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 ウナギと虚空蔵さま  
 数年前の虚空蔵講・秋の大祭の日のこと、突然信徒のI氏が部屋に入って来られた。いつもの大声で 「宋雲さん大変ですよ」の一声である。今日の大変は何事かと思い 「何がですか」と聞くと、
 「ここのお寺はウナギを食べてはいけない お寺ということを知っていましたか?」私は「いや知らないし、先代からも聞いたことがない、」と返事をした。
彼の手には『虚空蔵信仰』と題名のある厚さ二センチ程の本をおもむろに出し、机の上におかれた。I氏の言われるまま本を開けてみると、
 「鰻を食べぬ伝承のある寺院」 の一覧が掲載されていた。その中に、当宋雲院が出ているではないか。虚空蔵菩薩を本尊様にする寺で東京の臨済宗の寺院なら間違いない。
 さーて困った。わたしはウナギが好物である。肉はあまり好まないがウナギなら食べる。そして先代住職であった父も食べていた。父は北陸・金沢の魚問屋の生まれで、魚を食べさせたら骨を見事に皿に並べるほど、きれいに食べるのである。しかしウナギに関しては全く聞いていない。I氏から聞くまでは全く知る由もなく、寝耳に水の話である。知らぬが仏とはこのことかと思いつつ「ウナギと虚空蔵さま」について、こだわって書いてみた。
 
大多喜町泉水の虚空蔵堂
大多喜町泉水の虚空蔵堂
  夏のある日「お寺さーん」と大きな声を掛けながら突然の来客である。あわてて玄関に出てみると 「おばーさんが倒れているけれど、お寺さんのお客ではないですか」 もしやと思い外へ出た。今お寺に来られたばかりの近所のおばあさんである。
 「おばあちゃん 大丈夫」と声を掛けた。 
 「すまないねーここで滑っちゃったのよー」と元気な声が返ってきた。声を掛けてくださった男性に礼を述べて、おばあさんを家まで送り届けた。 このおばあさんは当時九四歳、この町内で一番の高齢者であった。月に一二度お参りに来られる。この日もゆっくりとした足取りで寺に入って来られた。歩いている姿を見て、すぐ仏壇の燈明をつけ、香炉に火を入れたころ、ようやく仏前に到着する。
 「ありがとう ありがとう」そして「ナン マンダブ ナンマンダブ」を繰り返す。 十五分ほどでお参りを済ませて帰られる。その時に門の横で滑ってしまったのだ。おばあさんのお参りはいつも「ナンマンダブ」である。当院の虚空蔵講の講員であっても講中祭には来られないので、虚空蔵さまのご真言は知る由もない。私は内心「ここのご本尊様は虚空蔵菩薩で、ご真言もあるのですよ」と言いたいところだが、あえて言っていない。 観音さまや阿弥陀さま、お地蔵さまは大変親しみがあり、ポピュラーな仏さまである。しかし虚空蔵さまはあまり一般的ではない。
 虚空蔵菩薩とは、「虚空のように無限の慈悲を表す菩薩。福と智の二蔵の無量なことが、大空にも等しく広大無辺であるのでかく称する」(中村元著『仏教語大辞典』)である。
 従っておばあさんが当院の本尊様の前で「ナンマンダブ」と称えても、大きな気持ちで許していただけるでしょう、と思っている。

 私の住職する宋雲院は、今から三百九十年前、筑後柳川城主立花宗茂公が、その実母・高橋鎮種公夫人の菩提のために、東京・広徳寺山内の一院として創立された。ご本尊として安置する「虚空蔵菩薩」は「日本三虚空蔵」の一つといわれる伊勢朝熊山金剛証寺」ご本尊の分身である。 虚空蔵さまの御徳を一口で言えば「福威智満」という。いかに外見に福分があっても、真実の知恵がなければその人の生活は正しいとは言えない。どれほど知恵が人より優れていても、福分がなければ、満ち足りた生活はできない。福と智とを備えてはじめて、威徳があらわれて人の尊敬を受けることになる。虚空蔵さまを信仰する人は、この福と智とを兼ね備えることができるのである。この虚空蔵さまの御徳を、具体的に示したのが本尊さまの両脇立ちで、雨宝童子は福を、明星天子は智を表している。 子供がりっぱな知恵を授かるようにとの親の願いに、虚空蔵さまの「十三まいり」となって昔から盛んに行われている。とくに関西地方では盛んである。 また高僧といわれる弘法大師・栄西禅師・日蓮上人を初めとして、虚空蔵さまを信仰する仏教者はきわめて多く、明治の大政治家伊藤博文公が、終生その像を身より離さなかったことは有名である。これらはみな「知恵のほとけ」としての虚空蔵さまの信仰を物語るものである。

 虚空蔵さまはまた、丑寅歳の守り本尊として広く信仰され、技芸・芸能関係者の守護佛として帰依をを受け、地方によっては「針供養」の式も虚空蔵さまのもとで行われている。ことにうるし関係者との因縁は深く、「コクソ漆」の名は「虚空蔵漆」とナマッタものといわれ、日本独特の漆器工業の発達は、虚空蔵さまの恩徳によるところが最も多いと言われている。毎年秋に全国一斉に行われる「漆器祭り」には、漆工関係の代表者が当院に集まって本尊さまの御供養をする。 当院の「虚空蔵講」は、福智の円満を願う人、子弟の知恵の発達を望む方、丑寅歳の人、技芸、芸能関係者、うるし、漆芸、漆器業者、その他本尊さまを信奉する人によって組織され、講員は毎年正月に集まり、本尊さまの供養と講員の親睦をはかっている。このほか有志者が毎月一回会合し、本尊参詣を兼ねて無尽会を行い、また別に「虚空蔵菩薩霊場参詣会」を催し、毎年一回地方の霊場巡拝に赴いている。今年で二十五回を数える。

 以上当院と虚空蔵さまの関係を調べてみたが、「うなぎ」のうの字は見当たらないのである。 ウナギはかなり古い時代より食用に給されている。万葉集には 「石麻呂にわれもの申す、夏痩せによしといふものぞむなぎとりめせ」 「痩すやすも主うばあるんをはたやはたむ なぎとると河に流るな」(岩波日本古典文 学大系) と大伴家持が痩せた人を笑った歌であるから、古来より栄養豊富な食品として考えられていた。海岸に近い所であれば網にかかるだろうし、それを食することは十分考えられる。それを食物として食べられないということはどういうことだろうか。

 まず考えられるのは、ウナギは、
 一、虚空蔵菩薩のお使いであろうか。
 二、虚空蔵菩薩の好物であろうか。

 一、については、インドでは牛が神聖視され、捕まえたり食することはできない。日本でも、主に太平洋地域における数少ない民族誌的報告からウナギがトーテム動物、祖先崇拝と結び付いて神聖視されていることがあるようだ。また単なる神使いとする他に、水神・龍王・金毘羅・三島明神など具体的に神名をあげるケースが多いが、虚空蔵さまの使いとする例が圧倒的である。神使いゆえに食してはならないとの禁忌を必ずともなう。
 数年ほどまえ、東京の出版社に勤めるK氏が当院にこられた折りに、千葉県の大多喜町泉水(せんずい)という地区はウナギを全く食用しないということを聞いた。ひとつそこを訪ねてみようと思い、平成八年十月八日に日を決めた。しかし秋雨前線が活発化して千葉県下大雨洪水警報が出て、鉄道は崖崩れの危険があるので不通となり、この日は中止。次回は十一日としたが台風二十一号が接近し、房総沖を通過するため、またもや中止せざるをえなかった。
 当院にある『仏説如意虚空蔵菩薩陀羅尼経』の中には、福徳増進の他、虚空蔵菩薩が全国を巡り歩き天変地異の際、どの仏にも増して慈悲を給い、急難を救う仏として説かれている。それでは洪水のときにウナギが出ることも聞いた。経に説くように、虚空蔵さまと天変地異とは大いに関係するのだろうか。
 三回目に予定したのは十六日である。朝出発するときに虚空蔵さまに参拝して安全を祈願した。当日は晴れ渡り、いよいよ出発出来るようになった。東京より車で二時間半で大多喜町に着いた。六所神社の右隣りに虚空蔵堂があり、世話人さんにお堂を開けていただき参拝する。公民館前でご婦人二人と会ったので話を聞いてみた。
 
お堂の中で世話人さんより話を聞く
お堂の中で世話人さんより話を聞く
ウナギを放つ 放生池
ウナギを放つ 放生池
   「ここ泉水の方々はウナギを食べないということは本当ですか」
すると六十すぎのご婦人は、
 「本当です。私ら全々食べませんよ」
すると五十すぎの方は、 「私は以前食べておりましたが、こちらへ嫁いでからは食べておりません」
 「ウナギはそんなに美味しいものかね」
 「そりゃー美味しいよ」 とこんな会話が二人の間で始まった。
 「何故食べないのですか」の質問に、
 「昔から食べないから食べない」と、そしてこんな話をしてくれた。
 「虚空蔵さまに願をかけて叶ったら、下にある池にウナギを放すことになっている。この池は田植えの時季には、潅漑用水として使われるので、カラになることもある。二十年ほど前にカラになった池に大きなウナギがおり、これを他の地区の人が捕って持ち帰り、料理をして食べてしまった。するとまもなくその人は死んでしまったとのこと、それ以来まるっきり食べていない」と言う。
 ウナギをいつから食べていないのか、どうして食べないのか、に対して、昔から食べないから食べないのであって、この質問は”やぼだったなー”と思いつつ泉水を後にして、虚空蔵さまがまつられている清澄山に参拝して帰京した。

 東京にもう一カ寺「ウナギを食べないと伝承のある寺」がある。世田谷区瀬田の寺を訪ねた。ご住職にお会いすると、丑歳の人はウナギを食べると共食いになるので食べないのでしょう。」 と、そして、多摩川に近いので、昔は放生会の時にウナギを放したことはあったとのこと、しかし虚空蔵経に出るように洪水に関係するかどうかは不明であった。

 以上ウナギと虚空蔵さまとの関係する所を訪ねてみたが、なかなか二か所では確証はつかめない。虚空蔵さまの呼び名に、当院では「福威智満虚空蔵菩薩」と呼び、他には能満、とか福一満、福満とかがついて呼ばれている。この呼称と「鰻、まん」の語呂合わせではないだろうか。(佐野賢治編『虚空蔵信仰』八一頁)また虚空蔵さまは丑歳生まれの守り本尊でもあり、丑歳の「う」とウナギの「う ウ」とこれまた語呂合わせであろうか。
 
清澄山清澄寺
清澄山清澄寺
 我々日本人は古来より農耕民族である。従って土との係わり、とくに天気との係わりは、作物の収穫を左右してしまう。今のように天気予報がない時代であれば、風水害に対する恐れは並大抵ではなかったと思う。大雨ならウナギが出現するとか、何らかの現象が生じたのであり、禍いの前触れを知らせるのがウナギであれば、水神化されることも考えられる。我々を守ってくれる神さまであれば、おいそれとは食せないのは当たり前である。
 虚空蔵さまを信仰する者にとって、全ての信者がウナギを禁忌とするのではなく、ウナギと特に係わりの深い地域のみで食さないのであり、また地域によって丑歳の人も食さないのであろう。このように特異な性質をもつのが虚空蔵さまである。虚空蔵さまを信仰する者にとって、ウナギを決して食べないという強い信念があっても良いのではないだろうか。

参考文献 佐野賢治編『虚空蔵信仰』
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