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2月17日 晴れ蒸し暑い。日の出を見物のためアンコールワットへ行く。あちこちより日本語が聞こえる。5時半頃日が昇る。
帰ってホテルにて朝食。 |
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午前中はアンコールトムへ行く。これはバイヨン寺院の南門。
昔は象軍だけが通れるように狭く作ったとか。マイクロバスぐらいは通れる幅がある。上部は観音様の像である |
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バイヨン寺院の第一回廊には数多くのレリーフがあり、これはカンボジア軍とチャンパ軍との戦いの場面 |
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至る所に観世音菩薩が見られるが、ここは観音様が三面見えるところ。ジャヤバルマン七世の信仰心の篤さが伺える |
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デバター、女神像。
アンコールワットの壁面に浮かび上がる数々のデバターの美しさは、無言のうちに見るものを圧する気高さ、パワーのような物が秘められている
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キリング フィールド。
ポルポト政権下の粛清という名を借りた虐殺行為はこの地で行われた。数千とも数万とも言われる人々が殺されたというこの地に、僧院が1997年に鎮魂の意を込めて完成した
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第一回廊は見事なレリーフのギャラリーだ。
マハーバーラタ、ラーマーヤナの物語や、天国と地獄の話が掘られている |
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上ることを拒否するかのような急勾配の中央祠堂南側の階段。
左側には手摺りが付いている |
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階段を上ったらおりなくてはならない。手摺りのあるところは列をなして並んでいたので、前の僧に付いて私もここをおりた。
下にいるのは松原師。 |
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森本右近大右一房が残した落書き。歴史的意味合いも深く、消されないで保存されている。1635年。
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2月18日。バンテアイスレイ寺院。この寺院は女の砦の意味を持つ、ヒンヅー教の寺院である。
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ヴィシュヌ神の化身ナラシンハが阿修羅王をくみふし、殺そうとしている
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タ・ケウ寺院。今にも崩壊しそうで、つっかい棒が施されている |
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タ・プローム。自然の驚異を見せつけられる。この木の根はまるで大蛇のように見える
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スボアンの根は遺跡の石の隙間を見つけ、押し広げて突き進むので、日に日に破壊が進む
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先生の井出先生をHPで知り、早速メールをしてから、尋ねて行った
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帰り2月19日ベトナムの首都へ。サイゴン時代の大統領の官邸。
現在はホーチーミン市の会議場で一般にも公開されている |
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二階のテラスより市中を見渡す。
サイゴン陥落の時、ここで北ベトナム軍が旗を降っていた状況が思い出される |
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ホーチーミン市はバイク天国。
道路を横断するのには大変な勇気がいる。
20日深夜、ベトナム航空にて帰国の途につく |
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カンボジアのお札。
アンコールワット遺跡がお札に印刷されている |
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100リエルは日本円で約3円。
両替するときは注意しないと、大変なお金が手元にくる。
しかしほとんど米ドルが通用するので、ドルを持っておれば大丈夫。ベトナムもそうでした
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