炎水晶の迷宮 B  “蜜月まで何マイル?”


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 そして翌日。
《おはようございます。》
 今日はまた、目覚めた時からルフィは"ドミニク皇女"であるらしく、ナミが丁寧にブラシをかけて髪を撫でつけてやり、いつもの例の服装は裸のようで落ち着けないというので、少しはマシな半袖のTシャツと、くるぶしまで裾のあるハーレムパンツを貸してやると、何とか人心地つけた模様。
「しかしまあ、寄り代にしたのがルフィで良かったな、姫さん。」
《? どういうことです?》
 ひょこんと小首を傾げる顔立ちは、どう見てもいつもの船長の童顔だが、意識して見る分には…どこかしら愛らしさが5割増くらいになっているような。何しろ、女性である。膝頭をくっつけた座り方に、やはりお膝に載せられた手。間違っても肘など突かず、足も組まないお行儀の良い立ち居振る舞いからあふれる、気品というのか機能美というのかも加わって、結構どころではないかなりの度合いで"お姫様"らしい雰囲気となってしまっていて。
「顔見ただけで悲鳴を上げちまったあのごっつい剣士やら、ルフィ以上に裸同然なカッコの長っ鼻やらの中で目が覚めてたら、ショックで引っ繰り返ったままだったかも知れんからさ。」
 それよりもっと判りやすく、ナミさん辺りに憑衣すれば一番問題なくて良かったんですけどもね。
う〜ん サービスよくハーブティをテーブルの上へと差し出すサンジに、
《あ、えっと。あの方には何だか失礼なことをしました。》
 姫としても昨日の"初お目見え"の時の顛末を思い出してだろう、肩をすぼめて恐縮するばかり。いくらびっくりしたとはいえ、人にあらざる相手であるかのように振り払ったのだから、これは相当傷つけたことだろうと、随分と後々になって気が回ったらしい。だが、
「気にしないで良いって。」
 その器の人物がやらかしたことなだけに、彼女が心配する以上の打撃が実はあったのだが、それさえ封じてサンジは殊更ににこにこと屈託なく笑って見せる。
「面の皮が厚い奴だからね。もうとっくに忘れてるさ。ささ、どうぞ。焼きたてのマフィンです。ジャムはイチゴとブルーベリーがありますよ?」
《あ、はい。いただきます。》



「勝手なこと、言ってやがるぜ。」
 むらなく塗られた青も目映い、果てしのない蒼穹が頭上に広がる、キャビンの戸口のすぐ外の壁に凭れて、サンジの言いように片眉を上げつつ難癖をつけたのは当の本人で。そんな彼の顔を覗き込み、
「今日は動じないのね、ゾロ。」
 ナミがちょっとばかり揶揄
からかうような言いようをする。昨夜、少々やきもきさせられた意趣返しというところだろう。だが、
「まあな。フォークの使い方を見ろや。あんな作法にのっとったこと、する奴じゃねぇからな。」
 言われて室内を見やれば、たかだか自分の握り拳より小さなマフィンを、わざわざ小さなフォークで小分けにして口へとちみちみ運んでいる。常のルフィなら、フォークどころか手づかみの、その上、2、3個まとめ食いと運んでいる筈だ。
「…成程。」
 姿は"そのもの・そのまま"だが、中身はまったくの別人と、ようやく割り切れたらしい様子。そんな彼らのやり取りに、
「そのフォークなんだけど。」
「んん?」
 さりげなく割り込んだのはロビンである。
「あのお姫様、そんなに古い時代の人じゃないわ。」
「そんなことが分かるのか?」
「ええ。その"フォーク"からね。箸は何千年って歴史があるけど、ナイフとフォークっていう"カトラリー"の歴史はさして古くはないのよ。」
 単純に考えても、箸は古代の中国や朝鮮半島から日本にやって来た文化で、神様へのお供えに直に触ってはいけないというお作法から始まっている。ということは、少なくとも何千年単位の歴史があると見ていい。片やのナイフ&フォークには、こういう逸話があるのをご存じかな? あの『三銃士』の舞台となったルイ13世の時代だから17世紀。後には敵役となってしまうあのリシュリュー宰相が、部下の衛兵たちがナイフの先で食後に歯をせせるのが何ともみっともないからと、ナイフの先を丸くするよう取り決めた…というもので。とゆことは、フランス王朝の時代にまだきっちりとお作法が成立し切ってなかった訳で。フィンガーボウルやナプキンも、手づかみで食べていた名残り。フォークやスプーンをそう簡単には器用に使いこなせなかったから、ズルズルといつまでも残ったのだと言われてます。よって、手で掴める程度の温かさのメニューしかなく、ふうふう・はふはふ・ずるずると"啜
すすって"食べる習慣がなかったものだから、欧州や米国の方々にあらせられましては、アジアの人々の麺類の食べ方には眉を顰められたりしちゃう訳ですな。…ちょっと話が脱線しましたが。
「ナイフやフォークを使う時代の人。それでも古ければ数百年前って事になるのだけれど、案外何代か前ってくらい近い時代の人かもしれない。」
 この『ONE PIECE』で描かれている世界が、まったくの"第三世界"なのか、それとも筆者や皆さんの居る今現在にまで続く"ちょっと昔"なのかは判然としないのだけれど。現実世界に地続きなのなら、航行技術の発達や西欧国家がバックアップしての新大陸発見などに代表される、俗に言う"大航海時代"が15世紀末から16世紀にかけて…だから、その辺りとさして時間的な隔たりがないなら、やはりカトラリーの歴史はまだまだ浅い頃だということになる。
「成程ね。」
「凄げぇなぁ。」
「色んなこと知ってんだなぁ。」
 そんなことを言い出したロビン女史へ、ナミやウソップ、チョッパーは単純に感心して見せただけだったが、
「で?」
 ゾロは先を促すような気配。そんなことをひけらかしたかっただけな彼女ではなかろうとの洞察で、そして、
「…ええ。」
 ロビンも動じぬまま"こくり"と頷いて見せる。
「滅んだ王朝だからこそ、あの炎水晶は外へと持ち出された訳でしょう? そして世間を渡り歩いて此処に届いた。ということは…もしかしてあまりに時代が近いなら、その当時の状況だってまだ生々しく語られているのかもしれないわ。」
 まだ伝説にさえなってはいない、ついこないだの戦いという扱いかもしれない。
「それを彼女に聞かせるのは酷だってか。」
「………まあね。物の言いようからして、あなた方とそんなに変わらない年頃なようだし。」
 ただでさえ悲しい境遇にあった姫だ。定めと呼ぶには苛酷な形で家族と別れ、若い身空で冷たい水晶の中に封じられるという、死んだも同然な扱いを受け入れ、そして今、見ず知らずの世界に放り出されて。
「あんたが情を見せるとは珍しいな。」
「そう?」
 知的なところが強すぎて、何につけ淡々としている印象がある。そこが…彼女のエキゾチックな美貌と相俟
あいまって、時には冷たく見えもする。女性相手に斟酌なくそんなことを彼女に言うゾロなのは、まだどこかで信用していない心情の表れなのかも。そして、当のロビン女史はといえば、
「彼女が生きている相手じゃないからかもね。その境遇だけは、本人の心掛けや意欲で何とか出来るものでなし。だのに、これ以上辛い目に遭わせてもしようがないでしょう?」
 それこそ何の感情も乗せずに、そんな言葉を返して薄く笑って見せたのだった。



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