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 虚空蔵さまについて  
 当宋雲院は、今から三百九十年まえ、筑後柳河城主立花宗茂公が、その実母高橋鎮種公夫人の菩提のために、広徳寺内の一院として創立せられました。本尊として安置する虚空蔵菩薩は 「日本三虚空蔵」の第一といわれる伊勢朝熊山金剛証寺本尊の分身であります。

 虚空蔵さまの御徳をひと口に「福威智満」 と申します。いかに外見に福分があっても、真実の智恵がなければその人の生活は正しいとは言われません。どれほど智恵が人より勝れていても、福分がなければ、充ち足りた生活はできません。福と智とを備えてはじめて、威徳があらわれて、人の尊敬を受けることになります。虚空蔵さまを信仰する人は、この福と智とを兼ねそなえることができます。この虚空蔵様の御徳を、具体的に示したのが、本尊さまの両脇立ちで、雨宝童子は福を、明星天子は智を表わしています。
  宋雲院虚空蔵菩薩石碑
 子供がりっぱな智恵をそなえるようにとの親の願いは、虚空蔵さまの 「十三まいり」 となって昔から盛んに行われていることは、今さら申すまでもありません。また高僧といわれる弘法大師・栄西禅師・日蓮聖人を初めとして、虚空蔵さまを信仰する仏教者はきわめて多く、明治の大政治家伊藤博文公が、終生その像を身より離さなかったことは有名であります。これ等はみな「智恵のほとけ」としての虚空蔵さまの信仰を物語るものであります。

 虚空蔵さまはまた、丑寅歳の守本尊 として広く信仰され、技芸・芸能関係者の守護仏として帰俵を受け、地方によっては、 「針供養」 の式も本尊さまのもとで行われています。 ことにうるし関係者との因縁は深く、 「コクソ漆」 の名は 「虚空蔵漆」 のナマッタものといわれ、日本独特の漆器工業の発達は、虚空蔵さまの恩徳によるところ最も多いといわれています。毎年秋ごとに、全国一斉に行われる 「漆器祭」 には、漆工関係の代表者が当院に集まって本尊さまの御供養をいたします。

 当院の 「虚空蔵講」 は、福智の円満を願う人、子弟の智恵の発達を望む方、丑寅歳の人、技芸・芸能関係者・うるし・漆芸・漆器業者、その他本専さまを信奉する人々によって組織され、講員は毎年正月の十三日に集まり、本専さまの供養と講員の親睦をはかっています。このほか有志者が毎月一回会合し、本尊参詣を兼ねて無尽会を行い、また別に 「虚空蔵菩薩霊場参詣会」 を催し、毎年一回地方の霊場巡拝におもむきます。
  
「信は道の元であり、功徳の母である」 と申します。正しい信仰は自ら道にかない、功徳もしたがって感ぜられます。虚空蔵さまの信仰により、自らの心を清浄にたもち、本尊の心と一体になるとき、力強くこの世に生きる道が開けてくることを信じて疑いません。福威智満のめでたい信仰心を養うために、ご紹介申し上げます
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