炎水晶の迷宮 C  “蜜月まで何マイル?”


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 目的の島は、かつての大活劇を繰り広げたとある砂漠の王国と変わらない、いやむしろ一回りは大きいくらいの広大な土地で、その規模は"大陸"と呼んでも良さそうなほど。こちらは緑豊かな土地であるらしく、地図によれば多数ある入り江や大河の周辺それぞれに、大小さまざまな国家や自治区が存在している模様。それらの中には、だが、ドミニク皇女の居たという"ギエーノフ"という国家はなかった。
《ギエーノフ王朝はこの島の東の海沿いに栄えた王国を最初に興した家系でした。元は別の島から移り住んだ人々の集まりだったと聞いています。》
 その頃はこうまであちこち拓
ひらけてはいなかったのだろう。
《後背を険しい断崖という自然の要衝に守られ、地続きの地方からも易々とは攻め込まれず、貿易による富と文化の栄えたそれは豊かな国だったのです。》
 船端から遠くに霞む島影を見やる。落ち着いた気色をたたえたその横顔は、確かに見慣れたあの少年船長のものである筈だのに。
《………。》
 何故だろうか、どこかしら愁いの翳
かげりを含んだ沈みようが、切なげで儚げな風情をたたえて…妙に繊細に麗しく見えたりもして。
「…気のせいかしら。」
 どうも調子が狂うわねと目許を擦るナミの傍ら、
「どうかしらね。もともと可愛らしい顔立ちではあったのだし、内面に知性が詰め込まれれば、繊細なところが強調されもするというところなんじゃない?」
 そうと分析したロビン女史がクスッと微笑む。そんな彼女らから随分と離れた上甲板では、
"…何を今更。"
 手枕の上、眠るでない顔をちょっとばかしムッと顰
しかめ気味にした剣豪が、彼女らの見解へ、心の中でそんな心境を独り言ちていたりする。彼の愛らしさや切なげな雰囲気なぞ既とうに知っているからこその"何を今更"な心持ちが、ついつい頭を擡もたげて来たのだろう。そんな彼の顔の上へ、
「…ん?」
 誰かさんの陰が落ちた。見やると、
「何だなんだ? 奥さんが実家に帰ってっからって不貞寝かよ、おい。」
「誰が奥さんで誰が不貞寝なんだよっ。」
 歯軋
ぎしりもので言い返しつつ、屈み込む相手に合わせて、こちらも身を起こして胡座をかく。
「何か用か?」
「ん、大したこっちゃねぇし、お前にしてみりゃ、言われるまでもねぇことなんだろけどもな。」
 珍しく穏やかな声で話しかけて来るサンジであり、
"………?"
 そうそういつも喧嘩腰な彼だという訳ではないが、それならそれで、揶揄
からかう時のにやにや笑いの方にばかり縁があるゾロには、少々居心地が悪いほどに愛想がいい。怪訝そうな顔になる剣豪へ、シェフ殿は話を切り出した。
「ルフィとお前、結構な賞金が懸かってるよな。」
「…ああ。」
 先にも掲げたが、若くて童顔なあの船長殿には一億ベリー、こちらの凄腕剣豪にもいきなりの六千万ベリーという高額の懸賞金がかけられてある。この金額は、本人を拉致・捕縛、若しくは仕留めた場合に世界政府から支払われるものだが、所在や行動に関する情報を寄せた者にもそれなりの報奨金が出るとかで、賞金稼ぎや海軍、モーガニア系の海賊のみならず、非力そうな一般市民の方々の中にも"通報者"という、言わば"敵"がいるということになる。
「日頃のルフィなら何の問題もないが、今はちょいと微妙だ。そうだよな?」
「そうだな。」
 今現在の彼は中身が微妙に本人でない…というのは、そういった連中には関係のないことだし、ばれたら却って不利になりかねない事情。当人には到底躱せないだろう奇襲や何やから守ってやらねばならない状況だというのは、既に覚悟の上な話であり、そういった現状も含めて、成程…最初に彼が前置いたように、
"言われるまでもないことだよな"
と思った剣豪で。相変わらずに口数が多くて、ちゃっちゃと切り出さない時のある面倒な奴だと、それでも、怪訝そうな顔をするだけに留めて話の先を待つと、
「…ホントに判ってるのか?」
 逆に相手からも、眉をちょいとばかり寄せた、どこか怪訝そうな気配の滲む顔をされてしまった。
「何がだ。」
「お前、この何日か、ルフィにあまり近づいてねぇだろが。」
「…ああ、まあな。」
 何が言いたいのか、少しばかり判って来た。
「助けなんざ要らねぇ時ほどガードしてやってて、危なっかしい今、放ったらかしってのは、物の順番が逆なんじゃねぇの? 戦闘隊長さんよ。」
「判ってるよ。」
 面倒そうに応じてふいっとそっぽを向く。視線を逸らされたサンジは、
"…おいおい。"
 その態度へムッと来るよりも、こちらへと突っ掛かって来ない彼に、何やら意外な感触を覚えた。図星を突つかれることにより、気恥ずかしくなったり、立場が悪くなったからと言葉や態度が荒くなるのはよくある話。ややもすれば大人げないことながら、実はこの剣豪もそういう反応をよく示す。ルフィとの関係を仄めかすような話題やそれとなく持ちかける揶揄へ、微妙に心当たりがあればあるほど照れが高じて態度が邪険になり、日頃の泰然とした余裕や沈着冷静という看板を大きく裏切るような、そういう大人げのない様子を見せる彼が何だか可笑しいやら可愛いやらで、ナミと二人して笑ってやったりもしたものだが、
"他愛のないことに限って、判りやすく突っ掛かって来る奴なんだがな。"
 実際、ルフィが"ルフィ"ではない状態になってからこっち、ほんの数日であるにも関わらず、ゾロの"彼"への態度は随分と変わった。一番判りやすいのが、今サンジが指摘したように、殆ど傍らに居なくなったということ。ルフィがルフィでなく"ドミニク皇女"である今、潮風や陽射しの強い日中、彼(彼女)は、慣れのないせいもあってあまり甲板には出なくなった。ましてや舳先の羊に乗っかるような危険な真似などする筈がなく、上甲板はいやにがらんと静かな空間になっている。だが、日頃のルフィもまた、そうそういつもいつも羊に乗っかってばかり居た訳ではなくて。見張り台に上ったり後甲板の方でウソップやチョッパーと一緒に釣りに興じていたりと、船上のあちこちで騒ぐのが常な、落ち着きのない時間帯も多くって。そして、そういう時は…やはりさりげなくだが、自分も幾らかは移動して、せめてその視野の中に船長殿の姿を押さえているゾロでもあったのだ。何しろ、海へ落ちるという事態がそのまま命にかかわる身。それに、まあ、…ねえ?
(うふふのふ☆)
そんなだったものが、今は…どうかすると食事の時間にテーブルを挟んで同じ空間にいるのだけが唯一の接点だったりするものだから、このあまりの急変は…それだけの落差があるという点は、サンジほど注意深くはない傍目にもありありと判るほど。
"…もしかして。"
 人前ではさほどべたべたしちゃあいないと思っていたものが、実は…他人相手となってしまうとその差が歴然とするほど、やっぱり親密だったのだと。しかも…そうだということへ、本人も気づいていなかったらしくて、この指摘で初めて、思わぬ方向から明らかにされたようで。それがために結構衝撃が大きかった…というところか? ややこしい言い回しをさせていただきましたが、
"今頃気がついたんか? こいつ。"
 みたいですな、うんうん。ようやっと、そうであるらしい彼の、相変わらずにお惚けた純情さにまで考えが及び、はは…と乾いた笑みを浮かべて呆れたサンジではあったが、まあ"判って"いるなら問題はない訳で、
「頼むぜ? 剣豪さん。」
 突っ掛かって来ないものへこれ以上構うのも何だしと、短く言い置き、返事も待たずに立ち上がって上甲板を後にする。久々にちょいと舌戦でもというノリを考えていたシェフ殿にはとんだ肩透かしだったが、それにつけても…と想いが及ぶのは、
"ホンっトに、ルフィ以外はどうでも良いんだな、あいつ。"
 騒動の最中や戦闘時はともかくも、何事も起こらぬ平穏の中においては、誰がどこに居ようが何をしていようが関心は沸かず。鍛練以外にやることもない無趣味なものだから、宛てがわれた仕事を一通りこなした後は、独りでぼんやりと、誰にも何にも関心を寄せずに居られる、相変わらずの"一匹狼"。それでなくとも、どこか風変わりな連携で成り立っている自分たちだが、そんな中で、一番"連携"とか"チームワーク"とかいう代物に遠い男なのだなと、今頃しみじみと実感したシェフ殿でもある。身体も気概も揃って強壮であるが故に、心身ともに打たれ強く強靭であるが故に、余裕で孤高のままに居られる筈の、十分に"一人前"な男衆。そんな彼を、そうまで雄々しくしっかりした男である彼を、このどこか破天荒で助け合わねば危なっかしい船へと繋ぎ止めているもの。船長殿の持つ、計り知れない人柄という名の魅力。
"魔力の間違いじゃねぇのか? それ。"
 ………そうかもしんない。
こらこら



 とりあえず、ドミニク皇女の言う条件に一番近い町に船を着けることとなった。彼女の父王が治めていた“ギエーノフ”という国家がもう存在しないのなら、せめて遺跡など、名残りのある場所へ皇女を連れて行ってやりたい。それをこそ最終目的にと決めた彼らだ。船長であるルフィにも一応、一旦呼び出すという形で了解は取ったが、
『詳しい奴に任せるよ。俺、全然判んねぇし。』
 言ってることはいつもと変わらないものの、言い方が少々単調で。この一件に関しては自分はノータッチもいいとこだからと、そういう感慨があるのだろう。ぶっちゃけて言えば"彼の体を寄り代にしてしまったお姫様を払うため"だとはいえ、この進行状態では、成程、当人ノータッチも良いところ。意見を求められてもなと言いたくもなるだろう。
『出来るだけ早く鳧をつけるから。』
 だから拗ねないで、と、ナミがあやして、さて。いつものように、港町のにぎわいからはやや離れたところへ船を着け、今回は全員で上陸した。とにかく情報を沢山収集してちゃっちゃと早く片付けた方がいいということでの人海戦術を繰り出したかったからで。気候的にはさして寒暖厳しくない時期に当たったらしく、防寒具も日除けも不要ではあったが、もとは遊牧民たちの多く住まわっていた島であるのか、動きやすそうな、それでいて鮮やかな、一種独特な装束が目立つ。砂の国でも見かけた埃除けのベールや頭布。シンプルな筒袖のシャツとズボンの上に重ねているのは、たっぷりした布の、ケープのようなポンチョのような上っ張りで、こまやかで鮮やかな刺繍やビーズの縫い取りがなされてあったり、金銀の飾り鎖やアクセサリーがふんだんにまといつけてあったりしてなかなか華やかだ。そんな風俗が色濃く残っているということは…という言い方は少々語弊があるかもしれないが、先進のあれこれにきっちり整備された近代的な土地ではなく、石作りの素朴で古びた建物が並び、人の喧噪と体温と埃の舞う、それでいてどこか長閑な、エキゾチックに親しみやすい土地。そんな中でも特に人や物資の行き来も多い、豊かな交易に沸く港町で情報を集めていると、
『ギエーノフ…どっかで聞いたな。あ、そうだ。こないだ来てた商人風の連中が言ってたな。』
 微妙な話を幾つか拾った彼らだ。
「隊商
キャラバンを組んでやって来た一行で、あちこちでギエーノフ王朝由来の伝説を聞いて回っていたらしいの。」
「それなら俺も聞いたぞ。本人たちは"学者で調査に来た"とか言ってたらしいけど、それにしちゃあ油断のならない雰囲気があったから、もしかしたら盗掘の一味なんじゃないかって。」
 ウソップが付け足したのは、遠来の客相手の商売をしている宿屋の主人や食堂の女将さんの証言だとのことで、それならその見解も信用していいと思うわとナミも納得し、
「ということは、やっぱり"ギエーノフ"っていう王朝はこの近辺にあった国には違いないって事じゃないのかしらね。」
 その当地に生まれた時から住まう人たちより詳しい存在があっても、さほど不思議なことではない。そこに住まい、日々の生活を送る人々に直接必要なのは、今現在と"これから"であり、過去はさして必要ない。人の"歴史"は確かに大事なものであり、もしかして過去に犯した…それは空しい戦いだの侵略行為や虐殺だのといった罪深い過ちがあるのなら、時に任せて風化させてはいけないのも真理だが、その日その日をこつこつと生き抜いてから、その次に来る"学問"であるがため、どうしても二の次三の次にされるもの。だからして、そこに住んでは居ないがたいそう詳しい専門家が居るらしいということには、何の不思議もないのだが、
「こないだってのが気になるな。」
 ゾロが眉間に力を込める。
「そうね。あたしたちがコレを"もらった"海賊連中じゃあないらしいけど。」
 何の用があって、今は存在しない王朝についてを知りたがるのか。しかも、なんとなく怪しい人物たちが、だ。かの姫が封じられる原因となった海賊たちの方はずっと過去の存在だから直接には関係はないとして、だったらそちらは一体何者なのだろうか。それぞれが担当した出先から宿に戻っての作戦会議は、その一夜目から意外なヒントにぶち当たって、なかなかの進展を見せるに及んだ。
「盗掘団…か。あたしたちみたいに、その王朝に関係するお宝を最近手に入れたトレジャーハンター系の連中が、まだ手付かずかもしれないって、こぞってその遺跡の位置を目指して蠢いてるってトコなのかもね。」
 トレジャーハンター、つまりはお宝目当ての冒険家のことで、学術研究のためとか、そういう学者から依頼を受けたとかいう手合いから、盗賊以外の何者でもないというタイプまで、海賊と同じでピンからキリまでいろいろなタイプがいるから油断はならない。………と、
「…どうかしたの?」
 ふと、皆の会話をただ聞く側に回っていたロビンが、傍らの姫の様子へと気がついて声をかけた。姫もまた、最近の世情・事情には疎いからと話し合いには加わらずにいたのだが、
《いえ、あの…。》
 彼女は壁に飾られた古いタペストリを眺めていて、
《この図案、もしかしたらこの辺りの地方の古い地図なのではないかと思って。》
「え?」
 彼女が示したのは、いかにも古そうに煤けた土壁に、アクセントのように下げられた麻布の壁掛けで、ランチョンマットくらいの大きさのそれに、
《見覚えのある地形を模しているんです。この、赤い花の群れは、もっと内陸へと入ったところにある、代々の王家の墓のある岩屋だと思いますし…。》
 古い布の上、薄くなった染料の描く花畑を指さすと、そんなことをすらすらと説明するものだから、
「じゃ、じゃあ、ヒントになるってこと?」
 この大発見には、皆が一斉に色めき立った。
《断言はできませんが。ここの、花の塊りの縁にあるリボンのようなラベルのような飾り。これはきっと地名だと思います。ザイカというのは、お昼間に回った町のあちこち、市場の木箱などに見かけましたから、今でも残っている在所なのかも。》
 さすがは姫様。ただ引き回されてぼんやりしていた訳ではないらしい。
"ルフィとは違うのね、やっぱ。"
 こらこら、ナミさん。
(笑)


 帳場で女将に聞くと、成程、ザイカという土地は本当にあるらしく、しかも随分と古い地名だとかで、由来が古いとか"本家"という描写に今でも名前だけよく使われているらしい。発祥の地や本場、憧れの土地を指して"〜のメッカ"というのと似ているのかも。
おいおい 位置は国境の岩山のぎりぎり麓で、今は海を使った貿易の方が発達しているが、まだグランドラインの荒海に対応しきれなかった昔は陸続きの交易が主だったから、当時は随分と栄えていた都市だったらしい。
「行ってみる価値はあると思うわ。」
 部屋に戻ったナミが"収穫あり"との自信を乗せて、待ち構えていた仲間たちへ開口一番にそう提言したものの、
「…あまり、大っぴらに行動しねぇ方が良いかもな。」
 そんな彼女のボディガード代わりにと同行させられた剣豪が、それと相反する、どこか低い声を出した。
「あら、どうして?」
「尾けられてる。」
 そう。帳場でナミが女将と話していた間、見るともなく見回した狭いロビーの隅の方。何げにこちらへと視線を向けてくる男がいた。その男が今、ゾロが枠に凭れて立つ、刳り貫きの窓から望める眼下の裏通りで、別の宿に泊まっているらしい数人の男たちと集まって、何やらこそこそ額を寄せ合い、怪しげな立ち話をしているのが薄暗がりの中に見える。ふと、その中の一人が顔を上げ、こちらの窓に気づいてだろう、互いをつつき合うとパッと散って行ったから、ますますもって怪しいというもの。
「賞金稼ぎかしら。」
「さてな。それにしちゃ頭数が多い。」
 海賊同士の逆恨みだの何だのではない"正規の賞金首"が二人もいる海賊団で、しかも凄腕揃いの少数精鋭。万全を帰すために囲い込んで捕まえようと構えられることだってないとは言えないが、タイミングがタイミングだ。
「バロックワークスみたいな結社が他にないとは言わねぇが、もしかしたら、例の盗掘団とやらの一味かも知れんぞ。」
「…ホントね。」
 途中から自分も窓に寄って見降ろしていたナミも、その怪しさには頷いて見せ、
「どっちにしたって狙われてるんなら、のんびり構えているよりとっとと行動した方が良いんじゃない?」
「俺としちゃあ、そっちの方が性には合ってるがな。」
 ただ。男手や戦力として頼りになる筈の船長殿が、今は最も非力で要領を得ない女性と化している。素人臭い盗掘団程度の相手なら、自分一人でも蹴散らせる剣豪殿ではあるのだが、賞金稼ぎが相手となると、他には目もくれずというノリで標的にされる船長殿だろうから、自分の身さえ守れないほどか弱い"ルフィ"の身の現状が微妙に心配な彼なのかもしれない。そんな風情をそれとなく察したナミは、
「そうね。ただ策もなく振り切るのは、面倒なことなのかもしれないわね。」
 少しばかり思案顔になって見せた後、
「じゃあ、こうしましょう。」
 何か一計を案じたらしい。にっこりと笑って手筈を説明し始めた。



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