられてあるのが、ある意味で不公平への是正処理ででもあるのかしら。
「…って、何を言うとるのだ、筆者。」
 あ、すまんすまん。
《さあ、ドミニク姫。紋章の秘石として祭壇へ。お前を解放してやろうというのだ。嬉しいだろう? さあおいで。》
 傲岸な声はそうと言い、そして、
「馬鹿か、お前は。」
「そんな勝手な言い分が聞ける訳が、な……?」
 周囲の皆が、呆れ半分、小馬鹿にしたような調子でそんな見解を言いかけたその途端、彼ら目がめて吹きつけたのは、膨大な質量があるのではと思うほど、堅く痛く叩きつけるような強い風。ささやかな微風ならともかく、こんな…先が行き止まりになっている洞窟に吹き込む筈のない大暴風で、
「と、飛ばされるっ。」
 咄嗟に踏ん張った足元が"ずりずり"と威力に押されるほどの、途轍もない風だ。圧し飛ばされそうになって、皆が思わず姿勢を低くする。ただ一陣の風ではない。いつ終わるとも知れない勢いで、その風は流れ続けて、まるで大河の奔流を思わせた。
「岩でも何にでも良いからしっかり掴まってろっ! でないと、吹っ飛んだ先の壁に叩きつけられるぞっ!」
 あれほどの力自慢や達人・凄腕揃いだというのに、その全員が、地に、岩壁に、縫いつけられて、身動きすら出来ないでいる。そんな皆を見回して、
《…どうして?》
 皇女は呆然と表情を強ばらせているばかり。というのが、彼女の…ルフィの身にだけは、頭に載せた帽子さえ飛ばない。ひとそよぎの風も当たってはいないのだ。そこへと、投げかけられた声が、

《どうだね? 皇女。そやつらが無残にも岩壁に叩きつけられて命を落としても構わぬのか?》
《…っ?!》

 この"区別"もまた、奴らの策謀の内であるらしい。彼女本人に対しての責め苦ではないのが何とも悪辣な手管で、
「…っ! ダメよっ、ドミニク!」
「そうだっ! そんな奴の言うことなんか聞くなっ!」
 選りにも選って自分たちが彼女へのプレッシャーになっていることが歯痒いとばかり、ナミも、それを庇うサンジも大声を上げて叱咤する。
「そだぞっ。俺たち、海賊な、んだからな、舐めんなよっ、この野郎っ!」
 少しでも風の抵抗を受けまいと小さく小さく身を縮めたチョッパーが懸命に吠え、
「海の勇者、ウ、ウソップ様も いんだからなっ! わ、忘れんなっ。」
 こちらさんの声が途切れるのは、風のせいだけでもなさそうだが、それでも…チョッパーの前にさりげなく位置取りをしていて、小さな仲間への風よけを買って出ているところが男前。そんな彼らの窮状を、為す術もなく見回す皇女へ、

《さすがは冷酷な父王パエンナ七世の血を引く姫よのう。》

 魔物の声は薄笑いを滲ませた声をかけて来た。
《…っ。》
 一体どういう意味かと眉を寄せる彼女へ続いて放たれたのは、
《自分の実の娘を、財宝を守るために犠牲に出来るような王だからの。》
 魔の物の蔑
さげすむような言いようだったから………。

  《………っ!》

 ルフィが…皇女が唇を噛み締める。自分が敬愛した父王。民や娘の身を案じ、身を切られるような想いで処したことを、自分こそ極めつけの利己的な輩からそのように言われる筋合いはないとの憤怒が、されど…誰かを醜く罵るという汚い知恵のない姫の中、ただただ渦を巻いて荒れ狂っているのだろう。大きな眸を見開いて、息を詰めてただ立ち尽くしていた皇女だったが、

  「………あ。」

 小さな体が不意にぐらりと前へつんのめりかけて、
「…っ。」
 ぐっと踏みとどまり、顔を上げる。気絶した訳ではない。これまでならそうだったろう苦痛や恐怖だろうに、ナミやゾロなど、此処まで助けてくれて来た皆の窮地にも必死に耐えていた"彼女"だった。だのに…やはり精神的なところを突かれると弱いのか、それとも何らかの術が新たに投じられたか、やや俯いて身を震わせた彼女が………、


 
「…っ! お前かっ! このお姫さんを苛めたのはっ!」


 突然。凄まじいまでの怒号が、洞窟内に渦巻く風に捩れもせず鳴り響き、それと同時のいきなりに"ゴムゴムのピストル"が繰り出されている。そして、これまでの偉そうな御託を、代理として並べていた首領格の男が、一気に後方へ吹き飛ばされたのだ。
「…え?」
「ルフィ?」
 仮眠状態にあった筈のルフィが、いつの間にか呼び出されて"表"へ出て来たらしい。
「それだけ酷い奴だってことでしょね。」
 吹き飛ばされぬよう、結構必死で岩にしがみついている皆の中、相変わらず淡々と余裕さえ感じられるロビン嬢が、けろっと言ってのけた。いや、それはそうなんでしょうが。そんなこんなの"外野"はともかく。ばちんっと腕を戻したルフィは、たいそうご立腹という顔つきでいて、肩をいからせ"ふぬぬっ"と鼻息も荒く辺りを睥睨してから、

  「お前もお前だっ!」

「………?」
 はい? 誰を指しての"お前もお前"なのかと、お仲間たちが顔を見合わせる。見やればルフィは、自分の腹辺りを見下ろしていて、
「今は俺が出て来てて、そっちから返事出来ないだろけどな。何で呼ばねぇんだよ。こんな時によ。」

  「あ………。」×@

 姫に呼ばれたルフィではないという。どうやら進退窮まった姫の様子を見かねて、自分から無理矢理外へ出て来た彼であったらしい。
「良いかっ! 今からこいつらぶっ飛ばすからなっ! 文句は言わせねぇぞっ!」
 怒号とも取れるほど威勢のいい啖呵を切ったルフィなのは良いとして、
「けど、幽体らしき魔物が相手じゃあ、ルフィの技だって効かないわ。」
 そういえば、彼の"ゴムゴム"もまた打撃系の技だ。そして、吹っ飛ばされた男に代わり、別な盗賊が先程の男の立ち位置にいるところをみると、相手側はあっさりと"寄り代"を乗り換えたのだろう。これはやはり、大元の何者かを封じねばキリがないということか。だが、その"大元"がどこの何かが一向に判らない。
「………。」
 ふと、目を閉じたゾロが、辺りの気配をまさぐってみる。突風の音がうるさいが、
"さっきから気になってんだよな。"
 これだけの人数の体を操る力だ。気配を消したままでいられるものではなかろう。
"この風も、それを隠すためなんじゃあ…。"
 妖刀・三代鬼鉄のその妖
あやかしの気配を嗅ぎ取れた男だ。煽り立つ気持ちを押し付けるようにして心の耳を澄ますように、辺りの気配をそっとまさぐる。………と。

  「………。」

 見回した眸が、頭上の壁画の一角に気づいた。神を模した人々の戯れる姿が描かれたその中、うずくまる犬だか猫だかの姿が小さく描き足されてあった。それ一体だけが顔料の色合いが濃いので見分けられたのだが、
「…なあ、おい。」
「なぁに。」
 珍しくもゾロがロビンへと声を掛けている。
「あすこに描かれてる生きもんは、形式とか様式とかに何か意味があるのか?」
 目線で示された絵を見上げたロビンは、そこに見いだしたものへふわっとやわらかく微笑んで見せた。
「凄いのね。よく気がついたわ。」
 応じた言葉は短くて、だが、
「…っ。」
 再びそちらを見やった彼女の横顔は真剣さに引き締まっている。この強い風の中では、ルフィのゴムゴムでも狙いをつけるのは難しかろう。それで、彼女の方の能力へと声を掛けた彼だとちゃんと察したロビンであるらしく、遠い天井に"ぱぁっ"と開いたのは十数本もの撓やかな腕の"花"。それが取り巻いた"四ツ足の生き物の絵"は、幾本もの手の先、百本近い爪に襲い掛かられ、一気に削られて、


  
《ぎゃおう、んにぎにゃあぁぁあっっ!》


 凄まじい悲鳴を上げる。
「え? なに、今のって?」
 理解が追いつかない仲間内。が、それよりも、
「今だっ! ルフィっ!」
「おうっ!」
 あれほどの奔流だった大風が、嘘のようにぴたりと止まったタイミング。自慢の大技を繰り出すがため、ぐぃーーーーーんんっと背後へ伸ばされた両腕。それが充分なまでの張力を溜めた絶妙な間合いを見計らい、
「ゴムゴムの、バズーカっ!」
 一掃するかの勢いで、岩屋の入り口まで詰まっていた賊どもを全て、宙空へと思いっきり押し出したルフィである。
「うわっ!」「どひゃっ」「ぐえっ!」「だぁぁ〜!」
 様々な悲鳴や喚声を上げつつ、全員が団子になって"ぽーい"っと一掃されたは良かったが、
「………って? 大丈夫か、あいつら。」
 付け込まれた連中だとはいえ、無闇矢鱈な殺生沙汰は…やはり彼らのポリシーに関わる。ただ利用されただけな連中だのに、殺してしまったのでは後味が悪いと、ようやく地べたから立ち上がって顔を見合わせる面々へ、
「確か足元によく茂った森が見えてたけれど。」
 ロビンがしれっとした顔で言葉をかけて、
「ま。奇跡がはたらきゃあ生きてられるんじゃねぇのか?」
 ゾロもまた、どこか乱暴なことを言う。こうまでバタバタさせられた上に、思わぬ緊迫の"はらはら"まで味合わされた間抜けな連中に、ちょいと向かっ腹が立っている彼らなのだろう。日頃静かな人たちを怒らせると怖いということか。
"ゾロは日頃静かなって言い切れないと思うんだけれど…。"
 ま、まあまあ。
「操られての行動なら、ここへの記憶も恐らくは残ってないかもね。」
 やわらかく微笑いながらのロビンの付け足しに、
「………ま・いっか。」
 顔を見合わせあって、全員が何とか納得に至った模様。………あんたたち、何だかんだ言っててもやっぱり船長からの感化、目一杯受けてないかい?
(笑)


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