炎水晶の迷宮 D  “蜜月まで何マイル?”


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 問題のザイカという土地は、山岳地帯への入り口に位置する小さな村だった。ささやかな雑木林に囲まれたその村に古くから伝わる話によれば、山腹のどこかに秘密の洞穴があるという。その昔、古い王族が身を隠したという伝説の残る洞窟だそうで、
『けんど、今はもう、それがどの尾根のどこにあったか、覚えているもんもおりませんです。』
 陸路の交易も今では海沿いのコースが重用されたために廃
すたれ、過疎化が進んで、そんなところへ行ってみようとするような若者もいないままに、かつての商業都市もすっかり寂れてしまい、今やこの辺りには寄りつく人自体が稀だとか。話を聞かせてくれたのは、たまたま墓参りにと近くの町から来ていた老女で、その"言い伝え"とやらは、彼女がずっとずっと幼い頃におばあさんから聞いたものだとか。微妙なところで、実在実話か、はたまたフィクションか、どちらとも決めかねる古さだ。
『どう? ドミニク、思い出すもの、何かない?』
 こうなったら"本人"の記憶に頼るしかない。ナミやサンジらと合流してすぐ"意識が戻った"皇女は、山へと続く雑木林をじっと見つめていたが、

《さほど手をつけてはいないようですね。昔はよく野歩きしましたから、道筋はなんとなく判ります。ただ、人が寄りつかなくなった分、道が荒れているかも知れませんが…。》

 彼女にしてみれば、記憶自体はつい最近の鮮明なあれこれ。昔のことだから覚えていないという種の忘却は少ない。むしろ様変わりしているのは現実の方で、それへと何とか当てはめて、雑木林を抜け、道とも呼べないほど荒々しい岩場を進むと、その進路は徐々に角度を取り始め、視野の中に草木が全く見えなくなった頃には、切り立ったような絶壁にわずかばかりの足場しかないという、凄まじいコースへと踏み込んでいた彼らであった。


 道と呼べるほどの幅はなく、岩肌を手探りで辿り、手掛かりになる突起を掴んで体重をかけ、少しずつ進む。一旦取り付くと休めるほどの場所はなく、ただただ延々と進むしかない恐ろしいコースである。
「ホントにこの道で合ってんのか?」
「彼女が言うんだから間違いない筈よ。きっと、長い歳月で侵食が進んで、こんな有り様になっちゃったのね。」
 ついでに言えば、随分長いこと放置されてもいたわけで。人や荷馬車が踏み締めないままに風化したその上、補修というものもなされていなかったのだろうから、この有り様であるのも仕方がない。全員、結構体力には自信のある面々だから、愚痴は出ても手足は動く。いっそ問題なのは、
「頑張って。」
 励まされている案内役の皇女様本人の方だろう。実のところは体力も反射も充分備わっている身である筈なのだが、それを制御する“意志”が姫であるがため、全く効力を発揮できていない。仕方がないといえば仕方のない話ではあるのだが…、
《は、はい。》
 何しろ同じ器なのだからして、ここまでの何やかやにおいても、どうしても付き合いの長い方の"ルフィ"と錯覚しがちだった。女性陣は頭が柔軟なのかすぐに慣れ、ともすればお風呂まで一緒に入っていたようだったが
おいおい、男性陣にはどうしても…日頃の闊達さや、はちゃめちゃなまでの運動量の印象が拭えなくて。その小さな背中がもたついていると、
"どうしたんだ? ルフィの奴"
と怪訝に思ってから、
"あ、ああ、そうだった。違うんだった"
という順番に納得していた。それがここに至って全員に、
"ああ、別人なんだなぁ"
というのがあっさりしみじみ伝わった様子。
「そういやルフィって小柄なのよね。」
 何しろあたしの服を楽勝で着ているし…と、ナミが呟けば、
「一応基本的な体格作りにと、鍛えてはいたみたいです、けどもっ、ねっ。」
 ざりっと壁から滑り落ちかけた小さな手を素早く掴み止めたサンジが、そのまま体ごと"ぐいっ"と引き寄せる。
《あ、すみません。》
 吐息を弾ませ、小さな手で覚束無く岩壁にしがみついている必死な様子さえ、どこか愛らしいから不思議だ。
「無理しなくても良いんだぜ? ドミニクちゃん。何なら俺が背負
おぶってやろうか?」
《いえ、足手まといに、だけは、なりたく、ありませんから》
 答える声が途切れるほどなのに、懸命に微笑って見せて、ザクザクと先へ足を速める健気な姫だ。
「日頃のルフィにもああいう謙虚なところ、ほしいわね。」
 しみじみ呟くナミに、
「でも、それじゃあ、彼ではなくなるんじゃないの?」
 ロビン嬢がけろりと言って。そりゃそうだわねと、ナミも笑った。
《…あっ。》
「おっと。」
 勢いをつけてリズムに乗って、なかなか調子よく進んでいた"姫"だったが、足元の岩を踏み損ねて滑り落ちかけたところを、今度は先へと進んでいた剣豪殿が掴み止める。
《あ、すみません。ありがとうございます。》
 弾みで頭から外れて、顎紐で首に引っ掛かった麦ワラ帽子。反射的に掴んだ小さな手の持ち主の、陽射しの中に現れた可憐な笑顔を、まともに間近で見ることとなり、
「………いや。」
 シェフ殿からの指摘で初めて気づいたくらいで、意識して避けていたつもりはなかったが、それでも例の約束が………

  『浮気すんなよ?』

 アレが頭にあったせいでか、つい距離を置くようにしていたらしくて。怖いものなしなクセして、かわいい恋人からの要望にだけは純なまでに忠実な剣士殿なのだ。だからして、ルフィの顔自体、久々に間近に見た訳でもあって、これは結構効いた様子。なに大したことじゃないとか何とか。ごにょごにょ呟いている剣豪へ、
「おい、そこの剣豪、しっかりせんか。」
 追い着いて来たシェフ殿が叱咤の声をかける。
「…あんだと。」
「フラフラしてんじゃねぇよ。ルフィに言われてんだろが。浮気すんなって。」
「…っ。なんでお前が知ってる。」
 わざわざ確かめなくたって判るって、あんたらの考えそうなことくらい。そう言いたげに肩をすくめたシェフ殿の傍ら、
「ドミニク、遠慮しないでそいつにしがみついて運んでもらいなさい。」
 ナミが突然そんなことを言い出した。

  《は、はい?》 「ぅおいっ!」

 二人して同時に狼狽うろたえる辺りの気の合いようが、周りからの苦笑を誘う。
「なによ。ルフィなら軽々抱えてやってるトコなんじゃないの? ちゃんと割り切れてるんなら尚のこと、か弱い女性に手ぐらい貸しなさいっての。」
 こういう時のナミの言いように敵う者はまずいない。
「それとも、サンジくんに抱えさせる?」
「う"…。」
 相変わらず"策士"ですな。こうまで畳み掛けられては、剣豪としても子供のような駄々を捏ねてはいられない。
「…担ぐぞ。」
《え? あ…。》
 ぐいっと懐ろへと引き寄せてから、ひょいっと足が浮くほど抱え上げ、そのまま肩の上へと胴を担ぎ上げてしまう。ここまでは実は慣れたもの。何しろ"ルフィ"だけに、重みも体型による重心バランスも、すっかりと腕に馴染んだ相手だ。
おやおやvv ともすれば眸を瞑つむってだって抱えられるというもので、
《あ、あの、重くはないですか?》
「大丈夫だ。それよか、下を見んなよ?」
《はい?》
 言われるとつい見てしまうのが人間というものの不思議なところ。担がれたその肩先から、何の障害物もないまま全方向展開型の眺望として眼下に広がったのは、随分な標高から望むミニチュアジオラマのような遥かなる絶景(足場なし)。
《…ひっ!》
 短い悲鳴を上げた皇女の身体が、ずるりと引き戻されて。急に動かされたものだから、
《きゃっ!》
 てっきり落ちたかと勘違いしたらしい彼女が、実は"戻された"のだという現状に気づくまで、小さな頭をそっと撫で続けていた温みがある。長い腕を上体にすっぽり回してやってなお余る手で、剣豪殿がわしわしと…これでも彼にしては"そっと"撫でてやっているらしき仕草であり、
「だから見んなって言ったろうが。」
 ぎゅうっと瞑っていた眸を開けて、そぉっと横へと視線を向けると、向かい合う格好の眼前の岩壁を見据えたままな彼の横顔が視野に収まる。先程、落ちかかったところを咄嗟に掴まえてくれた時に目が合ったその顔に比べると、やや怒ったような不機嫌そうな表情でいる彼なのだが、
《………。》
 何故だろう、物凄く心配してくれていると判る。そっぽを向いているのに、声だって低くて、いかにも不本意だぞという雰囲気なのに。その"不本意"の方向が、皇女へと手を貸すことへではなくて、無愛想な態度を取ってしまう自分の不器用さへと向けられているような。そんな気がするのは、こちらの勝手な感触なのだろうか?
「頼むから気絶だけはすんなよ?」
 そっぽを向いたまま、そうと言い置く剣豪殿へ、
《はいっ! 頑張りますっ!》
 こくりと頷き、ルフィでさえ今までにそんな声は出したことがないほど、きっぱりきりりとしたお返事を返すものだから………おいおい、姫さん。あんた、いつの間にか、体育会系のノりになっとるぞ。
(笑)



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